元に戻ります
職員室から勢いよく廊下に出たところで、夏妃さんと鉢合わせする。
もうちょっとでぶつかってしまっていたこともあり、彼女は眼を見開き驚いた顔になった。
「ちょ、敬大君。危ないなあ、何慌ててるのよ」
「来てっ!」
有無を言わせず、彼女の手をつかみ、引きずるように走り出す。
「ちょ、なに、どうしたの? あたし用事あるんだよ。早退したときとかのもらってないプリントあるから取りに来いって」
「それ、罠だよ」
「えっ……」
階段のところまでやってきて、つかんでいた手を放す。
夏妃さんは詳しく話さなくても、罠ってワードだけである程度今の状況を把握してくれたようだった。
「俺は上へ行くから。夏妃さんはこのまま2階を見て回って、そしたら下へ。唯さんを見つけたらすぐに連絡して。頼んだよ」
「わかった」
喋りながらも途中で階段を全速力で走り出していた。
今まで一番嫌な予感がする。
取り返しのつかないことになるんじゃないかって不安と恐怖で走りながらでも膝が震えているのが分かる。
もし俺が想像している通りなら、唯さんが……。
スマホを出して彼女を探しながら電話してみるも応答がない。
今はまだ昼休み。教室にいるのなら出ないはずない。
傍にいるべきだった。
離れるべきじゃなかった。
その後悔が頭過って離れない。
集団下校も集団登校も仇になったんだ。
それらは、大人数が守っていると相手側にわからせるのが目的。
でもそれは唯さんの味方を相手に晒すことになる諸刃の剣にもなる。
だから今みたいに分断させられた。
唯さんが一人になるように。
相手側には頭の切れる人がいる。
計画したのは1人でも動いているのは1人じゃない。
そのことが俺を大いに不安にさせた。
「くそっ、3階にもいない……」
階段の通路わきで息を整え、出来るだけ冷静になってどこに行ったかを考える。
誰かがすぐ来ない場所のはず。
先生や生徒に見られない、そんな所が望ましい。
この時間なら部室棟もしくは、屋上か……。
部室棟は夏妃さんに任せて、俺は再び階段を上がりしばらくすると、言い争っているような声が聞こえてきた。
「だから、何しらばっくれてるのよ! あんたが私の男誘惑したんでしょ!」
「し、してません。私、ほんとに何にも知らないんです……」
「ちょ、乱暴しないでよ。お姉ちゃんはそんなこと知らないって言ってるじゃん」
「舞、あなたの姉だからって、うちらには関係ないから。知ら切れると思わないで。あんたが片っ端から男子生徒に色目使ってるのうちら見てるんだよ!」
女子生徒たちの罵声ともとれる大声と、唯さんの弱々しい否定の声。
屋上への階段の上で唯さんたちを見つける。
1,2,3……何人に囲まれてるんだ。
ばっと見た瞬間、強烈な違和感を感じる。
だが今はそれを考える余裕はなかった。
「な、何か勘違いを……」
「ひ、樋口君……」
走って上ってきたその反動で息が整っていないせいもあって、上手く喋れず囲んでいる女子たちの言い分聞けない。
そんな中、唯さんが俺の姿を見て、一歩前に出ようとしたところで足を滑らせたのか、周りにいた女子生徒たちにその背中を押されたのかは見えなかった。
スローモーションのように唯さんが宙を舞う。
階段の1番上から投げ出され、瞬間的に最悪のことが頭をよぎる。
それにあらがうように自然と体が動いていた。
躊躇いも躊躇もなく、気が付けば落ちてくる方向に移動していてできるだけ優しく受け止めようとしたものの……。
勢いがついていたこともありとても踏ん張りは効かず、足を後ろに下げたらそのまま支えが効かなくなる。
大丈夫、階段の真ん中くらいまでは来ていた。
この高さからなら《《怪我》》で済む。
俺はともかく唯さんにだけは怪我をさせてはならない。それが最優先。
あっ、でもダメだ。俺が大きなけがをしたら唯さんが責任を感じてしまう。
上手く受け身を取らないと。
そう冷静に判断しながらも本当に落下していく時間が長く感じた。
小さいころは今よりも活発で塀の上から飛び降りてみたり、三輪車で階段を降りてみようと思って転んで大泣き、探検と称して幼馴染と廃墟に行って……。
そんな幼いころの危ないことが走馬灯のように頭へと過った。
(危険を出来る限り安全に持っていけ)
受け身を取れ。
頭を守れ。
唯さんに傷1つでもつけるな。
それらが頭を反復し、体がそれに反応する。
気が付けば背中と腕に激しい痛みが伴っていた。
それでもちゃんと唯さんを抱きしめていてシャンプーの匂いと彼女の柔らかい温もりを感じて、ってそんな場合じゃない。
「怪我はない、唯さん!」
「は、はい……す、すいません。ひ、樋口君」
体は恐怖からは小刻みに震えているようだったが、受け答えはしっかりとしていた。
どうやら本当にけがはないようだ。
本当に怖かったのだろう。
ぎゅっと抱きしめてきた。
唯さんにけがないことに安堵すると、張り詰めていたものから一気に解放されたのか、疲労感が突然襲ってくる。
☆☆☆
その後すぐに夏妃さんたちが駆けつけてきて、慌ただしくなった。
菊地や陽キャさんグループのみんなは俺たちを必要以上に心配してしまって、大げさに保健室へと運ばれ、そこで大まかな事情を聞かれる。
階段の上にいた女子生徒たちも全員かはわからないけど、別室で同じように話を聞かれているようだ。
保健室にはベッドが2つ。
その前にカーテンが敷かれ、俺はベッドに腰掛けた姿勢で教師たちから話を聞かれると同時に、保健室の先生の診察を受けていた。
「ひぐっち、どこか怪我してるの? もしか頭とかの打ちどころとか悪かったり……」
「ちょっと静かに。ぱっと見た感じ大きな外傷はないね。肩は動かせるかい?」
「ええ……」
「階段の真ん中から落ちたにしては随分と上手く受け身を取ったね」
「ち、小さいころからよく怪我してたので」
「それは自慢になんないよ……背中と右腕が多少腫れてきてるけど、その様子じゃ大けがではなさそうだね。それでも念のため病院に行ってきちんと診察受けておいで」
「だ、大丈夫ですよ、このくらい……」
ずっと下を向いたままの唯さんをチラ見しながら、なんでもないアピールをしてはみたもののやはり校内での出来事。
先生たちにしてみれば後で何かあったら大変なのだろう。
俺の大丈夫はあえなく却下となり、担任の先生の車で病院に行く流れに。
「じゃあ、私が連れていきます」
「頼みました。ほらほら、この子の大丈夫を信じて、もう午後の授業が始まってるんだから、みんなも戻りな」
「はーい。ひぐっちお大事にね」
陽キャさんのグループは俺に一言言葉をかけ、保健室を出ていく。
「じゃあ僕も教室に戻るよ。そのくらいのケガで済んでよかった。いざって時に助けにならなくてごめん」
「そんなことねーよ。心配かけて悪かったな」
菊地も教室へと戻り、 残ったのは唯さんと舞さん。それに担任と保健の先生。
唯さんの方は下を向きつつも、先ほどから何か俺に言いたそうにしていることに気付いていた。
「あ、あの、樋口君……」
「え、えっと、ほんと良かったよ。唯さんに怪我がなくて……」
声をかけられただけでビクついてしまう。
こっちから話しかけなかったのは、唯さんが言わんとしていることがなんとなく伝わってきていたからだ。
「ありがとうございました。樋口君が居なかったら私……それに怪我までさせてしまって……」
「こ、このくらい全然、なんでもないよ……だ、だから」
心配そうに俺の姿とちらりと傍にいた舞さんを見て、
「あの、もう、大丈夫です……」
「だ、大丈夫って?」
「私、元に戻ります。元の私なら今みたいな誰かに勘違いされちゃうことも、ないと思うので」
「いや、それは……」
言われるんじゃないかと思っていた。
それを聞きたくなかったこともあり、俺は嘘みたいに動揺する。
自分が危ない目に合う。
もっと危ないことになっていたかもしれないというのもあるだろう。
でも唯さんにとってみれば、自分のせいで周りの人を傷つけてしまったって方が重く。許せないんだ。
知らず知らずのうちに自分が周りを巻き込んで傷つけてしまったんだと納得しちゃっているようにも感じた。
それは違うよと、言ってあげたい。
唯さんがしてきたことは何一つ間違ってない。
本心でそう思う。
思うのに、それを言葉にしてもこの状況がそれを否定してしまっていて、どういうべきかわからない。
そんな俺をよそに、
「そうだね……そのほうがいいよ」
舞さんが唯さんの肩を抱いてその意思を尊重する。
「ま、待って! 本当にそれでいいの……?」
遠ざかっていきそうな背中を、どうしても引き止めたくてそんな言葉をかけるしかなかった。
「はい。これが正解なんですよ。やっぱり私、間違っていました。樋口君、本当にありがとう……」
振り向いた唯さんは口元を緩め、お礼の言葉をいいそのまま舞さんと廊下へと消える。
何の迷いもないような、違う誰かを演じているような物言いに、俺は行き場のない怒りで気づけばこぶしを強く握り締めていた。




