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後編6

 愛とは他人の運命を自己の興味とする事である。他人の運命を傷つける事を(おそ)れる心である。


――『倉田百三』

「うん、たった今改札口通ったよ。どこで待ってればいい? あぁ…あの大きなナラの木の下ね。そりゃあ分かり易い」


 地下鉄を降りて寸刻ぶりの地上を目にした僕は電波が回復したのを見計らって今日のパートナーと通話で確認を取った。


 この駅には来た事はないけど通過した経験がある。


 僕が『計画書』を作成する際に利用したネットカフェがある駅から数駅離れた所だからね。同じ路線だから大体の土地勘は養っておいた方が良いと一応頭に叩き込んだ知識。まさかこんな形で役に立つとは夢にも思わなかったよ。


 この駅は正面口から出て直ぐの広間にとても大きなナラの木がある事で有名だ。樹齢は約二百年で太い幹下に出来る樹影は一種の避暑場として賑わいを見せる。まだ蒸し暑さが残る晩夏にとって待ち合わせには最適なスポットとなろう。大都市でない限り駅構内はあんまり広く作ってはいないし、そもそもプラットホームから見てこの地域の市役所は都市開発に派手な力を入れる計画は立てていない事が窺える。スポットというのは大雑把に分けると自然系と文化系のどちらかであり、風土の違いで人の集まりが影響するのは間違いない。


 のどかな地域というのは案外良い事だ。楽しむ場所が少ない反面、むしろ危険性が少ない事が特筆すべき点に上げられるからね。都市部はごちゃごちゃしすぎて慣れない人間にとっては不安を覚えやすい地域だ。


 まぁ、あえてスリル感を味わいたいという特殊な趣向がある人には恰好の遊び場なんだろうけど。


「これか、でっかい木だな本当に…」


 ここは絵梨菜に不安を覚えさせないようにと彼女への配慮も考えて僕が選んだ場所だしね。今となっては辛い出来事を全て乗り越えたかに見える絵梨菜だけど、心の傷ってのはそう簡単に消えちゃくれない。唐突な出来事でフラッシュバックを起こして自身を蝕む可能性を秘めた見えない疾患だ。


「約束の時間まではあと少しだし、絵梨菜は何時来るつもりかな?」


 余計な刺激は一切排除。今回は絵梨菜が思うがままに振る舞える楽しい一時(ひととき)にするべく僕も努めよう。


「丹く~ん!」


 おっと、今日の主役がちょうどやって来たようだ。


「やぁ、待ってたよ。集合時間三十分前か…うん、悪くないね」


「それって私が遅刻するって考えてたつもり? ちょっと酷いなー」


「いやいや、むしろその逆だよ。君なら僕よりも一層早く集合場所で待ち構えているかもって考えてた」


「えーそこまで真面目ちゃんじゃないわよ私。逆にそんなに早く来ていて何するつもりなのかって疑問に思う方よ。何かドラマでそういうの良く見るけど、あれって実際違和感あり過ぎだと思わない?」


「…あーまぁ確かにそうかもね」


 本当にね。むしろ人って時間にはルーズな方が多い。


 大抵は早く来たって時間の無駄だと考えたがるから集合後の予定に新幹線や飛行機といった時間制限性なやり直しが利かない事柄がない限りは真剣に捉えないんだろう。


 だから『集合したら後はほとんど自由』な用事で数時間も前に集合場所へ来るのは生真面目な人間ぐらいだろう。


 例外としてラブコメ漫画に性格関係なく初デートには胸ときめかせながらそんな事するキャラクターがいるらしいけどあれ論外ね。現実にはあそこまで純情な青少年や乙女はございません。そんなイメージは即座にゴミ箱へポイしておきなさい。


「そういえば、どうかな?」


「ん、何が?」


「鈍いなぁ丹君ってば、男の人からしても私ってどう見えるか聞いてるのよ。実は私って高校に入ってからはお父さん以外の男の人と出掛けたのは初めてなんだからね。今回の為にと自分で服装選んだからその、似合ってるかなーって…」


 服装の評価をしてほしいって訳か。どれどれ…?



 首には愛らしさを引き立たせるリボンニット――。


 スカートは品のあるフレアスカートを選んでいて淑女的スタイル――。


 トップスはインしていて強調したウエストは絶妙なバランスを誇る――。


 さらに色合いは派手さを求めずモノトーンでまとめ上げてなんとなくクラシカルな雰囲気漂わせる――。


 手にはそんなモノトーンに紛れ込むように静かな主張をするワイン色のトートバック――。



 いかにも育ちの良さそうな清楚なお嬢様って格好だね。さすが社長令嬢というべきかな。


 佇まいからして今この場にいる他の同年代な女子とは一線を(かく)した存在だと素人目で見ても感じる。早い話が美少女――それも第一級系な絶滅危惧種タイプ。


「うん、似合ってるよ。僕から見ても綺麗だと思うよ」


「本当っ!」


 服装を褒められて絵梨菜もどうやら御満悦だ。贔屓目無しの評価で嘘偽りはない。


 ――あぁ、本当に綺麗だ。


 なおさら穢してはならないと僕が考える程に…


「そういう丹君も普段は見ない格好で斬新的だね」


「いや、実はこれってネットで恥ずかしくない服装って検索して適当に選んだだけなんだ。僕は服装に関してあまり気にしない方だから…」


「…不合格」


「え、いきなり何でっ!?」


「何よ、せっかくこんな良い女捕まえておいて自分は御洒落に力入れないなんて失格…むしろ落第よ!」


「わ、悪かったよ。でも普通に買い物付き合うだけだし、僕は飽くまで手伝いとしての立場だからそういうのは頭に入れてなかったから…」


「はぁぁぁぁぁ~…」


 露骨なため息は止めてくれよ。なんだか逆にこっちがちょっと傷つく。


「もういいわ。丹君のそういう考え方は中学の頃から変わってないのはよーく分かりましたとも、えぇっ!!」


「…いや、その…ごめん……」


 拗ねられたな。こりゃ確実に…。


 仕方ないんだよ、これが僕の性分みたいなモンだし…。


 自分の事を大きく魅せようとする自己顕示欲が昔から薄い僕には俗に言う『草食系男子』の称号がお似合いさ。だから男から女へのアプローチという行動の仕方がいまいち思いつかない。


 前世だって彼女なんていなかったもん。モテるモテないの世界なんて見ぬふりで学生生活を過ごしてきた(つわもの)だもん。


 だからこの買い物付き合いを敢えて「デートみたいだ」なんて表現をする度胸も一切ないから許して下さい!


「本当に申し訳ないって思ってる?」


「思ってます思ってます!」


 僕は首を“カクカク”と上下に素早く振る。そんな僕をジト目で見つめる絵梨菜。


「それじゃあ、はい!」


 何となく納得した顔をして絵梨菜は左手を差し出した。


 彼女の意図を計り兼ねる僕はしばし顔に疑問を浮かべた様子でいた。


「今日は一日お世話になるつもりだから、ちゃーんとエスコートしてもらわないとね?」


「あ……」


「別に良いでしょ? 小学生の時は何度も手を繋いでくれたじゃない」


 えーそれは単に友達と一緒に出かけた時に迷子にならないようにとか、まだクラス替えをして慣れない様子でいた君に何か切っ掛けを作るため手を引いて先導した際という…いわば『保護者』の目線で行動した過程であって……。


「…さすがにこの歳になると恥ずかしいかなーなんて……」


「つべこべ言わずに、ほら!」


 適当な理由を付けて断ろうとした。こんな僕が彼女に触れて良いのかと思う心中の(わび)しさが後ろ向きな考えを浮かべたのも束の間、絵梨菜は僕の手を半ば強引に握った。


 温かった。柔らかかった。力強かった。


 僕がこの場にいるのは絵梨菜の心を穏やかに保つためだと決めているのに、逆に安心感を与えてくれる優しい手だった。今日の朝、母親に告げられた出生の事実に対する罪悪感を少しの間だけ忘れさせてくれる。


「この日のために今までの小遣いの何割かを持ってきたから思いっきり有効活用しなくちゃね!」


「…ちなみにどれくらい持ってきたの?」


「んっ? えっとー確か五十ま――」


「オーケーオーケー、今まさに君の金銭感覚はボケてるって事が判明したからね! そんな大金持ち出してどうすんのさ!?」


「やーねぇ、別に全部を一気に使うつもりじゃないわよ。こっちだって入念に考えてるんだから」


「…それなら別にいいんだけど……」


 あー待ってくれ。君には前科があるのを覚えてるかい?


 中学生の頃、同級生だった雛菊への誕生日パーティーにプレゼントで絵梨菜が選んできた物って何だったと思う?


 スイス製有名ブランドの腕時計なんだよ! 中学生が選ぶ代物じゃないって!


 しかも雛菊の名をあしらって白と黄金の配色で仕上げた白蛇のなめし革とイエローゴールドカラーのチタン合金って…。マニアック過ぎるよ! あれって絶対オーダーメイドによる物だよね!? 明らかにレギュラー物とは一風変わった世界に一つだけの時計だよ!


 まだ子供心な皆が「かっこいい!」ってはしゃぐ中、僕一人だけその時計の真価に気付いててどんな気持ちでいたか分かってる!? 絵梨菜にとってはあれが『普通』なのかもしれないけどさぁ!


 二年生になってようやく庶民的な価値観に馴染めてきたかと思ったら転校してしまってそのまま音沙汰無しになった三年間。もはや君の金銭感覚がどうなっているかは僕も分からなかったからね。


 その間に上流企業の社長令嬢へランクアップしてるんだからそこん所が絶対怪しいと思ったんだよ!


「じゃあーしゅっぱーつ!」


 …とりあえず大人買いしないようにしっかりと監視しておこう。


 若干引きずられる形で手を引かれながら僕はそう考えるのだった。ちょっと絵梨菜、君って意外と握力強すぎやしないかい?


 喋ったら怒られそうだから絶対言わないけどね。



「ねーねー丹君! これなんでどうかな! 可愛いよね!?」


「…うん、そうだね」


 デパート合戦が集中する事で有名な交差点を渡り、絵梨菜が選んだ品質の良い商品が置かれているデパートに入って早数十分。百貨店フロアに存在するベビー用品ブランドの並ぶ百貨店に僕達はいた。


 絵梨菜の手には将来着せるであろう自分の弟妹(きょうだい)のために目利きしたベビー服を手にして僕に見せていた。


「うーん、でもあっちの方もふわふわで肌触り良いかも…。でもこっちの方も甲乙付け難いんだよねぇ……」


「え、絵梨菜、あのー?」


「あ、そういえば玩具の方も見てなかった! やっぱりセットで買った方が纏まっていいのかな?」


「…………」


 駄目だ、全然歯がたたねぇ…。監視しておこうだなんて気軽に考えた僕の馬鹿だった!


「ねー丹君、やっぱり荷物多くなるかもしれないから買った後の置き場所として丹君の家使わせてもらってもいいかな? やっぱりお母さんの懐妊祝祭パーティーまでは秘密にしたいし、かといって倉庫を借りたりするのは手間がかかっちゃうからね」


 ――止めてくださいお願いします。


「そ、それよりさぁっ! プレゼントに関してはもう少し考えた方が良くない?」


「考えてるわよ、だから赤ちゃん用として…」


「ちょっと違うと思う。そもそも、妊婦に対するお祝いの品では『形ある物』はあまり好ましくないって聞いた事があるんだ」


 お腹の子にもし不幸な出来事が起きた場合、それが女性を却って傷つけてしまう要因になるそうだ。


「本来だったらそうなのよねぇ…でも、私の家って結構特別な家同士や会社の関わりのおかげで『体裁』って物があるからハッキリ言うとごり押し気味な所があるのよ。そこにはあわよくば繋がりを持ちたいと擦り寄る人も出てくるし、もし産まれるのが男の子――弟――なら未来の総帥になる可能性だって大だから…。女の子――妹――なら自分の子と婚約を結ばせようって画策するかもね…」


 社交の暗い部分が絵梨菜の口からぼそぼそと語られていく。


「それにほら、一方的な誤解とはいえ婚約解消された身でもある私の立場って結構複雑なのよ。おまけにリストカット付きでまさに『キズモノ』って感じ! こんな醜聞付きな女と関係持ちたいだなんて特殊性癖持ちな男性なんて現れやしないし、あーぁ…社長令嬢なんかになるんじゃなかった」


 微笑みながら喜劇として話す絵梨菜の声はどこか寂しそうだった。


「馬鹿な事しちゃったなぁ…何で死のうと考えちゃったんだろう……」


「止めてくれよ」


 辛い気持を無理に掘り返さなくていいんだ。


「誰が何と言おうと今の君は凄い。言っとくけどさ、死にたいと思う気持ちから立ち直るって事は言う程簡単じゃないんだよ? 最後の一線を越えなくとも、その境界線上を何度も繰り返す人がこの世の中には多く溢れてる。平凡な選択を敢えて選ばず前に進もうって考えた君は偉いんだ」


「…偉い、か……」


「やり直せばいいじゃないか。間違いは何度だって正せる。一番大事なのはそういう意思を持ち続ける事さ」


 そう、君はまだやり直せる。


 ――君――はね…。


「…やーめた」


「へっ?」


「よく考えればこんな贈り物じゃどんなに誠意を込めても所詮は『上っ面』でしかないわ。娘のくせしてこんな物を選ぶなんて恥でしかないじゃない。これじゃあお母さんの事を祝福してるんじゃなくて、不確かな未来そのものを祝ってるようで後見が悪いわ」


 絵梨菜は僕の手に積み上げていた商品を分別良く分けて元に戻していった。


「ごめん丹君、予定より長くなりそうだけどもう少し付き合ってくれない?」


「うん、いいよ。そういう事ならさ、僕が事前に探して考えておいた場所があるんだけど、そっちに行っても構わないかな?」


「もちろんよ! だって『一緒に』選ぶのが大事なんだしね!」


 …また少し成長したかな。


 あ、すいません店員さん。せっかく売上貢献できるチャンスだったのに何だか僕が潰してしまったようで…。


 今度、僕の方が何か買い物に赴かせてもらいます。これより何分の一かの範囲ですけどね。



 デパートから出て僕達が向かったのは騒々しい交差点から少し離れてのどかな賑わいを見せる古風な商店街。街市民な僕にはやっぱりこういう空気の方が落ち着くよ。


 意外と人気な店舗も入っているからテレビで良く見られる寂れた風景はほとんど見られない。今でも買い物客と店員が談笑してどこか浮き浮きしてくる。


「ねー丹君、なんであそこは魚や野菜を剥き出しにして置いてるの? あんな事してたら痛みやすい気がするんだけど…」


「いやー、八百屋や魚屋の自営業としての形式というか何と言うかー」


 絵梨菜はデパート派だったようだ。確か最近の都会っ子は八百屋といった販売店を意外と知らないって聞いた事があったな。


 企業拡大の地域買収による弊害がこうして表れているとは…。古き良き時代を忘れてしまって大丈夫と言えるのかな現代人。丁寧で選りすぐりな物が販売店には多いって知らない?


 まぁ、デパートが悪いとは言わないけどさぁ…なんか悲しい気がするんだよな。一度成人した身とはいえ……。


「着いたよ。ここが僕の選んだ所だ」


 そうこうしている内に目的地へ到着。目の前にあるのは外装は日本旧式家屋で中は宝石店の工房みたいな広々とした空間が広がっている。


 けど、絵梨菜は店の中よりも入口の左側にあるガラス窓に夢中だ。


「え、あれ何で!? すごーい! わっ! あんな風にも出来るんだ!?」


 子供のようにはしゃぐ姿は見ていて何だか微笑ましくなる。


 これは絵梨菜だけに当てはまる事じゃないだろうね。なんせ今いる店は日本の伝統的な技術の一つに数えられている物を専門的に扱っている。


 最近じゃあ見るのも珍しくなっている分野でもあるんだ。


「すいません、予約していた白水なんですけど…」


「はい、白水様ですね。お待ちしておりました、どうぞ中へ!」


 店の中から出てきたのは黒い和服を主体とした作業服を着た二十代半ばの男性。この人こそ店長にして店にいる職人さん達の師匠に当たる人だ。


「丹君、あれって何!? ガラス――じゃないよね…?」


「ん、あれかい? あれは『飴細工』っていうんだよ」


「アメってあの飴!? あんな風に使うなんて料理部でも聞いた事なかったよ!」


 もしもベッコウ飴とかリンゴ飴の存在を絵梨菜が知っていればここまでは驚かなかっただろう。


 中学では作らなかったのかな? だとしたら教育の場における昭和離れが進んでるって意味だね。


 楠賀美学院は…そんなの作らせそうにないか。仮にも『良いとこ出』が沢山いる学園だから純和風な庶民的菓子なんて教えそうには見えなかったしね。


「君のお母さんに贈る物を僕なりに考えに考え抜いてさ、一先ず背伸びせずに君と僕の得意分野で攻めてみようと思いついたんだよ。君が料理で僕が園芸…それなら『見ても食べても楽しめる物』が良いかなって着眼点を置いてみたらネットの検索中に自然と答えが浮かんだんだよ」


「それが飴細工だったって訳ね!」


「最初は僕の方で縁起の良い物とか安産向けのおまじないみたいな趣旨を含んだ花を使って自作フラワーギフトを作ってみようかと考えてたんだけど、花って保存の融通が上手く利かないからしばらくしたら枯れるような物を贈るのは失礼だし…かといってドライフラワーにしたら風水が言うには枯れた花や葉は『死体』を表すって書いてるわで結局選ぶ事は出来なかったんだ」


「うーん、私も自分で料理作ってみようかって一度は考えたけど、飽くまで祝祭パーティーでの場だから向こう側も私なんかより断然腕のいいシェフを雇う筈だから却って邪魔しちゃうリスクがあったから出来なかったのよね」


 だったらいっその事、合体させちゃえって結論だった訳さ。


「だから閃いたんだ。食材でフラワーギフト作ってみれば? …ってね。チョコレートも代案で浮かんだけど、もっと長持ちしそうな食材だったら飴の方がいいって気付いてさ」


「…凄い、凄いよ丹君! きっとお母さんも喜んでくれるわ!」


 どうやら絵梨菜もプレゼントとしてこの上なく相応しいと認めてくれたようだ。


 ふふ、夜遅くまで頑張った甲斐があったってもんだね。


「どうぞこちらへ座ってください」


 店長が僕達を奥の席へ案内してくれた。一先ず席につく。


「電話で窺った通り、オーダーメイド形式での御注文がよろしいとの事で」


「はい、品目はキャンディーフラワーなんですが、題材として使う花の種類をこの中からお願いします」


 そう言って僕は店長に前もって決めていた花に関する資料を渡す。


 しっかりと赤色や白色や黄色といったマイナス方面の色合いを持つ花を避けて先程言った通りに縁起が良いとされる種類を選別してある。


 全部で合わせて十種類程あるかな。


「では、サンプルとしてはこちらになりますが、飾り付けはどういった形にしますか?」


「形ですか…うーんと……」


「…あのー」


 サンプルと睨めっこしてる僕の横で絵梨菜が手を挙げた。何か聞きたがっているようだ。


「どうしましたか?」


「これから作ろうとする飴細工…私にも作らせてもらってもよろしいですか?」


「え、本気なの絵梨菜!?」


 飴細工はそう簡単に扱える物じゃない。


 そもそも飴は液状化する際にはとても高温になる。素人が触ると火傷まっしぐらだ。


「心配いりませんよ。当店はこう見えましても飴細工教室というのを開いておりましてね、お客様のそういった要望にも受け答えられます。ただ、時間がある限りのちょっとした手伝い程度になりますがそれでよろしければ…」


「はい、やります!」


 興奮した絵梨菜は思いっきり席から立ち上がって飛びかからんばかりに身を乗り出した。


「私自身も何かしたいの。ほんの少しでも良いからお母さんのために何かしてあげたいから…」


「…分かったよ」


 これは梃子でも動かないな。好きなようにさせるとしよう。


「では、さっそく厨房へどうぞ」


 絵梨菜は「じゃあ頑張ってくるわ!」と意気込みながら店長と一緒に奥へと入っていった。


 とりあえずしばらくは出てきそうにないので適当に時間を潰しておくとしよう。終わったら連絡するようにと言ってあるから少々離れても大丈夫だろう。


 僕は店を出てしばらく足を進める。


 …そんな時だった。


「……んっ?」


 多くの人が僕の脇を通り過ぎていく。若老男女見境無くありとあらゆる人が人また一人と…。


 それ以外にも商店街には(たむろ)する人々がいる。一種の風景として紛れ込むようにごく自然にだ。


 初めて来る筈の景色の中にも関わらず、僕の『何か』が一瞬違和感を感じ取った。


 勘――って言った方がいいんだろうか? とにかく何かを感じた僕はその場に立ち止まり、視線をあちらこちらと移した。


 けど相手は流れる景色。一瞬の記憶では照合する要素を引き出す事は困難だ。


「うーん…」


 結果、気のせいだと決め付けた。そのまま再び歩き出す。


(ひょっとして、瑠璃恵達がひそかに着いて来てたりして…)


 もしそうだったら言い逃れ出来ないや。


 “たらーっ”と冷や汗をかきながら僕は自然に何かから逃れるようにして早足で商店街を進んでいった。



 ――緩んでいたんだ。



 僕が『あの頃』のように研ぎ澄まされた警戒心をまだ携えていたならば…。


 きっとこれから起こる事から逃れる事が出来ていた筈なのに…。

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