英雄の誕生
その日、僕は母さんに捨てられた。
「許して」
そう言って、冷たい石畳の上に置き去りにしたんだ。
…別に、珍しい事なんかじゃない。
僕ら一般人は王様や貴族たちにたくさんのお金を取られて、飢えて死ぬんだ。
子供や年寄りは真っ先に捨てられる。
「お腹空いた…」
水たまりの泥水をすすって飢えを凌ぎ、ひたすら一日をやり過ごす。
ここまでしてその場から動かなかったのは、いつか母さんが迎えに来てくれるかもしれないと淡い期待をしていたからかもしれない。
「ねぇ、ここで何をしているの?」
不意に降った声に僕は驚いた。
「…母さんを待ってる」
ふーん。とだけ彼女は頷いた。
隣に座った娘は、白くて可愛い女の子だった。
金の髪も、蜂蜜のように薄く色付くばかりだ。
「これあげる」
頬を赤らめ、呟くように小さな女の子が半分に千切ったパンをくれた。
「ありがとう」
僕はそれを喜んで受け取った。
すぐに食べ終えてしまって、ちっともお腹の足しにはならなかったけど、水たまり比べたらずっと美味しいご馳走だよ。
それからは、白くて可愛い女の子はパンを持って、毎日僕の所に遊びに来た。
だから僕は、可愛女の子が来てくれるのを、ずっと楽しみに待つようになっていたんだ。
ある日、ぱったりと白くて可愛い小さな女の子が姿を現さなくなった。
「どうして?」
あんなに仲が良かったのに、裏切られたみたいで、ひどく腹が立った。
でも、何日かするとお腹が空いてきた。
もう、パンを持ってきてくれないから、また水たまりの泥で飢えをしのがなきゃならない。
「いつかきっと来てくれる」
僕はひたすらに、あの子が来てくれる事を待っていた。
「見つけたぞ、小僧!」
知らないおじさんが、怖い顔をして僕の所まで走ってきた。
勢いのままに拳を振り上げて、僕の横っ面を殴り飛ばす。
僕は訳が分からず、呆然と怖い顔のおじさんを見上げた。
やせ細って、ゴミ捨て場を漁る野良犬みたいな顔をしてる。
僕はこの表情を知っていた。
黒く窪んでるくせに、瞳は赤く腫れてる。
おじさんは泣いたんだ。朝から晩まで、涙が涸れてしまうまで。
父さんが死んだ時、母さんはずっとそうだった。
「お前のせいで、娘は…!」
「え?」
「娘はお前に、自分の食料を分け与えていたんだ。もっと早く気付いてやっていれば、こんな事にはならなかった!!」
…ああ。
僕はようやく理解した。
「あの子…死んじゃたの?」
おじさんは答える代わりに、僕の頬をもう一度殴った。
…白くて可愛い、小さな女の子…
僕は馬鹿だ。どうして、会う度に痩せていく彼女に気付いてやれなかったんたろう。
もう二度と彼女と会うことはできない。
おじさんに殴られた頬よりも、胸が痛くて苦しかった。
鉛を飲んだみたいに息が詰まりそうになって、涙がとめどなく溢れだしてくる。
「…ごめんなさい」
謝ったって、彼女が帰ってはこはない。
でも、僕はそれしか呟けなかった。
おじさんが去った後、僕はそっとその場から立ち上がった。
もし、あの子が来なくなった時、探しに出ていれば死に目に間に合えたかも知れない。
もし、もっと彼女を見ていたら、死なせずに済んだかも知れない。
もし、僕がこんな所に居なければ、あの子には幸せな未来があったのかも知れない。
もし―― 母さんが僕を捨てざる負えない状況ではなかったら。
もし――誰もが、飢えることのない国であったら。
だから、さようなら母さん。
僕はもう、ここには居られない。
僕が背負ったこの罪を、いつか償えるまでは。
* * * * *
数年の後、まだ若い少年の率いる反乱軍が王の首を落とし、この国は新たな時代を迎えることとなる。
その国が、どう発展していったかは、まだ遠い未来の話しだ。