第13話 王都の波紋と、凍える村
グレゴール・ヴァイスの報告書は、王都で静かな波紋を呼んでいた。
監察局の執務室で、局長が薄い束の報告書を読み返していた。
机には他にも報告書が積まれている。王都各所からの収支報告。
どれも赤字か、辛うじて維持している程度だ。
「辺境公爵家、収支改善。黒字転換。帳簿整理、完了」
ページをめくる指が止まる。
「実質的な改革の中心人物:エレノア・ヴァルディエール」
局長の目が細くなる。
「……断罪された、あの令嬢が?」
報告書の最後に、グレゴールの所見が記されていた。
『彼女の帳簿整理能力は、王都の上級文官に匹敵する。現場との連携という点では、それ以上である』
局長は小さく笑った。皮肉な笑い。
「王太子殿下が捨てた女が、辺境を救ったか。……面白い」
官僚たちは前例を守り、貴族たちは利権を守る。
王都で黒字など、久しく聞かなかった。
だからこそ、辺境の報告は異様だった。
局長は引き出しから、一冊のファイルを取り出した。
表紙には『重要監視対象』の文字。
「……飼い殺すには惜しいな。回収の手筈を整えろ」
背後に控えていた部下が、無言で一礼して部屋を出て行った。
道具として使えるなら、使う。
それが、この国の論理だった。
その頃、王城では。
王太子レオンハルトが、同じ報告書を握りしめていた。
庭園の石段に座り、紙を見つめる。何度読み返しても、内容は変わらない。
「……エレノア」
断罪の場で、一度も泣かなかった女。
冷静に、理路整然と質問を返してきた女。
今の婚約者――“聖女”と呼ばれる少女は、確かに優しい。
泣き顔も、笑顔も、全てが絵のように美しい。
だが、公務の話をするとすぐに飽きてしまう。
「難しいことはレオン様にお任せします」と、無邪気に笑う。
エレノアなら、どうしただろうか。
きっと、資料を読み込み、的確な意見を述べただろう。
当時はそれが疎ましかった。可愛げがないと思った。
だが今、その能力が辺境を救っている。
(俺が、間違えたのか?)
その疑問が、胸の奥で小さく響いた。
レオンハルトは立ち上がり、側近を呼ぼうとした。
辺境へ使者を出せ、と言いかけて――止めた。
まだ早い。
今動けば、自分の過ちを認めることになる。
認めた瞬間、王太子は"弱者"になる。
父王の前で。貴族たちの前で。あの聖女めいた少女の前で。
彼は報告書を懐にしまい、苦い顔で空を見上げた。
冬の空は、冷たく澄んでいた。
辺境では、新たな問題が持ち上がっていた。
エレノアは執務室で、一枚の嘆願書を見つめていた。
差出人は、領内の開拓村。内容は「冬越しの薪が足りない」。
紙の端が少し破れている。
何度も書き直したのか、インクの染みがある。
必死さが、紙から伝わってくる。
カイルが窓際で、そろばんを弾く。
カチ。
「……森への立ち入りは許可できない」
短い。即答だ。
(あの森は水源だ。木を切りすぎれば、春に土砂崩れが起きる。
十五年前、先代が無理な伐採を許可して、村が一つ埋まった。三十人が死んだ。二度と繰り返せない)
エレノアは顔を上げた。
「理由は」
「水源保護。過去に伐採しすぎて村が土砂崩れで埋まった。三十人が死んだ。二度と繰り返せない」
カイルの判断は正しい。合理的だ。 だが、村人には「冷酷な領主」としか映らないだろう。
(また憎まれ役か。まあ、慣れている。養子だから、どうせ信用されていない)
エレノアは嘆願書を指でなぞった。 文字が震えている。寒さと、必死さの震え。
「代替案はありますか」
「ない。備蓄の薪は城の分で手一杯だ。配れば、城が凍える」
(城が機能停止すれば、領地全体が死ぬ。
役所が止まり、兵が動けなくなり、物流が完全に詰まる。
非情だが、選ぶしかない)
カイルの声には、微かに苦渋が滲んでいた。
合理の裏にある、切り捨てる痛み。
窓の外では、雪が降り始めていた。
早い。例年より、確実に早い。
エレノアは立ち上がった。
「現場を見に行きます」
カイルが振り返る。
「無駄だ。行っても薪は増えない」
「増えませんが、選択肢は増えるかもしれません」
(……頑固だな。でも、そこがいい。諦めない人だ。俺が諦めかけたものを、諦めない)
カイルは小さく息を吐き、外套を手に取った。
「俺も行く」
その言葉に、エレノアは少しだけ驚いた顔を見せた。
カイルが自ら現場に出るのは、珍しいことだった。
「お忙しいのでは?」
「村を見ずに数字だけで判断すれば、今度は君に嫌われるかもしれない」
冗談めいた言い方だった。
だが、目は冗談ではない。
(……そういう言い方をするんですね)
エレノアは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「ありがとうございます」
エレノアの声は、いつもより少しだけ温かかった。
カイルは視線を逸らし、そろばんを木箱にしまう。
(この人の前だと、変なことを言ってしまう。……まあ、嫌われてはいないようだが)
「当然だ。俺の領地だ。俺が見るべきだ」
言い訳のような言葉。
だが、その背中は少しだけ柔らかかった。
馬車の中で、カイルが小さく呟いた。
「……村人は、俺を憎んでいる」
エレノアは頷いた。否定しない。
「はい。おそらく」
「それでも、行くのか」
「はい。憎まれても、守るべきものは守らなければなりません」
カイルは窓の外を見た。
雪が、静かに降り続けている。
「君は、強いな」
「いいえ。あなたが強いから、私も強くいられます」
カイルの心臓が、トクンと跳ねた。
(……ずるいな、本当に。こんなことを言われたら、どんな憎まれ役でも引き受けてしまう)
二人は、雪の降りしきる辺境の空の下、村へと向かった。
その頃、王都では。
監察局の局長が、机の上のファイルに指をかけていた。
表紙の赤字が、指先の下で冷たく光った。
辺境の成功は、すでに“監視対象”になっていた。
お読みいただき、ありがとうございます。 王都が不穏に動き出し、辺境では新たな危機が。 「俺も行く」というカイルの言葉と、馬車での静かな会話に、二人の関係の変化を感じていただけたでしょうか。
次話では、凍える村での対立と、エレノアが見つける新たな解決策をお届けします。
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