イケメン男子
教室に戻ると、クッキーの甘い匂いに包まれている。
どうやら女の子たちのほとんどが各自で作ったクッキーを交換したり、舞さんのようにお裾分けしたりしていた。
唯さんも例外ではない。
彼女の周りには人がたくさんで、陽キャさんたちにあげたり、欲しいと言った男子にもなんだか困ったような顔をしながらも渡したりしている。
「うわっ、唯っちめっちゃ美味しいんですけど、天才かよ!」
「唯ちゃん、これほんとに美味しい……」
「上手く焼けて良かったです……あ、あの、樋口君、も、もしよかったら最後の1つを……」
「えっ、そう。それじゃあ遠慮なく……ありがとう……んっ!」
噛むとレモンの風味とバターそれに塩だろうか、口の中でそれらが混ざり溶け合う。
唯さんの作ったものはレシピに何かアレンジがしているのは間違いなかった。
「ど、どうでしょうか……?」
「すごく美味しいよ。毎日食べたいくらいだ。お菓子良く作るの?」
レシピ通りに作らなくちゃダメという授業ではない。
レシピを元に、作れる人はどんどんチャレンジしていいという名目だ。
でもアレンジするとしてもナッツをレーズンにするとかだろう。
普段から料理やお菓子作りをしていなければ、この味は出せないんじゃないか。
「えっと、クッキーよく焼いていたので……」
「そうなんだ……あ、あのさ……」
「はい……?」
「い、いや、なんでもない……」
今の唯さんはそれまで以上に学校生活を楽しんでいるように映る。
イメチェン計画は上手くいっているんだ。それは唯さんを見れば疑う余地はない。
本当は警告しようかと思ったけど、言いかけて止めてしまう。
彼女のことだ。
いろいろと考えてしまいそうだし、水を差すことになることにもなりかねないだろう。
今の唯さんをわずかでも歪めたくはなかった。
☆☆☆
午前中最後の授業は校庭で体育。
男子はバスケ、女子はバレーボール。
ゲームに参加しながら、今起きていることを頭の中で整理することにした。
何度かの消しゴム消失。これは誰がやったのか現時点ではわからない。
唯さんの今の席は一番後ろの席だ。
教室にいないときなら消しゴムを取ったり、隠したりすることはそう難しいことじゃない。
課題のプリントが行きわたらなかった件では、それが悪意によるものなら同じ列の誰かってことになる。
でもさっきの調理実習で、見ようによっては排水溝の掃除を押し付けられていた。
あれは特定の誰か1人の策ってより、グループ内でそういう風に仕向けようとしないと成立しないだろう。
そして、唯さんの班に同じ列の子はいなかった。
つまりそれは誰か一人の単独犯というよりも、複数犯、もしくはグループみたいに結託して嫌がらせを企んでいるってこと、か……。
そういえば夏妃さんが作戦立てるときに言っていた。
「人の成功を素直に喜べない子っているんだよ。いいなあ、自分も変わりたいって思う子は健全だけど、褒められたり称賛されているのを見て、なんであの子が、おかしいでしょって負の感情を抱く子もいる。まあここまでは正常ともいえるけど、その感情を表に出したらそれはただの妬み、逆恨みになっちゃうでしょ」
夏妃さんが言っていたように、動機は人の成功を良く思わない妬み的なことだろう。
単独犯でないっていうのは性質が悪い。
捕まえたりするハードルも上がるし、沈静化させるのも厄介だ。
このクラスの女子にここまでの考えを共有している子がいたらやり方も変わってくるんだけど、あいにくといない。
とにかく途中で居なくなっている人がいないかチェックしていないと、全神経をそこにと思ったのだが、
「樋口君、パス」
「えっ、はっ……」
リングの前で突っ立っていた俺に突然ボールが飛んでくる。
かろうじて捕球して、周りに誰もいなかったのでそのままジャンプシュートをすると、綺麗にリングに吸い込まれた。
「ナイスシュー」
「誰もマークについてなかったしな……いや、そうじゃなくて!」
パスを出してくれた本人は、サラサラの髪をなびかせながら俺にハイタッチを求めてきた。
たしかこの人バスケ部員だったか。
席替えをして俺の前の席の男子。
名前は、そう菊地君。
俺にわざわざ出さなくても自分でもきめられただろうに。
「どんどんパス回すからね。ばんばん狙ってね」
「い、いやちょっと待て。俺は今考え事をだなあ……」
全く聞き耳を持たず、菊地君は颯爽とディフェンスに戻っていく。
それからはいつ飛んでくるかわからないボールに考えている暇がなかった。
さわやかイケメンバスケ部員は絶妙のタイミングでパスを寄越す。
何度か決めたことで、俺にマークがつけばマークを外したタイミング。
そこでもきめれば今度はマークされててもお構いなし状態に俺にボールを入れてくる。
まるで今度は決められるかなと試されている感じだ。
仕方ないから菊地の動きを目で追うことにすれば、その上手さがわかる。
ドリブルの速さと鋭い中への切込み、パスの精度、シュートの正確性。
持って生まれた才か、努力で培ったか、もしくは両方なのかまではわからない。
だがちょっとそのプレイを見れば、バスケ部でもさぞ活躍しているだろうことは想像できる。
彼のプレーにたまに女の子の黄色い声援が聞こえてきた。
見た目と中身もよさそうな子だ。
「樋口君いいね。バスケ部に入部しないかい?」
「生憎だけど、ガチの運動部は遠慮している」
「それは残念だね」
「なあおい、それよりもう俺にはパスは……」
菊地は俺にさわやかな笑顔を向け、ボールを取りに行く。
予想外の運動をさせられ、授業が終わるころには汗だく状態だった。
「いい汗かいたね、樋口君……」
「……お、俺は別に、ま、マジにやるつもりはなかったよ……」
「それにしては最後までよくついてきたね。樋口君って運動部じゃないよね?」
「た、たまに体は動かしてるんだよ……」
乱れる息を整えながら女子の方を見れば、ちょうど片付け始めていた。
向こうも終わりのようだ。
競技中は何事もなかった様子にほっとする。
舞さんや陽キャさんたちもいるし、簡単に手は出せないだろうことはわかっていた。
問題はそこじゃないんだ。
誰か授業の間に抜けたり見学したりしている子がいないか確かめておきたかっただけど見ている余裕がなかった。
「なんにせよ、君と話をするきっかけができてよかったよ」
「……待てよ。話をしたかったとしても、どうして今なんだよ? 入学以来、タイミングなんていっぱいあっただろ」
「それは席が近くになって、君が佐久良さんと楽し気に話していたから。一人がいいってわけじゃないんだなって思ってさ」
「なかなかいい答えだ……それで俺に何か用事でもあるのか……?」
「いや、君と話をしてみたかったってだけ。初日のあれはさ、誤解なんだよね……? 樋口君の行動は誤解を生みやすいけど、本当は全然怖くない、むしろ優しい人。そうなんだろ……?」
「さあどうかな。自分の目で判断してくれ……悪いな、ちょっと気になることあるから先に行くぞ」
「待って。僕も一緒に行くよ」
「菊地くんだったよな……」
「うん。菊地勇也。遅くなったけど、よろしく」
「ああ、おれは樋口敬大。よろしく……いいやつだな」
菊地が恥ずかしげもなく右手を広げてきたので、それを蔑ろにはできず軽く握った。
「……えっ、どこでそう思ったのさ……ねえ!」
菊地の言葉に足を止めず、何事もなければいいけどと思いながら校舎へと急ぐ。
下駄箱で上靴に履き替えようとしていると、そこには女子の大半がまだいた。
陽キャさんのグループもいる。
彼女たちは唯さんと共に何かを探しているようだった。




