第23話 契約という名の誓い
沈黙が落ちた。
暖炉の火がぱちりと弾ける音が、やけに大きく響く。カイルは一度グラスを置き、深く息を吸った。
「エレノア。俺は……」
そこまで言って、言葉が続かなかった。
(戦場で命令を躊躇ったことは一度もない。監査の場で言葉に詰まったこともない。
なのに、なぜこんなに舌が重いんだ)
目の前の少女が、静かにこちらを見ている。その瞳には、一点の曇りもない信頼がある。
だからこそ、中途半端なことは言えない。
「俺たちの『関係』に、正式な名前をつけたい」
カイルは立ち上がり、執務机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
「……契約書、ですか?」
エレノアが目を丸くする。
「そうだ」
カイルは真剣な表情で、羊皮紙をテーブルに広げた。
「口約束は曖昧だ。感情は揺らぐ。だが、契約は絶対だ
俺たちらしいやり方で、確かなものを作りたい」
エレノアは、インクの匂いがする羊皮紙に視線を落とした。
そこに書かれていたのは、見慣れない形式の文書だった。
『パートナーシップ契約書』
第一条:甲と乙は、互いを生涯にわたる最重要協力者として認定する
第二条:甲は乙の思考・判断を全面的に信頼し、乙は甲の実行力を全面的に信頼する
第三条:甲と乙は、物理的距離に関わらず、同一の目標に向けて連携し続ける
第四条:甲と乙は、互いにとって唯一無二の「家族」となることを誓約する
エレノアが顔を上げる。その瞳が、わずかに震えていた。
「これは……」
「俺からの、プロポーズだ」
カイルは静かに言った。
「ただし、一般的な婚約とは違う。俺たちは『主従』でも『保護者と被保護者』でもない。完全に対等なパートナーだ」
カイルは、エレノアの目を真っ直ぐ見つめる。
「お前が王都で制度を作り、俺が辺境でそれを運用する。完璧な分業体制だ」
「……それは、筋道としては最善ですが」
エレノアの声が、わずかに震えている。
「ですが、カイル様。これは、あなたにとってリスクが高すぎます」
「リスク?」
「はい」
エレノアは涙を堪えるように、少し俯いた。
「私は『悪役令嬢』です。王都では後ろ指を指され、いつまた断罪されるか分からない身です。
そんな私と『終身契約』を結ぶなど……」
「エレノア」
カイルは、彼女の言葉を遮った。
「俺は投資の専門家だ。リスクとリターンを天秤にかけるのが仕事だ」
彼は、わずかに笑う。
「確かに、お前はハイリスクかもしれない。だが、それ以上にハイリターンだ」
「ハイリターン……?」
「ああ。お前と組めば、この辺境を王国最高の領地にできる。
お前の頭脳と俺の実行力があれば、不可能なことはない」
(それだけじゃない。もっと大事なことがある)
カイルは、拳を握る。
「それに……俺には、お前が必要なんだ」
その言葉が、静かに部屋に響いた。
「お前がいなければ、この領地は回るかもしれない。
だが、それは『生きている』とは言えない。ただ、歯車が動いているだけだ」
カイルの声が、わずかに震える。
「お前がいるから、この場所には血が通う。お前の作る制度には、温もりがある。
それは、俺には決してできないことだ」
エレノアは、静かに息を呑んだ。
「だから、俺は……」
カイルは、ついに核心を口にする。
「お前を、俺の『家族』にしたい」
その言葉に、エレノアの瞳が大きく見開かれた。
「俺は、もう一度『家』を持つつもりはなかった。血の繋がった家には捨てられた。
養子として来たこの家も、いつも距離があった」
カイルは、遠い目をする。
「だが、お前は違った。お前は俺の作る仕組みに『血』を通わせた。
数字の裏側に人を見て、制度の行間に生活を見てくれた」
彼は、エレノアの方へ一歩近づいた。
「お前が、この場所を『家』に変えてくれた。だから……俺も、お前にとっての『家』になりたい」
長い沈黙が流れた。
エレノアは、契約書を見つめ、それからカイルを見た。その目には、涙が光っていた。
「……本当に、ずるい方ですね」
「ずるい?」
「はい」
エレノアは、涙を拭いながら微笑んだ。
「筋道で包んでおきながら、最後の最後で、一番数字にできないことをおっしゃる」
「数字にできない……」
「『家族になりたい』──それは、どんな計算式にも還元できない、ただ一つのわがままです」
カイルは、言葉を失った。
(わがまま……そうか。これは、俺のわがままなのか)
「……嫌か?」
やっとのことで、搾り出す。
エレノアは、即答しなかった。窓の外に視線を向け、夜の闇を見つめる。
「私は、『悪役令嬢』として断罪されました。家から捨てられ、婚約も破棄されました」
ぽつりと、エレノアが言う。
「王都にいた頃、婚約とは『家と家の契約』でしかありませんでした。
相手の顔も、性格も、何も知らないまま決められた、政治的な道具でした」
彼女は、自分の右手を見つめる。かつて王太子の指輪が嵌められていた場所。
「ですが、今、カイル様がおっしゃった契約は、違います」
ゆっくりと、彼女はカイルへと向き直る。
「それは、家と家ではなく、『あなたと私』の契約です」
瞳が、真っ直ぐに彼を射抜く。
「筋道として、この契約は最善です。
あなたの言う通り、この関係は私を守り、この領地を守る盾になるでしょう」
一拍。
「そして──」
エレノアは、ほんの少しだけ頬を染めた。
「計算できないところでも、私はそれを望んでいます」
カイルの心臓が、大きく跳ねた。
「私も、カイル様と一緒に国をつくりたい。
最後まで、この場所を『家』と呼べるようにしたい。そのために、あなたの隣に立ちたい」
エレノアは、手を差し出す。
「だから、お受けします。辺境公爵カイル・フォン・ヴァレンシュタイン様。
あなたとの『終身パートナーシップ契約』を」
カイルは、その手をしっかりと握った。
「契約成立だな」
その言葉が、どんな誓いよりも甘く響いた。
「はい。契約成立です」
「ただし」
カイルが、ふと真剣な表情になる。
「一つだけ、追加条項がある」
「追加条項、ですか?」
「ああ」
カイルは、懐から小さな魔道具を取り出した。
「これを持っていけ。俺とお揃いの、通信用の魔道具だ。
旧式だが、俺が改良してある。王都の傍受は受けない」
「これは……」
「契約書第三条の実行手段だ。
『物理的距離に関わらず連携し続ける』ためには、通信手段が必要だろう」
カイルは、少し照れくさそうに言う。
「困った時、辛い時、あるいは……ただ声が聞きたい時。いつでも使え。俺は必ず出る」
エレノアは、その魔道具を大切に胸にしまった。
「ありがとうございます。……毎日、報告します」
「期待している」
カイルは微笑んだ。
二人は再びグラスを掲げ、カチンと音を立てた。
別れの前夜。だが、それは終わりではなく、新たな始まりだった。
「さあ」
カイルがグラスを置く。
「明日からは、お前の出発準備だ。王都で必要なものを全て揃える」
「はい」
エレノアも頷く。
「そして、この契約書を正式な文書として、王都と辺境の両方に届けましょう。
『勝手に外せない関係』にしておいた方が、お互いのためです」
「さすが俺のパートナーだ」
カイルは笑った。
暖炉の火が静かに燃え続ける中、夜は更けていく。
契約という名の誓い。
それは、二人がようやく手に入れた「家族」という居場所だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
「家族になりたい」
それは、どんな条文よりも重い、二人のわがまま。
次話、エレノアは王都へ。第1部クライマックスへ向かいます。
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