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断罪された悪役令嬢ですが、異端と呼ばれた合理主義の転生公爵と辺境から王国を改革します 〜契約で家族になった二人の制度戦〜  作者: そらのことのは


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第25話 王都の歯車

 王都に到着したのは、出立から五日後の夕刻だった。


 高い城壁をくぐった瞬間、エレノアは空気の違いを肌で感じた。

辺境の、泥と雪解け水と人々の汗の匂いではない。

石造りの建物から漂う古い威厳と、どこか澱んだような停滞の気配。

華美な装飾に彩られた建物群と、着飾った貴族たちの馬車。

そして、その裏で蠢く官僚機構の非効率性。


 正門での検問だけで、すでに一時間を費やしている。

書類の形式確認、紋章の照合、そして無意味な挨拶の応酬。

辺境なら三分で終わる手続きが、ここでは「権威を示すための儀式」として肥大化していた。


(相変わらず、効率の悪い街……)


 馬車が王立監察局の正門前に停まると、黒衣の職員たちが一斉に視線を向けた。

その中に、見覚えのある顔がある。


「……到着されましたか、エレノア嬢」


 ヴァイカウント・モルグ。辺境で完敗した監察官だ。

その表情には、苦々しさと警戒と、わずかな恐れが混じっていた。


(俺の報告書が、この娘を『召喚』する口実になった。

もし彼女が王都で失脚すれば、俺も責任を問われる。

だが、もし成功すれば……いや、成功などするはずがない。

この王都で、あの論理が通用するものか)


「お久しぶりです、モルグ監察官。あの節は、貴重なご指摘をありがとうございました」


 エレノアは、王都式の完璧な淑女の礼をとった。その言葉に、モルグは一瞬言葉を失った。


 周囲の職員たちが、ひそひそと囁き合う。


「……あれが、断罪された悪役令嬢か」

「なのに監察局付き? 王太子案件じゃなかったのか?」

「局長の気まぐれだろう。どうせすぐに追い出される」


 好奇と侮蔑と恐れ。かつての婚約破棄の噂は、まだこの街から消えていない。


(構いません。評価は、これから変えればいい)


 エレノアは胸元のペンダントにそっと触れた。

鉄の冷たさが、辺境の空気とカイルの声を思い出させる。


「局長がお待ちです。こちらへ」


 案内されたのは、石造りの巨大な建物の最上階。

廊下は長く、無数の扉が並んでいる。

どの部屋からも書類を繰る音と、抑えられた声での議論が漏れ聞こえてくる。


 だが、エレノアの目には、それらが全く別のものに映っていた。


 積み上げられた書類の山、同じ内容を書き写すだけの下級職員たち、誰も全体像を見ていない決裁の連鎖。

ここが王国の「監視装置」の中枢であると同時に、王国最大の「非効率装置」でもあることを、彼女は一瞬で理解した。


 最上階。重厚な扉の前で、モルグが足を止める。


「……失礼のないように」


 小声でそう言い残し、扉を叩いた。


 扉が開かれると、中は外観とは対照的に質素だった。

だが、机の上も周囲の棚も、紙の束で埋め尽くされている。その中央に、銀髪の男が座っていた。


 歳は五十代半ば。背筋は真っ直ぐに伸び、瞳は年輪と共に研ぎ澄まされている。

 王立監察局長、グレゴール・ハルトマン。


「ようこそ、エレノア嬢。私が王立監察局長、グレゴール・ハルトマンだ」


「お呼びいただき、光栄です」


 エレノアは深く一礼した。


「光栄、か」


 ハルトマンは唇の端だけで笑った。


「君は『召喚された』のであって、『招待された』わけではないのだがね」


「承知しております。ですが、私にとっては好機です」


 エレノアは、真正面から局長の瞳を見返した。


「辺境で培った制度設計の知見を、王国全体に活かせる機会をいただけるのですから」


 室内の空気が、わずかに変わる。


「……面白い」


 ハルトマンは椅子の背にもたれた。


「君は『悪役令嬢』として断罪されたはずだが、その目には怯えが一切ない」


「怯える理由がありません。私は法と制度に従って行動してきました。

それを証明する帳簿も、契約書も、全て揃っています」


「ふむ」


 指先を組む。その仕草には、長年組織を率いてきた者の威厳が滲んでいる。


「では、早速だが君の能力を見せてもらおう」


 ハルトマンは机の上から分厚いファイルを取り上げ、エレノアに差し出した。


「これは東部地方領の昨年度監査記録だ。

不正の疑いがあるが、我々の専門官が二週間かけても証拠を見つけられずにいる。君ならどう見る?」


 試されている。エレノアはファイルを受け取り、静かにページをめくり始めた。

支出項目、資材購入履歴、労働者の雇用記録。

数字の羅列が、彼女の脳内で立体的な映像へと変換されていく。


 三分後。エレノアはファイルを閉じた。


「橋の架け替え工事における、資材費の水増し請求ですね」


 ハルトマンの眉がピクリと動いた。


「根拠は?」


「防水塗料の購入時期が、雨季の終わった後に集中しています。

通常、この地域の工事なら雨季の前に行うはず。

つまり、実際には使用されていない塗料の代金が計上されています」


 エレノアは淡々と続ける。


「加えて、この塗料の納入業者は領主の義弟が経営する商会。

典型的な利益相反取引です。帳簿上は綺麗ですが、商流を追えばすぐに露見します」


 静寂が落ちた。ハルトマンは数秒間、エレノアを凝視し、やがて低く笑った。


「……恐ろしい娘だ」


 彼は立ち上がり、窓の外、王都の街並みを見下ろした。


「だが、覚えておくがいい。王都は、君の思うほど合理的ではない」


「……どういう意味でしょうか」


「正しさだけでは動かない歯車もある、ということだ」


 ハルトマンは振り返り、冷徹な声で告げた。


「利権、メンツ、派閥、そして感情。この王都には三百年の歴史がある。

その間に積み重なった慣習、しがらみ、そして既得権益。

君の論理という刃が、この古びた機構のどこまで通用するか……見せてもらおう」


「望むところです」


 エレノアは胸元のペンダントを握りしめた。


「私の基準は、常に『現場』にあります。

辺境のような厳しい条件でも運用できる制度でなければ、他の領地でも破綻します。

非合理な慣習があれば、それを乗り越える仕組みを作るだけです」


「いいだろう」


 ハルトマンは机の上の辞令書にサインをした。


「君に『制度設計室』の責任者を任せる。必要な権限は全て与える。ただし──」


 彼の目が鋭く光る。


「失敗すれば、君の愛する辺境ごと切り捨てる」


「承知しました。

その代わり、成功した暁には、辺境を私の『実験場』として正式に認めていただきます。

新しい制度の有効性を検証する、大切なモデルケースとして」


 ハルトマンは満足げに頷いた。


「なるほど。人質を取られているのは、こちらの方か。交渉成立だ」


 その夜、エレノアに与えられた個室で。


 石造りの小部屋は質素だったが、机と本棚、そして暖炉がある。

辺境の執務室に比べれば狭いが、一人で仕事をするには十分だった。


 エレノアは荷物を解き、小さな魔道具を取り出した。

カイルが改良した、通信用の魔道具。無骨な鉄の箱。


 少し躊躇してから、起動させる。


「カイル様……聞こえますか?」


 数秒の沈黙。魔道具が微かに光り、やがて懐かしい声が返ってきた。


『ああ、聞こえる。無事に着いたか』


 その声を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、ふっと緩んだ。


「はい。局長との面談も終わりました。……手強い方でしたが、交渉は成立しました」


『そうか。無理はしていないか』


 カイルの声には、隠しきれない安堵と、それ以上の心配が滲んでいる。


「少しだけ、疲れました。王都は……空気が重いです」


 エレノアは正直に言った。


「誰もが疑心暗鬼で、誰も責任を取ろうとしない。

書類一枚通すのに、何人の顔色を窺わなければならないのか。……カイル様の領地が、恋しいです」


 弱音を吐くつもりはなかった。けれど、カイルの声を聞くと、どうしても本音が漏れてしまう。


 通信機の向こうで、カイルが息を吐く音が聞こえた。


『いつでも帰ってこい』


 その言葉は、どんな甘い言葉よりも深く、心に染み渡った。


『お前が辛くなったら、全部放り出して帰ってくればいい。俺が軍を率いて迎えに行く』


「ふふ……それは、国際問題になります」


 エレノアは涙を拭い、笑った。


「でも、怖くはありません」


『なぜだ』


「あなたが、隣にいるからです」


 通信魔道具の向こうで、カイルが息を呑む音が聞こえた。


『……エレノア』


「私は、あなたを『標準』にして制度を作ります。

この王都で、辺境のやり方を証明してみせます。

『結果を出す現場』が、『儀式を守る中心』を動かせると」


 辺境では、カイルが執務室で魔道具を握りしめていた。

窓の外には、雪解けの始まった領地が広がっている。

エレノアが去ってから、まだ一週間も経っていない。

だが、彼女がいない執務室は、ひどく広く感じた。


『俺はお前の「標準」であり続ける。お前が作った景色は、1ミリも変えずに守り抜く』


「はい。私も、辺境を基準にして王国全体の制度を考えます。

最も厳しい条件で成立するなら、他でも必ず運用できますから」


『……待ってる。必ず、帰ってこい』


「はい。必ず」


 通信が切れる。


 エレノアは魔道具を胸に抱きしめ、深く息を吐いた。

窓の外を見る。王都の夜景が広がっている。無数の灯りが、まるで星のように輝いている。


 かつては絶望の象徴だったこの景色が、今は巨大なパズルのように見えた。

一つ一つの灯りは、一つ一つの制度であり、人々の生活だ。

それを、もっと良い形に組み替える。辺境で学んだやり方で。


 エレノアはペンを取り、新しい手帳を開いた。


 『王都制度改革案 第一稿』


 その文字は、力強く、迷いがなかった。


 彼女は書き始める。辺境での経験を元に、王国全体に適用できる新しい基準を。

カイルと共に築いた制度の原理を、この巨大な機構に組み込むための設計図を。


 王都という巨大な機構の中心で、一人の少女が新たな設計図を描き始める。

それは、遠く離れた辺境の公爵と共に紡ぐ、静かな革命の第一歩だった。


 そして、遠い辺境では、カイルが同じ夜空を見上げていた。


(エレノア。お前が作る制度を、俺が完璧に運用してみせる。

お前が帰ってきたとき、『よくやった』と言わせてやる)


 王都の歯車は、静かに噛み合い始めた。


 ――辺境開拓編、完。

お読みいただき、ありがとうございます。

これにて第1部「辺境開拓編」は完結です。


「あなたが、隣にいるから」

離れていても、二人は同じ戦場で戦い続けます。


次回より第2部「王都改革編」がスタート。

監察局という新たな戦場で、エレノアの本当の戦いが始まります。


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