罠
集団下校した翌朝。
唯さんの周りでは看過できない不穏な動きが多発していた。
いま唯さんを一人にはさせておけない。
だから今朝は集団登校のため、俺はまず家が割と近い菊地と待ち合わせ二人で佐久良家へと向かいに行く。
「悪いな菊地。なんか巻き込んじゃって……」
「水臭いこと言いっこなしだよ。困ったときはお互い様じゃないか」
陽キャさんたちも各々学校までには合流予定だ。
「ほんとにお前いいやつで、返ってくる言葉さえイケメンだ……」
「それ褒めてくれてるんだよね……」
「もちろん……」
気を張らなきゃいけない時だっていうのに、睡眠不足からあくびが出てしまう。
「寝不足かい?」
「ちょっと夜に出かけたからなあ……なあ、お前唯さんのことどう思う?」
「それは女性としてって意味? それとも僕から見た総合的な意見?」
「うーん、どっちかといえば後者、かな」
「素敵な人、だと思うよ。みんなそこに気付いたからこそ彼女の周りに人が集まって来てるんじゃないかな。男女問わずね」
「……じゃあもし唯さんを傷つけようとする輩がいたとして、それはどんな奴と想像する?」
「うーん、そこは僕にはわからない。一時の妬みや嫉妬でこの前みたいな嫌がらせは起こりえるのはわかるけど、それ以上のことは佐久良さんにしようとするのってよっぽどじゃないかな」
「だよなぁ……俺も同意見だ。だからなんかここ最近のことは違和感をぬぐえない。当初立てていた作戦の範囲外のことが起きてて……」
違和感の正体をずっと考えてはいるものの、答えが出ない。
「今は心配のほうが先に来てるだろうし、上手く考えがまとまらないのも無理ないよ」
「そうなのかもしれない……でも、これ以上のことは何が何でも止めないとな」
「……ねえ樋口君、どうして君はそんなに……」
「なんだよ?」
「いや、今はやめておくよ。そこの角の家だったよね」
「えっ、ああ……」
ちょうど佐久良家に俺たちが着いたとき、玄関が開く。
出てきたのは舞さんの方だった。
「おはよう。ほんとに迎えに来てくれたんだ……」
「おはよう。迷惑かなとは思ったんだけど、でも……」
「こういうときは集団でいるっていう、樋口君の考えは間違ってないと思うよ」
「別にそこを私は否定してないよ……お姉ちゃんは今日はなんだか念入りに身支度整えてて、あと出かける前の持ち物の確認してる」
「ああ……」
消しゴムが何度も無くなった件から確認の回数が増えたのだろう。
「樋口君、最近のお姉ちゃん周りの出来事をどう思ってるの?」
「おかしいとは思ってるけど、理由まではわかってない。そっちは?」
「そう……私にはわかんない」
俺の返答にがっかりしたのか、舞さんは下を向く。
「あっ、お待たせしちゃってすいません……おはようございます」
玄関が開いて唯さんが出てきて、俺たちを見るなり平謝りする。
特に俺に対しては何度も頭を下げてくれた。
昨夜ちょっと見回りしたことを申し訳なく思っているのかもしれない。
唯さんの表情は特別曇ってるってわけじゃなかった。
それを見て、少しだけ安心する。
どうやらまだ唯さんは大丈夫みたいだ。
「いや、俺たち今来たところだよ。行こうか」
「は、はい……」
佐久良家から駅で電車へに乗り、学校の最寄り駅に着くころには、陽キャグループ+唯さん+俺と菊地という高校入学当初では考えられない大所帯での登校になる。
それは小学生の時の登校班をなんとなく思い出した。
「たまには大人数での登校もなんかいいね」
「そうね……お姉ちゃんと登校するの、考えてみればすごい久しぶりな気がする」
「小学校、以来だと思う」
「えっ、なんでそんな昔……二人仲良し姉妹じゃん」
「それは、お姉ちゃんが……」
「わ、私が舞と登校すると色々と迷惑をかけるので」
陽キャさんたちの会話を聞きながら、周りに怪しい人がいないかの警戒を怠らない。
佐久良家からその調子なので、気を張りすぎているとは感じるものの警戒心を解くわけにもいかなくて、
「樋口君、何か僕に手伝えることは……?」
切羽詰まっている感じが出ていたのか、隣にいた菊地がありがたい言葉を投げかけてくれる。
「ナイスなタイミングだ。集中力が切れそうだった……じゃあ右側だけ警戒してくれるか? 同じ学校の生徒だけに集中すればいいから。バスケでも視野が広いとこ見せてたし、お前ならできるよな? 背後は俺が全部見る」
「右側だね。わかった。任せて」
結果的に、集団登校が効いたのか、何事もなく教室までたどり着いた。
今までの嫌がらせは仕方なく目をつぶってあげるから、金輪際何もしないでくれと願わずにはいられない。
教室の黒板にも今日は何も書かれていない。
クラスでも、唯さんはここ最近と特別変わらない様子だ。
陽キャさんたちだけではなく、テスト範囲や苦手科目のことで唯さんをここぞとばかりに頼りにされたりしている。
それもまんざらではなさそうで、イメチェン前よりも充実している感じがした。
(やっぱり、教室内にはもう唯さん個人を妬んだり恨んだりしている人はいないような気がする)
なら昨日の出来事は教室外での不満でそれが形になったもの。
だがそれがおかしいんだ。
イメチャン後に唯さんの変化で、彼女からクラスメイト以外に関わったりしたのは、積極的な挨拶以外にない。
あれでそんなに強く不満を抱くものだろうか。
しかもあれは男女問わずに挨拶しに行っているし、特定の人をターゲットにしたものじゃない。
しかも昨日の黒板に書かれた内容を思い出せば、異性より同性からのものだろう。
少し恨んでるとかそういうレベルじゃなかった。
強い苛立ちと吐き出さなきゃどうにかなりそうな怒り。それが根底にあって根源、そんな感じだ。
「……」
「樋口君、大丈夫かい……あんまり顔色がよくないみたいだけど」
「えっ、具合でも悪いんですか?」
菊地が振り向き、唯さんがクラスメイトに教科書をだして教えていた手を止める。
「いや、大丈夫だよ……ちょっと顔を洗ってくる」
廊下へと出て、顔を洗っていると夏妃さんがやってきた。
「おいっす。その様子じゃあ今朝は大丈夫だったみたいだね」
「うん……でも油断はならないよ」
「せっかく唯ちゃん目当ての男子生徒たちは上手く抑え込んだのにね」
「ちょっと遅かったのかもしれない」
「黒板に書かれた悪口、脅迫するような手紙、おまけにあたしたちが想像してたのとは違う無言電話と続くとね……」
「どこの誰か知らないけど、唯さんを脅したり恨むのはお門違いもいいとこだ」
「相手からすれば思った通りに行かない言い訳が欲しいんだよ」
「……夏妃さん、結構大人だよね」
「敬大君、同い年の女の子に向かってそれは失礼でしょ……まっ、そんな軽口が叩けるんならまだ君も大丈夫、だね」
「うん……」
朝からすごく警戒していたものの、何事もなく1限目、2限目と過ぎていく。
お昼休みを迎えても特に変わったことはなかった。
だが、お弁当を食べおわり昼休みも残り半分くらいになったころ、菊池がおもむろに席を立つ。
なんだかその表情が憂鬱そうで気になり、
「どうかしたのか……?」
「ちょっと、部の先輩に呼び出しを受けていてね」
「そりゃあ穏やかじゃないな」
「全くだよ……樋口君、あとで少し話を聞いてもらってもいいかな?」
「生憎男子からの相談事は有料だぞ」
「それじゃあお茶でも飲みながら。ちょっと落ち着いたらでいいよ」
冗談のつもりが真に受けた菊池が教室を出てから少しして、廊下から俺を呼ぶ声がした。
「このクラスに樋口敬大君はいますか……」
「お、俺ですけど……」
「えっと、入学初日のことで? なんか担任の先生が呼んでるそうです……」
「そ、そうですか……」
思い出したくもないもはや封印している思い出なのだけどな。
今更呼び出されて話すことなんて、と一瞬思ったが、あのお姉さんが学校にわざわざ電話して事情を説明したってことはあり得る。
まさか直接説明しに来たというのはないだろうが、ないよな……。
いやなんだかあの人ならありえなくはない。
唯さんのことが気がかりだけど、また勉強を教えているみたいだし大丈夫かと廊下に出る。
職員室へと出向き、担任である小動物系の担任を探す。
先生はお弁当を食べながらも、パソコンのモニターを何やら真剣にみていた。
「先生、入学初日のことでしたら別に今更……」
「ひ、樋口君! ううんっ!」
俺が来ることを予想していなかったのか、先生は食べていたものをのどに詰まらせてようにむせてしまう。
ちょっとためらいながらも背中をさすってあげる。
「だ、大丈夫ですか……」
「ご、ごめんなさい。びっくりしちゃって。ありがとうございます……えっと、それで何か?」
「いや、入学初日のことで何か話があるって聞いて……」
「ああ、あの時は動転してしまってすいませんでした。樋口君には申し訳ないことを……樋口君?」
なんだか呼び出したにしては態度や返答が腑に落ちなくて、不安が一気に加速していく。
「あの、先生の方から話があるって俺を呼んだんですよね……?」
「い、いえ、あの時のお詫びはいつかしなきゃいけないと思ってましたけど、呼びつけたりはしていないですけど……」
表情が一気に青ざめていくのを感じる。
こうしてる場合はなかった。
「失礼します」
「えっ、樋口君。走っちゃだめだよ」
そういいながら踵を返す。
職員室だということはわかっていても、そんなのお構いなしだった。




