表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪された悪役令嬢ですが、異端と呼ばれた合理主義の転生公爵と辺境から王国を改革します 〜契約で家族になった二人の制度戦〜  作者: そらのことのは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/6

第4話 移送の道中

 馬車は石畳の継ぎ目を淡々と踏んだ。揺れは一定で、車輪の音にも感情がない。


 エレノアは窓のない車内で、膝の上に両手を重ねていた。

指先に力が入らないように重ね方だけを整える。肩の線を落とさず、呼吸を浅くしない。

罪人として扱われるなら、姿勢の崩れは()()()()()()として消費される。


 護送役の兵は二人。向かいの長椅子に座り、会話はしない。

視線は警戒ではなく、仕事としての監視だ。彼らもまた、役目で動いている。


 馬車がいったん止まった。外の音が増える。交代の場所か、関所か。鉄具が鳴り、短い指示が飛ぶ。


 扉が開く。


 冷気が差し込む。空気が変わるだけで、世界が別の場所に移ったと分かる。


「……こちらへ」


 兵の一人が言った。声は荒くない。だが丁寧でもない。


 エレノアは降りる。裾を踏まないよう体の中心で足を運ぶ。 泥の匂い。馬の汗。金属の匂い。

そして微かに、乾いた紙とインクの匂い。 王都の香とは違う。

違うのに落ち着く。整いすぎたものの方が今は怖かった。


 街道脇に、別の馬車が停まっていた。飾りは少ない。護衛の数も過剰ではない。

だが馬具と車輪の手入れだけが異様に行き届いている。必要なところにだけ金を使うやり方だ。


 兵が言う。


「辺境公爵家の迎えだ」


 辺境公爵家。アルバート家。


 その名を聞いた瞬間、胸の奥がほんのわずかに揺れた。理由は分からない。呼吸だけが一拍遅れた。


 扉の前に立つ男が、こちらを見ていた。


 若い。だが若いという言葉が先に立たない。 背は高く、姿勢に無駄がない。

軍装ではないが、規律の匂いがする。

装飾の少ない外套。革手袋。指先にはペンだこが白く残り、袖口にはわずかにインクの染みがある。


 視線が鋭い。


 刺すようでいて怒りではない。計算する目だ。人を、状況を、コストとして測る。


 エレノアは目を逸らさない。逸らせば負ける――そういう話ではない。

ただ、ここで()()()()になりたくなかった。


「辺境公爵家当主代行、カイル・アルバート。ヴァルディエール侯爵令嬢、エレノアの護送を引き継ぐ」


 男――カイルの名乗りは簡潔だった。だが過不足がない。

必要な情報だけを、必要な順序で置く。装飾を削ぎ落とした実務の声だ。


(よし、噛まなかった。貴族令嬢相手の名乗りなんて久しぶりだ)


 兵が形式的に頷き、書面を取り交わす。エレノアはそのやり取りを見ながら、カイルの手元を見る。


 指。関節。爪。細かい傷。ペンだこ。剣だけではない。書く人間の手だ。


 カイルが視線を落とす。

エレノアの手首――拘束のための細い革紐に目が止まり、ほんの一瞬だけ眉が動いた。


 それは怒りではない。「非効率だ」という判断だ。


(また余計なことを。この状況で逃げられるなら、俺はとっくに王都から消えてる)


 次の瞬間、カイルは兵に淡々と言った。


「規定を確認する。移送対象者の拘束は『逃亡または自害の恐れがある場合』に限定されている」


 兵が渋る。


「ですが、念のため……」


(礼を言わない。正解だ。)


「街道中央、護衛配置済み、逃走経路なし。拘束の合理性がない。外せ」


 カイルの声に圧はない。ただ、論理で塞ぐ。


 兵は舌打ちを飲み込み、革紐を外した。


 手首が軽くなる。だがエレノアは礼を言わない。礼を言えば()()()()()()()になる。


(ここで頭を下げるのは、交渉カードを捨てるようなものだ)


 カイルが、エレノアにだけ聞こえる声量で言った。


「乗れ。移動時間は三刻。休憩は一度」


 命令。だが乱暴ではない。必要な情報を過不足なく伝える声。


 エレノアは馬車に乗り込んだ。車内は簡素だ。 だが座席の縫製が丈夫で、床板は鳴らない。揺れを減らす工夫がされている。移動が多い家だ。


 カイルも乗り込む。向かいではない。斜め前。距離が近すぎず遠すぎない。会話の余地がある配置。


 扉が閉まる。


 馬車が動き出す、直前。


 カイルが懐から小さな木箱を取り出した。蓋を半分だけ開け、膝の上で手元を隠すように置く。


(さて。無駄な時間は嫌いだ。溜まってる計算を片付けよう)


 カチ、と乾いた音がした。


 エレノアは視線を落とす。


 木枠の中に珠が並んでいる。何列も。規則正しく。珠を寄せ、戻し、また寄せる。


 ――見覚えが、ない。


 正確には、貴族の暮らしの中では見たことがない。


 けれど、遠い記憶の端にだけ、似た形が引っかかった。

侯爵家に出入りする商人が、帳場で一度だけ見せたことがある。

珍品を自慢するように。触れられるのを嫌がるように。


 そのとき商人は、こう言った。


算木枠さんぎわくでして。指で数えるより早いんですよ」


 算木枠。  

 言葉は覚えている。道具として理解はしていない。

貴族の計算は、紙と筆で足りる。少なくとも、エレノアの世界では。


 なのに今、それが"当然の道具"として、公爵家当主代行の膝にある。


 カイルは目線を上げないまま、珠を弾いた。


 音は小さい。だが車内でははっきり響く。規則的で、迷いがない。必要な計算だけを通す指。


 カチ。カチ。カチ。


(視線を逸らさないな。怖がるか、笑うか、気味悪がるか――さて、どれだ)


 その音を聞いた瞬間、胸の奥が強く反応した。


 違和感ではない。痛みでもない。


 ――懐かしい。


 息が、一拍遅れる。


 理由より先に、呼吸が整う。このリズム。この規則性。数字が整列していく心地よさ。


「……懐かしい」


 口が先に動いた。


 カイルの指が止まった。


 完全に、止まった。


(……今、なんて言った?)


 珠を弾く途中の指が、空中で固まる。


(懐かしい? この音を? 普通なら『変わった道具ですね』だろ。

音に懐かしさを感じるやつなんて――)


 顔は上げない。だが首筋の筋肉が一瞬だけ固くなった。


 沈黙。


 長い。


(落ち着け。期待するな。そんな都合のいい話があるわけがない)


 カイルがゆっくりと顔を上げた。


 その目が、初めて焦点を結んだ。


 計算する目ではない。探る目だ。


「……懐かしい、と言ったか」


 声が、低い。低いが、揺れている。ほんのわずかに。


(初めてだ、こんな人。この人は――もしかして)


 エレノアは答えを探す。探すが、見つからない。


「分かりません。ただ……そう、感じました」


 カイルの目が細くなる。疑いではない。確認だ。


「この道具を知っているのか」


「いいえ。見たことはありますが、使い方は知りません」


「なら、なぜ懐かしいと」


 エレノアは首を横に振った。振ったが、胸の奥の反応は消えない。


「理由は分かりません。音が……心地よくて」


(心地よい、と言った。誰も肯定しなかった音を)


 カイルは数秒、エレノアを見つめた。


 やがてカイルは目を伏せ、再び珠を弾いた。


 だが、その指の動きが少しだけ遅い。


 カチ、という音が続く。


(言うか。言ってみるか。どうせ、もう失うものはない)


 そして、カイルが呟いた。


「……そろばん、という」


 小さい声。独り言に近い。


「正式名称は、そろばんだ」


 エレノアの息が止まった。


 そろばん。


 その言葉が、胸の奥で何かを叩く。


(反応した。やっぱり、この響きに反応したな)


 カイルは続ける。目を伏せたまま。


「この世界では算木枠と呼ぶが――」


 そこで言葉が切れた。


(そこから先は、言うな。)


 カイルは珠を一つ弾き、口を閉じた。


 言いかけて、止めた。


 その()()()が、エレノアには分かった。


 言えない、のではない。  言ってはいけない、と判断した。


 沈黙が続く。


 カチ、という音だけが残る。


 エレノアは膝の上で、外された革紐の跡を指でなぞった。痕は薄い。だが消えたわけではない。


 そろばんの音が続く。規則的で、静かで、容赦がない。


 その音に、なぜか呼吸が整っていく。


 エレノアは目を伏せたまま、胸の奥に落ちてくる結論を受け取った。


 ――この人は、私を怖がらせない。


 違う。  私が、この人を怖がらない。


 そう言い直した瞬間、少しだけ楽になった。


 馬車は街道を進む。王都の気配が遠ざかる。


 カチ、という音だけが残った。


 そして、カイルの声が、もう一度だけ落ちてきた。


「……君は、この音を怖がらないんだな」


(怖がらない。距離を取らない)


 それは問いではなく、確認だった。


 エレノアは答えなかった。


 答える必要がなかった。


 馬車は進む。


 カチ、という音が、二人の間に残り続けた。

 お読みいただき、ありがとうございます。 「懐かしい」というエレノアの反応に、カイルは大きく動揺しました。 次話は辺境到着、山積みの問題が待っています。

 続きが気になりましたら、☆評価やブックマーク登録をしていただけると励みになります。 応援よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ