4.それ以上の治療は、無理だ!
「鳥の鳴き声?」
「うん、遠くでけっこう鳴いているように聞こえたんだけど」
朝食のスープに火をかけながら、アロニアが言った。
「リンクスの耳にはかなわないな……。さすが」
「えっ?」
「おいらは気配察知にはすぐれない。リンクスはこの数日間でだいぶ使えるようになったな」
「?」
「腕を出してみ。感覚が統合され、魔力の流れも良くなって、経絡も増えた、かもしれない」
「かもしれないって」
俺ははにかんだ。
「ふふふ」
そして、ふと思った。
「あのさ、魔力というのは、どこから湧きあがる?」
「基本的には周りからその人や物が取り込んでいるんだよ」
「魔力量が多い、とは?」
「一瞬で扱える量が多いこと、しかも、長時間その状態を維持できること。なので、魔力量が多い、とはつまり、たくさんの水を飲めるし、常に摂取できるというような例えもできるんだ」
「なるほど」
「ん、経絡、増えてる!」
「おっ!」
「その伸び代で、まず生活魔法を覚えような? 水を出して沸かせられれば、サバイバルできるぞ?」
「おう……! 早く覚えてアロニアたんの負担を減らすぞ!」
「うむ。おいらもリンクスの料理とか食べてみたい」
カア、カア、カア。
「やっぱり鳥の鳴き声……。カラス?」
「気になる?」
「行ってみたい」
「よし、行くか! この辺の巨大百舌鳥は、頭をつついて、いきなり体をさらう、という習性を持っている。だから狙われたら火で追い立てろ。おまえは剣を持っていけ」
「アイアイサー!」
「それに、食べると旨いぞ?」
「ゴクッ」
鳥っていうのは、ものすごく目が良いんだ。近づいて狙われたら、試してみたいことがあった。
しばらく森を進む。
ときどき、枯れた木の枝に、カピカピの黒い何かが張りついている。詳しく描写するのもはばかれるが……取った獲物を、串刺しにしていた跡のようだ。
普通に昨日のサイくらいの大きさのもあるぞ。やばい相手なんじゃないの?
「攻略難易度は高いの?」
「中程度、Cランクだ。頭は良い相手だが、一度恐怖を植え付ければ、二度と襲ってこない相手だ」
「やば……」
「そして何より、美味い」
「アロニアたんの神経も、やば……でも、背に腹は代えられない……」
「さあもう相手の警戒範囲内だ」
カアカアカア! と鳴き声の間隔が短くなっている。
いつ襲われてもおかしくない。
俺は息を吸った。そして、手を振り上げて、言った。
「滔々たる水を司る神よ、蜂の大群を包み、地に沈めん。水流龍射!」
「おまえ水の魔力の詠唱を!?」
アロニアが驚いていたが、まじまじと俺の手の先を見つめている。
シュウシュウと霧が...…。
「出た……」
「霧だわ……あっ、でも」
グングングングンと勢いを増して、霧が吹き出して、周りに立ち込める。
しめた。これで俺たちの姿はもう見えない。
「索敵!」
俺は声を張り上げる。脳内のレーダーに大きな点と、それから小さな点? が浮かび上がる。
おお、こうやって使うのか。
「アロニア! 火球を11時方向、上方に向けて撃て!」
俺が指差した方向をアロニアが確認し、詠唱を開始する。
「炎武神エラストノヴァよ、苛烈なる地底の全てを呑み込む女神よ」
意外とフルでの詠唱のようだ。その分威力が上がるのだろう。最後まで言い、
「ミットー・フラムモー!」
両手を合わせて火球を放った。
ゴゴゴゴーッと火球は飛んでいき、遠くで爆発、しばらくして何かが焦げる臭いが立ちこめた。
「仕留めたか?」
俺の索敵にも対象が動いた感じはない。
あっでも、さっきの爆風で霧が晴れてしまった。
11時の方向の小山のような影と目があった、気がした。
「やっべ!」
瞬く間に、それは飛翔し、俺たちに向かって狙いを定めていた。
「リンクス、剣を!」
そうだ、突き刺せばいい!
奴が来る。強い風が吹きかける。俺は剣に火花を散らして、今までで一番念入りに詠唱した。
「炎武神エラストノヴァよ、苛烈なる地底の全てを呑み込む女神よ、我、この身に宿りし魔力を糧に汝を顕現し、我の眼前に迫る脅威を焼き尽くせ。〈出でよ焔の掌〉、火焔射!」
ゴゴッ!
「で、出た!」
手のひらほどの小さな火球が。そして、多量の熱風が。
巨大鳥は目を閉じ、耐えようとしたが、熱風を浴び続けているうちに、飛ぶ力がなくなり、ズズズゥゥンと地上に落下した。
「最期のあがきに気を付けろ!」
「おう!」
最後は火花をまとわせた剣でひと突きだった。
「アロニア、俺に花を持たせてくれてありがとう」
「ああ。私は珍しく守護魔法してたからね」
「珍しく?」
「ほら、2時の方向。あの木の上に……」
「えっ?」
俺はアロニアの示す方角に向き直った。
見えたのは、赤い衣服だ。どこまでが血なのかわからない。
木の上に、赤い衣服の少女が引っかかっている。否……木の枝に串刺しにされている。
「いつから? ……あ、来た時から……」
「虫の息だ。リンクス。すまないが、もう看取ってあげることくらいしか……」
止めようとしたアロニアを振り切り、俺は駆け出した。
今までで一番速く走った。
なんでもっと早くに気づかなかった?
アロニアだって、鳥の名を巨大百舌鳥だと言っていた。
俺の故郷の百舌鳥は、獲物を全部食べず、枝に刺して、ちょいちょい食べに来ていた。
もしかして昨晩からの鳴き声は……!
嫌だ……!
俺が気づくのが遅くて、この子の救命が間に合わなかったとか、そんなこと、許されない!
「リンクス……無駄だ……おまえの治癒魔法をもってしても、その少女の怪我は……」
「誰ができないと言った?」
もう返事するのももどかしい。俺は木に上り、枝ごと剣で斬り、少女を抱えて、下へとジャンプした。
着地の衝撃で俺の両膝が痛いとか、そんなことはどうでもいい。些末なことは全て後回しにして、少女にありったけのヒールをかける。
「ヒール、ヒール、ヒール!」
まず刺さっていた太い枝が魔法で浮いて、取り出される。
傷口の止血もする。
「リンクス、それ以上は、おまえには無理だ!」
詠唱も知らない、おそらく最難関の治癒魔法、俺は、たぶんヤバいものに手を出そうとしている。
なぜ見知らぬこの少女の救命に、俺の命をかけようとしている?
俺は前世でここまで誰かのために身を投げ出したことはなかった。
俺は自分が可愛く、そのくせ何も成せなかった。
そういうことには、もうなりたくない。
俺は力いっぱいに叫んだ。
「ヒィィィーーール!!!」
何度ヒールをかけただろう、気の遠くなるような膨大な作業量をこなし、少女の身体のあちこちに治癒魔術を施した。
「リンクス、もうやめろ! おまえの身体が持たん!」
魔力の残量を気にしているのか?
俺はもう気にしていない。
てか、わからない……。
細かな網のような魔法の糸をかけて縫合した箇所、失った血が多かったので、恐らく高位な血を再生する魔法、を、かけてっと……! あと一息……!
あっ。
これが無理ってことか……。
「リンクス! おい、リンクス! おまえっ!」
俺の視界は暗転した。