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死に戻る公爵令息は嘘を知らない  作者: 秋月アムリ


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5.反撃

(……!)


 意識が、まるで深い水底から引き上げられるかのように、急速に浮上する。


(また、目が覚めた……!)


 俺は、カッと目を見開いた。

 視界に飛び込んできたのは、見慣れた、公爵家の自室。

 そして目の前。俺が殺される直前に見た、あの光景。


「ラグナス様。わたくし、貴方様を、心の底から愛しておりますわ」


 リリフィエが涙を流しながら、口元に歪な三日月を浮かべている。


 ――俺は、まだ回らない頭で即座に状況を理解した。

 今、動けなければ、俺はまた殺される。


 銀色の閃光。

 あのとき俺の胸を貫いた、美しい銀細工のナイフが構えられている。


(……今だ!)


 俺は、アリシアの体で感じた絶望と、過去の俺の愚かさへの怒り、その全てを力に変えた。

 今はもう、非力なアリシアの体じゃない。

 剣術で鍛え上げた、ラグナス・エルクハルトの、俺自身の体だ!


 リリフィエがナイフを構えたまま突進してくる、その数瞬早く。

 俺はベッドサイドの椅子を彼女へと蹴り飛ばし、体勢を崩した。


 ガシャン! と椅子が倒れる音。


「えっ……!?」


 リリフィエの恍惚とした表情が、純粋な驚愕に変わった。

 彼女がよろめいた、その一瞬。

 俺は彼女が握るナイフの手首を、全力で掴み取った。


「なっ……!?」


 ゴキリ、と嫌な音がしたかもしれない。

 だが知ったことか。


「…………なぜ……?」


 リリフィエの瞳から狂気が消え、混乱が浮かんだ。

 いつも彼女の言いなりだった俺。

 彼女の涙に騙されていた俺が、彼女の凶行を真正面から阻止したのだ。


「離して……! ラグナス様……!」

「黙れ」


 俺は掴んだ手首を力任せに捻り上げ、ナイフを床に叩き落とした。

 カラン、と銀色のナイフが冷たい音を立てる。

 俺がナイフをベッド下へ蹴り飛ばすと、リリフィエは未練がましく膝をついた。


「……俺は、すべて知っている」


 そしてあの地獄のような光景を思い出しながら、心の底から冷え切った声で、言い放った。


「リリフィエ。君が、何をしていたか」

「な……なにを、おっしゃって……」

「俺の髪の毛だ」


 リリフィエの肩が、びくりと、大きく跳ねた。


「切り刻んだ肖像画」


 俺を見上げる彼女の顔から、血の気が、サーッと引いていく。


「そして、君の狂気的な日記もな」

「あ…………あ…………っ!」


 リリフィエは、この世の終わりを見たかのように、顔を真っ青にさせた。

 その美しい瞳が、恐怖と絶望に見開かれる。


「なぜ……なぜ、それを、ラグナス様が……!? 見たの……!? アリシアが……! あの女が、貴方様に何かを……!」

「どうでもいいことだ」


 俺は追い縋ってくる彼女の手を、強く振り払った。


「ううっ……!」

「君との婚約は、今この瞬間をもって破棄する。二度と俺の前に現れるな」

「いや……いやあああ! 待って! ラグナス様! 違うの! わたくしは、貴方様を愛しているから……!」

「黙れ!」


 俺は、心の底からの怒りを込めて叫んだ。


「その歪んだ執着を、愛と呼ぶな!!!!」


 俺の、今まで見せたことのない激しい怒りに、リリフィエは顔を引き攣らせた。

 彼女は這うようにして立ち上がると、俺に目を合わせず、部屋を飛び出していった。


 開け放たれた扉の向こう、廊下の闇に、彼女のヒステリックな叫び声が、甲高く響き渡り、遠ざかっていく。


「…………はぁ、はぁ、はぁ」


 俺は、その場に崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。

 心臓が、破裂しそうなくらい、激しく鼓動している。


(助かった……。結末を、変えられた……!)


 熱が全身を駆け巡る。

 掴んだ方の手首が、まだ、ジンジンと痺れている。

 だが、安堵したのも束の間だった。

 俺は、ハッとした。


(アリシア……!)


 アリシアの絶望に満ちた顔が、脳裏をよぎる。


 そして、今。

 錯乱したリリフィエが、屋敷から飛び出していった。


(まずい……! アリシアが危ない!)


 リリフィエは、俺を殺すことに失敗した。

 そして、俺が彼女の秘密を全て知っていたことに、絶望した。


 あの狂気の矛先は、今、どこに向かう?


『あの女が、貴方様に何かを……!』


 リリフィエの最後の叫びが、耳にこびりついている。

 あの狂気は今、確実に、アリシアに向けられている。


 俺はリリフィエが飛び出していった廊下を、全力で追いかけた。

 屋敷の侍従たちが、何事かと驚いた顔で俺を見ているが、構うものか。


(間に合え……! 今度こそ、君を守るんだ……!)


 俺は公爵家の玄関ホールを駆け抜けた。

 屋敷の扉を荒々しく開け放ち、夜の冷たい空気の中へ飛び出す。


「はあっ、はあっ……!」


 肺が痛い。だが足は止められない。

 リリフィエの狂気。あの血走った瞳。

 あの憎悪が今、まっすぐにアリシアへ向かっている。


(どこだ!? アリシアはどこにいる!?)


 俺は屋敷の周囲を見渡した。

 正門には門番がいる。あそこからリリフィエが出ていれば騒ぎになっているはずだ。

 だが、辺りは不気味なほど静まり返っている。


(裏口か……! 庭園を抜けるルートだ!)


 俺はナイフを握る手に力を込めた。

 リリフィエは錯乱している。何を仕出かすか分からない。


 俺は屋敷の脇を抜け、庭園へと続く石畳を全力で走った。

 月明かりが、手入れされた植木を不気味な影として地面に落としている。


(俺は、あいつに何も返せていない……!)


 俺がリリフィエをお淑やかだと信じ込んでいた、あの平和な時間。

 その裏で、アリシアはたった一人、リリフィエの狂気に気づき、恐怖と戦っていた。

 俺を守るためだけに。


(頼むから、無事でいてくれ……!)


 庭園を抜け、屋敷の敷地を囲う生垣の切れ目が見えた。

 貴族街へと続く、人通りの少ない裏道だ。

 リリフィエが逃げるとしたら、ここしかない。


 俺がヴァリエール家の邸宅に足を向けようとした、その時だった。


「いやあああああああっ!!」


 甲高い、引き攣った悲鳴が闇を切り裂いた。

 間違いない。アリシアの声だ!


(なぜ屋敷の近くに? まさか、俺のために……?)


 そうだ。あの女はそういう奴だった。

 俺がどれだけ酷い態度を取っても、俺がリリフィエという化け物の手に落ちるのを、最後まで止めようとしてくれた。


「アリシアぁぁぁ!!」


 俺は叫びながら、声のした方へ突進した。

 生垣を抜けた先の広場。月明かりの下、二つの人影がもつれ合っていた。


 純白のドレスのリリフィエ。

 そして地面に倒れ込み、必死に後ずさろうとする、赤い髪の女。


「お前のせいよ……! お前がラグナス様を(たぶら)かした!」

「ち、違う……! 私は、何も……!」

「うるさいっ!!」


 血走った目を極限まで見開いて、リリフィエはアリシアの言葉を遮る。


「はぁ……お前に時間をかけている暇はないの。ただ邪魔者を排除するだけ。お前の後にはそう、ラグナス様。わたくしは、わたくしは彼の美しい血を呑み干すの。うふふ一滴も零さないわ。それで私たちは永遠に一つになるの! わたくしはラグナス様、ラグナス様はわたくし。ああラグナス様ラグナス様ラグナス様!!」


 聞いているだけで頭がおかしくなりそうな戯言を喚き散らすリリフィエが、銀色に光る何かを振り上げる。

 ナイフだ! くそっ、もう一本持っていたのか!


「だからお前はさっさと死ねええええええええっ!!」


 狂気に満ちた金切り声と共に、ナイフがアリシアの胸元めがけて振り下ろされようとする。


(間に合えええええっ!)


 俺は最後の力を振り絞り、地面を蹴った。

 リリフィエの華奢な体に、俺は全体重を乗せて、横から激しく体当たりした。


「ぐっ……!?」


 ドン、と鈍い音。

 リリフィエの体は、枯れ葉のように軽く吹き飛んだ。

 凶器が彼女の手からこぼれ落ち、カラン、と乾いた音を立てて石畳を転がる。


「がはっ……! ラグ、ナス……様……?」


 地面に打ち付けられたリリフィエが、信じられないという顔で俺を見上げた。


「……っ!」


 俺はアリシアの前に立ちはだかり、彼女を庇うようにリリフィエを睨みつけた。

 アリシアは地面に座り込んだまま、目の前で起きたことが理解できない、というように呆然と俺を見上げている。

 その瞳は恐怖に濡れていた。


「そこまでだ、リリフィエ」

「な……ぜ……。なぜ、あの女を庇うのです……!? わたくしを、選んでくださらないの……!? なぜ! どうして!?」

「選ぶ?」


 俺は心の底からの冷笑を浮かべた。


「俺の髪を集め、悍ましいものを食べさせ、肖像画を切り刻み……俺を殺そうとした女を、俺が選ぶとでも思ったか?」

「あ……ああ……!」

「君は狂っている」


 俺はアリシアを振り返った。


「アリシア、大丈夫か。怪我は」

「ら、ラグナス……様……? なぜ、あなたが、ここに……?」


 彼女はまだ混乱している。

 当たり前だ。俺に殺意を向けていたリリフィエから、その俺自身が守ったのだから。


「話は後だ。立てるか?」

「は、はい……」


 俺は彼女の細い腕を取り、立ち上がらせた。

 その体が小刻みに震えているのが、服越しに伝わってくる。


「待って……! 待って、ラグナス様! 行かないで!」


 リリフィエが、這うようにして俺の足元に近づこうとする。

 その瞳には、先ほどの狂気とは違う、純粋な懇願の色が浮かんでいた。


「わたくしは、ただ、貴方様を愛して……」

「それはもう聞き飽きた」


 俺は彼女を冷たく見下ろし、屋敷に向かって大声で叫んだ。


「衛兵!! 誰かいないか! 衛兵を呼べ!」

「なっ!?」

「侯爵令嬢リリフィエ・アシュベリが、アリシア・ヴァリエール嬢を害そうとした! 直ちに捕らえろ!」


 俺の声は、静かな貴族街の夜に響き渡った。

 リリフィエの顔が、絶望に凍りつく。


「そん……な……。ラグナス様……わたくしを、売るのですか……?」

「当然だ」


 すぐに、俺の声を聞きつけた屋敷の侍従たちと、巡回中の衛兵が、慌てた様子で駆けつけてきた。


「ラグナス様! 一体何事です!」

「ご覧の通りだ。リリフィエ嬢が、ナイフで我々に襲いかかった」


 俺は、石畳に転がるナイフを顎で示した。

 衛兵の一人が、ハンカチで慎重にそれを拾い上げる。


「こ、これは……間違いなく凶器ですな」

「リリフィエ嬢の身柄を拘束しろ。アシュベリ侯爵家と王家には、俺から直接報告する」

「はっ! かしこまりました!」


「いや……いやあああ! 離して! わたくしは、ラグナス様とひとつに……! ラグナス様ぁ!」


 衛兵たちに取り押さえられ、リリフィエが最後の絶叫を上げる。

 だが、その声はもう、俺の心には届かない。


 俺は、その光景に背を向けた。

 腕の中では、アリシアがまだ小さく震えている。


「……終わった」


 俺は、彼女を抱きしめる腕に、そっと力を込めた。


「もう、大丈夫だ」

「…………」


 アリシアは何も答えなかった。

 ただ、俺の胸に顔を埋め、その礼服を強く握りしめている。

 彼女の体から、ようやく力が抜けていくのが分かった。


 リリフィエが連行されていく騒ぎを背中で感じながら俺は、この赤い髪の温もりを、二度と失うものかと、強く心に誓った。

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