第24話 出立の朝
出立の朝は、戦場前夜よりも静かだった。
城門前には一台の馬車が待機している。
王都行きとしては質素だが、車軸は最新式に改良され、荷台には必要な物資が完璧に積まれていた。
「……本当に、これで行くのか」
カイルは、わざと素っ気なく言う。
「ええ。目立たない方が安全ですから」
エレノアは旅装に身を包み、髪を高く結い上げていた。
貴族令嬢というより、有能な実務官のような佇まいだ。
(似合っている。いや、似合いすぎている)
その時、城門の方から足音が聞こえてきた。
「エレノア様!」
リュードが息を切らせて走ってくる。
その後ろには、ノア、ベルン、そして城で働く使用人たちが続いていた。
「見送りに来ました」
リュードが、小さな包みを差し出した。
「俺たち警備隊からの餞別です。護身用の短剣。お守り代わりに」
「ありがとうございます」
エレノアは深く頭を下げた。
ノアが前に出る。
「孤児院の子どもたちからです」
差し出されたのは、色とりどりの小石が詰められた小さな布袋だった。
「川原で拾った『きれいな石』だそうです。『寂しくならないように』って」
エレノアの目が、一瞬潤んだ。
「……宝物にします」
「エレノア」
カイルが静かに言った。
「出発前に、見せておきたいものがある」
馬車はいったん街道を離れ、領地を一望できる高台へ向かった。
眼下には、春の光を浴びた辺境の街が広がっている。
整然と区画整理された農地、活気に満ちた市場、街道を行き交う商隊の列。
「見てみろ」
カイルが指差す。
「あれが、お前が作った景色だ」
エレノアは息を呑んだ。数ヶ月前は、ただの寂れた辺境だった。
それが今、確かな鼓動を持って生きている。
「お前は『悪役』なんかじゃない。この景色を見れば、誰だって分かる」
「……ありがとうございます」
「礼を言うのは俺の方だ」
カイルは彼女に向き直る。
「エレノア。約束してくれ。王都でどんな理不尽に遭っても、この景色を忘れるな」
「はい。忘れません」
馬車に戻ると、カイルは自分の胸元からペンダントを外した。
何の変哲もない、鉄製のシンプルなペンダント。
「これは……」
「俺の母の形見だ」
カイルは、それをエレノアの首にかけた。
「俺が一番大切にしているものを、お前に持っていてほしい」
鉄の冷たさと、カイルの体温が混ざり合った感触が、エレノアの胸元に伝わる。
「……重いです」
エレノアが呟く。
「けれど、心地いい重さです」
カイルの目が、わずかに揺れた。
「ああ。俺の魂の一部だと思ってくれ。必ず、返しに来いよ」
「はい。必ず」
御者が咳払いをする。時間だった。
「最後に、一つだけ確認しておく」
カイルは、声を少し落とした。
「王都では、お前は『制度設計担当官』だ。つまり──」
「王都という機構の、内側から設計図を書き換える役目です」
エレノアが引き取るように言う。
「もう一度、約束してくれ」
カイルは真剣な目で彼女を見つめる。
「どうか、俺の『標準』であり続けてください」
「標準……?」
「俺が何かを迷った時、『エレノアの領地なら、どう運用できるか』を問うつもりだ。
お前が俺の基準値になる」
エレノアの瞳が、わずかに震えた。
「……それなら、私からもお願いがあります」
「なんだ」
「私が王都で『王国全体の制度』を考える時、必ず、この辺境を基準にします。
最も条件が厳しい場所で成立する制度なら、他でも必ず運用できますから」
彼女は、真正面からカイルを見る。
「ですから、カイル様。どうか、私の『標準』であり続けてください」
カイルの胸に、雷のような衝撃が走った。
「……俺を、見捨てるな」
思わず、本音が漏れる。
「お前が王都で評価されればされるほど、『辺境など不要だ』と言う声が出てくるだろう。
だから、約束してくれ。どれだけ出世しても、ここを切り捨てないと」
一拍の沈黙。
やがてエレノアは、静かに頷いた。
「約束します。私にとっての『標準』は、常にこの辺境です。そして、私の『家』は──」
エレノアは、真正面からカイルを見る。
「常に、カイル様の隣です」
「……行け」
カイルは、いつもの公爵としての声で命じた。
「はい」
エレノアは一礼し、馬車に乗り込む。
扉が閉まる。御者が手綱を鳴らし、馬車がゆっくりと動き出した。
城門が開き、エレノアを乗せた馬車が、雪解けの道へと滑り出していく。
カイルは、その姿が見えなくなるまで、じっと見送り続けた。
「閣下」
隣に立ったリュードが、低く声をかける。
「……あの嬢ちゃんは戻ってきますよ」
「なぜそう言い切れる」
「この城を、『帰ってくる場所』に変えちまいましたからね、自分で」
カイルは、ふっと口元だけで笑った。
「そうだな」
背を向ける。
「仕事だ。王都が何をしようと、こっちはこっちのやり方で進める。
あいつが戻ってきたとき、『よくやった』と言わせてやる」
一方、馬車の中。
エレノアは胸元のペンダントを握りしめていた。
(行ってきます、カイル様。そして……必ず、帰ってきます)
王都という巨大な機構の内部へ、一つの歯車が組み込まれる。
だが、その歯車は、すでに別の設計図を持っていた。
辺境で培った論理と、カイルと共に築いた制度の原理。
それを武器に、彼女は王国の心臓部で新たな設計図を描こうとしている。
離れていても、二人は同じ図面の上で戦い続ける。
静かな朝の終わりとともに、嵐の兆しが王都の空に満ち始めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
「どうか、私の『標準』であり続けてください」
「俺を、見捨てるな」
互いを基準とする約束が、離れても揺らがない絆となりました。
次話、第1部クライマックス。
王都という巨大機構の内側で、エレノアの戦いが始まります。
☆評価・ブックマーク・感想、とても励みになります!




