異世界へ
午後七時過ぎの帰り道。俺は部活を終えて腹をすかしながら帰路を辿る。
生温い風に当たりながら今日一日を振り返り、長い溜め息をついた。
寝坊して遅刻して、そのせいで数Ⅱの小テストに間に合わなかった。朝飯を抜かしたせいで授業中に、腹が鳴った。短距離走の練習中には、野球部の球に背後から急襲されたり、俺のスパイクのピンが行方不明になったりと、散々な一日だった。見つかったら良かったが。一緒に探してくれた陸上部の仲間に感謝だ。
しかし、不運は終わっていなかった。
「DS忘れた」
俺としたことが大事なDSを、なんとかお願いしてやっと買ってもらえたDSを、部室においてきてしまった。
帰ってからもモン○ンやろうと思ってたのに。本当にひどい一日だ。厄日だ。
テンションが急降下して、立ち止まった。DSを取りに帰るかどうか悩んだのは数秒だけ。腹はすいているが、それ以上にゲームもしたい。明日まで待てない。どうしても今日遊びたい。
俺はくるっと方向転換すると、高校までの道をひた走る。
道端の雑草が風に揺れ、リリリリ、ジーン、と何かの虫が鳴いている。太陽はとっくに西の空に傾いて、濃紺が空を覆いつくそうとしていた。
息を乱しながら走っているとようやく学校が見えてきた。
俺はシャワーのように流れてくる汗を、首にかけているタオルで拭う。あともう少しだ。
だが俺は、ちょっとした異変に気づいた。何か、学校がぼやけているような気がする。いや、学校は確かにそこにあるんだけど。景色がゆらいでいるような、……陽炎みたいだ。ずっと見ていたら気持ち悪くなってくる。陽はほぼ落ちてるんだし陽炎とは違うのか、とかいろいろ考えていると。
目の前から景色が消えた。暗から一転、眩い光に包まれ、思わず目をつむった。足が地を離れ、激しい奔流に背中を押されるようにして、一気にどこかへと運ばれていく。平衡感覚を失いテンパりながら身を丸めた。その最中、バッグが吹っ飛ばされそうになり手を伸ばすが、強い光に目が痛くなり、バッグをあきらめて目を覆う。目を手で押さえたって眩しくて、開けられたもんじゃない。それにさっきから何かがまとわりつくように、身体中を圧迫している。重い空気を吸うたびに、吸っても吸っても酸素が足らないような、そんな苦しさに気が遠のいていくのを感じた。
東の空が白み始めた頃、広漠たる荒れ地で、何もない空中に熱心に手をかざしている四人がいた。いや、よく見れば空中にゆらぎのようなものが見える。全員それに向けて手をかざしているようだ。
「っ! 離れろ!」
男が言い終わるより早く、一つのゆらぎを囲んでいた四人は、そこから距離を置いていた。
四人が見つめる中、空中のゆらぎが一層大きくなり、周りの景色が歪んでいく。
「何か来るぞ……」
呟いた男は手をそっと指輪に触れさせ、剣を取り出した。
ゆらぎの中心が小さく煌めいて、突風とともにそこから飛び出してきたのは、人の形をした何か。それは死んでいるかのように受け身も取らず、地面に転がった。しかしかすかに胸が上下している。
「殺せ」
「待って!」
剣を握る男が人のようなものに近づこうとするが、声に遮られる。
「なんだリリア」
焦燥感をもって男はリリアという女に問う。
「悪魔じゃないわ。耳が尖ってないし、羽もない。擬態している様子もない。……もしかしたら、異世界の人じゃないかしら。生きているようなら、保護しましょう」
「保護だと!? こいつは俺たちを殺すかもしれないいんだぞ、やるなら今のうちだ」
そう言って男は無造作に転がったままの異人を睨み据える。
「ふむ、ドズ、少し落ち着け。俺が確認しよう」
ドズと呼ばれた男は赤髪の男を見て、しぶしぶといったように構えていた剣を下ろす。
三人は赤髪の男が異人に近づくのを見守った。
赤髪の男は異人の耳や背中を確認するが、仰向けに倒れているその異人は微動だにしない。
「息はある。……完全に気絶してるな。掠り傷はあるがそれだけだろう。持って帰れば何か聞き出せるかもしれん。シーナ、枷はあるか」
「あるよ」
シーナと呼ばれた女は空中に穴を出現させ、薄暗いその穴の中に片手を突っ込むと、手枷をつまみ出した。それを指でくるくる回しながら歩いていく。
それにならってリリアとドズも、異人に近づいた。
「保護したら、レイが喜ぶだろうよ」
ドズは剣を指環に戻しながら、口を尖らせた。
「不満か? 危ない奴なら俺が責任持って対処する。それに生きた人間が出てくるなんぞ珍しいからな。調べる価値はある。シーナ、足枷も頼む」
「ほい」
赤髪の男は得体の知れない異人に手枷と足枷を取り付けた。そして抱き上げる。
「帰るぞ」
「フロウさん、俺が」
ドズは両手を赤髪の男に突き出す。どうやら四人をまとめている赤髪の男は、フロウというらしい。
「いや、大丈夫だ」
「いえ、俺が持ちます」
退かないドズに苦笑して、フロウは異人をドズの肩に背負わせた。
「「「「転移」」」」
四人は、その場から消えた。
俺が目を覚ました時、ぼんやりと開いた目に最初に映ったのは、薄暗い天井だった。
目をこすろうと腕を動かすと、ジャリジャリという金属音が聞こえた。不思議に思い目線を下げると、手首に何か輪っかが付いていてそこから鎖が伸びている。
――ん? んん? んんん? え、なにこれ?
俺はゆっくりと起き上がり自身の状態を確認する。
白いベッドの上で寝ていたようで、足と手には枷みたいなものがつけられている。そして枷から伸びる鎖がベッドと連結されている。これではベッドの周囲二メートルほどしか、歩けなさそうだ。何より一番驚くのが、ここが牢の中だということだ。格子の先は薄暗い廊下と壁で、壁の下部にあるのは誘導灯だろうか。淡いオレンジの光が、足元を見えやすく照らしている。窓も照明もなく、誘導灯も床を照らしているだけなので、牢の中は薄暗い。
――、そうか、夢か。寝よ。
俺はうるさく音を立てる心臓をなだめる様に、深呼吸して目を閉じる。
――いやっ夢じゃない!
俺は勢い良く起き上がりベッドからおりようとしたが、足の鎖がベッドのパイプに絡まっていたようで、顔から垂直落下した。
「い゛ぃっっっ!!」
鎖の派手な音とともに固い床に鼻をぶつけ、痛すぎて目に涙がにじむ。折れたかもしれない。……あ、鼻血……。
カツカツと石床を歩くような音が近づいてきた。
俺が体勢を立て直し顔を上げると、俺と目が合った女は驚いたような顔をして、慌てて走り去ってしまった。何か早口でしゃべっていたがよく分からない。外国人だろうか。髪、金色っぽかったし。オレンジの照明のせいで色がよく分からなかったけど、たぶん金だ。つーかここ何処だよと思いつつ、俺は下を向いて鼻をつまむ。
慌ただしい足音が二つに増えて近づいてくる。
俺は床にあぐらをかいて鼻をつまみ、格子の外を眺めていると、さっきの女がタオルを持ってきてくれた。ありがたい。
赤っぽい髪の男が牢の錠を開け、入ってくる。その男は格子に背を預けると、何も言わず俺と女のやり取りを観察しているようだった。
女は俺の顔をタオルで痛いぐらいに拭い、何か話しかけながら俺にタオルを十枚ぐらい、押し付けてきた。そんなにいらないと思いつつ、全部受け取って鼻を抑える。
女が俺の眼を見て、やはり訳の分からない言葉を話し首を傾げた。
……何か質問されたのだろうか。とりあえず俺は苦手な英語をがんばってみる。
「あ、えと、キャ、キャンユースピークイングリッシュ?」
女は困ったような顔をして、首を横に振る。
「ア、アイムニホンジン」
間違えた。
「アイムジャパニーズ」
女は眉をひそめて、後ろの赤髪の男を振り返る。二人でなにやら話し、赤髪の男は牢から出ていった。
女は自分を指さし、リリア、と言った。もしかして名乗ってくれたのか。ずいぶん可愛い名前だな。顔も可愛いけど。
俺がリリア、と発音すると、花が咲いたような明るい笑顔になって、うんうんとうなずいてくれた。俺は危うく見惚れそうになったが慌てて視線を外し、それでもちらちらと顔をうかがっていると、リリアという人は俺を指さして首を傾げた。可愛いなおい。じゃなくて、俺も名乗れということか。
「アリミヤ、シュウ」
「アリミャ、シュウ?」
なんか違う。
「アリ、ミヤ、シュウ」
ミヤを強調して言ってみると、納得したようにうなずいて、
「アリミャ、シュウ」
と満足げに答えられた。いや変わってねーじゃん。俺はアリミャなんて呼ばれたくないので、自分を指さして下の名前を連呼する。
「シュウ、シュウ! シュウ!」
「シュウ! シュウ!」
どうやら分かってくれたみたいだ。
赤髪の男がいつの間にか戻ってきていて、その隣には本をたくさん抱え込んだ――三人の中では一番若そうな――ひょろっとした男が一緒に立っていた。片方は観察するような眼、もう片方は興味津々な眼で俺を見つめる。
本を抱えた男は、俺の身体を上から下まで見回しつつ、牢の中に入ってくる。
俺の前に本が丁寧に積まれ並べられていく。リリアが積まれた本の一番上を取って、手渡してきた。なんだと思いつつ本を開けると、思わず声が出てしまった。
「は? え、なにこれ」
本の中には記号のようなものが書かれていて、……つまり、この変な記号の羅列が文、なのだろうか。しかし俺はこんな記号見たこともない。
俺はぽかんと口を開けて本を凝視していると、俺が持っていた本の上に、表紙が破れまくりの古そうな本を乗っけられた。本を積んでいた男が乗せたみたいだ。ついでに下の本を引っこ抜かれる。やけにボロボロな本なので、慎重に表紙をめくると、これまた訳の分からない記号が並んでいる。いや、文字なのか? どこかの民族に伝わる文字、とかか?
訳も分からないまま、ひたすら本に目を通していくこと二十分、くらい。時計が無いので曖昧だ。しかし俺は鎖に繋がれているわけなので。大人しく従った方が危険はなさそうだと考え、されるがままになっていた。けっこう面倒くさいので、見てない本があとどれくらいあるのか確認しようと、本の山を見ると、俺は思わず立ち上がって、一冊の本を手に取っっていた。
「これ…知ってる! 漢字だ」
もしかして言葉が通じないから、俺の身元を割り出すために本を持ってきてくれたのか?
俺は興奮気味に三人に本を渡す。
良かった……。もしかしたらこれで、帰れるかもしれない。
三人は真剣な面持ちで俺から受け取った本を見つめ、何やら話している。
俺はその様子を見つめながら、昨日起こった出来事を思い出していた。いきなり光に包まれたなんて信じてくれるか分からないけど、なんとか説明できないだろうか? ああでもその前に、どうして俺が牢に入れられているのかをまず聞きたい。
俺を置いてけぼりに会話している三人を妨害するかのように、俺の腹からグウゥゥンッ? と音が鳴った。
――……。恥ずかしい。でもさっきから我慢してたんだよね。鳴りそうになったら腹筋に力入れて耐えてた。
一斉にこっちを見た三人は俺を無視して会話を続ける。
なんとなく落ち込んでいると、赤髪の男が鎖をいじりベットから外してくれた。俺は期待を込めて両手を差し出すが、首を横に振られ牢から出る様にとジェスチャーされた。手枷は外してくれないようだ。足にも足枷が嵌められているが、足と足の間の鎖は長いので、余裕で歩ける。
三人に連れられて、俺はけっこう長い距離を移動し、新しい部屋に入れられた。
新しい部屋は小さいが、柔らかそうなカーペットとベッドに机に椅子、外が見える窓まである。
立ち止まっていた俺は若い男に背中を押され、ベッドまで連れて行かれた。そしてまた鎖を繋がれるのを、悲しい気持ちで見守る。俺はここでどういう扱いになってるんだろう。
ベッドの近くにある大きな窓から外を見ると、外は緑いっぱいだった。この部屋は一階のようだ。窓の下から遠くまで芝生が続き、その先には森が見える。ちょっときれいじゃんとか感動していると、コンコンとノックの音が部屋に響いた。
景色を見ていた俺と、俺を見ていた若い男が振り返る。赤髪の男がドアを開けた先には、湯気の立つ料理をお盆の上に乗せた、リリアさんが立っていた。リリアさんが途中で違う道にそれていったのは、料理をもってくるためだったらしい。
リリアさんに促され席に着き、スプーンを取って料理を口に運んだ。
――めっちゃうまい。
暖かいスープが空っぽだった胃に染み渡る。
俺は感謝の意を示そうと、手を前で合わせてお辞儀した。そうしたら笑ってくれたので、ちゃんと伝わったんだろう。
リリアさんが笑いながら俺の隣に座って、話しかけてくる。……正直食事中は話しかけないでほしいけど。もごもごしながら聞き返すと、机をたたいて何か言った。俺が首を傾げると、リリアさんは自分を指さしてリリアと言う。次に机を指さしてテリアと言った。
――ああなるほど。どうやら言葉を教えてくれてるみたいだ。
テリア、と発音すると頭をなでられた。びっくりして避けようとして、やっぱり止めた。こんな美人さんになでられる機会なんてないに等しい。大人しくなでられとこう。
それからというもの、俺は毎日リリアさんに言葉を教わった。若い男の人もたくさん話しかけてきてくれた。名前はレイというらしい。季節を教わり、どうやら今が冬だという事もわかった。
俺は光に呑まれる直前の、蒸し暑い帰り道を思い出して、自分が今どこにいるのか。――さらに分からなくなってしまった。俺はあの光によって南半球にでも、とばされたのか。日本では行方不明になってるんだろうなと思いつつ、ジャパンやらポリスやら大使館やら連絡やら言ってみたが、やはり伝わらずに終わった。