後日談 1.英雄と姫
――……十四年後。
ぱたぱたと軽い足音が書斎の前の廊下に響き渡る。
合図も無しに乱暴に開け放たれた扉の先から、元気の良い女の子の声が響いた。
「お母様!!」
「スカーレット」
突如として書斎に入って来た長女のスカーレットを見て、カトレアは驚く事もなく返事をした。
領主の仕事の最中である事などお構い無しと言った様子で、スカーレットは絵本を片手にカトレアの元まで走って行く。
「ねぇねぇ! お母様はお姫様なの!?」
「え?」
キラキラとした目で突拍子もない事を尋ねられて、カトレアは不思議そうに首を傾げる。
絵本を片手に持っている事から、絵本の内容に影響されての質問なのだろうと察するも、その質問に至った経緯がまるで分からない。
すると。
「はぁはぁっ……お、奥様! 申し訳ありません……っ!」
開け放たれた書斎の扉の前で、息を切らしながら頭を下げる世話係を見て、
カトレアは淡々と答える。
「良いのよ。この子が突拍子もないのは、いつもの事だから。それよりもスカーレットの質問の意図を教えて頂戴」
手に持っていた資料を傍に置いて、カトレアはスカーレットを持ち上げて膝に乗せた。
説明を求められた世話係は書斎に入って来て、カトレアの問いに答えた。
「は、はい……。先ほどまでスカーレットお嬢様と、クロエお嬢様に読み聞かせていた絵本の内容が、奥様と旦那様の事ではないかとの噂がありまして……」
申し訳なさそうに答える様子から、その噂をスカーレットに教えたのはこの世話係なのだろう。
しかし、一体何処からそんな噂が……。
「……。スカーレット。私にも、その絵本を読ませてくれる?」
「はい!」
カトレアのお願いを聞いて、スカーレットは一緒に読める様にと自分で絵本を開いた。
カトレアに読んで貰いたいと言う、言外の圧がある。
「……スカーレット。クロエはどうしたの?」
「子供部屋に置いて来ました!」
堂々と全く悪気無く笑顔で答えるスカーレット。
しかし、このままスカーレットの為だけに絵本を読んだら、次女のクロエが残念がりそうだ。
カトレアはスカーレットを膝から下ろし、椅子から立ち上がった。
「それなら子供部屋に行きましょう。クロエもきっと読みたがってるわ」
「えー……」
スカーレットは、二人だけの時に読んで欲しかったとばかりに残念そうな声を出す。
しかし、カトレアが無言で手を出すと、スカーレットは渋々ながらその手を握って嬉しそうに笑った。
そのまま書斎を後にして、カトレアとスカーレットは子供部屋に向かって歩いて行く。
子供部屋に到着すると、クロエはスカーレットが居なくなった事を一切気にする様子なく別の絵本を読んでいた。
しかし、スカーレットがカトレアを一緒に戻って来た事を喜んで、読んでいた絵本を閉じてカトレアの側に駆け寄った。
そして、長い椅子に座り、二人に挟まれる形でカトレアは絵本を開いて読み始めた。
絵本の内容はこうだ。
――かつて、とある国は隣国と長きにわたる戦いを繰り広げていた。
余りに長い戦いになった為、とある国の人々は困り果てた。
悲しい現実を見て、何か出来ないかと、とある国の姫は女神ティアナに毎日祈り続けた。
どうか、我が国をお救いください。と。
そうして、祈り続ける内に、姫の願いが女神ティアナに届き、異世界から勇敢な軍人が呼び出された。
異世界の軍人は、とある国の現状を嘆き、戦争を終わらせる事を国王に誓った。
そして、遂に戦争は終わり、異世界の軍人は人々に賞賛され”英雄”の称号が送られ、貴い位を授けられる事になった。
しかし、異世界の軍人は別のものを望んだ。
異世界の軍人は、自分を喚び出した姫との結婚を望み、姫に求婚の言葉を告げた。
異世界の軍人は、姫に一目惚れしたのだ。
そして、姫もまた異世界の軍人に一目惚れしていた。
異世界の軍人の求婚を姫は受け入れた。
相思相愛の様子の二人を見て、国王は婚姻を許可し、更には異世界の軍人に貴族の位を授けた。
こうして、英雄と姫は結婚し、とある国は永く永く繁栄していくのでした――
――……絵本の内容を読み終えたカトレアは、ようやっとスカーレットの質問の意味を理解した。
「ねぇねぇ! お母様はお姫様なの!?」
絵本を読み終え、全く同じ質問をしてきたスカーレットにカトレアは淡々と答える。
「違うわ」
思い描いていた答えとは違う答えを言われ、スカーレットは面白くなさそうに眉をしかめた。
「えぇー!? でも、皆、この絵本はお母様とお父様の事だって言ってるんだよー!?」
ぶうぶうと文句を言われながら、カトレアは絵本の頁をめくって軽く読みながら言う。
「確かに良く似てるけど、私はお姫様じゃないわ。ただの元侯爵令嬢だもの」
「じゃあ、やっぱり、この絵本はお母様とお父様の事なんでしょ!?」
スカーレットにキラキラと輝く目で見つめられても尚、カトレアは表情を一切崩さずに答える。
「さあ……どうかしら。私はお姫様じゃないし、イサムとは政略結婚だったから……」
絵本の内容の様にお互いが一目惚れした訳では無いし、求婚もカトレアが先にしたから、絵本の内容とは合っていない。
急に決めた結婚で、そこには亡き父ルイスと前皇帝の意思が合わさったものだったから政略結婚に等しかった。
望む答えをくれない母に、不満そうにしながらスカーレットは仰々しく立ち上がって言った。
「でも、お母様とお父様は愛し合っているんでしょう!?」
絵本の内容と少しでも同じで合って欲しいと願うスカーレットの叫びを聞いて、カトレアはスカーレットの頭をそっと撫でて答える。
「そうね。そうだと思うわ」
それでも煮え切らない答えをするカトレアを見て、スカーレットはむっとしながらカトレアに抱きついた。
「絶対そうだもん!」
ぎゅっとカトレアに抱きつくスカーレット。
その姿を見て、クロエも真似してカトレアに抱きついた。
二人の娘から抱きつかれながら、カトレアは二人の頭や背中を撫でる。
「これだけは断言出来るわ。私も、イサムも、貴方達を愛してる」
カトレアは二人を撫でながら、大きくなった自分のお腹の中に居る我が子にも伝えるつもりで言った。
その言葉でスカーレットは満足してベッドへ行き昼寝を始めた。
それに倣う様にクロエもスカーレットの隣に並んで横になった。
昼寝をし始めた二人を暫くの間見守った後、カトレアは子供部屋を出る。
「奥様、申し訳ありませんでした」
子供部屋を出ると世話係が頭を下げて謝罪した。
スカーレットを制御出来なかった事と、件の噂についての謝罪だ。
「何度も謝らないで。それより、噂の出所が知りたいわ。
まさか、貴方の持論では無いのでしょう?」
「は、はい。私が聞いたのは――」
そして、カトレアは世話係から絵本の内容が勇とカトレアの事ではないか。と言う噂を聞いた場所を話した。
同僚の使用人の一人から聞いたと言う。
そこから更に辿って行き、噂の出所を知る頃には二週間が過ぎた。
とある日の夜。
寝所でカトレアは件の絵本を差し出して、勇に話を切り出した。




