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目覚めると私の体は虫になっていた。かのカフカ著「変身」の書き出しはこんな感じだったと思う。大変有名な書き出しであるため読んだことのが無くても知っている方も多いはずである、かく言う私もその一人だ。
初めてこの書き出しを知ったのは、たしか「なん十分かで名著」なる深夜番組であったように思う。名著をあらすじだけで要約するテレビ番組とはなんとも情緒が無いと思ったものであるが、「変身」の内容を件のテレビ番組で見るにつけ「ああ、これは読まなくても良いな」と結論に居たるにあたり、情緒の無いテレビ番組は有用であったのかもしれない。
そこはかとない事をぼんやりと思いながら、自身の身に翻してみればなんとも滑稽な事である。「変身」の主人公、名前など覚えて居ようはずもない、だがその主人公の体は毒虫だったか芋虫だったかになっていたそうだ。芋虫になったのなら何れ蛹を経て成虫になったりするのであろうか? 「変身」の結末を覚えてはいないが、私は成虫となってから自我に目覚めたので、「変身」の主人公の様に妹や叔母に世話にならずに済んだわけだ、よかったよかった、いやよくない。
姿見などあろうはずもない山中奥深く森の中、ふかふかの腐葉土の中から這い出した私は、自身の体の表面である黒光りする外骨格を見ながら途方に暮れていた。
真っ暗な中目覚めて、さて電気でもつけようかと、手を伸ばせばそれは土の壁。触ればボロボロと崩れる始末。あわや生き埋めかと脳裏に浮かびこそすれ、内心に全くの動揺は無かった。己が意志の上を行く本能と言うべきものが、真っ暗闇の土の中であっても上がどちらであるかを理解し、頭をもたげれば「ボコり」と地面を突き破り頭が外へと飛び出した、そこは夜の森の様であった。伸びをするように上半身を外へと突き出せば背中が解放され折りたたまれた外羽がパカリと開き、巨大な昆虫の羽が広がった。寝起きに伸びをするような、全身の血液が循環を開始した様な、なんともいえぬ心地よさがあった。
まだ埋まっている下半身を引っ張り出すために、手直にあった樹の枝を掴むと、勢い余って握りつぶしてしまった。あれ? 樹という物は、そこそこ硬いものであったように思う、こんなスポンジを握りつぶすようにはいかぬ代物であったはずだ。はて? むしり取った樹の枝を見てみれば、それをむしり取ったであろう手が目に映る。黒光りし節くれだった外骨格の太い三本指には鉤爪がヌラリと光っていた。
なんとも凶悪な代物である。ぐっぱぐっぱ握っては開いてみたら、何の支障もなく動く。自分の指とは斯様な物であったかと、驚くと同時に腑に落ちる。自分とはこのような物であると、納得しかないのである。然し其れはおかしい。私は人であったはずだ。人の手とは指が五本あり、爪は平たく、やわらかく肌色だったはず。然るしてして私の手は人の手ではない、よって私は人ではない、QED証明終了……いや色々おかしいだろう。
とりあえず穴倉から這い出すと、自身の体を見下ろしてみた。黒光りする非常にマッチョな外骨格のマイボディ。全体的に丸みを帯びた黒光りする外骨格のフォルムは張り出した巨大な肩からブットイ二対の腕が生えており両足も二本さらに太くどっしりと生えている。脇腹に小さな腕が折りたたまれて仕舞っており、伸ばしてみると繊細な三本指が付いていて器用に動く、こちらの腕の方が生活には便利そうな所感を得る。尻尾は無いようだが腰を覆う装甲板ともいうべき直垂の奥に触手のようなものが4本仕舞っており、伸ばせば鞭のようにしなって動く。
どういうことだってばよ。
張り出した肩の外骨格も何か動く気がするのでモゾモゾやっていると、バカンと口を開けるように開き、肉色の中からトゲトゲしたものは張り出してくる。あ、これはダメなやつだ、そう思い肩を閉じるとムズムズしたがしばらくすると収まった。
妙に太い両前腕の外側には鋭い突起が手の甲の上に突き出しており、意識を向けると「ジュシャ」っと生き物ともともつかない音と共に、何処に仕舞っていたのだと不思議になるほど伸びたそれは、まるで巨大な鎌の様な刀身であった。振り回してみれば「スパッスパ」と届く範囲の木々が何の抵抗もなく切り払われてゆく。
まだほかにもギミックがあることをヒシヒシと感じながら「これ以上はシャレにならんよ」と、本能が訴えかけてくるので、とりあえず検証を終える事にした。
どうしたものか、森の奥深く遭難したとなれば命の危機も有こそすれ、幸い? にも私はモンスター。命に別状は無い……タブン。襲われるとしても自分以上に危険な存在はこの周囲には存在しない。何故かはわからないが其れが分かる。
そんなこんなしているうちに夜が明けたようである、山の稜線から朝日が覗き切り開かれた一角を陽光で照らす、突き刺されるような強い光を目に感じながら、私はどうやら夜行性っぽいぞ、などと思って日光を避けようとしゃがみこむ、すると体がトランスフォームするように丸く折りたたまれていく。おやおやおやおや、などと呑気に思っていると、変形が完了したのか、なんとも居心地の良いフォルムとなっていた。
感覚的に布団に包まれているような安心感にどっしり地面に足を着けているような安定感を足して二で割らない感じである。ベストアンドベター非常にしっくりくる。頭を出すこともできるが目に陽光が刺さって辛い、それに頭を出さなくても触角を出してフリフリしていれば周囲の事は味や匂いとしてなんとなくわかる。いろいろ衝撃的だったのですっかり失念していたが、どうやら私は腹がすいているらしい。旨そうな匂いの元へと誘われるままダンゴムシスタイルのままノソノソと歩き出した。
こうやって私のダンゴムシライフがスタートしたのだった。




