第2話 罪状提示
その日、エレノアは罪人として扱われた。
暖炉に火はなく、椅子は一脚だけだった。
扉の外で足音が止まる。ノックは一度。返事を待たずに扉が開いた。
「失礼いたします、エレノア様」
入ってきたのは王城付きの書記官だった。背が高く、服は几帳面に整っている。
目を合わせない。視線は書類袋の端に固定されていた。用件以外を見ないための態度。
その後ろに侯爵家の執事が一人だけ付く。いつもなら侍女がいる。
今日は最小人数だった。同情が発生しないように、監視の最低限だけを残した人数。
エレノアは椅子から立たず、背筋だけを整えた。
「罪状の正式文書、ですね」
書記官の喉が小さく動いた。頷き、封蝋の押された書類袋を机に置く。
赤い封蝋には王家の紋章。置く動きが慎重すぎる。中身の重さを、彼自身が分かっている。
「王城より。罪状の告知および、処遇に関する暫定命令です」
執事が一歩前に出かけたが、書記官が無言で制した。執事は引く。
ここでは王城の命令が優先だ。侯爵家は、すでに距離を取っている。
エレノアは紙刀で封蝋を割った。爪を使わない。破れ方ひとつで乱れを見せたくなかった。
紙の匂いがした。乾いたインク。
王城の書庫の匂いと同じだ――と考えた瞬間、胸の奥がわずかに軋んだ。
理由のない反応。思考が一拍遅れる。
エレノアは呼吸を整え、文面を追った。
一、国庫金の横領。
二、税務帳簿の改竄と収賄。
三、王太子妃候補令嬢への加害と、王家への陰謀。
整いすぎている。法が書いた文ではない。政治が書いた文だ。
添付資料は写しのみ。原本の所在も監査官の名も、押収の手続きもない。
書記官が機械のように説明を続ける。
「横領の件につきましては、王家会計簿の支出と、侯爵家の収入帳簿の増加が一致しております。
改竄の疑いが濃厚であり――」
「一致、ですか」
エレノアは顔を上げずに言った。
「増加、とありますが。どの勘定科目です」
書記官が一瞬止まる。指が紙の上を滑り、該当箇所を探す。
読み慣れていない動き。彼は運び屋で、中身を理解する役ではない。
「……寄付金、名目とあります」
寄付金。便利な箱だ。
写しの数字は、そこに綺麗に収まっている。だが増え方が滑らかすぎる。
人が寄付をすれば揺れる。これは揺れがない。
「これは寄付ではありませんね」
思わず言葉が漏れた。
執事が肩を震わせる。書記官の目が上がり、初めてエレノアを正面から見た。
敵意ではない。困惑だ。
「……なぜ、そう判断されますか」
エレノアは資料の端を指で軽く叩いた。
「寄付なら揺れます。これは仕組みです。“寄付”という箱に、別の流れを流し込んでいる」
言い切った直後、胸の奥がまた軋んだ。
知っている。
この考え方を知っている。
数字は嘘をつかない。
そう教えられた気がした。
答えを探そうとすると、頭の奥が白くなる。代わりに断片が落ちてくる。
紙の束。
夜更けの灯り。
指先に付く黒い粉――インク。
短い。音もない。けれど胸がざわつく。
エレノアは肘掛けを握った。力を入れすぎないように、指をゆっくり開く。
今は、この感覚に引きずられてはならない。
書記官が咳払いをした。現実へ引き戻すための音。
「また、第三の罪状――王太子妃候補への加害については、複数の証言が……」
供述書が示される。内容は短い。結論だけを書いた紙だ。
「見た」
「聞いた」
「怯えていた」。
状況の前後が抜けている。
証言者の名は使用人ばかりで、王城の人間がいない。
供述書の筆跡も、数枚が同じ癖を持っている。
誰かが書いた。書かせた。まとめた。
エレノアは、ようやく顔を上げた。
「書記官殿。これは“告知”ですか。それとも、“確定判決”ですか」
書記官が固まる。執事が一歩下がった。空気が一段冷える。
「……告知、です。ですが――」
「監査も、弁明の場も、用意されていない」
エレノアは淡々と言った。
「つまりこれは、手続きではなく、結論の通知です」
書記官は口を開きかけて閉じた。反論できない。反論の役目ではないからだ。
沈黙を破ったのは執事だった。
「……エレノア様。奥様が、部屋でお待ちです。お話があると」
奥様。母ではない。
そう呼ぶ距離になったのは、いつからだったか。
エレノアは頷き、書記官に向き直った。
「文書は受け取りました。――一点だけ、確認を」
書記官が硬く頷く。
「処遇の項目、追放先はまだ“未定”とあります。いつ、誰が決めるのですか」
書記官は目を伏せた。
「……王城の評議です。おそらく、近日中に」
近日中。曖昧だが、動きがある。
エレノアは書類を束ね、封筒に戻した。紙が重いのではない。書かれた結論が重い。
書記官が退出する。扉が閉まる直前、彼が一瞬だけ振り返った。
ほんの一瞬、彼は役目ではなく、自分の目でこちらを見た。
――なぜ、泣かないのですか。
エレノアは答えない。答える必要がない。
書記官が去り、執事だけが残る。執事は礼を取り、床を見たまま言う。
「……ご準備を。屋敷内でも噂が」
「承知しています」
エレノアは立ち上がった。スカートの皺を手で一度だけ整える。
動きはゆっくり。乱れを人に見せない。
廊下へ出ると、遠くで誰かの声がした。笑い声に近い。
すぐに消える。消え方が早いのは、こちらに聞かれたくないからだ。
エレノアは歩く。足音を抑える。屋敷の廊下は広いのに、今日は狭く感じる。
侯爵夫人の私室の前で、手を止めた。
ノックをする前に、封筒の角を指で確かめた。確かにそこにある。紙。文字。結論。
罪状は結論で、手続きではない。
その事実だけを胸に収めたとき、扉の向こうから声がした。
「入りなさい、エレノア」
その声は、母の声であり、侯爵家の声でもあった。
お読みいただき、ありがとうございます。 「寄付なら揺れます」という一言に、エレノアの能力を込めました。 次話は母との対面です。
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