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断罪された悪役令嬢ですが、異端と呼ばれた合理主義の転生公爵と辺境から王国を改革します 〜契約で家族になった二人の制度戦〜  作者: そらのことのは


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第5話 辺境到着

 辺境の空は、広かった。


 王都の空が「建物の間に切り取られた青」だとしたら、ここは最初から最後まで空だ。

雲の影がそのまま地面を横切り、風の匂いが近い。


 馬車が城門をくぐる。門は高くない。石も新しくない。

だが、必要なところだけが厚い。見栄ではなく、耐えるための造りだ。


 エレノアは揺れの変化で地面の質を読む。

石畳が途切れ、固めた土に変わり、また短い石畳へ戻る。

予算配分がそのまま道に出ている。城の中だけ整えていない。

――守るべきものが、城の中だけではないのだ。


 斜め前で、カイルの指が動いている。


 木枠の中の珠が寄り、戻り、また寄る。


 カチ。カチ。


 そろばん。  

カイルが教えてくれた、正式名称。  

その音が、まだ胸の奥で「懐かしい」と響いている。


 カイルは目を上げないまま言った。


「着いた」


 短い。


(予定通り。遅延なし。まずは順調だ)


 馬車が止まる。外の気配が一気に増える。

兵の声。馬の鼻息。荷車の軋み。金属の打ち合わせ。生活の音だ。


 扉が開く。冷気が入り、同時に煙の匂いが入った。薪ではない。

湿った草を燃やす匂い。 燃料が足りない時の匂い。


 エレノアは降りた。


 足が、ほんの少しだけふらついた。  

長旅の疲れではない。地面が変わった実感だ。  

もう、王都ではない。戻る場所がない。


 まず目に入ったのは、兵だった。数はいる。だが立ち方が散っている。

整列の線が揃っていないのは練度の問題ではない。

疲れている。集中が続かない。 装備の革紐が古く、補修の跡が多い。


(……休ませる手が足りない)


 次に荷車。積み荷が少ない。荷車の方が多いのに、中身がない。

物流が詰まっているか、回っていないか。あるいは、その両方。


 領民の顔は、こちらを見ても膝を折らない。

礼を取らないのではない。礼を取る余力がない。

見慣れない馬車と護衛を見て、ただ警戒している。生活が先に立つ目だ。


 ――余裕がない。

 足りないのは金じゃなく、余裕だ。


 カイルは、出迎えの兵に最低限の指示を出す。

声が大きくないのに、通る。言葉が短い。誰が何をするかが明確だからだ。


「水場の確認。厩舎の割り振り。荷の優先順位はB」


 B。記号で通じる。共通言語ができている。  

兵が即座に動く。指示を待たない。分担が決まっている。


 エレノアは城へ向かう途中で、廊下の幅と壁の擦れ具合を見る。

人が多く通る場所だけが削れている。動線が固定されている。

無駄に迷わない設計――ではない。迷う余裕がない設計だ。


 客室に案内される。


 部屋は簡素だった。暖炉、寝台、机、椅子。必要なものだけがある。

装飾はない。だが、清潔だ。窓枠の隙間が埋められ、寝台の毛布が厚い。

見栄ではなく、生存のための配慮。


 エレノアは荷物を置き、窓辺に立った。


 外の景色が広い。建物が少なく、空が多い。 人の気配は遠く、風の音が近い。


 ――私は、ここで何をすればいい。


 役に立てなければ価値がない。  そう思い込んで生きてきた。


 なら、ここで何の役に立てる。


 答えは、まだ見えない。


 ノックの音が、一度だけ鳴った。


「エレノア様。当主代行がお呼びです」


 文官の声。丁寧だが、急いでいる。


 執務室の扉が開く。


 中に入った瞬間、紙の匂いが濃くなった。


 机が二つ。書類棚。地図。蝋燭の燃え残りが多い。

机上は片付いていないが、散らかっているのとも違う。分類はされている。

分類する時間だけが足りない。


 そして――帳簿。


 帳簿の束が、机の上と床にまで広がっている。紙の端が波打ち、インクが滲んでいる。

湿気。管理が追いついていない。あるいは、管理する人間が足りない。


 出迎えの文官が頭を下げた。下げ方は深いが、勢いがない。目の下に影がある。徹夜の影だ。


「エレノア様、こちらへ……その、長旅、お疲れさまで……」


 言い淀みがある。

侯爵令嬢として迎えるべきか、断罪された罪人として扱うべきか。判断に迷っている。


(また始まった。どっちでもいいから早く決めろ。その5秒で書類が3枚処理できる)


 カイルが一言だけ、文官に言った。


「彼女は客だ。余計な気を使うな。その分、脳を使え」


 文官がビクリとして、頭を下げ直す。


「し、失礼しました!」


(傷ついた顔するな。事実だろ)


 カイルが小さくため息をついたのを、エレノアは聞き逃さなかった。

呆れているのではない。「効率が悪い」と嘆いているのだ。


 カイルが机の前に立ち、木箱を置いた。蓋を開ける。珠の並ぶ木枠。


「見ての通りだ」


 カイルは言った。恥じる様子もない。事実として提示する。


「金がないわけではない。物が届かないわけでもない。ただ、回っていない」


 エレノアは手袋を外し、いちばん上の帳簿を開いた。


 数字の列が走る。


 違和感。


 項目名が揺れている。同じ支出が別名で二度出てくる。

 支払い日の記載が曖昧。金額の丸め方に規則がない。


 エレノアは顔を上げた。


「……いつから、こうなりましたか」


(質問が的確だ。問題の"いつ"を聞いてくる。原因を探る気がある)


 カイルの目が細くなる。質問の意図を測る目だ。


「一年半前。先代が倒れてから」


 先代。カイルの養父だ。


「引き継ぎは?」


「なかった」


 短い。だが、その短さが全てを語っていた。


 引き継ぎがない。

 つまり、カイルは帳簿の"仕組み"を知らないまま、"結果"だけを引き継いだ。


 背後で、カチ、と音が一度だけ鳴った。  そろばんの珠が寄る音だ。


 彼は"答え"は出せる。  

 だが、"仕組み"を残す時間がなかった。  

 一人で計算しすぎたのだ。周りがついてこられない速度で。


 エレノアは次の質問を選んだ。


「文官は、何人いますか」


「三人。一人は税務。一人は兵站。一人は庶務」


「この帳簿は、誰が書いていますか」


「全員だ」


(統一する時間がなかった)


 全員。 つまり、統一された書式がない。


 エレノアはページを一枚だけ戻し、別の帳簿を重ねて見た。

 日付。支出先。数量。単価。合計。そこだけを揃える。


 合計が合わない。  理由は一つではない。


 カイルが、こちらを見た。


「どうだ」


 試す声ではない。確認の声だ。現状を共有するための問い。


(現状を、どう見る。この混沌が理解できるか)


 エレノアは帳簿の端に指を置き、紙の湿りを確かめた。

 状態を確かめる動きは、言葉より先に信頼を作る。


「……まず、全体の構造を把握したいのですが」


 エレノアは言った。断言ではなく、提案として。


「帳簿の体系が統一されていない。人によって項目名が違う。これでは照合が困難です」


(そう! そうなんだよ! 

税務の奴は『兵糧』って書くのに、兵站の奴は『食糧』って書く。同じもんだろうが)


 文官が唇を噛んだ。反論しない。反論できない。


「それから、兵站の支出が()()で書かれていて、()()が見えません。

数量の根拠がないと、問題があっても発見できません」


 兵の顔が硬くなる。責めているのではない。現実を言っているだけだ。


「物流についても、外で見た限りでは……荷車が空で、倉庫が軽い。冬を前に、少し心配です」


(見てたのか。到着直後なのに、もう観察してた。この人、本当に使える)


 言い終えた瞬間、室内の沈黙が重くなった。

重くなるのは、皆が同じ結論を心のどこかで知っていたからだ。


 カイルは、頷いた。感情の頷きではない。判断の頷きだ。


「対処できるか」


 エレノアは、答えを急がなかった。急げば、虚勢になる。


「……試してみないと分かりません。ただ、構造を整理することはできると思います」


(正直だ。できないことを、できないと言える。珍しい)


 正直に答えた。


 文官が目を見開く。兵が息を呑む。驚いたのは希望ではない。

「分からない」と言える人間が久しくいなかったのだ。


 カイルは、表情を変えない。だが、視線の焦点が少しだけ変わった。 こちらを()ではなく()()()として見た目だ。


「なら、やってみろ」


 そう言って、カイルは木箱の蓋を完全に開けた。


 もう、隠さない。


 カチ、と乾いた音。


 エレノアの胸の奥がまた一拍だけ反応した。


 懐かしい音。  そして、頼もしい音。


 エレノアはカイルを見た。


「……合理的ですね」


(合理的。褒め言葉として、言ってる。この人、本気で合理的を肯定してる)


 カイルの指が止まった。止まったのは一拍だけ。


 そして、いつも通りの速度で珠を弾き直しながら、低い声で言った。


「君は、俺を怖がらない」


(数字の話ができる。――それだけで、救われる)


 それは確認でも、宣言でもなかった。  

この場所で、初めて理解者を得た男の、安堵に近い独り言だった。


 エレノアは、頷いた。


 怖がっている暇はない。  この領地は、今、崩れかけている。


 そして――崩れかけたものは、組み直せる。


 二人の視線が交差する。


 ここから、新しい基準を作り直す

 お読みいただき、ありがとうございます。 「試してみないと分かりません」と言えるエレノアの誠実さ。 次話では一週間後、最初の発見をお届けします。

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