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断罪された悪役令嬢ですが、異端と呼ばれた合理主義の転生公爵と辺境から王国を改革します 〜契約で家族になった二人の制度戦〜  作者: そらのことのは


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第9話 人材再配置

 朝の執務室は、まだ冷えていた。火鉢の灰が薄い。炭を足せないのか。

その薄さは、昨夜の疲れが今朝まで残っている証拠だった。


(寒い。でも、この寒さが現場の現実だ。炭の配給すら滞ってる)


 エレノアは机の端に置かれた通達書を見た。三倍税停止。

関所の署名欄は空白のまま、当主代行欄だけが先に埋まっている。


 カイルの署名は短い。迷いがない。余計な飾りもない。


「出す」


 それだけ言って、カイルは封蝋を押した。

 決めるのが早い。決めるための情報を、揃えるのが早い。


(ここでためらうと、全部が崩れる。やるなら一気にだ)


 文官たちが息を呑む。その顔には期待より先に恐れがあった。

通達を出すのは、敵を作る行為でもある。


 エレノアは通達書を手に取り、紙の端を指で揃えた。


「ここからは、回す人が必要です」


 目線の先にいる文官が、肩をすくめた。


「回す……ですか」


「はい。通達は出すだけでは動きません。届いて、読まれて、従われて、やっとです。」


(そうだ。だから今まで動かなかった。出して終わり、で満足していた)


 カイルが視線を寄せる。問いはない。確認の目だ。


 エレノアは一人の文官を探した。

机に向かっているのに、筆が動いていない男。紙の前にいるのに、まるで置物のように静かな男。


 名は――ノア。


 昨日の夜も、今日の朝も、同じ姿勢でいた。仕事をしていない、と見える。

だから周囲は苛立っていた。人手が足りないとき、動かない者は一番目につく。


 エレノアはその手元を見て、気づいた。

 紙の上に、細い字で「経路」だけが引かれている。

関所、倉庫、厩舎、市場――矢印が何本も重なり、最短の線だけが残っている。


 紙の上に残ったのは、最短の線だけだった。


(やっと見つけたか。この領地で一番「使い方を間違えられてる」男だ)


「ノアさん」


 呼ばれた男が、ゆっくり顔を上げた。目の下に影がある。眠っていない影ではなく、眠れない影だ。


「……はい」


 声は小さい。弱いのではない。喉が擦れている。


「通達の回覧と、受領の記録。あなたに任せたいです」


 室内が、一瞬だけ静かになる。


 誰かが小さく言った。


「……あいつに? いつもぼーっとして――」


 ノアの肩が、ほんの少しだけ硬くなった。

反論しない。反論できないまま、誤解だけを積み重ねてきた人の反応だ。


(そうやって"使えない"扱いされてきたんだろうな。数字と線が一番見えてるくせに)


 エレノアは、その誤解を正面から叩かない。叩けば場が荒れる。 必要なのは勝ちではなく、前へ進むこと。


「ぼーっとしているんじゃない」


 エレノアは淡々と言った。


「通す順番を作っている。……今、この部屋で一番必要なことです」


 ノアが目を伏せる。喜んでいない。喜び方を忘れている。


 カイルが短く言った。


「適任だ」


 それだけ。


(俺も気づいてやれなかった。すまん、ノア。お前の才能を腐らせるところだった)


 ()()ではない。配置での承認だ。それが、この場では一番強い。


 ノアは一拍遅れて頷いた。


「……分かりました。受領の形は、どれで?」


 エレノアはその問いで、確信した。

 この人は、制度が分かる。制度が分かるのに、疲弊で動けなかっただけだ。


 エレノアは即答する。


「最短で。受領印がない所は、立会人の署名で代替。立会人はリュードに頼みます」


 文官が驚いた顔をする。兵の名を、帳場の手順に入れる発想がない。


 エレノアは続けた。


「現場が動かなければ、紙は紙のままです」


 カイルが、窓の外を見た。  あの人は"現場の変化"を先に見に行く。


「来た」


 カイルが言う。


(リュードだ。あいつ、本当に来た。昨日の時点では半信半疑だったのに)


 扉の向こうから、靴音がした。乱暴ではないが、迷いがある歩き方。


 リュードが入ってくる。関所の兵。目つきはまだ硬い。

味方になったわけではない。 昨日の立会いは()()として受けただけだ。


 彼はエレノアの顔を見て、すぐに視線を逸らす。逸らしてから、言った。


「……通達、出したのか」


「出しました」


 エレノアは頷く。


 リュードは鼻で息を吐いた。


「揉めるぞ」


「揉めます」


 エレノアは、少しだけ柔らかく言った。


「だから、あなたに立ち会ってほしい。受領の署名を、あなたの名前で残したい」


 リュードの眉が動く。

 面倒だ、という顔の奥に、別の感情がある。

――逃げ道がない、という顔だ。 責任を渡されると、人は逃げたくなる。


「俺がやると、俺が目立つ」


 擦れた反応。現場が学んだ防衛。


 エレノアは否定しない。否定すると、綺麗事になる。


「目立ちます」


 言い切る。


「でも、あなたが立ち会えば()()()()()()()()()にはできない。関所長殿も、逃げにくくなる」


(完璧な説明だ。リスクを隠さず、でもメリットを明確にする。……この人の交渉術、本当にうまい)


 リュードは小さく舌打ちをした。苛立ちではなく、理解したときの舌打ちだ。


「……分かった。やる」


 短い返事。それで十分だった。


 ノアが通達を束ね、受領簿を開く。手が動き出すと速い。静かだった分だけ、動くと目立つ。


「最初は、倉庫番と――」


「関所の門番だ」


 リュードが遮った。擦れた声のまま、現場の順番を出す。


「倉庫に届いても、門で止まる。あいつら、まず門を見てる。門が変われば、荷が変わる」


(その通りだ。現場の"体感"は、数字より早い)


 エレノアは頷いた。


「そうしましょう。門から動かす」


 ノアが顔を上げる。彼も同じ結論だった顔。


「門番の受領が取れれば、商人も通ります。噂は、門から広がる」


 現場の兵が、文官の言葉を否定しない。文官が、兵の順番を否定しない。


(これだ。この感覚を、ずっと求めていた)


 カイルが、机の端に木箱を置いた。蓋を開け、珠を弾く。


 カチ。


 その音で、部屋の速度が揃う。


 昼前、門の外が少しだけ騒がしくなった。

 荷車の軋みが聞こえる。人の声が重なる。叱咤ではない。驚きの声だ。


 エレノアは立ち上がった。カイルは既に歩き出している。速い。現場の速度。


 城門へ出ると、一本の荷車が止まっていた。

 麦袋が積まれている。多くはない。けれど、空ではない。


 商人が、門番と距離を取りながら叫ぶ。


「……通るのか? 今日は三倍じゃないのか!」


 門番が通達書を握りしめている。紙の端が少し湿っている。

 受領印の横に、見慣れない署名があった。


 リュードの名だ。


(リュード、ちゃんと署名したんだな。責任を引き受けた)


 門番は、喉を鳴らしてから言った。


「通行税は……通常に戻す。……当主代行の通達だ」


 商人が息を吐いた。

 周囲の領民が、半歩だけ近づく。半歩。怖がりながらも、見に来る距離。


 エレノアは、その半歩を見逃さなかった。数字より先に、人が動く。


 リュードがエレノアの横に立つ。視線は荷車に向けたまま、ぼそりと言った。


「……紙で、動いたな」


 擦れた声。けれど、昨日より少しだけ角が取れている。


 エレノアは商人ではなく、門番ではなく、荷車の車輪を見る。

 土に残る跡は、浅い。けれど確かに残る。残れば次が続く。


「一本だけです」


 エレノアは言った。


「でも一本が通れば、次の一本が通れます。……ここから増やします」


 リュードが鼻で笑った。  笑いは嘲りではない。まだ信じ切れない人間の笑いだ。


「……言ったな。増やせ」


「増やします」


 エレノアは短く返した。約束は長くしない。


 カイルが、荷車の積み方を一目見て言った。


「袋が軽い。水を吸ってる」


 商人がぎょっとする。見ただけで分かるのか、という顔。


(倉庫の湿気管理ができてない。これも直さないと)


 カイルは続けない。答えだけを置く。


 エレノアはそれを受け取った。


「倉庫を乾かします。……ノア、倉庫番の交代を」


 ノアが一瞬だけ目を見開き、すぐに頷いた。


「はい。手順は、もうあります」


 彼の声が、さっきより通る。

 仕事が()()と、人の声は戻る。


 一本の荷車が動き出す。

 車輪が土を踏み、浅い跡を残して進む。


 エレノアはその跡を見て、胸の奥で静かに息をした。


 崩れかけている。

 だから、組み直せる


 カイルが横に立つ。距離は近すぎない。


「次は」


 短い問い。


 エレノアは答える。


「倉庫と、配分です」


 カイルは頷いた。


「合理的だ」


(合理的。……この言葉を、こんなに温かく感じる日が来るとはな)


 それだけで、十分だった。

お読みいただき、ありがとうございます。 一本の荷車が動き、ノアが才能を発揮し、リュードが責任を引き受けた。 小さな変化の積み重ねが、やがて大きな流れを生み出します。


次話では、この成果が王都に届き、最初の波紋が広がります。


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