表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貴女が死ぬまでは傍にいる  作者: 犬議隼人
高校二年 夏
5/174

古巣

 三度目の見舞いの日程を考えている間に、三日、四日と過ぎ、ついには五日が経過した。

 あまり先延ばしにしていては、前回のように見舞う前に帆樽晄が退院してしまう可能性があった。同じミスを繰り返すような真似はしたくなかったが、教室内から聞こえるいくつかの噂話を統合していく内に、それも杞憂に終わる気がしてきた。

「近いうちに手術するらしいよ」

「夏休み明けまで戻ってこれないってマジ?」

「かなり悪いって」

「晄さんがいないとつまんない」

「お見舞いって正直めんどいよね」

 委員長は相変わらず教壇を占拠し、帆樽晄の見舞いに関して熱弁を振るっていた。しかし、彼女が再入院した日に比べれば、耳を傾ける者は確かに減っていた。鬼気迫る面持ちで千羽鶴を折っていたクラスメイトも、今では部活やアルバイト等、自身が成すべきことを優先し始めていた。

 委員長は、そんな現状に苛立っている様子だった。

「お前はいつ行くんだ?」

 放課後になり、黙々と帰り支度をしている時、委員長が話しかけてきた。

 主語が抜けた言葉ではあったが、見舞いの件であることは明白だった為、「近いうちに」と答える。すると、間髪入れずに、「よし、今日行け」と返された。

 うんざりするほどの満面の笑みに、思わず拒否の言葉が出かかる。だが、見舞いの日程を決めかねていたこともあり、これも一つの転機と捉えることにした。

「わかった」

 こちらの返答に気をよくしたのか、委員長は私の背中を何度も叩き、周囲に今のやり取りを伝え始めた。

 彼はなにをそんなに焦っているのだろうか。

 クラスの誰か一人でも見舞いに行かなくなっただけで、帆樽晄が孤独に打ちひしがれるとでも考えているのだろうか。もしそうならば、彼女は姓を、「帆樽ほたる」から、「宇佐木うさぎ」にでも改名した方が良いだろう。

 そんな馬鹿げたことを考えつつ、私は教室を後にする。


 病室の扉を叩こうとした時、中から声が聞こえてきた。

 近所のスイーツがどうだと言った、実のあるわけでもない雑談。

 私は気にせず扉を二度叩き、数人の、「はーい」と言う声を確認し、入室する。

 中には帆樽晄の他に二人の女子生徒がいた。その内の一人、薄い茶髪を肩まで下した女子は、こちらを見るなり無糖のコーヒーでも飲んだような苦い顔をし、もう一人、前髪を目元が隠れる程下している女子も、小さく頭を下げるだけだった。

 誰だろうか、記憶が定かであれば、クラスメイトではないはずだが。

 制服の肩に刺繍された校章の色を見るに、同級生であることは確認できる。

「こんにちは、健之助君。あ、この時間ならこんばんは、かな?」

 病室の壁に掛けられた時計の短針は、四時と五時の間を指していた。私は窓に視線を移し、「日が出ているのなら、こんにちは、で良いのではないか」と、夕日を眺めつつ答える。

「そっか、ならこんにちは、だね」

「ああ」

 一連のやり取りは終了した、と私はそう思っていたが、視界の端から帆樽晄の刺すような視線を感じる。窓へと向けていた視線をそちらに戻すと、彼女はそっぽを向くように、視線を別の窓へ移してしまった。

 なにか伝えたいことでもあったのだろうか。

 視線を帆樽晄に固定し、相手の出方を伺っていると、なぜだか茶髪と前髪、両名の女子が私と帆樽晄の間に入ってきた。

 前髪の女子は目元が隠れている為、表情の把握は困難だったが、茶髪の女子は明らかにこちらを睨んでいた。

「こんにちは」前髪の女子は小さな声で挨拶し、相方を肘で突く。茶髪の女子は不快そうな顔で、「……どうも」と言い、視線を外さずに頷いた。いや、頷いたのではなく、頭だけでお辞儀をしたのかもしれない。

 あまり気乗りはしなかったが、私も、「こんにちは」と頭を下げる。

「はい、こんにちは」と、帆樽晄が友人たちの間から顔を出す。それも、眩しく見える程の笑顔で。

 無性に吐きたくなる溜息を堪えながら、彼女の笑顔にこちらも合わせる。

 彼女たちの世間話が再開された。

 私は適当な椅子を探す為に首を回したが、生憎、四脚のパイプ椅子は全て使用済みだった。二脚は茶髪と前髪の女子が座り、もう二脚も彼女らの荷物置きになっている。

 私は窓際に寄り、外の風景を眺めることにした。

 高校が見える方角とは逆の位置、視界一杯に広がる海と、その片隅に立つ電波塔。そして、海岸線に沿って敷かれた線路。

 この街に初めて来た時、私はあの線路の上を通ってきた。あの時のように線路を辿っていけば、故郷に帰ることも出来るはずだ。

 故郷に思いを馳せていると、年老いた電車が視界を横切った。奇しくも、その電車は私の想いを汲み取るように、故郷を目指して走っていた。

 私は、心だけをその電車に乗せることにした。

 故郷に向かう老いぼれ列車は、法定速度を優に超え、各駅停車もせず、目的の駅を目指してグラグラと車体を揺らす。

 駅のホームに降り立ち、改札を出る。駅員に一礼し、駅前広場に鎮座するタウンマップに目を通す。

 山の麓に位置する田舎町。

 川の水は蛍が住めるほどに清らかで、田んぼから聞こえる蛙の合唱は、夏場になれば町のどこからでも聞くことが出来る程に賑やかだった。

 木ではなく林があり、林と思えばそれは森と呼ばなければならない。それが私の故郷だった。

 大きく伸びをして、住宅地へと歩を進める。

 態度の大きな役場を過ぎ、向日葵畑の先にある、数カ月間通った中学校の校舎を一瞥する。田んぼと畑に挟まれた道路を歩き、途中で森林と隣接する緩やかな坂道に進路を変える。

 坂を上り、森に視線を向けると、フェンスの向こう側に木製の遊具がいくつも設置された空間が見えた。

 小学校に隣接する、自然学習園と呼ばれる場所。

 そこから、鬼ごっこやかくれんぼをする子供たちの笑い声が響き渡ってくる。

 程なくして、私は小さな公園に到着した。

 ここは、私が幼い頃、町で一番に通った場所だった。

 夏には夏祭りやスイカ割り、近くの竹林から取った竹でそうめん流しをした。冬は雪合戦をし、雪だるまを作った。春は桜の木の下で花見をし、秋は落ち葉を集めて焼き芋を食べたりもした。

「……之助君」

 公園のブランコに腰を掛け、過ぎ去った思い出に浸っていると、どこからか声が聞こえてきた。

 辺りを見回すと、隣のブランコに寝間着姿の少女が座っていることに気付く。少女は困り顔で、「おーい」と私に手を振っている。

「ああ」

 返事をした時、私の身体が小学生程のサイズに変わっていることに気付いたが、それを自覚した時にはすでに元の自分に戻っており、寝間着姿の少女も帆樽晄に変わっていた。風景も、公園から病室へと早変わりしていく。

「大丈夫?」

「大丈夫だ」

 いつの間にか、二人の女子生徒の姿がなくなっていた。ベッドの傍に添えられた四脚のパイプ椅子だけが、帆樽晄と向き合っている。

「ごめんね、立ちっぱなしにさせちゃって」

「気にしなくて良い」

「空いたから、どうぞ座って下さいな」

 帆樽晄は立ったままの私を気遣ってか、パイプ椅子に座るよう手招きをしてくる。

 こちらとしては、故郷の景色に意識を沈めていたかったが、一度思い出の世界から引き戻されたことにより、再度あちらの世界に没入することが困難になっていた。

 帆樽晄の提案を無下にも出来ず、私はパイプ椅子へ向かう。

「すごく集中してたみたいだけど、何を見てたの?」

「以前住んでいた町を」

 窓の向こうに見える風景の中に、街並みは欠片程度しかなかった。海原の片隅に小島が幾つか見受けられるが、そこも無人島である為、故郷と言えるはずもなかった。

 帆樽晄もそのことに気付いたのか、窓越しに外を眺めながら小首を傾げている。

「実際に町を眺めていたわけではない。故郷へ続く線路と電車を見ている内に、連想しただけだ」

 ベッドに横付けされていたパイプ椅子を動かし、窓が見えやすい位置で腰を下ろす。

「ホームシックになってたんだ」

 両親の件もあり、あの町には長らく足を運んではいなかったが、確かに幼少の頃の思い出は、私にとって代え難いものであることは確かだった。

「どうだろうな」

 しかし、両親への憎悪を考えると、素直に懐郷(かいきょう)に浸っていたとは言えなかった。

「きっとそうだよ」しかし、帆樽晄は断言した。「どんなところなの?」

「故郷のことか」

「うん」

 私は先ほどまで見ていた窓へと視線を移す。

 そこから浮かび上がる景色を参考にすれば、より正確にあの町のことを伝えられると思ったからだ。

「電車を降り、正面と左手、二方向が山に隣接した田舎町だ。川を流れる水は蛍が見られる程に清く、町のどこにいても、見渡せば田んぼか畑が目に入る。瓦の屋根の一軒家が多く、マンション等の背の高い建物は指の数程もなかった。近所には小さな公園と公民館があり、私たちはいつも、そこを遊び場としていた」

 ぽつりぽつりと語る内に、私は少しずつ、戻ることのないあの日を思い出していた。

「家の裏手に神社があってな、あの頃は友人と一緒に敷地の森を冒険と称して歩き回ったものだ。最初は長い石段を行ったり来たりするだけだったが、次第に大人から入ってはいけないと言われた森の中に入るようになった。起伏の激しいところでは、友人が先を行き、安全を確認し次第、後ろで待っている私に手を伸ばしてくれた。そのように道を切り拓き、切り立った崖の上に出た時は、そこから見える景色に感銘を受けたものだ。なにより、崖から少し離れた場所に秘密基地があってな、友人が私をそこに招待してくれた日のことは、今でも忘れられないくらいだ」

 キャンプ用テントの中で過ごした幼少期は、まさしく青春だった。

「人口に対して、町の面積だけはやたら広いこともあってか、町全体での行事は少なかったが、代わりに地区単位で色んなことをやった。その中でも近所の公園で開かれる夏祭りは欠かせなかったな。予算の都合だかで、二年に一度しか開催しないことに、幼い頃は酷く腹を立てたりもした」

 だからこそ、祭りの当日は高揚感を抑えきれなかった。

「後は……」

 窓の向こうから視線を戻すと、目を閉じて何度も頷いている帆樽晄の姿があった。

 彼女は、見たこともない町並みを想像し、言葉だけで私と共に駆け回っているのだと、そんな風に思ってしまった。

「後は?」

 気付かぬ内に酷く饒舌になっている自分に驚かされ、同時にむず痒さも覚えた。町の風景を語るつもりが、後半はほとんど自分の思い出話になっていたではないか。

「また今度だ」

 居た堪れなくなり、思わず立ち上がる。

 帆樽晄に一礼し、足早に部屋を後にしようとする。

「もう帰っちゃうの?」

「ああ」

 後ろ姿のままで頷く。

 もし振り返ってしまえば、みっともない顔を晒してしまう気がしたからだ。

「健之助君」廊下に出ようとしていた足が止まる。後ろ姿はそのままに、彼女の言葉を待つ。「またね」

「ああ、また」

 挨拶を交わすような自然な運びで、私は彼女の言葉を承諾していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ