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俺の脳みそと舌で愛してやるよ

パトカーの中、彼の助手席で外の景色を眺めながら、カーステレオから流れる音楽を口ずさむ。


「今日もこの街は平和だね」


そんな呑気なことを言う彼に、俺は「はぁ」と一息ため息をついた。


「そんなことないよ。ほら、見ろ。あの通りを」


薄暗くて壁の落書きやらゴミやらで汚れた通り、を顎を使って示した。


「あの通りがどうかしたの?」


彼は不思議そうな顔をして尋ねてくる。


「あの通りは薬物売買で有名な通りなんだよ。今も薬が欲しいやつが彷徨ってんね」


そう言って、この車窓から見える貧相な身体つきをした男を見て、あれは救いようがねぇなと笑った。すると彼は突然、パトカーを路上に停め、降りる準備をし始めた。


「イルはここで待ってろ」


そう言って、パトカーから急いで飛び降りる彼の背を見て、


「あーあ、余計なこと言っちまった」


と車内に残された俺は独り言を呟いた。彼がその男と何か話している。薬物中毒者なんて、言ってることが支離滅裂で会話にならないのに。あ、彼が殴られた。男が逃げる。俺はそれが何とも許せなくて、運転席に移動してパトカーを走らせた。


「こちらレイラ。イル、聞こえるか?」


トランシーバーからレイラの声が聞こえる。


「あぁ、聞こえてるよ」


「何処へ向かってるんだ?どうぞ」


「逃げた男を追っているだけだ。ご主人様はそこで待っててくれ。Over and out」


と一方的に無線を切って、運転に集中した。並列して走っている車の真ん中をすり抜けて、赤信号を無視して、誰も跳ねないようにと歩道に乗り上げた。その男は血相を変えた恐ろしい顔をしていた。


「ざっけんな!!ぶち殺されてぇのか!??」


震える手でナイフを握り、こちらに向けてきていた。俺はそんな男がキャンキャン吠えるチワワにしか見えなくて、可愛らしくて笑えてしまった。


「お前、俺のご主人様のこと、殴ったよな?」


俺はナイフなんかに目もくれず、そいつの顔面を一発殴った。けれど、一発だけじゃ俺の心は満足しなくて、蹴り倒したそいつに馬乗りになって、もう一発殴ろうとしたところで、


「やめろ!!」


という耳に劈くような彼の声。俺の身体はピタッと止まって動かなくなった。


「ご主人様、俺、捕まえたよ……?良い子でしょ?」


彼が何故、俺に怒鳴っているのか、訳が分からなくて、声を震わせながら愛想で誤魔化そうと微笑んだ。


「さすがにやりすぎだ。しかもみんな見ているぞ」


パトカーが歩道に突っ込んでいる、警官が無力な男を一方的に殴ろうとしている。その事実を世間は許さないで、みんなスマホカメラを俺に向けていた。こんなんじゃ、彼がクビになってしまう……。


「……お騒がせしてすみませんでした。私がこの凶悪犯を捕まえましたので、この街はまた平和を取り戻しました。皆様ご安心して、午後の優雅な時間をお過ごしください」


とその男を片手で制圧しながら、各方面に向けて丁寧にお辞儀をした。これで、先程の罪が払拭される訳ではないけれど、その野次馬の中で一人、拍手をし始めた者がいた。俺の理想のご主人様だ。それにつられて、野次馬達も拍手を広げた。みんなから賞賛されている気分になった。


「さあ、行こうか」


と彼はパトカーの運転席に乗り込んだ。次いで俺はこの薬物中毒者をパトカーの後部座席に押し入れて、助手席へと乗った。


「ご主人様、俺、頑張ったよね?」


俺はご褒美を貰えないかと期待の眼差しを彼に向けた。


「派手にやってくれたけどな。けど、イルにしては上出来だよ。ありがとう」


と片手でハンドルを握りながら、俺の頭を撫でてくれた。俺は彼のために行動できたこと、彼のことを守れたこと、彼が褒めてくれたこと、それらがみんな嬉しくて、俺の心はキラキラしていた。


「ご主人様、俺、ちゅーしたい!」


そんな惚気を気分良く言っていると、後部座席から怒鳴り声が聞こえてきた。


「俺は……何もしてない!!ここから降ろせ!!!」


と内側からは開かないパトカーの後部座席のドアをガチャガチャしながら、その男は暴れている。


「お前、静かにしろよ!俺が今、ご主人様と話してるだろーが!!」


俺はこんな男にご主人様との大事な時間を邪魔されていると思うと虫唾が走って、つい、後部座席に向かって俺も怒鳴ってしまった。


「イル、良いんだよ。好きにさせてあげて」


彼はそいつにも優しくしろと言う。俺は何だかモヤモヤして、唇を尖らせた。


「ご主人様はみんなに優しいんだね……」


「イルはさ、薬物を使おうと思ったことないの?」


前を見て運転をしている彼は何気ない質問のようにそれを聞いてきた。


「あるよ。こんな腐った世界じゃ、誰でも使いたくなるだろ」


事実、俺も路地裏で覚せい剤を貰ったことがある。そんな過去を思い出しては、この世界はやっぱ腐ってるな、と思って虚しさに浸った。


「じゃあ、何で使わなかったの?」


「何でって、そりゃあ……俺の好きなラッパーが『アイスなんかよりもすげぇ、俺の脳みそと舌で愛してやるよ』なんて最高にキマッてるリリックを書いてるから」


その歌詞を聴いて、俺はその覚せい剤を捨てた。俺の好きなラッパーの言葉が正常な脳みそで聴けなくなるのはもったいないと思ったから。俺の人生は、それほど落ちぶれていないと思いたかったから。


「イルには音楽があったから良かったね。けど、その音楽がなかったら、イルもたぶんああなってたよ」


と後部座席を一瞥して示した。俺はそれを聞いて、身震いした。俺も一歩、道を間違えたら、こんな人間になっていたんだと。こいつも俺らと同じで、この腐った世界に理不尽に苦しめられていたんだろうかと察すると、何だか他人にも思えなくて、彼が言っていた通りに、この薬物中毒者にも優しくしてやろうと思えた。

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