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断罪された悪役令嬢ですが、異端と呼ばれた合理主義の転生公爵と辺境から王国を改革します 〜契約で家族になった二人の制度戦〜  作者: そらのことのは


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第15話 夜の帳簿室

 昼間の市場は、少しだけ賑やかになっていた。


 石炭を積んだ荷車が村から下りてくる。

塩商人が「倉庫が変わったから湿ってない」と声を張り上げる。

主婦たちが、冬野菜と干し肉を一緒に買い求める。


 保存に必要な組み合わせが、自然と近くに並んでいる。

 誰かが意識して並べたのか、流れの中でそうなったのか。


 エレノアは通りの端に立ち、その様子を眺めていた。


「……変わったな」


 背後から声がした。リュードだ。


「前は、冬前の市場ってのは、もっと重かった。

 買うか、諦めるか、どっちかしかねえ顔をしてた」


 今は違う。  迷っている。計算している。

 「諦める前に、どうにかできないか」を考えている。


「紙で、ここまで変わるんだな」


 リュードがぼそりと言った。


「紙だけではありません」


 エレノアは首を振る。


「運んでくれる人。掘ってくれる人。並べてくれる人。

 その全部があって、初めて紙が役に立ちます」


 リュードは少しだけ口元を歪めた。


「そういう言い方をするから、あんたは信用されるんだろうな」


 夜の執務棟は、静まり返っていた。


 文官たちが帰り、兵たちが交代し、城全体が息を落とす時間。

 だが、執務室だけは明るい。蝋燭の灯りが、机の上の紙束を照らしている。


 エレノアは石炭の採掘計画書を書いていた。

 村ごとの配分量。採掘可能量。崩落リスクの管理。


 ペンが紙を滑る音だけが、部屋に響く。


 扉がノックされた。一度だけ。


「入っています」


 カイルが木箱を抱えて入ってきた。

 そろばんだ。


「……まだ起きていたのか」


「はい。明日、村に提出する書類を」


 カイルは向かいの椅子に座り、木箱を机の端に置いた。

 蓋を開ける。珠の並ぶ木枠。


「俺も、計算が残っている。邪魔にならないか」


「いいえ。むしろ、心強いです」


(……この音があると、集中できる。不思議だ)


 カイルは珠を弾き始めた。

 規則的で、迷いがない。必要な計算だけを通す指。


 カチ。カチ。


 二人とも、言葉は少ない。

 けれど、仕事は進む。


(こんな時間が、一番落ち着く。一人じゃない。でも邪魔もされない)


 しばらくして、カイルの指が奇妙な動きをした。

 珠を弾くのではなく、枠を指でなぞる。

 特定の順序で。


 上、右、下、左。

 そして中央を二回タップ。


 それは、計算の動きではない。

 何かの合図のような。あるいは――


「……コマンド入力?」


 エレノアの口から、無意識に言葉が漏れた。


 カイルの手が止まった

 時が止まったように、部屋の空気が凍りついた。


(……今、なんて言った? コマンド入力? この世界にない言葉だ)


 カイルがゆっくりと顔を上げる。

 その目は、驚愕で見開かれていた。


「……今、なんて言った?」


 エレノアはハッとして口を押さえた。


「い、いいえ。なんでもありません。独り言です」


 ごまかそうとするが、カイルの視線は鋭い。


「コマンド入力。……そう聞こえた」


 カイルが立ち上がり、一歩近づく。


「その言葉を、どこで知った?」


(期待するな。でも、もしかして――)


 エレノアは視線を逸らした。


「……昔、読んだ本に……」


「どんな本だ? この世界に、そんな言葉を使う本はない」


 カイルの声が震えている。

 怒りではない。期待だ。

 ありえない可能性にすがるような、切実な期待。


 エレノアは観念したように、小さく息を吐いた。


「……夢で見ました。遠い、別の世界の夢を」


 嘘ではない。転生の記憶は、夢のように曖昧だからだ。


 カイルの表情が崩れた。

 泣き出しそうな、笑い出しそうな、複雑な顔。


(……夢。俺と同じだ。もしかして、本当に――)


「俺もだ」


 カイルは再び椅子に座り込んだ。


「俺も、その夢を見る」


 カイルは、そろばんを愛おしげに撫でた。


「この道具も、その夢に出てきた。 向こうでは『ソロバン』と呼ばれていた」


 エレノアの心臓が早鐘を打つ。


「俺は、その夢の記憶を持って生まれた。

 だから、幼い頃から周囲に馴染めなかった」


 カイルの声が、少しだけ震えた。


「一度だけ、養父に話したことがある。『別の世界を知っている』と。

 そうしたら、『気味が悪い』と言われて、部屋に閉じ込められた」


(それ以来、誰にも言わなかった。言えなかった)


「でも、君は違った。  君も、同じ夢を見ているなら……」


 カイルはエレノアを見た。

 その瞳には、もう迷いはなかった。


「……君は、この世界に違和感を感じたことはあるか」


 唐突な質問。

 だが、エレノアは驚かなかった。


「はい」


 即答だった。


「断罪の場で、まるで芝居を見ているような気がしました。

 帳簿を見たとき、『寄付なら揺れる』という考えが自然に出てきました。

 紙の匂いを嗅ぐと、夜更けの灯りと黒いインクの粉が浮かびます」


 エレノアは顔を上げた。


「……表を自動で計算する道具の名を、夢で聞いたことがありますか」


 カイルの目が見開かれた。


「……知っている。俺も、その名を知っている」


「私も、知っています。何なのかは分かりません。

 でも、あなたの計算方法を見たとき、その言葉が浮かびました」


 二人の視線が交差する。


 理解。

 共鳴。

 そして――安堵。


(……君も、か。俺は、ずっと一人だと思っていた)


「俺は、この世界に生まれる前の記憶がある」


 カイルの告白が、静かに落ちる。


「断片的だ。全部は思い出せない。

 だが、俺は『別の場所』にいた。そこでは、このそろばんが当たり前に使われていた」


 カイルは珠を一つ弾いた。


「紙と鉛筆があって、数字を書く機械があって、夜でも明るい灯りがあった。 そんな場所だ」


(言ってしまった。気味悪がられるかもしれない。でも、もう止められない)


 エレノアは、自分の胸に手を当てた。


「……私も、似たような感覚があります。

 でも、それが何なのか分かりません。記憶ではないのに、知っている。

 そんな感覚が、時々あります」


 カイルは長い沈黙の後、小さく息を吐いた。


「……君も、俺を怖がらないんだな」


 それは確認でも、宣言でもなかった。

 この場所で、初めて理解者を得た男の、安堵に近い独り言だった。


 エレノアは微笑んだ。


「怖がりません。むしろ、安心します」


(……安心。この人は、俺を安心材料として見ている。

異質な存在として拒絶するのではなく、理解してくれる)


 カイルの心臓が、大きく跳ねた。


「……ありがとう」


 短い言葉。

 だが、その言葉には、長年の孤独が溶けていく音が混じっていた。


 エレノアは計画書に戻った。

 ペンを動かす。


 カイルもそろばんに戻った。

 珠を弾く。


 夜は更けていく。

 執務室の明かりは、いつまでも消えなかった。


 紙をめくる音。

 珠を弾く音。


 カチ。カチ。


 だが、その静けさは、もう孤独ではない。


(ずっと一人だと思っていた)


 この世界に生まれてから、ずっと。

 誰にも言えない記憶を抱えて。


 だが今。

 同じ景色を知る人が、隣にいる。


 エレノアがふと顔を上げた。


「……たとえ王都に呼ばれても」


 小さな声。


「私は、ここで見たものを忘れません」


 カイルの指が止まる。


「……俺もだ」


 それだけ。


 大げさな誓いはない。

 だが、視線は揺らがない。


(この人は敵にならない)


(この人だけは、裏切らない)


 言葉にしないまま、何かが確定する。


 エレノアが静かに言った。


「……あなたは」


 一瞬、迷う。


「……同志です」


 カイルは頷く。


「ああ。――最後まで」


 最後まで。


 その意味は、まだ分からない。

 だが、どんな未来でも。


 二人は、同じ側に立つ。


 蝋燭の火が揺れる。


 夜は深い。


 だが、もう暗くはなかった。



 翌朝。


 エレノアが執務室に入ると、机の上に一枚の紙が置かれていた。

 カイルの字で、短く書かれている。


『石炭の計算、確認済み。問題なし。──K』


 紙の端に、小さな図が描かれていた。

 そろばんの珠。一つだけ、寄せられている。


 エレノアは、その紙を静かに折りたたんだ。

 懐にしまう。


 その頃、王都では。


 監察局の局長が、新たな指令書に署名をしていた。


「辺境公爵家、エレノア・ヴァルディエール。

 王都への召喚を検討。理由:人材確保。

 必要であれば、強制力を行使」


 指令書は封筒に入れられ、封蝋が押される。


 王家の紋章。


 辺境の静かな日々は、やがて終わりを迎えようとしていた。

お読みいただき、ありがとうございます。 「同志かもしれませんね」「ああ。――最後まで」 二人の静かな誓いが、この物語の核心です。 夜は深く、だが、もう暗くはありませんでした。


次話では、王都からの召喚という新たな試練が待っています。


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