【マイラ版】婚約破棄された令嬢は竜王様の運命の番でした
2,3話は同じストーリーですが、本編が気に入られた方は視点別でイメージを損なう恐れがありますのでご注意ください。
それでも大丈夫な方はどうぞ!
「マイラ、大好きだよ」
「わたしもアストラが好き」
「ありがとう。やっぱりぼくたちは運命の相手だね」
祖父たちが決めた結婚相手だったけど、私はアストラが好きだった。
ヘルクス侯爵家の嫡子で二歳年上のアストラは、とてもかっこよくて優しくて、一緒にいると楽しかったから。
まあ、子どもの頃にはそれくらいの理由で簡単に好きになるものね。
私が生まれたときに決められた婚約は、アストラが一歳のときに両親を亡くして、たった一人の肉親であるお祖父様もご病気だったため。
だからお祖父様の親友である私のお祖父様――サセム子爵を後見人として、婚約を決めたらしい。
それでよかったのかも。
ヘルクス侯爵もアストラが十二歳のときに亡くなってしまったから。
「僕は一人になってしまった……」
「アストラ、私がいるよ。だからもう泣かないで」
「ずっとそばにいてくれる?」
「うん」
「本当? 約束だよ?」
「うん。約束ね」
私なりに慰めたつもりの言葉は約束という縛りになってしまった。
もちろん、その頃にはそんなことは思わなかったし、アストラとは今まで以上に一緒にいるようになっただけ。
毎朝、私がアストラの屋敷を訪ねて日中を一緒に過ごす。
時には私のお祖父様がアストラに領地運営などを教えることもあった。
そのときも私も傍にいて一緒に学んだ。
「――ねえ、マイラ。これから遊びに行こうよ」
「それはダメよ。もうすぐお勉強の時間だもの」
「サボればいいじゃないか。別に勉強なんてしなくても、優秀な使用人を雇えば大丈夫さ」
アストラは勉強が嫌いなようで、サボろうとよく私を誘った。
本当は私だってサボりたかったけど、後で苦労するのはわかっていたから頑張ったのよ。
子どもの頃にサボると大人になって苦労するのは、前世でつくづく学んだから。
それをアストラに言っても聞くわけはないのはわかっていた。だって、子どもだもの。
でも、管理人を雇うにしても勉強は必要だからって頑張ったけど、たまに一人で家庭教師の授業を受けなければならないときもあったのよ。意味がわからない。
それでも、私とアストラは仲良く子供時代を過ごしていたわ。――私のお祖父様が急逝するまでは。
* * *
私が前世を思い出したのは、お祖父様に連れられてビーズ作りの工房に行ったときだった。
この世界でもビーズってあるんだって思ったときに、「あっ」てなったのよね。
どうして死んだのかは覚えてなかったけど、ビーズでアクセサリーを作るのは覚えてた。
まあ、ビーズに限らず物作りが好きで、ネットやフリマで売ったりもしてた記憶はある。
それで、サセム子爵領の特産品でもあるビーズで、記憶を頼りにアクセサリーを作ったら意外にも売れて、商品になったのはラッキーだったと思う。
それのおかげで私はへそくりを貯めることができているんだけど、最近は肩こりが酷くてつらい。
大きくため息を吐いたとき、表に馬車の止まる音がして、急ぎビーズ刺繍の道具を片付けた。
約束していたドラスト王国の取引相手がやってきたみたい。
「お父様、クレル商会の方がいらっしゃいましたよ?」
「ああ、私はいいからお前が対応しなさい。もう一人でもできるだろう?」
「それでは、リネアも同席するべきではないでしょうか?」
お父様は仕事が嫌いで、お祖父様が亡くなってからは私に任せきり。
今は私ばかりが仕事をしているんだけど、未だに自分のほうが能力はあるとか思っているのが面倒くさい。
最終決定権もお父様にあって、私が新しい企画を立て、取引先と交渉し、いざってときに否認されてしまっては困るから、お父様を上手く立てていないとダメなのよね。
まるで前世の使えない上司に困っている部下みたいな気分。
それにしても、家には私と妹のリネアしかいないんだから、私が嫁いだ後はどうするのかしら。
代理人を雇うにしても、見極めは大事だし、リネアのお婿さんに期待するしかないんでしょうね。
本当はリネアが子爵家の仕事を学んで引き継いでくれたらいいんだけど、本人にその気はないらしい。
「リネアはまだ十六歳だ。いきなり商談の席に加わるなんて可哀そうだろう」
「ですが……」
「我が儘を言うんじゃない。さあ、もういいから行きなさい」
「……はい」
私が商談の席に着くようになったのは十四歳のときなのに。
アストラのお祖父様が亡くなった十歳のときから、将来のヘルクス侯爵夫人として、多くのことを学ばなければいけなかったのに、さらにこの子爵家のことも頑張った私を誰か褒めてほしい。
リネアには前に注意したら「お姉様がいるから大丈夫」などと呑気なことを言っていたのよね。
だから絶対に結婚してからは子爵家の手伝いはしないわ。何の得にもならないことに使われるのは嫌だもの。
そのときにもひと悶着ありそうで、私は先ほど以上に大きなため息を吐いてから、取引相手が待つ部屋へと向かった。
「――今回も素晴らしい仕上がりですね。ありがとうございます」
「お礼を言うのは、私のほうです。いつもこんなに高値で買ってくださって。本当によろしいのですか?」
「ええ、もちろんです。マイラ様の作品は特別ですからね」
「そんな大げさな」
クレル商会のリュノーさんと社会情勢とそれに伴う市場について話し合った後。
私は子爵家とは関係ない、へそくりのための取引に移っていた。
お祖父様と商談の席に初めてついたときに身に着けていたビーズのアクセサリーを、リュノーさんが気に入ってくれたのだ。
それで他にもあるのならぜひ見せてほしいと乞われ、いくつか見せると今度は売ってほしいと乞われた。
いつもかなり高額で買い取ってくれるけれど、ドラスト王国でビーズのアクセサリーが流行っているとは聞いたこともないし、どこに需要があるのかしら。
でもまあ、こんなにお金になるなら肩こりを我慢しても頑張れるのよね。
「大げさなどではありませんよ。一つ一つ丁寧に作られた作品には制作者の力が宿ります。その力がとても大切なのです」
「そうなんですね……」
リュノーさんは優しく微笑みながら教えてくれたけど、やっぱりよくわからない。
まあ、リュノーさんは竜族だから、私たちとは違う何かがあるんでしょうね。
まさか私が竜族とかがいる世界に転生するとは思ってもいなかったけど、魔王がいたり戦争があったりするわけじゃないからよかった。
やっていることは前世とほとんど変わらなくても貴族の家に生まれただけラッキーだもの。
隣国のドラスト王国は竜王が治める竜族たちの国。
ただ、竜族はめったに自分たちの縄張り――要するに自国から出ることはなくて、隣国であるこの王国に訪れることもほとんどない。
そのため、この国をはじめとした人間の国は、強大な力を持つ竜族を恐れずに暮らすことができているのよね。
それどころか、私たち人間たちは好んでドラスト王国を訪れて商売をし、定住することも多い。
竜族たちは自国から出ることはなくても、他者を排除したいわけでもないみたいだから。
「それでは、お暇するのは残念ですが、そろそろ失礼いたします」
「……はい。またよろしくお願いいたします」
やっと終わった。商談は好きだけど、リュノーさんの視線が気になるというか、熱意が怖いというか……。
たぶん、うぬぼれではなく、リュノーさんは私に好意があるんだと思う。
でも、何とも思っていない相手からの好意って気まずいというか、ちょっと怖い。
リュノーさんが社交辞令だか本気なんだかの言葉を口にして腰を上げたので、私も続いて立ち上がる。
その際にさりげなく書類で代金の入った巾着を隠した。
ビーズ作品の代金だけは、いつもその場でもらうことにしているから。
書類なら使用人も家族も触らない。
このお金だけは私の大切なへそくりだから誰にも秘密。
リュノーさんを見送ったら、またいつもの場所にお金を隠して……なんて考えていたら、面倒くさい声が聞こえた。
「マイラ!」
出かけていたお母様が帰ってくるなりヒステリックに私を呼ぶ。
今度は何があったのかしら。面倒くさいけど頑張れ、私の表情筋!
私は申し訳なさそうにリュノーさんに微笑んでから、お母様に返事をした。
「お母様、お客様がお見えになっていらっしゃるのに――」
「私に意見するっていうの!? しかもお客様って、ただの商人じゃない!」
「我が家の大切なお客様です」
たとえ身分差があっても、仕事上は対等な立場なのに。
その態度をお祖父様が貫いたからこそ、取引相手がいるからこそ、サセム子爵家は財を築くことができたとわかっていない。
それにお祖父様は領民も大切にして、農作業や工場での作業にもよく顔を出して労っていた。
私もお祖父様に連れられて出かけた先で、領民と一緒になって働いたりもしたのけど、それもお母様に知られて激怒されてからはできなくなってしまったのよね。
「お母様、お話は後で伺いますから――」
「私よりも商人を優先するっていうの!?」
「そういうことでははなく……」
礼儀の問題であることを、お母様はわかろうとしない。
これ以上リュノーさんの前で彼を侮辱させたくなくて私が窮していると、当のリュノーさんが助けてくれた。
「マイラ様、私はもうここでかまいませんので、お気になさらないでください。奥方様、お邪魔いたしました」
「ふんっ」
「リュノーさん、ありがとうございます。またよろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
リュノーさんの挨拶を無視して、お母様はつんと顎を上げて去っていく。子どもみたい。
それでもリュノーさんは気にした様子もなく笑顔だ。
よかった。取引を打ち切られでもしたら、へそくりに大打撃だもの。
「マイラ! 何をしているの!?」
「はい! 今行きます!」
私は本当に申し訳なく思いながら、執事に見送りを任せて、お母様の後を追った。
「マイラ、どうして今日のお茶会に来なかったの!?」
「ですから、今日は商談があるので行けませんとお伝えしておりましたでしょう?」
「馬鹿なことを言わないでちょうだい! あなたはこのサセム子爵家の娘なのよ!? どうして商談などする必要があるの!? 大切なのはアストラ様とヘルクス侯爵家でしょう!? あなたが卑しい人たちと付き合いがあると思われたらどうするの!? だから未だに結婚式の日取りも決まらないのよ!」
それなら自分の夫であるお父様に言うべきじゃない?
でも、言い返せばもっと怒るだけだし、黙っておくのが一番。
お母様みたいな人は前世でも会社にいたのよね。いわゆるお局様タイプ。
まあ確かに、婚約してからもう十八年、私は今年で十九歳になるというのに、二歳年上のアストラとはまだ結婚式の日取りさえ決まっていないのは問題だと思う。
このままだとこの世界で私は完全に嫁き遅れ。
今でも社交界では笑いものにされているみたいだから、それがお母様は許せないみたい。
私の婚期の問題だけでなく、アストラはモテるようで、多くの女性と浮名を流しているとか。
苛々しているお母様からそっと離れ、私は自室に戻ってようやくほっと息を吐いた。
疲れた……。
もう結婚とか面倒くさいだけだけど、ずっと一緒にいるって約束してしまったものね。約束は守らないと。
ほんと、あのときどうして気軽に約束してしまったかな。
何度も後悔したことだけど、今さらどうしようもないわ。
私がこうして後悔の海に溺れていても、アストラは気づいていないらしい。
ただ好きに生きてるようで、ある日いきなりヘルクス侯爵邸でパーティーをしたいと言い出した。
自分が侯爵となって、一度もパーティーを主催したことがないからって。
そこで私は今までの経験を駆使して、パーティー開催のために奔走した。
自分で準備すればいいのに、できないものねえ。ご家族が亡くなって、気の毒に思ったお祖父様と一緒に甘やかしてしまったのが失敗だったわ。
とはいえ、将来の侯爵夫人としては、腕の見せどころ。
ヘルクス侯爵家も祖父と私が頑張ったから財政状況は好転している。
今なら、侯爵家に相応しいパーティーを催すことができるもの。
家格が違えばパーティーの作法も多少の違いがあり、知り合いの侯爵夫人に教えを請うていたから助かったわ。
これも、幼い頃からアストラの妻になるという心構えがあったからよね。
頑張った、私。
きっと、このパーティーでアストラは私との正式な結婚を発表してくれるはず。
結婚すれば、ようやく家を出られるわ。そうすればもう、両親とリネアの面倒を見なくてもいいものね。
私は期待に胸を膨らませ、パーティーの準備に勤しんだ。
それなのに――。
「――ありがとう、マイラ。パーティーは大成功だね。おかげで僕はヘルクス侯爵として鼻が高いよ」
「うん……。それはよかったけど、もうすぐパーティーも終わりよ?」
「わかってるよ。でも、別に僕がすることはないよね?」
「……私とまだ踊ってないわ」
婚約者だというのに、私とアストラはまだこのパーティーで一度も踊っていない。
本来なら、最初に二人が踊り出し、皆が続くものなのに。
それでいて、アストラは私ではなく、妹のリネアと踊っていたのよね。
その理由を聞けば、マイラは忙しいだろうから、と。
アストラは気遣ってくれたのかもしれないけど、そのせいで私が笑われていることには気づかなかったみたい。
相変わらず鈍いというか、何というか。
本当にどうしてアストラがモテているのかわからないくらい。
やっぱり身分と顔かしら。それは強いわよね。
「あ、そうか。じゃあ――」
「嫌だわ、お姉様。ダンスを自分からねだるなんて、はしたないわよ」
アストラが思い出したように私をダンスを誘おうとしたとき、リネアがひょっこり現れて冗談っぽく言った。
出たわね、お邪魔虫。リネアはことごとく私の邪魔をするのが好きよね。
しかし、アストラは本気にしたようでためらってる。
婚約者なのだから、なぜためらう必要があるの?
いちいちそれを指摘しないといけないくらい、アストラは鈍いの?
「マイラ、招待客の見送りにいかないと」
「……ええ、そうね」
そろそろ帰ろうとする招待客たちの姿が見られ、アストラは会場の出口へと向かった。
答えがわからず、話を逸らしたわね。
仕方なく私がアストラの後を追うと、背後からリネアのくすくす笑う声が聞こえた。
好きなだけ笑えばいいわ。リネアに笑われたからって、何の損失もないもの。
結局、それから私は見送りと後片付けに手を取られ、アストラと話をすることができなかった。
次の日になって、遅い時間に起きてきたお母様は、書斎で仕事をしていた私を部屋へと呼びつけた。
つけかけの帳簿を書棚に戻しながら、全部焼いてしまおうかという欲求にかられる。
お祖父様が亡くなってからずっと私がつけているけれど、お父様は見ることもしないんだもの。
「お母様、お呼びだと伺いましたが――」
「どうして私があなたを呼んだのかわかる?」
「……わかりません」
「あなたには、ほんと呆れたわ。どうして私が怒っているかもわからないなんて!」
「……」
「何とか言ったらどうなの!?」
「いったい何があったのですか?」
朝から――といっても、もうお昼前だけど、お母様がなぜ怒っているのかわからない。
だから正直に訊ねたのに、クッションが飛んできた。
でもこれを避けたらお母様がもっと怒るのはわかっていたので、ぶつかったほうがいいのはわかるわ。
「本当にわからないの!? あなたのような馬鹿な娘を持って、私がどれだけ恥ずかしいか!」
そう怒鳴ると、お母様はわざとらしく袖口で目頭を押さえた。
また嘘泣きだわ。
でもここで慰めないと冷たい娘とかどうとかって、怒るから相手をしないと。
「昨夜のヘルクス侯爵家でのパーティーで、あなたがアストラ様と一緒にいないから、陰でまた笑われていたのよ。ダンスさえしないなんて!」
「ですが、私からお誘いするのは……」
「リネアは二度も誘われて踊っていたわ! リネアほど愛らしくなれとは言わないわ。でもせめて、婚約者からダンスに誘われないなんて無様な真似はやめなさい!」
「ですが……」
むしろ昨夜はアストラが責められるべきなのに。
それなのに私が笑われ、お母様に怒鳴られるなんて理不尽だわ。
「何か不満でもあるの!? 文句があるなら、さっさとアストラ様と結婚してから言いなさい!」
「……わかりました」
「いいわね、絶対よ!」
「……頑張ります」
「では、今度の王室主催のパーティーで結婚式の日取りを発表をしなさい! そうすれば、皆に祝福してもらえるし、主役になれるわ」
「お母様、さすがに王室主催のパーティーでは……」
「口答えは許しません! ほら、さっさと出ていって!」
「失礼します」
勝手に呼びつけられ、こうして追い出されることはよくある。
私は軽く頭を下げて部屋を出てから大きくため息を吐いた。
やっと解放された……。
だけど、本当に面倒なことになったわね。王室主催のパーティーは五日後なのに、どうしろっていうの?
うーんと考えていても仕方ないし、アストラに会って話をしないと。
ヘルクス侯爵邸には領地管理の手伝いでよく出入りしているから、先触れの手紙を出すことなく訪ねた。
すると、顔馴染みの執事が気まずそうに出迎えてくれた。
どうやらアストラはまだ寝ているらしい。
昨夜のパーティーのお礼と労いを執事に伝えると、居間で待つように言われたけれど、今日はもう見逃すつもりはないの。
昨夜の様子からも、だいたいの予想はついているもの。
通された居間ではなく、子どものときのように勝手知ったる主寝室まで起こしに行く。
「アストラ、もうお昼過ぎ……よ……っえ?」
「なっ、何だよ! いきなり入ってくるな、マイラ!」
私は思わず口を押さえて後ろを向いた。
だって、笑いだしそうになったから。
こんなにドラマみたいな展開って、本当にあるのね。
予想はしてたのに、実際に遭遇すると笑える。
それから呼吸を整え、またアストラへと振り返る。
「……そちらはどなた?」
アストラは上半身裸で起き上がって、隣で寝ている女性を上掛けで隠そうとしている。
ちなみに女性も裸なんだけど、慌てているからいろいろ見てはいけないものが見えてるんですけど。
頑張れ、私の表情筋!
「マイラには関係ないだろ!」
「……話があるので、居間でお待ちしています」
私はそれだけしか言えずに、ばたんと扉を閉めた。
そのままゆっくり居間に戻ると、執事が申し訳なさそうに新しいお茶を運んできてくれた。
どうにかお茶を飲んで、気持ちを落ち着ける。
はー。なかなかない体験をしたわ。
「――マイラ! どういうつもりだ!?」
「ごめんなさい。先客がいるとは思わなくて」
急ぎ着替えたらしいアストラの姿は、ボタンの掛け違えられたシャツがズボンからはみ出している。
髪の毛もボサボサで、そんな姿から私は目を逸らした。
やめて。これ以上、笑わせないで。
「ほんとに可愛げがないな、お前は!」
私は冷静さを装い必死に耐えていているのに、アストラは文句を言ってる。
逆ギレなんてかっこ悪い。
「その……あの方は放っていて大丈夫なの?」
「マイラが気にすることじゃない。それよりもさっさと用件を言ってくれ!」
逆ギレをかわして私が質問すると、アストラは顔を赤くしつつも強引に話題を変えた。
まあ、いいけど。
あまりの面白さに目的を忘れるところだったわ。
「五日後の王室主催のパーティーまでに、結婚式の日取りを決めてほしくて」
「結婚式? 誰の?」
「あなたと私のよ、アストラ」
「何で?」
「母がパーティーで発表すれば、みんなから祝福してもらえるって」
「なるほど……主役になれるってわけか」
私はあえてそこまで言わなかったのに、アストラはお母様と同じ考えみたい。
結婚したら私よりも気が合うでしょうね。
そう考えながら黙って頷くと、アストラは少し考えてからにやりと笑う。
「わかった。いいだろう」
「本当に?」
「ああ。だが、パーティーには少し遅れそうなんだ。だから、先に一人で行ってくれるかな?」
「パーティーに私一人で? それは……そもそも王宮でのパーティーに遅れるなんて――」
「大切な用事なんだ! いいだろ!?」
「……わかったわ」
妙に素直だと思ったら、遅刻して私一人で会場に行かせるつもりだったのね。
そうして私に恥をかかせて、さっきの仕返しとか?
王宮主催のパーティーを欠席するわけはないから、まあそれぐらいなら大丈夫。
アストラに関しては恥をかいてばかりだから、今さら一つ二つ増えても平気。
そう思って承知したのが失敗だった。
まさかパーティー当日に、ここまでするなんて。
アストラはリネアを連れて会場に現れた。
両親もさすがに慌てたみたいで言葉を失っていたけど、そこに国王陛下の声がかかる。
「ヘルクス侯爵、そなたの婚約者はその腕に絡みついている娘ではなく、サセム子爵の長女であるマイラだったはずだが?」
私のお祖父様は、陛下の良き相談相手でもあったから、私とアストラの婚約については当然ご存じよね。
また幼い頃の私を陛下は可愛がってもくれていたから、ちょっと怒っていらっしゃる?
そのせいか、会場中が緊張しているわ。
「お、恐れながら、陛下。私の婚約は祖父同士が交わしたもの。また約束としましては、私と先代サセム子爵の孫娘を結婚させるものとしているだけで、特に姉妹のどちらとは名指ししておりませんでした。よって、私は先代サセム子爵の孫娘であるリネアと結婚します!」
緊張しながらも訴えたアストラの主張に、会場中がざわめいた。
実際の婚約がどのように交わされたのか私も皆も知らないけど、リネアはまだ生まれていなかっただけで、孫娘なら確かにリネアでもかまわないわけね。
だけど、今までずっと私が婚約者とみなされ、ヘルクス侯爵家を手伝っていたのも周知の事実なのに。
今さらリネアと結婚するなんて、私との婚約破棄を宣言したも同然。
「……アストラ、私と小さい頃にした約束を覚えている?」
「約束……?」
私が平静さを装って訊ねると、アストラは考えるように眉間にしわを寄せた。
覚えていないの? やだ、どうしよう。嬉しい。
でもここでそれを見せてはダメよ。
「ずっと傍にいると……」
「ああ……そういえば、したかもしれないが、子どもの頃の戯言だよ」
喜びを抑えて震える声でさらに問いかけると、アストラはやっと思い出したらしい。
その答えに、感極まって泣きそうになってくる。
そこに、リネアが割り込んだ。
「お姉様、ごめんなさい。でも私とアストラ様は愛し合っているの! どうか、身を引いてください!」
「すまない、マイラ……」
悲劇のヒロインぶったリネアだけど、可愛くて儚げな容姿には似合うわ。
皆も一気に許されない恋に落ちた若い二人を応援する気持ちに傾いているみたいね。
「陛下、どうかこの若い二人の結婚をお許しください」
「私がらもどうか、お願いいたします。無理にマイラと結婚してもお互い不幸になるだけです」
両親までもがアストラとリネアの味方になり、国王に嘆願する。
陛下はどうしたものかと、私に同情する視線を向けた。
だけど、その顔には別の思惑もあるように感じるわ。
「マイラ、お前はどうしたい?」
「私は……二人が……アストラとリネアが結婚したいというなら、祝福したいと思います」
ああ、どうしよう。
思わず「やったー!」って叫びたくなる。
両手を強く握り締めていないと、高く手を上げて喜びを表してしまいそう。
落ち着こうと深呼吸していると、会場中がほっと安堵しているのがわかった。
中には修羅場にならなかったことにがっかりしている人もいるみたい。残念でした。
「それでは、ヘルクス侯爵アストラ・ヘルクスとサセム子爵の娘である……リネアの結婚を許可しよう」
陛下はリネアの名前がすぐには出てこなかったようだけど、二人の結婚の許可を宣言した。
途端にその場がわっと沸く。
陛下の決定には誰も異を唱えられるわけもないものね。
むしろ公認となったことで、お母様の望んだとおりにアストラとリネアはこの場で主役になったわ。
満足げにリネアもお母様も笑って、皆からの祝福を受けている。
その様子を見ながら、私は勇気を出して声を上げた。
「陛下、恐縮ではございますが、お願いしたいことがあります」
「……申してみよ」
皆すっかり私の存在を忘れていたかのように、はっとする。
陛下は私が大きな声を出したわけでもないのにすぐに返答してくれた。
「ヘルクス侯爵との約束が無効になった今、私はこの国を出たいと思います」
「な、なにを言い出すんだ、マイラ。何もお前が出ていく必要はないんだ。そのうちお前にも結婚相手が見つかるさ」
「そうよ、マイラ。この場で拗ねた態度をとるなんてみっともないわよ」
私の願いに陛下よりも先に両親が反応した。
だけど、その言葉は婚約を破棄されたばかりの娘にかけるものではないと思うの。
それどころか、この騒ぎの張本人のアストラとリネアまでもが先に発言するなんて。
「マイラ、傷つけて申し訳ないが、それでも出ていくなんて言わないでくれ」
「そうよ、お姉様。自棄になって、そんなこと言っても、あとで後悔するわよ」
両親やアストラたちのことは気にしない。
今後も子爵家の面倒を見ないといけないなんて無理。
陛下は私をじっと見て、大きく息を吐き出された。
「国を出てどこへいくつもりだ? それにどうやって暮らしていく?」
「ドラスト王国で暮らしたいと思っております。生活には、今まで蓄えた個人的な取引での財産も幾分ありますので、それを元手に商売を始めたいのです」
陛下のお言葉はもっともなこと。
だけど私が臆せず答えると、周囲の反応は様々だった。
今まで子爵令嬢として不自由なく育った私に、他国で商売しながら暮らせるわけはないと笑う人が多い。
それでも、ドラスト王国なら竜王の治世下でどこよりも治安がよく、女性一人でも暮らせるのだから選択は間違っていないと納得する人もいる。
「個人的な取引とは何だ!? マイラ、お前は我が家の財産をくすねていたのか!?」
「……いいえ。あくまでも個人的なものです。子爵領の特産品であるビーズを使った装飾品は、ドラスト王国では好評なようで、高値で取引してくださっていました。もちろん、ビーズなどの仕入れに関してもきちんと売上金から賄っておりましたので、子爵家の財産に手はつけておりません」
私の決意を聞いたお父様が責めるけど、しっかりと答えたら、それ以上は何も言えないようだった。
そのやり取りを聞いたほとんどの人が、私たちの会話に疑問を持ったらしい。
なぜ子爵家の財産について、子爵が娘である私に問いかけるのか、と。
うん。当然よね。
「ふむ。マイラは今まで先代サセム子爵の意思を継いでよく務めた。よって、マイラの願いを聞き入れよう」
「陛下! マイラは私の娘です!」
「そのようには思えなんだがな。まるで使用人のように扱っていたと、私は聞いていた。それでもマイラが不満を口にしなかったようなので、見守ることにしたのだ」
「誰です!? そのようなデタラメを陛下に吹き込んだのは!」
陛下への私の願いに許可が下りた。
やっと、やっと自由になれる! しかもまさかこんな形でなんて、嬉しすぎて泣きそう。
ありがとう、アストラ!
私が思いがけない幸運にひたっていると、聞き覚えのある声が上がった。
「私です、サセム子爵」
「お、お前は……」
「リュノーさん?」
みんなの中から現れたのは、いつもとは違って正装した姿のリュノーさんだった。
何? どういうこと? ちょっと話を聞いていなかったわ。
私が状況を理解しようとしていると、お父様がリュノーさんを指さし怒鳴りつける。
「たかが商人ごときが陛下に嘘を吹き込むとはどういうつもりだ!? 無礼であろう!」
お父様の言葉に皆も驚き、ざわつく。
正装した姿のリュノーさんは美しくも威厳があり、とても商人には見えない。
それどころか、どこかの高貴な人物がお忍びでパーティーに紛れ込んでいるんじゃないかと思えるくらいなのに。
「サセム子爵、先ほどからのそなたの見苦しい態度は、動揺しているがためとして許そう。だが、いい加減に黙れ」
静かでも怒りが滲む陛下の言葉に、お父様はひっと息をのんだ。
会場中もまた緊迫した空気に包まれた中で、陛下はリュノーさんに声をかけた。
「陛下、どうぞこちらへいらしてください。皆に紹介させていただきます」
陛下のおっしゃる意味がわからない。
でも、当のリュノーさんは堂々と陛下のいる壇上へと上がっていく。
陛下はリュノーさんのことを「陛下」と呼ばれたわよね?
まさか……いえ、でも……。
「ちょっとしたアクシデントで紹介が遅くなったが、この方は隣国ドラスト王国の竜王陛下でいらっしゃる。皆、失礼のないようにしてくれ」
「り、竜王陛下……?」
陛下の紹介に私は唖然としてしまった。
だって、竜王陛下って、竜王陛下ってことよね。
隣のドラスト王国の王様。
そんなことある? わざわざ商人のふりをしていたのはどうして?
「突然の訪問でこの国の皆を驚かせたこと、申し訳なく思う。ただ、今回のこの集まりでの噂を聞き、居ても立ってもいられなくなったのだ」
リュノーさんはまっすぐに私を見つめて言った。
その視線に熱を感じて、私はまさかと思った。
今まで商談の途中で感じたことのあるもの以上の熱量に怯んでしまう。
「私はヘルクス侯爵とマイラ嬢の結婚に異議を申し立てるつもりだった」
リュノーさんの告白に、会場がどよめいた。
世界一の繁栄を誇るドラスト王国の竜王陛下といえば、絶大な力で長年国を治めていると半ば伝説の存在なんだから当然よね。
私もまだ信じられない。
「マイラ嬢に約束を違わせてしまうことは、申し訳なく思っていたが、これで気がかりもなくなった」
そう言って、リュノーさんは壇上を下りて、私の前に跪いた。
「マイラ・サセム嬢、あなたは私の運命の番だ。どうか、私と結婚してほしい」
会場内から黄色い悲鳴が上がる。
伝説の竜王陛下が一人の女性に跪いてプロポーズしているのだから、当然かもしれない。
でも、今の私の頭の中は、どうやって断るかってことでいっぱい。
どうすれば角が立たず、この場を乗り切れるの?
お母様は傍で「早くお受けしなさい!」と発狂せんばかりに急かしてくるし、お父様は未だにぽかんと口を開けている。
だけどそこで、アストラが抗議の声を上げた。
「ま、待ってくれ! 運命の番って何だ!? マイラはずっと僕を騙していたのか!?」
「え……」
「そなたはずいぶん身勝手なのだな。まあ、わかってはいたが」
アストラを騙してなんていないし、運命の番についてもわからない。
ただ竜族は夫婦ではなく番と呼ぶのだとは知っている。
でも、運命の番なんて聞いたことがない。
「『運命の番』とは、生まれる前から結ばれることが決まっている唯一の相手のことだ。ただ、必ず出会えるというわけではない。むしろ、出会えるほうが少ない。マイラ、私はあなたに出会えた幸運に感謝している。だからたとえ婚約者がいても、あなたが存在してくれるだけでよいとずっと自分に言い聞かせていた。だがあなたがいよいよ結婚すると聞いて、やはり耐えられなかったんだ」
私の心を読んだように、リュノーさんは跪いたままで説明してくれた。
そのことにびっくり。
「まさか、竜族の方は心が読めるのですか?」
「いや、さすがにそれはできない。だが、空を飛んだり水や炎を操ることはできる」
「空を飛ぶ……」
周囲は竜族の知られざる力を聞いて騒がしくなった。
その中で陛下だけが冷静なのはご存知だったからだろう。
私も驚いてはいるけど、とりあえず心を読まれていないのならよかった。
とはいえ、この差し出されたままの手を見つめて迷う。
今まで仕事相手としか思っていなかったのに、正直困る。
運命の番とかって言われても、まるでストーカーみたいでちょっと。
ああ! 思い出した!
私、前世ではストーカーに刺されて死んだんだった。
仕事相手であまり無碍に断ることもできなくて困ってて、転職を決めて退職日に仕事から帰ったら自宅前で……待ち伏せされて……だから、仕事相手であるリュノーさんから好意を寄せられてることが怖く感じてたんだ。
そうか……って一人納得してたら、リネアに押しのけられてしまった。
「お姉様よりも、私のほうが竜王様の番には相応しいはずよ!」
「っ――私に触れるな」
「きゃあっ!」
リネアがリュノーさんの手に触れようとしたとき、一陣の風が吹き荒れた。
会場内には悲鳴が上がり、私は目をつぶった。
でも、特に何も感じなくて恐る恐る目を開けると、風はリネアだけを襲ったみたい。
会場内には特に被害はないようだから。
「リネア!」
両親が慌てて駆け寄ると、倒れていたリネアはどうにか動けるようでのろのろと起き上がった。
よかった。さすがに怪我はしてほしくない。
リネアはお母様に抱きついて泣き出した。
うん。今回ばかりは怖かったよね。
会場内もパニックこそ収まったけど、リュノーさんに対して畏怖の念を抱いたみたい。
今まで竜王だというのも半信半疑だったのはわかる。
「マイラ、いい加減に答えてやってくれんか? 竜王陛下を跪かせておくのはまずいだろう」
陛下の言葉で、リネアに気を取られていた私ははっとした。
本当にリュノーさんは膝をついたままで、苦笑している。
私は断ったときのリスクを考え、それから覚悟を決めてゆっくりと首を横に振った。
「竜王陛下、申し訳ございません。私にはあまりに突然のことで、まだ何も考えられず……」
私の返答にその場は騒然となった。
でも仕方ないじゃない。今まで、リュノーさんのこと、ちょっと怖いって思ってたくらいだし。
その理由がわかったから、せめて前向きに検討しようとしてるので許してほしい。
そう思っていると、リュノーさんは残念そうに笑って立ち上がった。
「まだ、ということは、この先はわからないよね?」
「……はい」
「では、まずはドラスト王国に来てほしい。そうすれば私も安心だし、毎日求愛することができる」
「毎日は……困ります」
「そうか。それじゃあ、二日に一回?」
「……三日に一回にしてください」
「仕方ない。それで我慢するよ」
「お店を開いてもいいんですか?」
「もちろん。それは他の人間たちと変わらない。歓迎するよ」
「ありがとうございます!」
うーん。リュノーさんはストーカー気質なのかな。
でも、運命の番とやらなら仕方ないのかな。
お母様はまた「なんて馬鹿な娘なの!」と怒っているけど、気にしない。
何といっても、出店の許可を竜王陛下直々にもらったんだもの。
嬉しくて自然と笑顔になった。
そんな私を見てか、リュノーさんは熱のこもった視線を向けてくる。
こんなふうに想われるなら、まあ悪くはないかもね。
この日から一年後、私は計画通りにドラスト王国の王都で雑貨屋さんを始めた。
アストラとリネアは結婚したものの、毎日ケンカばかりらしい。
それと、お父様、お母様には何度も戻ってきてほしいと言われているけど、そのつもりはない。
自分たちたちだけで頑張ってほしい。
それよりも私の目下の悩みは、本当にリュノーさんが三日に一度、お店にやって来てはプロポーズしてくること。
申し訳ないけど、毎回断っていたら、いつの間にか名物になってしまったみたいで、お客さんが増えた。
おかげさまで店舗数を増やすこともでき、三日に一度、私はどのお店で働くかその日の気分で決めているのに、リュノーさんは私がお店に立った瞬間やって来る。
王様ってお仕事は暇なのかな。
だけどまあ、実のところ絆されてきているのも事実で。
そろそろ求婚に応えてもいいかなって思い始めているのはまだ秘密。
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