後編2
たとえ正義の動きは緩慢なりとも、邪悪者を打破するは必至なり。
――『ホメロス』
「問六の答えって何だった? 俺自信ねぇよ」
「確か一辺aの正八面体の体積Vを求める問題とそれを使った応用だよな。方式があったけど何だったっけ?」
「私は√2÷12×a^3だと思うんだけど…」
「ホントか、どうしてそうなるんだか説明してくれよ」
「あーごめん、ちょっと…そういう場合は……」
学生にとって学期毎の真剣勝負第一回目である中間テストがようやく終わり、僕も肩の荷を下ろしていた。進学校という事もあって特に数学は応用問題が多い。
勉強方法に工夫を入れておかなければ授業でさえたちまちついていけなくなるレベル。これを乗り越えても待っているのはちゃんと内容を理解しているかの確認――テストという訳だ。
赤点なんか取った日にはキツい居残り勉強を約一ヵ月間やらされるので自分の時間を大事にしたい皆にとっては必至になる。
「白水、お前分かるか?」
「三平方を使えば簡単だよ。まず二つの正四面体として考えてその一つを求めるとするだろ? これは三角錐と捉えるとして高さを求めるには底面の対角線の長さを三平方を使って――」
ノートにシャーペンを走らせて友達が分からない部分を細かく説明してやる。
知識に必要なのは『記憶力』ではなく『理解力』だと僕は考えている。数字の羅列を流れるように覚えても大抵がこれをどこで使うか思いつかない事が多い。
数学の場合、公式通りに使う覚え方よりもまずどんな図形やグラフなどで使えるかを僕は調べて色々と理解を深めた勉強をしているんだ。
学力に悩む皆も勉強の前にまず自分に一番効果的な方法を今から模索してみた方がいいかもね。
ちなみに、正八面体の体積は√2÷3×a^3で求められるよ。さっき友達が言ったのは正四面体の方だから間違わないようにね?
「あー分かった分かった! でもしまった、これだと俺あの問題間違えてーら…」
「白水君、じゃあここも教えて!」
「んっ、いいよ?」
「高得点キープしてる白水はやっぱ違うなぁ。助かるぜ本当に」
「ちゃんと復習しておくんだよ? 手伝ってあげるからさ」
「いや、俺達これからファミレスに…」
「嫌そうな顔隠してるのバレバレだよ。分かんない所溜めこんでいると将来苦しむよ?」
これ体験者語り。前世の僕は微分積分がどうも苦手でね…大学で物理学を取った時にそういった公式を証明する問題が全然出来なかった事があるんだ。
おかげで単位を逃して散々な目にあったよ。苦手は失くした方がいいって改めて実感した瞬間だったね。
試験期間は猶予という物が付いていて、これによりテストが終わっても部活はまだ再開しない決まりになっている。
肩の荷が下りた今だからこそ、この機会を有効活用して息抜きに好きな事をしても良し。
はたまた、まっすぐ家に帰ってぐっすりと眠るのも良し。
僕は前者として友達に誘われるがまま、どこかへ行こうとしていた。初めはファミレスと決まっていて、この後は気ままに選ぶつもりだ。
好きな事をするには計画性が無くても案外どうにかなるのが世の理。青春時の御愛嬌ってところかな?
でもそれは現代だから出来るのであって、昔だったら携帯も何もなかったから計画立てずに未知の土地に突っ込めばたちまちお巡りさんの厄介になる人が多件数に及んだ筈だ。
つまり、あまり羽目を外し過ぎるな…という事さ。僕が一番言いたい事はというとね。
「後でカラオケ行こうぜカラオケ! 凄く安い店この近くにあるの俺知ってるから」
「お前、まさかあのへヴィメタルを歌う気じゃないよな…それだと遠慮するぞ」
どこにでもあるような会話。そこにいるのは何の変哲もない高校生一同。一人だけ『異物』が紛れ込んでいるなんて誰も考えはしまい。
「アイス食べよアイス! あそこの屋台にあるのがすごく美味しいんだよ」
「僕が買ってくるよ。味は何が良い?」
「俺はチョコレート」
「私はペパーミント!」
今の僕が楽しげな姿を振る舞う行為は擬態。敵から身を守るために普通を演じ続ける。
僕は友達からそれぞれ渡された小銭を持ってアイスクリームの屋台へと向かう。この地域に住む人間にとって有名スポットとされるアイスクリーム屋さんは一度味を占めたら何度も食べたくなる。かくいう僕も一カ月に何度かお世話になっている。
まだ残っている商品をケースのガラス越しで確認し、頼まれた通りの味を選択していく。ちなみに僕はマスカット味にした。
店員がディッシャーで半球状に盛り付けていく様子を楽しみに待ちながら、僕の視線がケースに釘付けになっていく。
「アイスクリームですか…こりゃ旨そうですねぇ~」
そんな時だった。
この『男』が僕へと声をかけてきたのは…。
「私は小さい頃からバニラが好きでしてね、チョコレートといった濃いめの味は避ける方なんですよ…はい」
男は四十代半ばといった中年で俗に言う『オジサン』が似合うよれよれのレインコートを着込んだ人だった。
先ほどまでの僕と同じように彼もまたケースのガラス越しでアイスクリームが盛り付けられていく様を楽しそうに眺めている。
すると、ケースに近づけていた顔を引いて懐に手を入れるや、黒革の財布を取り出しながら「店員さん、私にもバニラ一つでよろしいですか?」と注文していた。
「申し訳ありません。只今こちらのお客様の注文を受け付けておりますのでもうしばらくお待ちいただけませんか?」
「おぉっと、これは失敬!」
「…別にいいですよ。この人の分も僕の注文と一緒にして作ってください」
「本当ですか? いやーありがとう!」
計五個の筈だったアイスクリームが計六個になってカウンターに出される。僕はその内の一つ――バニラ味を先ほどの男に手渡した。
彼は「どうもありがとうねぇ」と笑いながら受け取り、そのままアイスクリームを嬉々と口にしていく。
これを背にして僕は待っている友達へアイスクリームを届けに向かった。先ほどまでの一部始終を見ていた友達から「あの人誰? 知り合い?」と案の定聞かれたけど、僕は「いや、全然?」と当たり前のように返した。
一先ずアイスクリームだ。せっかく買ってきたのに溶けてしまっては元も子もない。
あの男に関しては今は何も考えずに小さな楽しみを味わおうじゃないか。
甘い物は良く進む。一口、二口と全員分のアイスクリームはすぐさま各々の腹に収まった。僕は甘ったるい口の中を舌で掃除するのに夢中で口元を拭き忘れかけたけど、即座に気付いて自前のティッシュで拭く。
後はゴミを集めて当初予定していたファミレスに向かうつもりだ。
「やぁ君、さっきは本当にありがとうねぇ」
そこへ、先ほどの男が手を挙げながらこちらにやって来た。
「女房には糖尿病を心配されて普段はめったに甘い物が食べられないんですよ。こう見えても私は大の甘党でねぇ」
「…あの、どちら様ですか?」
ついに友達が男の正体を尋ねた。さすがに見ず知らずの人間から親しげに話しかけられていては不安を覚える。僕自身も初対面という情報から聞くべき内容は自然と決まってくる。
「これは失礼。アイスクリームに夢中で先に自己紹介を忘れてましたよ」
僕は彼の事は何も知らない。でも謀事に手を出した以上、僕に近づく人間がどういう存在かは察していた。
改めて男は懐に手を入れて『それ』を取り出した。黒革の二つ折り――決して先ほど僕が目にした財布なんかじゃない。
「私、警視庁刑事部捜査一課の大椚忠義と言います。階級は警部補です…はい……」
桜田門のマークが光り輝く『警察手帳』が僕達の目に晒される。
――いざ目にしてみると、結構威圧感を感じる物なんだね。
そんなどうでもいい事を考えながら僕は男――大椚さんの出方をうかがう。
「皆さん、その制服から察するに楠賀美学院の生徒さん達で間違いありませんね。一週間前から行方不明となっている虹音百合さんの事についてお聞きしたいんですが――」
「……行こう」
「あぁ…」
大椚さんは楠賀美学院にとって暗黙の了解となっている事を掘り返そうとしている。僕はおろか、友達でさえ自分達の忌み嫌う内容を聞く人間だと分かった瞬間、何も聞かなかった様にこの場から立ち去ろうとしていた。
「あぁ待ってください! お時間はそんなに取らせませんから!」
「刑事さん、俺達あの女の事は二度と口に出したくないんだよ」
「あんなのと関係があるなんて変な意味で勘違いされたら嫌だから…」
見事な嫌われっぷり。別に大椚さんの聞き込みをこの場で断っても飽くまで任意捜査の範囲だから公務執行妨害には入らない。
警察は世間の嫌われ者。こう見られるようになったのは誰の責任なのか。
おまけに事件の対象になっているあの女の事も出されれば相乗効果で彼らの第一印象は底辺に達する訳だ。
それにしても、とうとう表れたんだ――警察――。
余分な力を持っていた攻略キャラ達への介入は裏から回された力で妨げられていたけど、なるほどあの女単独の捜査ならば絡み手として十分通用するね。
そこから攻略キャラの事故における真相を連結して付きとめる魂胆に違いない。
最後に行き着くのは…僕である事も……。
僕は一旦、友達と一緒に大椚さんには関わるつもりはないように離れた。
完全に見えなくなり、気を取り直してこれから何をして楽しもうかと騒いでいる友達に一言。
「ごめん、急に用事が入っちゃった…もう家に帰らないと……」
携帯を取り出し、あたかも連絡があったかのように振る舞って残念そうな顔をしている彼らの傍から離れていった。僕の足が向かう先はあのアイスクリーム屋さん。
ゆっくりとした足取りで僕は近づく。ちょうど一服していた所に今度は僕から声をかけた。
「あの…」
ドラマで例えるなら、『聞き込みを断られて困っている刑事にふと近づく憂いを含んだ情報提供者』ってところかな?
ベタ極まりない状況だけど、怪しまれずに接近するにはこれが一番だと僕は感じた。
僕はこれから警察の動きを探る。犯人でありながらこういう風にするのは斬新だと思わないか?
――虎穴に入らずんば虎児を得ず。
戯れは一切無し。リスクを承知でこの人から得たい物が僕にはある。
「いやーごめんなさいねぇ。本当はこれから友達と仲良く遊びに行く筈だったでしょうに――」
「今日だけという訳ではないですからそうお気になさらないでください刑事さん」
行く予定だったファミレスとはまた違った店を大椚さんは選び、そこで僕は向かい合った座り方をしていた。既に僕の事は自己紹介済みだ
テーブルには僕がアイスティー。大椚さんは何と特大パフェが注文済みである。
…この人の老後にいささか不安を覚えてしまう。
「それじゃあ、さっそく始めさせてもらいます。大丈夫、気を楽にしてても構いません」
「あの、刑事さん。僕が刑事さんに証言したという事は誰にも喋らないでもらえませんか? 正直、今の状況も結構まずいんで…」
「うんうん、そこもしっかりと対応してあげますからね?」
にこやかな笑みを浮かべて相手に不安を与えない雰囲気で対応をしていく大椚さん。僕は思うね、本当に『危ない』のはこういう相手の緊張感を緩ませてくるタイプの人間だ。
だからルールを作っておこう。必ず守らなくてはならない事柄を何個かね。
本当に言ってはならない事だけ嘘を――否定する事――。
僕の場合は「犯人は自分である」という事。余計な事で嘘をついていくと、これを修正するべく新たに嘘を重ねていかなければならない。だから真実と嘘の割合を上手い具合に調節していく事が大事。
決して自分から話を振らず、大多数が知っている答えだけを出す事――。
言葉は少ない方が怪しまれずに済む。他人の証言と辻妻が合わない可能性を作ってはいけない。どちらも判断を混乱させずに済む対処法でもある。
「それじゃあ、何から聞きますか?」
「そうですねぇ…では最初の目的の通りにあなたが知る虹音百合さんの事を教えていただけますか?」
そう来るとは薄々と感じていたけど、あの女の事を語るのは正直嫌悪感しか浮かびあがらない。
「おんや~白水さんもそんな顔するんですねぇ。他の生徒さんにもこの事を聞こうとすると決まって嫌そうになるんですよねぇ」
「…彼女はもはや僕達にとって嫌われ者ですから。でも刑事さんは『どこまで』知っているんですか?」
さりげなく情報を引き出そうと言葉を混ぜる。警察側の認識に関する類を探るべく…。
「四日前に虹音さんの御両親から行方不明者の届出が提出されてから私達は調査を続けてはいるんですがね、渋橋駅周辺での目撃情報を最後にプツリと途絶えてるんですよ。他にも交友関係から彼女の行きそうな場所を訪ねてはみたんですが、誰も姿を見たという形跡はまったく見られません」
「家出と聞いてますが…そんな心配するような事じゃないのでは?」
「ずいぶんと辛辣な言葉を出しますね。いったい虹音さんは学園で何をなさったんですか?」
この人上手いね。僕と同じような質問の仕方を試してそうだ。気を静めて用心していかなければ引っ張られてしまう。
「学園ではお姫様そのものな素行をしてたんですよ。表では愛想良く笑顔で振舞って、裏では気に入らない相手に対して男子を使って嫌がらせを働く。男子には人気でしたが、女子の評判はすこぶる悪かったそうです」
まだ『いじめ』の事ははっきりと語らない。これは切り札として取っておく。
傍観者の観点とした情報を与え続け、大椚さんの疑問が口にされるのを誘っていく。刑事の疑問というのは捜査方向に関わっているのが多いらしい。
「そのお姫様な虹音さんは…この人達と仲良くしていましたか?」
そう言って取り出されたのは四枚の写真。まごう事なき攻略キャラ達の姿が写っていた。若干一名が笑顔なのがなんかムカつく。
(やっぱりねぇ…)
こう来るとなれば、大椚さんは絵梨菜の自殺未遂にあの女を含めた五人が関与しているとたどり着いているのは間違いない。抜け目ないね、学園が柳二と藍染の親を通して圧力をかけ、おかげで警察は捜査に支障をきたした状況下でいるのかもしれないのに…。
「有名ですよ。この人達は…」
あえて知っているとは言わない。明言は隙を作りかねないからだ。
僕は楠賀美学院で生徒達共通の認識とした彼らの情報を一人一人話していく。『OM2』での知識を混ぜ込まないように分けて話すのは中々苦労するけど、出来なくはない。
ふぅ、喋りすぎた。一旦アイスティーで喉を潤そう。
「桃山絵梨菜さん…知ってますよね、白水さん?」
――っ!? 危なっ! せき込むところだった!
ここで変化球を放つなんて…相手のペースの崩し方を良く知ってるよこの人。
(手強い…)
喉と腹に力を入れて不意打ちで飲み込んだ空気を静かに吐き出す。そのまま自然に見えるよう、グラスをテーブルに置いてから軽く咳払いをした。
「知ってます。だけど刑事さん、それを聞くのはどうしてなんですか?」
質問には質問を…。邪道極まりない会話の仕方だけど、事をうむやむにするには得策になり得る。
「いやねぇ~虹音さんが行方不明になる前日、彼女の家にあなたと同じ学園の女子生徒達が押しかけて来たって目撃情報が出てるんですよねぇ~。何でも『桃山絵梨菜さんの無実を証明する』だとか何かの会を名のって…はい……」
「そうですか、つい最近までそういった活動をする生徒達が学園内に現れてましたね。私もその団体が主催していた署名活動にてサインした覚えがありますから」
「もしよろしければ、その時の彼らについて教えていただけませんか?」
ここで僕は見たとおりの瑠璃恵ら一同の活動状況を説明した。ようやく話せるね…。
「…刑事さん、もうまどろっこしいのは止めましょうよ」
「はい~?」
「本当は別に知りたい事がちゃんとあるんじゃないですか? 正直に聞きたいと言ってもらわない限りは説明する物もしませんよ? 先ほどから探るような口ぶりは不愉快です」
「…すみませんねぇ」
苛立たせるのは警察が任意捜査において聞き込み相手にあまりやってはいけない行動。
昔、どこかのネットで書いていた気がする。
たとえ書いてなくても、元から大椚さんの口ぶりは常人には不快を覚えるけどね。
――そう、『常人』にはね…。
「ならば聞かせてください。桃山さんは虹音さんに虐められて自殺を図ったのですか?」
「……はい」
切り札その一。ついに出番がやってきた。
僕は話していく。あの女の所業を…。
絵梨菜を陥れ、攻略キャラ達からの悪意をけしかけた唾棄すべき存在。
何もかも暴露したいという噴火寸前のマグマのような感情を押し込み、飽くまで静かに語る。
傍観者の『かわいそう』という感情に基づいた見解として…。本当はその程度の想いで留めてはいなかった僕の嘆きを…。
「だから、学園の皆はこの事に関する話は禁忌にしているんですよ。面白半分で語れる代物ではありませんので」
「酷い人もいるもんですねぇ…」
大椚さん、あの女はあなたが考えている以上に極悪な存在です。これだけは訂正しておきます。男女の恋愛における嫉妬だとかそんなチンケな感情から起こされた出来事ではないんですよ。
あの女にとってこの世界の人達は『人』と思っちゃいないんですから…。
だから排除した。僕のかけがえのない存在をゴミのように扱ったあの女をゴミとして扱ったんだ。
唐突にバイブ音がこの場に鳴り響いた。大椚さんの携帯電話からだった。
「おっと…すみませんねぇ……」
断りを入れてから彼は電話に出るや、誰かと重要そうな話を始めた。
返事で占めた話はしばらくすると終わり、大椚さんは耳から携帯電話を離して懐に仕舞った。
「どうやら、もう行かなくてはなりません。貴重なお時間をありがとうございます」
「こちらこそ」
「あ、これ私の連絡先です。もし何かありましたらお掛けになってください。担当へは私の名前を出せばすぐ繋げてくれますから」
最後に連絡先を書いた紙をテーブルに置いてこの場から去っていった。
その途中、「会計は私が済ませておきますからどうぞごゆっくり」と一言残して…。
(執念深い、か…)
今回得られたのは『警察は引き籠るつもりはない』という事だ。
失う物を何も考えず突き進んでいく人間が警察にいるとしたら、厄介極まりない事態が巻き起こるだろう。
(まだ時間はある…)
僕は罪を償うという意志は持っている。
でもそれは、あいつらのために反省してやる時間を作ってやる事では決してない。
(…絵梨菜に警察が接近したら動くか)
僕はこれからある友人にとっての『悪党』になる。
情報をかさに脅迫をするんだ。悔しくても僕の言う通りにせざるを得ないであろうその人には気の毒だけど…。
最後の瞬間までこの身は人の役に立つ事をしながら●んでいきたいんだ。
これこそ、僕が今後の一生で唯一望む我儘。
一生といっても、何年もつかな…。
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「すみません大椚さん、いきなり呼んでしまって…」
「いいのいいの芦田君、君だって上層部から色々言われてるのに私に協力してくれるんだ。文句は言いませんよ」
店から出た大椚はそこから数百メートルほど離れた待ち合わせ場所で部下に接触していた。
部下――芦田は若手の刑事といった風貌で黒いスーツ姿が似合う男だ。
「んで、そちらの収穫はどうでしたか?」
「…駄目でした。学園の生徒達は誰一人として捜査に協力してくれません。少しだけ話が出来た子でも虹音百合という女子生徒は大層嫌われていたという事実しか掴めませんでした」
「それで十分ですよ。これであの子の話には信憑性が付いたと言えますからねぇ」
「大椚さん、どういう意味ですか?」
「やりましたよ芦田君、ついさっき親切な生徒さんから話をうかがえましてね…虹音百合の行方不明はやはり本部が当初推測していた桃山絵梨菜に繋がってた事が分かりましたよ」
「さすがです!」
芦田はベテラン刑事として名を馳せていた大椚に尊敬の眼差しを向ける。
「あの学園はやはり何かがあります。本部の協力を乞う事が出来ない状況の中、私達が出来る限りの事をすべきです」
「学園に入る事が我々には出来ませんし…困難極まりない捜査になりそうですね」
「それより芦田君、君はいいんですか? こんな定年間近の刑事に無理して付き合わなくても良いんですよ?」
「いえ、俺も昔に大椚さんが言ってた『最後の瞬間まで警察官でいたい』って物を目指したくなりましてね…クビを恐れて泣き寝入りなんて認めたくないんです。それに、これが大椚さんの最後のヤマになるかもしれないんで俺から華を持たせてやりたいって気持ちもありますから――」
「嬉しい事言ってくれるねぇ…それに若いって良いねぇ……」
――ならば、とことん突き進んでいくのみ…。
大椚は頼れる部下を優しげに見つめる。
「あ、そう言えば大椚さん。さっき知り合いの鑑識から例の物の鑑識結果が届きましてね…」
物語は加速していく。
それが誰にとって良いのか悪いのかは知る由もない。
ただ流れるがままに――。
「赤羽藤和が所有していた目薬の容器の破片から薬品名目以外の成分が微量ながらも検出されたそうです」