中編6
群れを飛び出しても生きていけるような人間が集団を作った時、その組織は強くなる。
――『河上和雄』
「おい、またいるぞあいつら…」
「どうしよう、今度から裏口で帰った方がいいかなぁ」
「意味無いだろうね。そっちもマークしてるだろうし」
校舎四階から眺める校門周り。そこには隙あらば取材や写真を撮ろうとするマスコミの影がちらほらと見えていた。隠れているつもりだろうけど、上から眺めている以上、僕を含めた生徒達からはバレバレだ。
警察の方も現場検証が済んだ後、藍染の死に関係するとして捜査に集中している部分がある。橙堂家の『後継者争い』という観点でだ。一般人が知らぬ存ぜぬ事であろうと、橙堂家の現状さえも情報開示請求の権利を唯一行使できる警察ならばある程度は調べ上げる事は出来るだろう。たとえ橙堂家が情報開示を拒否したとしても、事実や理由は意外な所で小さく燻っている物だ。たとえば本家の転落を狙っているような野心を持つ『分家』にとかね…。
僕みたいな一生徒が事件を引き起こしたという観点にはまだ警察の捜査は集中していないようだ。
別に彼らが無能という訳じゃない。調べる順番という物があってあからさまに怪しい容疑者が出てくればまずはそちらに力を入れているだけの事だ。
今まで攻略キャラ達は自分達が怨まれているとは薄々感じていたかもしれないけど、それは単に『逆恨み』だとあの女によって勘違いさせられていた。滑稽極まりないね。
でも、その認識も柳二の番になってようやく終わるだろう。
まだちらほら出てくるとはいえ、マスコミの大御所が学園に詰め寄らないのはひとえに柳二のおかげだろう。正しくは蒼井家が経営する大企業AOIにおけるコネを通じてマスコミ関連に圧力をかけたんだろう。力を持つ者にとっての特権と言ってもいいね。
そういう事に力を入れているとね…知らず穴が生じるんだって分かっていればいいんだけどね……?
「あ、桜小路様よ!」
ほら、『灯台もと暗し』ってよく言うじゃないか。
廊下の奥から瑠璃恵を筆頭に女子生徒を中心とした集団が現れる。廊下でたむろしていた生徒達に話しかけ、何やら用意した書類に書いてもらうようお願いして回っていた。
彼女らはしだいに僕がいる方へと近づいてくる。僕の回りに生徒が何人かいる中、瑠璃恵は僕へと近づき、
「数週間前、いわれのない罪で名誉を傷つけられた桃山絵梨菜『さん』の無実を訴える署名のご協力をお願い致しますわ!」
にっこりと多くのサインが既に綴られている署名書とペンを差し出してきた。
「喜んで」
僕もまた、笑顔を浮かべて署名書にサインをしたのだった。
それは何度目かになる絵梨菜へのお見舞いの席での話だった。
三人目の犠牲者によって学園がガタガタになりつつある中、瑠璃恵がこのままジッとしていられないと感じていた所へ僕は『何気なく』呟いた。
「絵梨菜が起きた後も安心して通える学園にしてみたらどう?」
自然に見えるよう、僕は瑠璃恵を誘導していった。僕の計画終盤における要素として作り上げるべく…。
瑠璃恵は柳二や絵梨菜の家と比べて格は落ちるが、名のある一流会社の社長令嬢だ。元々、学園にはこういった家柄を持つ生徒が多少いる。瑠璃恵は絵梨菜を通じてそういった多くの相手と仲を持っていた。
そして、彼らは絵梨菜の人柄を良く知っている人物だ。絵梨菜が他人を虐めるような人間ではない事を分かっている。
だけど、柳二や藤和らの後ろ盾を気にして瑠璃恵と浅翠みたいに表立った行動を取れないでいた。見捨てていたと言ってしまえば簡単だが、彼らにも生活という物がある。仕方がない。
でも、今や敵は不安定な状態だ。大きな力を持っていようが、そんな物は砂上の楼閣に等しい。
会社というのは他社との信頼を重要視している傾向があり、蒼井家が経営するAOIもこれに当てはまる。その信頼が一気に崩れる事になったらどうなるだろうね? もちろん、絶対に防がなければいけない事柄だ。
攻略キャラ達の身に何も起きず健在のまま、普通にこの署名運動を始めていたら痛い目を見るのは瑠璃恵側だっただろう。
でも、今や柳二だけとなり、彼は会社の力を使ってまでマスコミを抑えようと動かした。この事実を色んな業界に知れ渡らせる手はずを瑠璃恵達は整えている筈だ。それに、柳二やあの女にとっては邪魔な事この上ない内容の『署名運動』を学園がしていると蒼井家が知ったとなれば…。
元々、虐めの件も学園側がちゃんと処理していたというのに、あんな事になるまで発展させたのはあの女と攻略キャラ達のせいだ。いわば暴走したからこその結果だと言える。
その事実を蒼井家が耳に入れたら柳二はAOIにとってどんな立場になり下がるか分かり切った事だ。これまでは『頼れるAOIの次期社長』として見られていた筈が…。
うん、そういう部分は僕の専門外だ。とりあえず、柳二を今までの事が出来ないような立場にさせられればそれでいい。AOIが会社として自分達に不利益となる出来事を引き起こした原因である柳二をどう扱うかは向こうに任せる。賢い選択を期待しているよ。
今まで自分の力だと思って守られ、振るっていた物が牙を向けるんだ。
逃げ場なんてある筈がないさ…。
「おい、何をしている!」
――おや、主役のご登場かい?
「あら、蒼井様、ごきげんよう」
突如として柳二の姿がこの場に現れるや、瑠璃恵達の目が一気に冷めた物へと変わった。もはや、あの女にうつつを抜かし続けた柳二には楠賀美学園へ入学してから二年で副会長として活躍していた以前の『輝き』を失っていた。
羨望や尊敬といった眼差しはもうどこにもない。
「ご覧の通り、絵梨菜様の無実を訴えるための署名運動ですわ? ずっと前、虹音百合さんを虐めたという冤罪を晴らすための大事な…」
「桃山のだと…あの女が冤罪だっただと…馬鹿な事をぬかすな!」
僕の近くで荒々しい態度を取る柳二の姿が鮮明に映る。
「俺はちゃんと見たぞ! 桃山がカッターを手にして百合の机の傍に立っていたのを! あれこそ見間違いようのない証拠だ! 生徒会を通さず勝手な運動を行うんじゃない!」
「ですが絵梨菜様はちゃんと自身が無実である事を先生方を通してちゃんと証明なされた筈ですわ! それこそも見間違いようのない事実ではなさいませんか!」
「だから、それはあの女のねつ造だと――」
「それがねつ造だという証拠は出たのですか!?」
あぁ、瑠璃恵のやつ…あれはかなり頭に来ている顔だな。元々、高飛車な部分もあるから気が強くて柳二相手でも怯む様子はなさそうだ。この運動のリーダーとして彼女以上に相応しい人物はいないだろう。
「そもそも、今まで百合さんが受けていた虐めに関して不自然な点が調べれば調べるほど多く出ているんですわ。たとえば、百合さんが虐めの跡を発見した時間帯と百合さんの行動状況を統計的に比較して纏め上げますと、百合さんの事を見失った人が多かったり、その後で虐めの跡を百合さんが見つけたケースが多いんですわ」
「…何を言っている」
「ハッキリと申し上げます。百合さんの虐めは蒼井様達の気を引きたいがための『自作自演』だったのではありませんでしょうか!」
ビンゴ、よくそこまで調べ上げたね。ようやく表立って言える今ならそれは立派な『矛』になる。
でもちょっと惜しいね。気を引きたいというのは正解でありながら実質は間違っている。
「ふざけるな! 百合がそんなくだらない事をする筈がない!」
――くだらないんだよ。あの女は存在自体が…。
そんな女を信じる君も大して変わりないのかもしれないけどね。
裏でこそこそとしている僕も、そう…。
「とにかく、正式な抗議は先生方を通じてなさってくださいませ。また、これは学園長の認可もちゃんと頂いておりますので不許可となる活動でない事をご了承くださいますように」
「学園長が!? 生徒会を通さずそんな事が――っ!」
「まかり通るのですよ。事実、生徒会は現在、正常な機能を果たしていないに等しいとの事です。代理として会長を担っている蒼井様には申し訳ありませんが、こういった活動における認可権限は現在、先生方の方へと移っております。ご存じなさらなかったのですか?」
「ぐっ…!」
瑠璃恵は馬鹿にした目つきで柳二を見据える。知っている部分もあるのか、柳二は苦虫を噛み潰したような顔を表した。
今までほったらかしにしていたツケだ。義務と責任を果たさない人間には権利を主張する資格はないのさ。
「…後で後悔しても知らないからな」
柳二は最後にそう言って大股で階段へと向かって去っていった。まさか小物臭溢れるセリフを生で聞く事が出来るなんて…。
うーん、ちょっと意外だ。
完全に柳二の気配がなくなった所で静かにしていた瑠璃恵達が小さな歓声を上げた。
見事な口論を投じた瑠璃恵に対して「格好良かったですわ瑠璃恵様!」や「さすが絵梨菜様の傍人だわ!」と口々に称賛を浴びせていった。そんな光景に瑠璃恵は「ふふん!」と鼻を鳴らしてドヤ顔を晒している。まぁ、今回ぐらいならいいか…。
「…はい、…はい、えぇ、本当ですか!?」
僕はそんな瑠璃恵から離れて何やらこそこそとしている浅翠をふと見つけた。ちらりと見える顔から彼女はどうやらスマートフォンで電話をかけている事が分かった。瑠璃恵への称賛があまりに騒がしくて所々と聞き取れなかったけどね。
やがて、浅翠はスマートフォンを仕舞い、瑠璃恵の元へと戻ってきた。そのまま耳元へと口を運び、ぼそぼそと何やら耳打ちする。すると、瑠璃恵の目が瞬く間に見開いた。
瑠璃恵は挙動不審になりつつも僕の姿を再度確認してからいそいで向かってきた。その迫力にさすがの僕も一瞬だけビクついてしまった。
「白水さん、さっき、おばさまから連絡が、来られて…」
あまりの緊張に息がきれきれで何を言いたいのか疑問に思って数秒、ようやく瑠璃恵は一番伝えたい事を言ってくれた。
「絵梨菜様が、絵梨菜様が…目を覚まされましたわっ!!」
久しぶりに心の底から笑えそうだ。
五時間目が終わった後、僕は即座に帰り支度を終え、途中で部長に今日は部活を休むと許可を待たずして伝え終えてから猛ダッシュで学園から出た。
校門から出た瞬間、この時を待っていたといわんばかりにマスコミの姿が道脇から出てきて視界に映ったけど、そんな物に眼中のない僕は意に介さず走りぬけていった。二人程ぶつかって吹き飛ばした気がしたけど、向こうが単に僕の通行の邪魔をしただけで僕は悪くない!
病院は通学で使う電車でいつも停まる駅からさらに二つ進んだ駅にある。定期ではなく、切符をわざわざ買わなければいけなかったので、小銭を“じゃらじゃら”と散らばせつつ、僕は一秒でも早く切符を買った。
目的の駅には十分とかからなかった。誰よりもはやく電車から降り、改札口を通り、歩道橋を五段越しで降りていったりと僕の暴走は止まる事を知らなかった。
やがて、見慣れた病院の姿が目に映った時、僕の足は更に加速し出した。自動ドアが僕の身体分まで開くギリギリで通り抜け、いつもと違う様子で受付へと立った僕に引いている看護師に面会の手続きを申し込む。
そのまま道なりを進む。エレベーターを待つ事も時間の無駄だと考える僕は階段の方を使って一気に三階へと駆け上がる。だが、勢い余って二階あたりで足を踏み外して前のめりに倒れたが、手を上手く使って反動で態勢を瞬時に整え、再び階段を駆け上がった。
「ぜはっ! はぁ…はぁ……っ!!」
ここまでとなると、僕もようやく大人しくなった。体力が限界に到達したからだ。もはや僕の制服は内側が汗でびっしょりと濡らしている。これは気持ち悪い。
そんな状態から三階のドアを開け、いよいよ病棟に入る。すると、クーラーの利いた空気が僕の身体を瞬時に冷やし、清涼感を最大限に味合わせてくれた。息はまだ荒いけど、この階にあるナースセンターでの受付をまだ火照る身体で手にしたペンで済ませ、待望の三〇七号室の前へと立った。
緊張する。いつもこのドアを通った先に待っていたのは変わり映えのない絵梨菜の姿だった。
それがようやく終わると聞かされても、正直まだ半信半疑なままだ。
――だから、実際に確かめなければならない。
僕は意を決してドアを開けた。それはもうゆっくりと…。まるで僕の怯えを表しているかのようだ。
目の前に映ったのは僕より先に来ていた瑠璃恵と浅翠。確か、あの後で瑠璃恵の執事――榊さんというらしい――に迎えに来てもらい、一直線で病院へ向かったと聞いている。
彼女達は見舞い客用の椅子に腰を下ろして静かにしていた。顔を若干俯かせて…。
そんな彼女達の前にいるのは――。
「絵梨菜?」
――いつもと『変わらない姿』をした絵梨菜の姿だった。
いや、少しだけ違う。前までは付けていた人工呼吸器は外されていて、今は点滴だけ付けている状態だ。普通の入院患者と変わらない姿に変わっていた。目を覚ましていないという点を除いては…。
「…目が覚めたんじゃないの?」
俯いている瑠璃恵と浅翠に問いかけるものの、二人は何も答えない。いや、何も答えたくないといった顔をしていた。
僕が病院に来るまで『何かがあった』。現状を見る限り、そう判断するしかなかった。
つまり、僕は出遅れたようだ。せっかくのチャンスを逃してしまった。
「…何だよ、畜生……」
たった一言でもよかった。よく聞かせてくれたあの元気な絵梨菜の声。それを僕は聞きたかったんだ。
理不尽だ、理不尽だ、理不尽すぎて涙が出てしまう。
これは裏でこそこそと動く僕への当てつけなのかい『神様』。
お前に得る物など何もないって言いたいのかい?
こんな汚れた手なんかで――
「わあぁぁぁぁっ!!」
「うおわあぁぁぁぁっ―――――!?」
――反射的に僕は後ろへ飛びずさり、そのまま小物が置かれているテーブルに頭を打ち付けた。
「あっはっはっ! 驚いた驚いた!」
「もう、お戯れが過ぎますわ、絵梨菜様!」
「いつバレるか冷や冷やしました…。」
僕は何が何だか訳が分からないでいた。
痛む頭を押さえつつ、とりあえずハッキリとした視界に映ったのは僕を見て笑い転げている絵梨菜の姿だった。
「ごめんね、ただ待っているのも何だからと二人に協力してもらって一芝居打ってみたんだ」
…つまり、これは、その……。
――ドッキリ大作戦?
「いやー丹君の驚く姿なんて久しぶりに見ちゃった! めったにない経験だからこの機会を使って狙ってみたりして! ホント、ドキドキしたわ」
「私、笑いを抑えるのに必死でしたわ」
あぁ…あぁ…よーうやく思い出したよ。絵梨菜がこういう悪戯も好きだって事を…。
(アハハハハハハハハハハ…)
――切れるっ!!
「え~り~なあぁぁぁぁっ!!」
「あ、いやーやり過ぎちゃったかな…? あ、あははっ……」
「人が心配していたっていうのにこういう馬鹿らしい事なんかしくさってえぇぇぇぇっ!!」
「ひぅっ!? ご、ごめんなさい!」
久しぶりに怒りを露わにした。大きな足音を立てながらゆっくりと僕は絵梨菜へ近づいていく。そんな僕の気迫に瑠璃恵と浅翠は自然と後ずさりしてしまい、絵梨菜へと続く道を僕に開けた。
「お前というやつは…お前というやつはっ……!!」
「あわわわわっ!?」
昂る気持ちと共に僕は絵梨菜へと近づき、ゆっくりと両手を上げる。
絵梨菜は「叩かれる!?」と考えたのか、とっさに両腕を前に出してガードを取り出した。
僕はそうしている絵梨菜へと勢いよく近づき――
「…どこまで、心配させれば気が済むんだよ。この馬鹿……」
「……ぁ」
優しく、それでかつ“ぎゅっ!”と強く抱きしめた…。
思えば、女の人を抱きしめるだなんて事は母親以外で初めての経験だ。
――こんなにも柔らかいんだ…。
僕は今、ちょっとした感動を覚えていた。
「…ごめんね。正直、どういう顔をして丹君に会えばいいか不安だったの。だって、あんな真似をしたから……」
「知ってる」
「もし丹君に嫌われたらって思うと私、どうしたらいいか分かんなくなっちゃって…だから、さっきみたいな事を…」
「分かった」
「…責めないの?」
「責めてどうするんだよ」
多くを伝えたい。だけど、少しの言葉で十分だった。
最後には絵梨菜もまた何も喋らなくなり、僕に抱きつかれたままの状態で静止した。
密着していると、彼女の心臓が刻む鼓動が正確に感じ取れる。絵梨菜が生きているという何よりの『証』を…。
――これだけでも十分だ。もう何もいらない。
いつの間にか、僕と同じように絵梨菜は僕の背中に腕を回して抱きしめていた。
そして、涙で頬を濡らしていた。僕と同じように…。
もう、言葉はいらない――。
「あーあのー…」
そこの外野。今だけは壁に話しかけていてくれ。