12.初任務(前編)
ギルドの中でアロニアのマントの下にずっと隠れていたセラフがやっと顔を出した。
「はあ~。やっと出れた~!」
「ずっと隠れていたね。大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。冒険者ギルドに子供が行ったらいじめられるって聞いてたけど……アロニアのおかげで、うやむやになっちゃったから」
「そうだね、俺もまさかアロニアが3歳だなんて思わなかった」
「おいらは錬金術で造られた存在だからな」
「さてさて、変わった依頼を選んだよね?」
「そう? 討伐だけども、温泉って、良くない?」
「「おんせんってなあに?」」
俺たちがギルドでもらった依頼は、「城外に湧く温泉に住み着いてしまった魔獣の討伐」であった。
だが、どうもこの大陸には「温泉」という概念がないらしい。
東の島国じゃあるのかな? あとでミラビリスに聞こう。
レクサ近郊の温泉には、宿もない、店もない。
ただ近くに、ときどき黒く染めるために卵や布を温泉に浸しにくる村人たちがおり、彼らが困っている。
しかも村の防衛も貧弱らしい。
そういうわけで、辺境の都市とは言えど、防衛拠点かつ冒険者ギルド支部もあるレクサの街に依頼が届いた。
討伐報酬も俺たちの宿代くらいにしかならないが、俺は……風呂に、いや温泉に、ゆっくり浸かりたい。
「怜樹、なにその顔~?」
「おんせんってそんなに良いものなの?」
「少なくとも、肌はすべすべになる」
「なに、肌を少し溶かしたりするのか!? それは大変だ!」
「いや美容効果があるんだよ……たぶん」
「塗って帰りたい」
「おう、その前に討伐だ!」
「私はもうすべすべ~!」
「おまえは若いからな」
◆
城壁の騎士にメダルと冒険者証を見せて、外に出る。
出る時はほぼノーチェックのようだった。
草原をどんどん進んでいく。
心なしか南に行くにつれ、標高が下がっている気がする。
いちおう王都方面には街道が延びていた。
だが俺たちはすぐに街道から外れる。
「ミンス村→」
という木の看板が立っていた。
「温泉って書けばいいのに...…こんな道なのか……」
分かれた先は、もの悲しいほどに寂れた獣道だった。
◆
(アロニア視点)
「おや誰かが襲われている」
短い黒い翼を生やした爬虫類のような魔獣。
「怜樹! 助けるのもいいけど、その魔獣は……!」
まったく、怜樹はもう突っ走っている。
彼の索敵能力なら下手なことにはならないだろうが……。
「よし、周りには敵はいない! 仕留めるのは1頭だけ!」
「そいつは図体に見合わずすばしこいぞ! 注意しろ!」
言うや否や、怜樹は魔獣の懐深く飛び込み、火花を散らした剣で近接戦に入ってしまった。
「せいっ、せいっ!」
今のところ、怜樹は無詠唱で魔法を繰り出している。
まずまずの戦いぶりだ。
すばしこい相手には、高出力の詠唱魔法より、無詠唱のチマチマとした魔法のほうが合っている。
「せいっ、せいっ!」
怜樹が戦っている隙に、おいらは魔獣の下に潜り込む。
セラフより少し年上くらいの少女だ。
息はある。
被害者を担いで、物陰まで走る。
「怜樹、とどめを刺せるか? それとも、こっちと交代する?」
「まだむりっ!」
「セラフ、手伝えるか?」
「うん!」
手持ちのポーションを開ける前に、本当はセラフに清浄魔法の1つでも放ってもらいたいが……彼女の魔力は不安定すぎる。
「とりあえず寝かせられるように、岩をどけてくれ」
「はいっ」
地面をきれいにしてもらったので、やっとポーションの出番だ。
傷の表面が薄く閉じ、出血が収まる。
「よし、これで峠は越えたな」
セラフが立ち上がる。
「怜樹!」
「セラフ、やめ……!」
魔獣の長い鉤爪がセラフに伸びる。
危ない!
「ふんっ!」
怜樹が剣を持っていないほうの手から、白い魔法を放った。
硬度のある魔法。
ガギィィン! と鉤爪がその魔法に当たって激しく弾かれ、
「キュウゥゥン……!」
魔獣が痛みに呻いた。
見ると、魔獣の鉤爪の根本が折れて血がにじんでいる。
もしかして……それ……おいらが怜樹に教えようとしていた魔法陣の防御魔法に似ている……。
怜樹の中にイメージがあったのか?
無詠唱で呼び出したぞ。
さすがに怜樹も無茶したかな……。
額に汗がどっと噴き出ている。
「はあっ、はあっ」
おいらは立ち上がりながら言う。
「怜樹、代われ。おまえは怪我人の治療を。内部の傷を治さないとここから動かせない。……おいらが戦う」
怜樹は無言でうなずいた。
さっき不可思議な動きをしたセラフが気になるが、仕方ない。
◆
(セラフ)
私は見ただけでわかってしまった。
「弟が好きな温泉玉子を作りに来ていたの」
いつもなら鑑定眼でも、人の心を読むなんてことは……よっぽどでない限りはなかった。
なのに、今回は、「なぜここに来てしまったの?」の疑問が一番に来てしまい、いけない、と思いながらも、つい、覗き見てしまった。
覗き込んだ瞬間、私の中にグワッと深淵が押し寄せた。
最近はほとんどなかった私の心の蓋が外れ、思い出してはいけない、あまりに強い感情が表に出てこようとして。
弟……。
私の家族……。
私の欲しかった愛……。
……
まずい!!
「怜樹!」
とっさに叫んで。
すぐに必死に止めようとした。
……
私の心はただの真っ白になって、体もまったく動かなくなった。
何も聞こえない。
何も感じない。
……
魔力が私を浸食していく。
私は圧倒的な暴力的な魔力に持っていかれる。
◆
(怜樹サイド)
救い出した少女に治癒魔法を送り込みながら、セラフのことも横目でチラチラ見ているつもりだった。
内臓内部の修復を施し、切断されていた血管をつないだ。
もう、大丈夫だ。
ちょっとここで寝かせておけば……もう大丈夫。
さっき戦いながら編み出した「結界」を少女にうっすらかけておく。
アロニアの言う魔法陣よりはずっと弱そうだけど……まだアロニアも魔獣と戦っているんだ。
俺も参戦しないとな。
あ、でも、俺、意外とフラフラだ……。
「うん? セラフ? あっ」
顔面蒼白、しかも放心状態のセラフに気づいた。
彼女の魔力が、グングンと内側で膨れ上がっている。
周りに漂う魔力も、張りつめていた。
セラフの魔力が暴発した。……いや、しそうだ。今、まさに。
止めないといけない。
「セラフ、それは!」
俺の中でのセラフ評は、「冷静で感情の揺れ幅が狭い。物静か」であった。なのに、さっきのセラフは、驚いて、感情が大きく動いたように見えたのだ。
もしかして……トラウマが蘇ったのか?
あの救った年上の少女がトラウマ?
セラフの体がフリーズし、離人状態になり、魔力が暴走しかけたのだ。
「セラフ! それがきみなのか? その荒れ狂った魔力は、きみ自身の心なのか? いや、そうではないのだろう? 戻ってきてくれ、戻ってこい……!」
俺はとにかく必死で、なんとか声をかけ続けた。
チリチリとセラフの高濃度の魔力が、俺の肌を焼いてくる。
しかし俺には治癒魔法があり、まったく平気というわけではないが、耐えられる。
この魔力は彼女自身の肌や肉体も焼く。
なるほど。
アロニアが言っていた「自爆」とはこれのことか。
こんな方法じゃなくて、日頃からじわじわ魔力を消費すれば全然安全なのにな。
魔力の使い方を知らない?
使おうとすれば爆発するのか?
もう……!
「魔力注入療法!」
抱きしめて治癒魔法を送った。
たぶん高位の治癒魔法だ。
光が爆ぜる。
白い光が遠くまで飛び散っていく。
目がくらみそうだが、すぐ順応した。
視界の端で、アロニアの剣が魔獣を屠った。
やったぞ。
討伐完了だ。
報酬はアロニアにあげよう。
自分の最強の力が今……セラフに注がれ、セラフ自身の凶悪な魔力を打ち消し合っている。
まるで中和しているみたいだ。
治癒魔法は相手の生命力ありき……とアロニアは言っていた気がする。そうか、相手の魔力も使うんだ。
そして俺は他人の魔力との親和性が非常に高い。
リンクスと混じり合ったこの身体のようにね。




