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断罪された悪役令嬢ですが、異端と呼ばれた合理主義の転生公爵と辺境から王国を改革します 〜契約で家族になった二人の制度戦〜  作者: そらのことのは


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第3話 追放決定

 取っ手は冷たかった。

 エレノアは指先の感覚を確かめるように一度だけ握り直し、扉を開けた。


 部屋は整いすぎていた。花も、香も、暖炉の火の強さも。

何かが起きていることを隠すための整え方だ。


 窓際に侯爵夫人が座っている。背筋はまっすぐ。

手元の刺繍枠は膝の上にあるが、針は動いていない。


 侯爵夫人はエレノアを見た。視線は顔に置く。けれど焦点が合っていない。

人ではなく、状況を見ている目だ。


「王城の書記官が来たのでしょう」


「文書を受け取りました」


 エレノアは封筒を机に置いた。王家の紋章が相手に見える向き。事実を提示する動作。


 侯爵夫人は封筒を見ただけで触れない。触れないことで、責任を切り離す。


「あなたは、弁明しないの」


「弁明の場が用意されていません」


 侯爵夫人の眉がわずかに動いた。否定ではない。苛立ちに近い。


「……あなたは昔から、そういう言い方をする」


 責めているのではない。感情を切り離した声だ。侯爵夫人は席を立ち、窓辺へ歩いた。

カーテンの端を指で整える。意味のない動き。手を動かしていないと保てない。


「エレノア。これは()()()()()の問題ではないの」


 エレノアは黙って聞く。反論しない。反論する価値がある言葉か見極める。


「ヴァルディエール侯爵家は、王太子殿下の婚約者を出すことで地位を保ってきた。

あなたが婚約者であることが、家の保険だった」


 侯爵夫人は振り返らない。振り返れば表情が見えてしまうからだ。


「その保険が切られた。切られた理由が冤罪かどうかは、今は関係ない。

重要なのは()()()()という事実。王家はもう、うちを守らない」


 喉の奥が詰まる。エレノアはそれを咳で誤魔化さない。誤魔化せば、負ける。


 理解が先に来る。  母は娘を捨てるのではない。家を守る。家を守るために娘を切る。


 筋が通っている。筋が通っているから怖い。


「あなたを庇えば、侯爵家が巻き添えで沈む」


 侯爵夫人がようやくこちらを見た。泣く準備ではなく、決定の準備の目。


「あなたが一人で罪を被れば、家は残る可能性がある。可能性がある、というだけ。 けれど私にはそれ以外の手がない」


 可能性。

 その言葉が、母の手札の少なさを示していた。


 エレノアは問いを一つだけ選んだ。


「父は、どう判断しましたか」


 侯爵夫人の口元が一瞬だけ固まる。遅れて答えた。


「旦那様は……王家に逆らうべきではない、と」


 エレノアは頷く。父らしい。そこにも筋がある。だから救いがない。


 侯爵夫人が机に、一通の紙を置いた。王家の封蝋ではない。家の印章が押されている。


「侯爵家としての宣誓書よ。あなたの罪状を認める、と書いてある」


 エレノアの視線が紙面を走る。短い文章。逃げ道がない文体。署名欄だけがやたら広い。


「……これに署名すれば、私の弁明の余地は消えます」


「そうね」


 否定しない。そこをごまかさない。


「署名しなければ、あなたは侯爵家の名を使って抵抗したことになる。

王家は次に家を切る。あなたを守れないどころか、家ごと潰される」


 正しい。状況として正しい。  だから痛い。


 エレノアの胸の奥が軋む。理解した痛みだ。


「あなたは……冷静でいてくれて助かる」


 侯爵夫人の声が、そこでだけ少し揺れた。ほんの一瞬。

揺れはすぐに飲み込まれ、侯爵夫人の顔へ戻る。


 エレノアはその揺れを見てしまった。

 見たが、寄りかかれない。寄りかかれば判断が鈍る。


 エレノアはペンを取らない。代わりに紙の端を指で押さえた。

ずれないように。動きが判断より先に出ないように。


「署名はします」


 侯爵夫人の肩がほんの少し落ちた。安堵だ。


 その安堵が、エレノアの中に確信を置く。


 ――私は、家のための処理なのだ。


 エレノアは署名欄の上にペン先を置いた。すぐには書かない。


「ただし、条件があります」


 侯爵夫人の目が細くなる。


「何を言うの」


「追放先です」


 侯爵夫人の表情が止まる。そこは既に決まっている。

決まっているのに言えない。その種類の沈黙。


 エレノアは続ける。声は低く、崩さない。


「私は抵抗しません。ですが行き先だけは先に知りたい。準備のためです」


 準備。生存の言葉。


 侯爵夫人は椅子に座り直し、指先を組んだ。組み方が強い。痛みを誤魔化す動き。


「……辺境よ」


 短い。


「辺境公爵家。アルバート家」


 アルバート家。  その名を聞いた瞬間、エレノアの息が止まった。


 理由は分からない。ただ、指先だけが冷たくなる。


 辺境公爵家。  王都から最も遠い場所。名目は保護。実態は監視と隔離。


 遠い。厳しい。危険。  そして――知らない。


 何があるのか。誰がいるのか。何を求められるのか。

 分からないものに送られる恐怖が、ゆっくりと胸に広がった。


 辺境公爵家の現当主代行。養子のカイル・アルバート。

 王都では陰で、こう呼ばれている。


 ――算盤公爵。


 数字でしか判断しない。人の心がない。気味が悪い。

 そんな評判だけが、断片的に記憶に浮かぶ。


 得体が知れない。

 家を切り捨てられた直後に、また「異質だ」と遠ざけられるのだろうか。


 エレノアは一度だけ、深く息を吸った。  恐怖の形を確かめるように。


 ――けれど。


 それは本当に「欠点」だろうか。


 感情に振り回されず、筋の通った判断を下す。

 今の王都とは、正反対の価値観だ。


 遠い。厳しい。危険。

 だが――王都より自由で、理屈が通るかもしれない。


 恐れを一度受け入れてから、ようやく思考がいつもの速度を取り戻す。

 状況を、構造として見直せるところまで戻ってくる。



 侯爵夫人が言い訳を探すように言葉を繋ぐ。


「公爵家は王家に忠実だし、辺境は……あなたをこれ以上、王都に置けないの。

当主代行は実務能力があると聞くわ。ただ……」


 侯爵夫人が一瞬、言葉を切る。


「人との距離の取り方が、独特だそうよ。合理的すぎて、周囲が戸惑うとか」


 合理的すぎる。

 その言葉が、エレノアの胸に妙に響いた。


「あなたなら、むしろ話しやすいかもしれないけれど」


 侯爵夫人の声が、そこで少しだけ柔らかくなった。


「分かっています」


 エレノアは遮らない程度の速さで言った。理解を先に置いて、言い訳を終わらせる。


 侯爵夫人の口が止まる。止まった口元が、わずかに震えた。人間味の震えだ。

けれどすぐに整えられる。侯爵夫人の顔へ戻る。


「では、署名を」


 エレノアは頷き、ペンを動かした。


 インクが紙に吸われる。名前を書く動きは何度も書いた動きだ。

だから文字は綺麗に出る。綺麗なまま切られていく。


 署名が終わる。


 エレノアはペンを置き、紙を押し戻した。丁寧すぎるほど丁寧に。


 侯爵夫人は紙を受け取り、封筒へ入れた。迷いがない。迷いを見せない練習をしてきた動きだ。


 これで終わりだ、と部屋が言っている。


 エレノアは立ち上がった。椅子の脚が床を擦らないように、真上に引いてから戻す。


「出立の準備をします」


 侯爵夫人は頷いた。言葉はない。


 エレノアが扉へ向かう。取っ手に手をかけたところで、背後から声が飛んだ。


「エレノア」


 呼び方が、初めて娘の名だった。


 エレノアは振り返らない。振り返れば、揺れを受けてしまう。受ければ判断が鈍る。


 侯爵夫人の声は、最後だけ低かった。


「……生きなさい」


 命令でも祈りでもない。苦しい現実の言葉。


 エレノアは扉を開けた。


 廊下の空気が冷たい。冷たいものは誤魔化せない。だから歩ける。


 罪状は結論。

 手続きはない。

 家は自分を切る。

 行き先は辺境公爵家。


 理解している。

 だから、選べる。


 算盤公爵。

 合理的すぎると言われる当主代行。


 ――その人は、私を「異質だ」と言って遠ざけるだろうか。

 それとも、筋の通った会話ができるだろうか。


 答えのない問いが、なぜか胸に浮かんだ。

 エレノアはそれを振り払い、部屋へ向かった。


 準備を始める。  次の場所で、次の基準を作るために。

 お読みいただき、ありがとうございます。 「生きなさい」という母の言葉と、辺境への旅立ち。 次話で、カイルとついに出会います。

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