☆怖くない理由
舞が裏で動いているかもしれない。
樋口君を演じて、そう気づいた時には心底驚いた。
でもその理由を聞けば、私は何の疑問も持たず納得したし、同時に至らない姉だったなと反省してしまう。
自分がコンプレックスを持っていたように、舞も私に対して思うことがあったのだ。
双子は普通の兄弟や姉妹とは少し違う。
小さいころからいつも一緒に過ごし、同じ服を着て、喧嘩も良くする。
大きくなるにつれ、出来ること出来ないことが明確になってしまって、周りにはよく比べられる。
私たちなんて特にそうだった。
いつからか私は何をしても敵わない舞の存在を、自分で大きくし過ぎてしまったのかもしれない。
(でも今日が、高校生活の今までがあって、ほんとによかった)
タオルで髪をふきながら、自分の部屋へ。
お風呂から上がったばかりでまだ体がほてっている。
普段よりもぽかぽかしているのは、途中に舞が入ってきてちょっと長風呂してしまったためだろう。
今日1日のことを思い出しながら、風邪をひかないよう髪を乾かし始めた。
「あの作戦、すごかったなあ……舞のこと、私のこと、ここまで起きた身の回りのこと全部を考えて、思考を先読みして組み立てて……最初から樋口君が優しいこと、頭のいいことはわかってたけど、あの時は、こんなに親しくなれるなんて思わなかった……」
「何が思わなかったの? お姉ちゃん」
「っ! ま、舞。ノックくらいしてよ」
樋口君のことを考えた瞬間に、ドアが開いたので体がビクついてしまう。
「あはは、ごめん……ちょっとお姉ちゃんと話がしたくて」
「何?」
舞が私の目の前に置かれたクッションに座り込んだので、まだ乾ききってはいなかったけど、ドライヤーを切り尋ねる。
「お姉ちゃん、なんでも話そうって言ったよね」
「い、言ったけど……」
やけに表情が明るい妹を前に、あまりいい予感はしない。
「じゃあ今度こそ教えてよ。なんでお姉ちゃんは樋口君を最初から怖がってなかったの? この前優しい人って評してたのは疑いもなく正しかった。ていうか、樋口君マジ凄いなと思ったけど」
「うっ、そ、それは……」
なんでも話そうと提案したのは私だ。
それをいきなり反故にはできない。出来ないけど。
「どんどん顔が赤くなってるけど、お姉ちゃん大丈夫?」
「舞が聞こうとするからでしょ……もう、しょうがないなあ。話してあげるから隣に来て。顔見ながらじゃちょっと恥ずかしいから」
「はーい」
少し甘えるように、今まではちょっと変わったような舞はクッションと共に私のすぐ隣に座りこむ。
あれは、高校に入学にしてまだ間もなくのころのことだ――
☆☆☆
教室内は入学から数日が経過しただけで、いくつかのグループに別れていた。
その中で一番明るく、楽しそうな声が聞こえてくるのは妹が、舞がいる陽キャさんのグループ。
あの中に入ってみたい。
そう思ってちゃんと目標を決めたのに。
それなのに、私の高校デビューは見事に失敗した。
自分から明るく挨拶する。
そんな容易に見える事すら私は出来なかった。
見ず知らずの人を前にすると、言葉が出てこない。
周りの目がすごく気になって、心臓がばくばくする。
自分から人と話をすることなんて、私にはハードルが高すぎたのだ。
(ごめんなさい。入学前の私……高校になっても、何も変わりそうにありません……)
「ねえ、佐久良さんって一卵性の双子らしいよ」
「えっ、ほんとに! でも、それにしてはお姉さんと全然似てないよね」
室内はすでに人気者になった舞とそうではない私を比べるような、そんな話題になっている。
私はただただそれを聞こえないふりをしながら、読みかけの推理小説に目を落とし、現実逃避を開始した。
「イケてる方とじゃない方って感じ……?」
「あーあ、ひどいこと言うなあ」
「だって、全部いいところ妹に取られちゃったって感じじゃん」
思わず文庫本を持つ指先に力が入ってしまう。
悪気はないのかもしれない。
でも、入学したばかりなのに、すでに名前どころか苗字すら呼ばれない私って……。
自分でも思っている。
たくさんの才能を妹は持ってるって。私は平凡も平凡だって。
でもそれを自分じゃない誰かに言われると、心を鋭い刃物で刺されているみたいだ。
高校では頑張ろうと思ったのに。
どうしていつも私はダメな方になっちゃうんだろう……。
(いけない……)
本を読んでいるふりも出来ないほど、動揺してしまっている。
自然と涙があふれそうになっているのを自覚した。
この場にはいられない。
いきなり泣き出しでもしたらまた印象が悪くなる。
私は何事もないように席を立って教室を廊下へと出た。
水道へと向かい、眼鏡をはずして涙と一緒に顔を洗う。
なかなか涙は止まってはくれなかった。
ため息をついて、ポケットに入っているハンカチに手を伸ばす。
「……?」
今朝、緊張してトイレに行ったときはあったのに。
どこかに落としたのかポケットには今は何も入っていない。
どうして自分はこうダメなんだろ……自己評価がまた下がる。
背後から声がしたのは、再び瞳を涙が覆っていき零れそうになったとき時だった。
「あ、あ、あの……」
「っ!」
誰かに話かけられると思っていなかった私は、それだけで体がビクついてしまう。
恐る恐る顔を上げると、そこにはクラスメイトの男の子が視線をさまよわせていた。
髪はブラウン色に染まっていて、背が高くて、細見の体系。
視線はさまよい、体はちょっとふるえている。
なんだかいつもの私みたいに緊張しているような、そんな感じだった。
この人、入学初日に吐血していた人。樋口敬大、君。
「こ、これ、ゆ、ゆ、唯さんのハンカチ、今朝、廊下に落ちてたんだけど……」
「っ!」
ハンカチを拾ってくれたことへの感謝よりも、名前で呼んでくれたことに鼓動が早まる。
クラスではすでにじゃない方って言われてるのに。
男の子は大抵そう呼んでいるのに。
それなのに樋口敬大君、この人は違う。
私がハンカチを受け取れば、用が済んだ樋口君はそのまま踵を返す。
「そ、それじゃあ……」
「あ、あっ……」
お礼を言いたいのに、上手く言葉が出てこない。
それでも樋口君は声が聞こえたのか、立ち止まってくれた。
あれ、そういえばどうしてこのハンカチが私のだって思ったんだろう。
名前も書いてなかったはず。
その私の心の声が聞こえたかのように、
「い、妹さんの舞さんが、その、さっきハンカチ出してて、そ、それで動物の配置が同じ感じだったから……」
「えっ……?」
樋口君の言葉に私は瞬きしてしまう。
このハンカチはお母さんが私たちに買ってくれたもので、確かに描かれている動物が違うだけのもの。舞はウサギ。私のはカメ。
「だから唯さんのだろうなって、わかって……も、もしかして唯さんのじゃなかった?」
「っ!」
その質問に私は首をぶんぶんと振り、私のですと答えたつもりだ。
「ご、ごめん。それじゃあ」
「……」
なぜか謝って遠ざかっていく樋口君のその背中を私は見つめることしか出来なかった。
舞がハンカチを出したっていっても、それを一瞬で観察して、私のところに……。
それはわかっていれば何でもない簡単な推測かもしれない。
でもそれを実際にやってのけるのは……。
クラスでは入学初日のこともあって、樋口君はすっかり怖い人って言われちゃってるけど……。
私を名前で呼んでくれたのは、双子で、妹も一緒のクラスで佐久良って苗字が一人じゃないから?
うんうん、もしかしたらさっき教室から逃げ出すように廊下に出た私を気遣ってくれたのかもしれない。
(どっちにしろ、全然怖くない優しい人だ)
樋口君には、勇気を出して、私から話しかけてみよう。
廊下に出た時とは違って、前向きな気持ちで私は樋口君の後を追い教室へと戻った。
☆☆☆
「い、以上が、樋口君が優しくて、怖いわけがないって私が思っていた理由……」
話し終わるころには湯気が出るくらい顔が真っ赤になっていた。
「……お姉ちゃん、ちょっとそれ誇張してない?」
「し、してないよ。樋口君、私のこと名前で今も呼んでくれてるでしょ」
「そうだね。お姉ちゃんは名前でまだ呼んでないようだけど」
「そ、それは、タイミングが、む、難しくて……」
私だって名前で呼んでくれてる人に対して、同じようにしたい気持ちはある。
樋口君とはもう親しいともいえる関係だし、なおさら……。
でも、いきなり呼び出したら変に思われないかな?
とか、色々とネガティブな考えが浮かんでしまうのが現状だった。
「あはは、みんながお姉ちゃんたちを応援したくなるのわかるなあ」
「みんな……?」
「うん、私の友達でお姉ちゃんとも友達のみんな。明日から覚悟しておいた方がいいよ。みんなからかいたい気持ちが溜まってると思うし」
「ううっ、私はいいけど、ひ、樋口君に迷惑が掛からないようにしてね」
「恥ずかしいとは思うかもしれないけど、樋口君は迷惑なんて絶対思わないよ」
「……な、なんか樋口君のことを私よりもわかってるような言い方……」
「わかりやすいなぁ。そんなむすっとしないでよ。知ってる、お姉ちゃん? 双子って同じ人を好きになること多いんだって」
「っ! し、知らない……舞、ちょっと化粧水貸してくれる?」
「いいよ。どんどんお姉ちゃん身だしなみに気を遣うようになったね」
「っ!」
揶揄うような妹の言い方に、私は両手をグーにして軽く妹をぽかぽか叩いた。




