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診療所で

 結局、ドロテーとエリクは助手を務める事となった。助手と言っても、患部に両手を塞がれたベッケラートの指示にそって道具を取ったり、言われた場所を押さえたりだった。しかし手伝うと言ってしまったのをドロテーはつくづく後悔した。見たく無くても生々しい血肉が目に飛び込んできて気持ち良いものでは無い。いっとき夢に見そうだ。

 時間はかかったが一応手術は終了したようで、ベッケラートが大きく背伸びをした。


「ふう~―時はどうなるかと思ったが・・・なんとか出来たようだな。後は意識が回復するか待つだけだ。お嬢ちゃん、お疲れさん!」

「こ、この人は・・・た、助かったのですか?」

 いつも小気味のいい喋り方のドロテーが、つっかえながら喋った。ベッケラートがドロテーを見ると彼女の方が病人かと思うようなぐらい真っ青だった。

「おい!お嬢ちゃん、大丈夫か?」

「な、何が?でございますか?私はだ、大丈夫です。それに先生、言っておきますが私はもう子供ではございませんので〝お嬢ちゃん〟はやめて下さい」


 エリクは吹き出した。あれだけ間近で沢山の血を見て気絶するどころか、やせ我慢をし続けて更に小言まで言うのだから傑作だった。ベッケラートも頭をかいている様子をみると同じ思いだろう。

 その二人の様子にドロテーは、ムッとしたが毅然とした侍女の面子がある。此処はさらりとかわすところだから踏ん張るしかない。

「皆様、お疲れでしょうからお茶でもお入れいたしましょう。手や顔でも洗ってお待ち下さいませ。では先生、勝手にお借りいたしますわ」

 ドロテーはそう言うと足取りに集中しながら出て行った。そして台所らしい場所に辿り着くとへなへなと座り込んだのだった。


 残された二人はお互い顔を見合わせた。

「しかし彼女、本当に気が強いな。いつ気絶するかと思っていたが、最後までしっかりしていたから驚いたな」

「そうですね。彼女にはレギナルト皇子もやり込められて、たじたじだそうです」

「はははっ、そりゃあ傑作だ!」

 二人の笑い声がドロテーのところまで聞こえてきた。何で笑っているのかまで分からないが何と無く嫌な気分だ。いつまでも座り込んではいられないので物につかまりながら立つと辺りを物色し始めた。


 そこは他の部屋と同じで、散らかしっぱなしの状態だった。女手が無い様子だからこんなものだろう。かといって台所は使っている形跡があるようだ。良く見れば材料は、そこそこ揃っているし茶葉もあった。

「あらっ、これは皇家御用達の店のものじゃない。まあまあ良いのがあるわね。あんな格好に騙されるけど先生は一応大貴族みたいだから嗜好品は庶民と違うわね。でも食事はどうでもいいみたいだけど・・・」


 ぶつ切りに切られた野菜の切れ端を摘み上げてドロテーは呆れた調子で言った。ベッケラートが作る訳無いだろうから助手のヤンが簡単なものでも作るのだろう。

 茶器も立派なものが棚から出てきた。全く使った形跡は無い。いつもは適当に鍋へ葉っぱだけつっこんで飲んでいるのだろうか?皿も結構良いものがあるのに整理されて無く、ぐちゃぐちゃだっだ。こんな状態の中でお茶だけ入れるのにドロテーは抵抗を覚えた。

目の端に入るこの散乱したものが気になってしかたが無いのだ。一つ片付けてしまえば次が気になり、とうとう本格的に片付け始めてしまった。これだけ汚いから拭いたり、ちょっと磨いたりするだけで見違えるように綺麗になるからやりがいがあって楽しい。ドロテーはとうとうお茶を入れるのを忘れて夢中になってしまった。


 遅いドロテーの様子を見にエリクが来た時は台に乗って窓まで拭いていた。

「ドロテー?何してる訳?」

「えっ?ああ、お掃除よ」

「掃除って・・・お茶は?」

「あーそうだった!ちょっと待ってね」

 台から下りかかってドロテーはエリクを睨んだ。

「ちょっと!向こうを向いていてよ」

 ドロテーは台に上るので靴を脱いでいたのだ。


 エリクは案の定ニヤニヤしている。

「いやーびっくりだなぁ~一日に二回も素足のご婦人を拝めるだなんて!」

 ドロテーは持っていた雑巾を投げつけたが、ひょいっとよけられた。

「それ以上何か言ったら二度と口をきかないから!」

 エリクはもっとからかいたかったが本当に口をきいてくれないだろうと思って、肩をすくめるだけにした。

「その様子だと全部終わらないと帰らない?」

 後ろを向いたエリクが尋ねた。

「掃除はついでよ。患者さんが目を覚ますまでいるつもりよ。勝手に連れてきた責任上ね。それに目を覚ましたらきっと驚いて具合が悪くなるわ。こんな幽霊屋敷。だから大丈夫だってちゃんと説明しないと」

「ははっ、幽霊屋敷ねーじゃあ、オレはちょっと用事があるから行くけど、宿屋によって報告だけしておくよ」

「出かけるの?お茶は?」

「時間無いから遠慮しておくよ。先生は寝たし」

「寝たですって!」

「なんか昨日は具合の悪い患者に一晩中ついていたそうだよ」

「あら・・・それなら仕方が無いわね・・・」


 ドロテーはぐうたらだと勝手に思ってしまっていた自分に反省した。

 エリクが去って行った後は本格的に掃除を始めた。ベッケラートが寝ている私室やヤンの部屋を残して大体片付いたようだった。後は廊下の外に面した大窓を残すのみだったが、運んできた台に椅子を重ね、その上で背伸びしても上まで届かなかった。それでも一生懸命背伸びをして腕を伸ばしているところに、目を覚ましたベッケラートが仰天した様子でドロテーを見上げた。


 目を覚まして部屋を出ると向こうに見えるものに自分の目を疑ってしまった。

窓際で机の上に椅子を乗せて不安な状態のまま、その上に背伸びをして立っているドロテーがいたのだ。しかもスカートの裾をまくって素足だった。まず上流の女性はしない格好だ。庶民は動きやすい比較的に丈の短いものを着用するが、上流階級になれば素足は見せないのが普通だ。エリクが再三からかったのはそういうことだからだ。それよりも階級に関係なく女性はそんな風に台に乗って掃除なんかしない。

 気が強いと思ってはいたが男勝りのお転婆だったようだ。まるで敵にでも挑むかのように窓硝子を拭いていては、綺麗になったら満足気ににっこりしている。


(ふ~ん・・・気が強くて美人な分、近寄り難い雰囲気があったけど・・・結構可愛いじゃないか・・・しかし・・・あの格好はかなり目の毒だぞ)


 ドロテーが背伸びをする度にまくり上げた裾から、すんなりと伸びた綺麗な足がかなり上まで見えている状態だったのだ。ベッケラートはそれ以上見たら駄目だと自分に言い聞かせると、ドロテーに自分の存在を知らせるように咳払いをした。

 こういう場合、女性はきまって驚くだろう。だから落ちても受け止められるようにと、ベッケラートは親切にも腕を広げて待っていた。ところが予想に反してドロテーは彼を見るなり喜びの声を上げたのだ。


「先生!ちょうど良かった!上まで手が届かないからどうしようかと思っていたところなんです!ちょっと手伝って頂けません」


 手伝ってくれないかと尋ねている段階で、彼女は台から下りて雑巾をベッケラートに手渡していた。

「いいですか水はしっかりと絞って二回拭いて下さい。そして次に綺麗な水で洗った雑巾、これも良く絞って下さいよ。それと渇いた雑巾で交互に拭いて仕上げて下さい。そこと、ここでしょ、それに向こうの窓も。じゃあ、宜しくお願いしますね」

 てきぱきと指示を出すドロテーに、ベッケラートは口が挟めなかった。

 ああ、と頷いてさっきのドロテーと同じく積み重ねられた椅子に上って窓拭きをするはめになっていた。しかも下を見ればドロテーが腰に手を当てて、ちゃんと指示通りにやっているか監督をしている。それから彼女はベッケラートが指示通りに出来ていると判断すると奥へ消えて行った。


(なんでオレ、窓なんか拭いている訳?)


 疲れて眠いうえに大きな手術もして、ちょっと仮眠をしたといっても疲労感が残る状態でとどめがこの窓拭きだ。ベッケラートは久し振りに窓から見える夕日に照らされながら大きく溜息をついた。

 やっと終わったところにドロテーがやってきた。仕上がりを確認するように上を見ている。くるりとベッケラートへ向きを変えると、にっこりと笑った。

「合格です。お疲れ様でした。お風呂の準備をしております。どうぞお入り下さい」

「風呂?」

「はい。勝手に準備させて頂きましたが何か問題でも?」

「・・・・・・嫌、無いが」

「では、どうぞ」

 すっかりドロテーの調子にはまってしまっている感じが嫌だが疲れているから風呂はありがたかった。鼻歌まじりに上を脱いで、下に手をかけたところで扉が開いた。誰だと思って入り口を見れば、そこにはドロテーが立っていた。うら若い女性の前での半裸状態は流石にまずいだろう。こんな場合、まるでこっちが悪いみたいに悲鳴をあげるに違い無い。ところがまたもやベッケラートの予想は当たらなかった。


「先生、新しい石鹸です。どうぞ。それからそのお顔もどうにかなさって下さい。それでは目が覚めた患者さんが驚きますからね。お願いしますよ」

 ドロテーは澄ましてそう言うとベッケラートに探し出した石鹸を渡した。

 ベッケラートは素直に石鹸を受け取ったが笑いが込み上げてきた。

「あはは・・・悲鳴あげられるのも困りもんだがね・・・こうも反応が無いと男の沽券に関わるな。その年で男慣れしているとも思えないし・・・ああ、分かった!皇子の世話もしているんだろう?あいつも美女をはべらしていい気なもんだ」

 ドロテーは彼が何を言いたいのか初めわからなかった。

「悲鳴?男?皇子??先生何をおっしゃって・・・・ああ。それですか?男性の裸は見慣れておりますから気絶するようなご迷惑はおかけいたしません」

「へぇ~以外。駄目だよ、お嬢ちゃん。若いのにそんなに火遊びしちゃね――危険な遊びならオレも得意だけど・・・どう?今晩でも。満足させられると思うけど・・・ん?」

 ベッケラートはドロテーの瞳を覗き込んで湿った声で甘く囁くように言った。


 ドロテーはあからさまに肩をすくませた。

「私は男兄弟の中で育ちましたから平気なんです!それに変な誤解をされては困りますので訂正させて頂きますが、皇子付きの侍女は全部年配者でございます。若い侍女を付けると浮き足立って仕事になりませんからね!以上です!」

 ドロテーはそうきっぱり言って出て行きかけたが振向いて付け加えた。

「ああ、それと、むさい殿方に言い寄られても全然ですわ!」

 パタンと扉が閉まった。

 残されたベッケラートは呆気にとられた。

 ドロテーは自分の本来の身分を知っているにも関わらず全く気にしていない感じだ。普通ならこっちが気にするなと言っても相手はそうならない。エリクが言っていたように、あの皇子が彼女にたじたじだというのが良く分かったような気がした。皇子に対してもこんな感じなんだろう。確かに枠にハマらない面白い娘だと思った。そして久し振りに手ごたえを感じて昔の悪い遊び心が疼き楽しさ倍増だった。


 ご機嫌な気分で風呂場に入るとそこも綺麗に磨かれていてつい長湯をしてしまった。言われたからでも無いが久しぶりに髭も剃って髪をかきあげると鏡を覗き込んだ。

(うむ。これなら文句無いだろう。大人の男の魅力を示さんとな。ふふん)

 ベッケラートは深海の色をした切れ長の瞳を光らせると、ニッと笑った。そして着るものを探して見渡すといつの間にか、きちんとたたんだ服が入り口に置かれていた。しかもこてを当ててシワひとつ無いものだった。

「なんとまあー有能な侍女だ。もしくは出来た嫁さんだな」

 そう思いついて呟いた言葉に自分自身笑いが出てきた。

「これで、出ていったら〝あなた、ご飯ですよ〟となったら完璧だ!ははは」


 ベッケラートは笑いながら脱衣所から出てみれば、今度は予想的中だった。廊下に漂うのは先刻までの埃っぽい臭いではなく、食欲をそそる食べ物の匂いだ。それを辿って行くと食卓には湯気が上がった食事が並んでいた。そして助手のヤンが嬉しそうに座ってドロテーと何か話している。

「ヤン、帰っていたのか?」

「あっ先生。少し前に戻ってまいりました。今日は大変だったようですね」

 ヤンはそう言って、ドロテーと目で合図をした。彼女から今日の事でも聞いていたのだろうが二人の仲がよさそうな感じが気に入らない。ベッケラートは短く返事をすると椅子にどかりと腰掛け、ヤンの報告を聞き始めた。

 ドロテーはスープをかき混ぜながら、チラチラとベッケラートを見た。


(やっぱり先生って、良い男よねぇ~惚れ惚れするわ。良い男は皇子でかなり見慣れているけど先生は大人って感じで色気が違うわね・・・みんなが知ったら宮廷の良い男順位表の序列が変わるでしょうね・・・・)


 侍女仲間の話題の一つを思い出して密かに笑ってしまった。ベッケラートは滅多に宮廷行事に参加しない。医師として宮殿内をうろついていても、あのよれた格好だから誰も気に留めないのだ。

 温め終わったスープを皿に移すと手早く二人の前に出した。

「ありがとうございます。ドロテーさん」

「どういたしまして。お待たせしました。どうぞ、召し上がって下さい」

 そう言って二人の後ろに控えた。

 その様子を見たベッケラートは不機嫌そうに言った。

「ここは城じゃないんだから侍女しなくっていいぞ!まったく頼んでもいないのに色々と世話を焼きやがって」


 ドロテーはムッとした。礼を言われても文句を言われるとは思わなかった。

「それは大変失礼いたしました!しかし訂正させて頂きますが皇子宮の侍女は、掃除はもちろん食事なんか作りませんわ!そのような仕事は専任がおります!それともベッケラート家の侍女は違うのでしょうか?」

 ベッケラートはしまったと後悔した。自分の生活をかき乱されてその変化に少なからず感動している自分がいた。その変化を生み出した彼女が好意では無く、仕事の延長でしているような気がして何だか気分が悪くなったのだ。


「まあその・・・なんだ・・えっと、すまん。こんな事言うつもりじゃなかったんだ。一緒に食べたらいいと言いたかっただけだったんだ・・・・」

 ベッケラートはそう言った後、怒っているだろうなとドロテーの顔色を窺った。彼女の瞳は挑戦的に輝いていたが、自分の分の料理をよそって来ると席についた。そして笑って言った。

「ああ、良かったわ。今日の騒ぎでお昼ご飯食べ損ねてお腹と背中がくっつきそうなぐらいお腹が空いていましたの。遠慮無く頂戴いたします。いただきまーす」

 そしてパクッと食べ始めたのだ。

 ドロテーの切り替えの速さにベッケラートは呆れ顔で失笑した。


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