一話 正しさは、彼女を殺した
エレノアは、自分の終わりを悟っていた。
今日で、すべてが終わる。
世界の歯車として、死ぬのだ。
婚約破棄された悪女。
民衆の熱狂は、相当なものだった。
「悪を罰せよ」
「聖女様、悪女エレノアに裁きを!」
その熱を、冷めた目で眺めている者が二人いた。
エレノアと、神官マティアスだ。
群衆の熱が、届かない距離に、二人は立っていた。
彼は、何も言わない。
ただ、最初から分かっている顔で、そこに立っていた。
――彼女が選ばれた理由を、
彼は、あの場で聞いている。
賢いから。
逆らわないから。
役割を理解するから。
祈りの言葉が聞こえる。
聖女の声が、遠くで震えていた。
エレノアは一度、目を伏せる。
このまま終われば、
何も言わずに、役目を果たせる。
——それでも。
彼がそこに立っているのを見て、
どうしても、声をかけずにはいられなかった。
「終わるなら……あなたと共に。神官様、どうか手を握っていて、いただけますか?」
「……エレノア」
呼ばれただけで、
胸がきゅっとなる。
マティアスの思いがけなく大きな手が、エレノアの手を、優しく包み込む。
その手は震えていて、ああ、この人は惜しんでくれていると、胸を温めた。
エレノアは微笑みを浮かべる。
マティアスの顔が、一瞬歪んだ。
「……神は、あなたの死を望んでおられます」
「ええ」
不思議ね。と、彼女は言った。
「あなたがいるなら怖くないの」
握られた手の温度が、確かだった。
——これでいい。
世界が正しいなら、
私は間違っていても構わない。
そう思えた瞬間、
光が、視界を覆った。
エレノアは光に包まれ、聖女へと力が移っていく。
「エレノア……」
彼女の身体からガクリと力が失われ、マティアスは迷わず抱き止める。
「世界は……救われました。これが神の意思です」
宣言。しかし広がるのは、虚無感だけ。助けられないとわかっていた。けれど、生命を失った身体はまだ温かくて。
胸の奥がひび割れる。
世界の歯車が、カチリと、歪んだ音がした。
そして意識を失った。




