城下町へ
世間と隔絶された皇城の中では何を選ぶにしても不自由だ。品物が決まっていれば帝国中からあらゆるものは取り寄せ出来るが、見当がつかない状態では無理な話だった。ドロテーは自分の目で見てこれだと直感するものを選ぶしかなかった。
(それもこんな真冬に!)
帝都の冬は地方みたいに雪深く無いが、やはり他の季節に比べると商人達の動きも悪くなる。この時季は珍しいものが集まる市が立つのは少なかった。念の為、それも見る必要はあるとドロテーは思ったのでそれ待つ間、街で過ごす事にした。もちろんそれまで店々を見て回るのも計画していた。
ドロテーは一先ず街の中心部の宿屋を訪れたが、宿屋の主人は怪訝な目で彼女を見た。育ちの良さそうな若い娘が一人で宿泊をするのだからそれもそうだろう。それを感じたドロテーは前金で、口止め料も兼ねて少し余分に帝国金貨で支払った。この場所は街に詳しいエリクから教えて貰った宿屋だ。貴族が使う一流な所だったら噂になっても困るし、悪いと治安的に心配だしとの事で、中の上、上の下というような選択だった。
ドロテーは初め大変だと思ったが、またと無い楽しい買い物だと思うと俄然やる気も出てきたし楽しくなっていた。広くは無い寝台に、ごろんと、寝転がると防寒用の靴を脱いで投げ捨てた。ゴトンと大きな音をたてて靴が床に落ちる。
二つ目の音がしたと同時に、入り口の戸が、バタンと勢い良く開き大きな声が飛び込んできた。
「ドロテー!大丈夫か!」
「はぁい??」
驚いて顔だけ戸口に向けたドロテーは、吹き出しそうな顔をしたエリクを見た。たぶんエリクだろう?ハーロルトはこんな顔をしない。ハーロルトとエリクは鏡で映したかのようにそっくりな双子だが雰囲気は全く違うから見分け易い。それにエリクは右目尻に小さな黒子がある。
「エ、エリク様?」
ドロテーは慌てて起き上がった。しかし靴は床に散らばっていて直ぐに履くことは出来ない。何とも恥ずかしい限りだがそのまま床に足をつけようと思ったが、エリクが笑いを堪えながら靴を拾って揃えてくれた。
「恐れ入ります」
防寒靴は履き難く時間がかかるが、室内履きをまだ荷物から出していないのでそれを履くしかなかった。その間、エリクはニヤニヤしながら待っていた。まったく感じ悪い・・・
履き終わってしゃんと背筋を伸ばしてエリクに向かい合ったドロテーは冷たく言った。
「エリク様。大変失礼致しました。何か御用でございますか?」
「皇子のご命令でね。君の手助けをするようにと・・・確かに若いお嬢さんが一人で街をウロウロするのは正直どうかな?と思っていたところだったから・・・で、来た早々大きな音が室内からするだろう?何かあったと思って開けたら・・・ぷっぷぷ・・・」
とうとう笑い出してしまった。確かに皇城に仕える侍女は礼儀正しく淑やかなのが定番だ。それが靴を放り投げて寝台に大の字で寝転がっていたのだ。これを笑わずにいられようか?ドロテーはじろっと睨んだ。それぐらいしか反抗する術が無い。
「ドロテー、君ってちょっと変わっているとは思っていたけれどいいねぇ~女性が靴を履く姿なんて一緒に夜明けを迎えた時ぐらいしかないしなぁ~なんか新鮮だ」
「な、なな、何を!そんな事を女性に言う貴方の方がおかしいじゃ無いですか!」
さすがのドロテーも慣れない男女間のそんな話に顔を赤らめて言った。
「あーごめん、ごめん」
エリクはドロテーが侍女らしく無いと言いたいのだろうが、そういう彼こそ次男とはいえ名門貴族らしく無い。失礼な男だがレギナルトの信任が厚く頼りになるのは確かだった。
ドロテーは咳払いをすると平静に、にこりと笑って軽く頭を下げた。
「では、今後とも宜しくお願い致します。エリク様」
エリクは瞳を見張った。ドロテーがあっという間に自分を取り戻していたからだ。いつも勝気な彼女が赤くなって、おろおろする姿が少し可愛いと思っていたのに残念だった。
「・・・こちらこそ。大変な任務だけど無事に遂行出来る事を祈っているよ。それとオレの事呼び捨てでいいから。こんな格好のオレで〝様〟は浮くからな」
まあ確かに貴族的な整った顔立ちだが着ている服が一般的なものなので、彼が貴族とは思わないだろう。諜報活動を主とする仕事柄かもしれないが雰囲気がこの場に馴染んでいるのだ。ドロテーはそんなエリクを上から下まで見ると畏まって返事をした。
「承知いたしました」
エリクは不服そうな顔をした。
「その口調も!ここは宮じゃないんだから。いい?」
「分かったわ。ところで私、着替えをしたいのだけど出て行ってもらえるかしら?」
「ああ、気にせずにどうぞ」
エリクはドロテーの反応を楽しみたかった。
「私が靴を履く姿を見せしてしまったけど・・・誰が着替えまで見せるって?冗談でしょ!とっとと出て行け――っ!」
ドロテーはそう言うなり枕をエリクに向って投げつけた。
それを見事に避けながらエリクは笑った。
「ははははっ、最高!じゃあ退散するけどオレは隣の部屋にいるから、ドレスの後ろが留めにくかったら直ぐ呼んでくれよ」
ドロテーは何か他に投げる物が無いかと視線を廻らせたが、見つける前にエリクが出て行った。ドロテーは足早に戸口に近づき鍵をかけた。
「何なのよ!あの男!」
調子がいい奴だと前々から思っていたが何時もとずいぶん違っていた。エリクとは皇城の中でしか会う事が無い。ドロテーはティアナの侍女だから彼とはだいたいティアナと一緒に会っている。エリクもティアナの前では一応礼儀正しかったのだ。
(本当にハーロルト様と正反対だわ!しかも噂通りの女たらし!)
エリクの噂も酷いものだとドロテーは思っていた。それこそ彼は堅物な兄のハーロルトと違って流した浮名も数しれず自由奔放なのだ。
(はあ~ハーロルト様だったら良かったのに・・・でもね・・・)
そう思ってもやっぱり皇子の選択に間違いは無いと思うしかない。確かにエリクの方が世間に詳しいし気楽だろう。ハーロルトと過ごした花屋を思い出してドロテーは苦笑いした。ものすごく真面目な彼はいつまでも直立不動の感じで二人だけになると場がもたなかった。ティアナはよくハーロルトと二人で過ごせると感心したぐらいだ。
(ティアナ様は特別でしょうけどねぇ~あの皇子を陥落させたのですからね)
あの二人を見ると恋も悪くないかも・・・と思ってしまうが、チクリと胸が痛む。ドロテーは幻想を追い払うかのように首を振って彼らが特別なのだと思うのだった。
しばらく経って戸を軽快に叩く音がした。
「ドロテー?起きているかい?オレ腹ペコなんだけど下で何か食わない?」
戸が直ぐ開いたのでエリクは鼻をぶつけそうになった。おっとと飛びのくエリクをドロテーが、ジロリと一瞥した。
「まだ昼過ぎで起きているかと聞きますか?普通?」
「いや~やけに静かだったからね。じゃあ飯食いに行こう」
ドロテーは再び嫌な顔をした。
「一緒に?」
エリクは小さな声で答えた。
「だって君が皇子から貰った軍資金持っているんだろう?そう聞いているんだけど?」
ドロテーは目眩がしそうだった。この男はまるで女に貢がせる紐のようだと思った。それがやけに似合っているから始末に終えない。本当にあのハーロルトと兄弟なのかと思わずにはいられなかった。
「余分なお金を今は持ち合わせていませんからね!」
「しっかりしているな。まあいいや、行こうぜ」
ドロテーはツンと顎を上げてエリクの前を横切り下へと向かって歩き出した。エリクは大げさに肩をすくませると大人しく付いて来る。そして同席を許してもいないのに彼は勝手に座ると注文も勝手にしだしたのだ。
「ちょっと勝手に頼まないでちょうだい!」
「え?これおいしいよ」
「いいです!私は昼の食事はあまり食べないんです!」
「そんなんじゃさ、イロイロ成長しないよ。ドロテーは美人なんだからもうちょっとね。まあ・・身長だけは伸びているみたいだけどさ」
エリクがドロテーを、チラっと見て言った。本当に失礼な男だとドロテーは憤慨した。言われなくても自分は平均より背が高くて痩せ気味だ。自分なり気にしているし、小柄で女性的な曲線をしている同性をいつも羨ましく思っている。
「結構思った事をずけずけ言われますね?本当にそんなんで噂のように女性にもてていらっしゃると言うのが私には不思議です!」
エリクが流し目を送りながら微笑んだ。ちょっとその表情にはドキリとしてしまった。
「そう?みんなこの飾らない感じがいいって言ってくれるけどな」
反論しようとした時、すぐ側で皿が割れる音と共に食堂の給仕をしていた女性が倒れたのだ。ドロテーは急いで助け起こしたがもう既に意識が混濁している状態だった。
「早く!お医者様を!」
しかし彼女の仕事仲間も駆けつけた宿屋の主人も顔を見合わせるだけで黙っていたのだった。
「どうしたの!早く!」
宿屋の主人が言いにくそうに答えた。
「お客さん。こいつこれで二回目なんですが・・・前回は医者にかかったんですが、すぐけろっと直ったんですよ。でもそん時一応診てもらったんで医者に診察料を払ったんです。ところがそれがべらぼーに高くって大変な借金しちまったんですよ。それで呼んだこっちが悪かったみたいで・・・多分また大丈夫だと思うんですがね・・・」
ドロテーは病気の事は分からない。それでも同じ症状が出るのはおかしいと思った。彼らが躊躇する理由も分かるが放っておける訳が無い。
「私が医者に連れて行きます!エリク!この人を運んでちょだい!」
「分かった。もしかして?」
「ええ。この近くと言ったらベッケラート先生の所に決まっているでしょう」
エリクは頷いたが、周りがざわめいた。ベッケラートは腕の良い医者だとは聞いているが、自分の興味をもった患者しか診ないのでも有名だった。興味とはもちろん重病人の事だった。しかし人々はそこでは変な実験が行なわれていると思っていた。他の医者とは違った治療をするからそんな変な話になっているみたいだ。最新の治療法を行なう腕の良い一流の医師はほんの一部で、その彼らは貴族や皇家お抱えになり一般的に見た事が無いのだ。いずれにしても色んな噂が飛び交っているようだった。
その囁きを無視してドロテー達は急ぎベッケラートの診療所に向った。
そこは人々が変な噂をするのも頷けるような感じだった。建物自体古くないようなのだが枯れた蔦が壁を覆い、大きな窓は中が見えないぐらい汚れている。しかも入り口は大型ゴミが散乱している状態だ。今は雪が積って少しは見苦しく無いのだが、とても診療所には見えない。中の様子がわからないというだけでも十分に怪しい感じだ。
「相変わらず幽霊屋敷みたいね・・・」
ドロテーは眉をしかめながら呟くと、息を吸い込んで大きな声を出した。
「先生!ベッケラート先生!急患です!いらっしゃいますか!」
返事を待たずにドロテーは扉を開けて患者を抱えているエリクを先に通した。中は更に不気味な雰囲気だった。窓が汚れているから仕方が無いのだろうが薄暗く変な臭いが漂い、廊下にはガラクタが無造作に置かれているのだ。
そして奥から顔を出したのはだらしないというか、自分に無頓着な様子の医者ヘルマン・ベッケラートだ。そんな彼が帝国一の腕を持つ皇家の筆頭御殿医だとは誰も思わないだろう。しかも皇家に次ぐ三大公爵のベッケラート公爵なのだ。その方面は弟に任せているとはいえその大貴族が、こんなちっぽけな診療所をしているのだから相当な変わり者だというのは確かな事だろう。
「ふぅあ~なんだって?」
ベッケラートはあくびをしながら聞き返してきた。相変わらずよれよれの服に髪はぼさぼさで無精ひげ・・・・何処に目があるのかさえ分からない感じだ。
ドロテーは呆れずにはいられない。初めて彼の正体を知ってその本来の姿を見た時は開いた口が塞がらないぐらい驚いたものだった。身ぎれいにした彼は別人だった。整った顔は精悍で威風堂々としていたのだ。本当に今と大違いだ。それに今日は昼間から寝ていたようだった。ドロテーはどうしようもない男だと思いながらも、ベッケラートの目が覚めるぐらい大声で言った。
「先生!急患です!」
エリクの抱えられていた患者の様子を見たベッケラートの行動は早かった。すぐさま診察台に寝かすように指示を出すと診察を始めたのだった。
「こいつはかなり悪い状況だな」
ベッケラートは唸るように言った。
「急にばったり倒れて、すぐこんな状態だったんです。それに前もこんな事があったみたいなのですがその時は直ぐに治ったそうです」
ドロテーが知っている事を全部話したが、ベッケラートはいっそう考え込みだした。
「・・・・間違いないな。頭ん中に原因があるようだ。すぐ執刀しなければ命に関わるだろう・・・しかし・・・」
言いよどむベッケラートにドロテーは尋ねた。
「何か問題でもあるのですか?」
「今日は一人なんだ。ヤンをちょっと遠くに使いに出しているからな・・・・大きな手術は助手がいるんだが・・・・」
「私!私が手伝います!」
ドロテーは咄嗟に言った。人命に関わるのなら黙っていられない。
「血見ても大丈夫か?」
「ドロテー、血なんか駄目だろう?前、皇子が妖魔にやられて怪我して帰った時さ、動転してたじゃないか」
エリクはその時の様子を思い出して言った。
「あれはいきなりだったから驚いただけよ!血ぐらいで驚いていたら魚や肉なんてさばけないわよ!さあーつべこべ言っている暇は無いでしょ?先生?」
「魚や肉ねぇ~」
ベッケラートは本当に大丈夫か?という感じでエリクと目を合わせた。