四話 神官の席が空いている
正午を過ぎても、神官は現れなかった。
王城の広間には、すでに人が集められている。
貴族、神官補、近衛。
断罪の場に立ち会うには十分な数だった。
足りないのは、一人だけ。
「……マティアスは?」
王太子の問いに、誰も即答しない。
神官の所在は、本来、報告を要しない。
彼らは“そこにいるもの”だった。
沈黙が、わずかに長引く。
王太子は、玉座の前で指を組み直した。
不快ではない。
ただ、想定と違う。
神官が来ない。
それだけのことが、妙に引っかかる。
——だが。
判断は、遅らせるものではなかった。
「進めよう」
短く告げると、広間の空気が締まる。
合図を受け、神官補が一歩前に出る。
「本日の儀について——」
定められた手順。
定められた文言。
王族が、王族として読み上げるべき順序。
王太子は、文書に視線を落とす。
そこにあるのは、規定通りの言葉だった。
冷静で、聡明で、
役割を理解し、
与えられた位置を疑わない者を選ぶ。
理由としては、十分すぎる。
「——以上の点から、
エレノア・ヴァルディスを、儀式の対象とする」
言葉は、滞りなく広間に落ちた。
拍手はない。
ざわめきも、起こらない。
本来なら、ここで空気は動く。
緊張が高まり、
誰かが息を呑み、
誰かが神の名を口にする。
けれど。
広間は、妙に静かだった。
王太子は、無意識に視線を巡らせる。
神官の席。
そこだけが、空白のままだ。
——神官が、語らない。
その事実が、
言葉以上に、場を鈍らせていた。
「……続けろ」
命じた声に、わずかな硬さが混じる。
神官補は一瞬ためらい、それから従った。
儀式は進む。
形式は守られている。
それでも、何かが足りない。
王太子は理解できなかった。
自分の判断は正しい。
手順も、理由も、何一つ誤っていない。
なのに——
世界が、応えない。
その違和感が、
初めて、王太子の胸に影を落とした。




