8.カトレア・ケリー
一方、勇は数十分かけて侯爵邸に戻っていた。
玄関に入って直ぐに柔かに笑う執事に迎え入れられる。
「カジロ様、お帰りなさいませ。……怪我をされているご様子。医者を呼びますので、少々お待ちを」
執事に罪は無いものの、怒りが収まらない勇は怒鳴った。
「いらない! こんな擦り傷、放っておいても治る!」
「しかし、カジロ様は大事なお方。万が一があっては……」
執事の言葉を聞き、勇は更に腹を立てて怒鳴り散らす。
「お前も俺を利用するだけしてやろうって腹づもりか!?」
勇の怒りを刺激してしまった事に慌てて、執事は否定の言葉を口にした。
「い、いいえ! 決して、そのような意味では……!」
困り果てた執事の声と勇の怒鳴り声が響く玄関先に、コツッと軽い足音が響いた。
そして、女の声が二人の間に割り込む。
「そこまでに。イサム様」
赤茶色の髪を靡かせ、切長の緑色の瞳で勇をじっと階段上から見下ろす令嬢。
その姿を見て勇は令嬢の名を呼んだ。
「……カトレア」
ケリーの見た目を色濃く受け継いだ一人娘の、カトレア・ケリー。
その姿をケリーと重ね不快感が増すも、淡々とした態度のカトレアを見ている内に勇は段々と怒りを鎮めていく。
落ち着いていく様子の勇に静かに近付き、カトレアは勇の頬に手を添える。
添えられた瞬間ピリッとした痛みが走り、勇は顔をしかめる。
「……痛いようですね」
カトレアに指摘され、勇がバツが悪そうに目を逸らす。
「これくらい自分で治そうと思えば治せる。医者は要らない」
ブスッとしながら言う勇の様子を確かめてから、カトレアは言う。
「けれど、戦闘後なのでしょう? それ以上の魔力消費は体に悪いですわ。エディ、医者を呼んで」
「畏まりました。カトレアお嬢様」
カトレアの指示を耳にし、勇は執事を呼び止めようとしたが、いつの間にやら居なくなっていた。
嫌そうな顔をする勇に対し、カトレアは身を翻して言う。
「医者が到着するまで、お茶でも飲んで待ちましょう」
そう言ってカトレアはとっとと談話室へ向かってしまった。
無視して自室へ戻る事も考えたが、カトレアに恥をかかせるのは不本意に感じて、勇は渋々談話室へ足を運んだ。
二人で向かい合うように座ると、カトレアはお茶の用意を使用人に指示してから勇を真っ直ぐ見つめた。
「先ほどの様子から察するに、父上の思惑に気が付かれましたか?」
「……そう言うって事は、お前は最初から知ってたんだな?」
「はい」
本当にケリーの娘なのかと思いたくなるほどの冷静さに、勇はただただ溜息を吐くしかなかった。
それだけではない。
自分が騙されて連れて来られた事をカトレアは知っていて、自分はつい数時間前にそれに気が付いたと言う現状が情けなかった。
その上、まんまと挑発に乗せられて戦争に加担してしまったのだから。
それでようやっと、怒りを感じていたのは自分自身に対してもだと気が付き、勇は更に嫌気が差した。
「何でこの一ヶ月で気が付かなかったんだ……!」
頭を抱えて自分を責める勇を前にして、カトレアは使用人に用意されたお茶を口にしながら言う。
「父上は飴と鞭の使い分けが上手い方ですから、騙されても無理は無いかと」
実の娘からのケリーの評価を聞き、勇は眉をひそめながらカトレアを恨みがましい目で見つめる。