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貴女が死ぬまでは傍にいる  作者: 犬議隼人
高校二年 夏
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うたた寝

 帆樽晄の病室の扉を二度、叩く。

 中から、「はーい」と返事が返ってきたことを確認し、扉に手を掛ける。

 受付で見舞いの件を告げ、少々待たされた時は、まだ面会ができるほど容体が回復していないかと不安を過らせた。だが、ベッドに腰かける帆樽晄の姿は、学校で友人たちと談話している時と同じで、穏やかなものだった。

「見舞いにきた」

 帆樽晄はこちらを見ると、僅かに驚いた。

「あれ、今日は健之助君が一番なんだね?」と、言った後で、慌てて、「あ、健之助君が一番で嫌とかそういう意味じゃ……」と、言い終わる前に、今度は自分の手で口を塞いでしまった。

「クラスメイトなら、今は皆、鶴を折っている」

「鶴?」

「千羽鶴だ」

 帆樽晄は、口元に当てていた手を放すと、軽く握り込み、そのままもう片方の掌に置いた。そして、申し訳なさそうに笑って見せた。

「気を使わせちゃったかな……」そう言って、窓の向こうに見える学校へ視線を移す。「そう言えば、健之助君は折ってないの?」

「一羽折った」

 ポケットから、萎びた鶴を取り出す。

 どうにか翼を広げサイドテーブルに置くと、まるで猟師に羽をむしり取られたような無残な姿になった。

「かわいい」心の底からの言葉なのか怪しいものだったが、それでも帆樽晄は萎びた鶴の首を丁寧に掴み、掌で転がした。「ありがとう、健之助君」

「ああ」私はカバンの中から、コンビニで買ってきた物を取り出す。「見舞いの品だ」

 飴の入った袋を開け、その中に包装された飴玉の一つを、彼女に差し出す。

「ありがとう」

 帆樽晄は両手で窪みを作り、それを差し出した。

 その上に飴玉を置こうとすると、なぜだか両手が下がった。訝しみ、帆樽晄を見るが、彼女は意に介した様子もなく自身の両手を見つめ、「頂戴」と言った。

 眉をひそめ、窪みを見る。

 再度飴玉を置こうとしても、結果は同じになるだろう。そんな予感があった為、私は飴玉を握る手を放した。

 飴玉は重力に従って窪みを目指す。しかし、掌に到達する直前で、帆樽晄が両手を左右に広げた為、飴玉は目的地を失い、青色のタオルケットにぶつかった。

「大成功」

 帆樽晄は、イタズラが成功した小学生の様な笑みを見せてくる。

「要らなかったか?」と、聞くと、帆樽晄は勢いよく首を振り、慌てて飴玉を拾った。

「ありがたく頂戴します」

 しばらく飴の包みを眺め、帆樽晄は呟くように、「いただきます」と唱えた。包みを開き、飴玉を口の中に放りこむ。薬用のど飴を選んだ為か、口に入れた瞬間、彼女は渋い顔になった。

「座っても?」

 立て掛けられたパイプ椅子を指差すと、帆樽晄は瞼をギュッと閉じたまま、何度も頷いた。

 私はパイプ椅子を開き、そこに座る。

 どこを見るでもなく、何を聞くでもなく、病室に漂う独特の雰囲気に身を寄せる。アルコールの匂いが鼻をくすぐり、室内を循環するクーラーの冷風が頬を撫でた。

 廊下を通った時は、患者や看護師が忙しなく行き交い、談笑や指示の声が耳を刺してきた。だが、ここはそうではない。

 眠気すら誘うような、静かな空間。

「約束、守ってくれたんだね」

 そんな声が聞こえ、私は無意識に、「ああ」とだけ答える。

 それからは、声も聞こえなくなった。

 以前の見舞いで、委員長から短い時間では相手に失礼になると聞いた。だから、今回は長めに滞在をする予定だった。初めは、繰り返し読んでいる文庫本でも読んで時間を潰そうと考えていたが、なぜだか、その気になれなかった。

 不思議だ。

 教室の隅にいるよりも、一人暮らしのアパートにいるよりも、なぜだかここは居心地が良い。

 その理由を考えてみるが、納得のいく答えは出てこない。

 腕を組み、頭を軽く下げていると、まどろみが私を誘ってくる。

 抗う理由を探す内に、少しずつ意識がおぼろげになっていった。

 眠ってはいない。私は小さな声でそう呟いたが、それが夢の中での発言なのか、それとも現実での発言なのか、それすら定かではなかった。

 女性の声が通り過ぎる。帆樽晄のものとは違う、とだけ、認識できた。

 またも女性の声。先ほどと同じ人物かも、わからない。

 やがて声が消え、循環する風だけが訪れては別れを繰り返す。


「……ああ」

 まどろみの中から、私は少しずつ覚醒する。無意識に返事をしていたが、誰かに声を掛けられた記憶はなかった。

「おはよう。って言うには、ちょっと遅いかな」

 帆樽晄の声が聞こえた。

 顔を上げると、サイドテーブルに教科書やノートが開かれているのが見えた。つい先ほどまで勉強をしていたのだろうか、彼女は手にしたシャープペンを置くと、軽く背伸びをし、こちらに身体を向けた。

「……ああ」

 寝起きのせいか、ネジの外れた人形のように先ほどと同じ返事をしてしまう。

 欠伸を噛み殺し、窓からの景色を確認すると、水平線に沈みかけた夕日が眩しく瞳に刺さった。

 うたた寝気分とは裏腹に、二・三時間は経ったらしい。

「長居してしまったな」

 パイプ椅子から立ち上がり、固くなった首を回す。その時、視界の端に束ねられた折鶴の群れが見えた。

 本当に、今日中に完成させるとは。

「ついさっき看護師さんが持ってきてくれたの。面会時間が過ぎてるのに無理矢理会おうとする学生さんから、だって」

 誰のことかは、想像するまでもなかった。

「それなら、私もお暇しなくてはな」

 一礼し、そのまま帆樽晄から背を向ける。一歩踏み出した時、背後から彼女の声が聞こえた。

「また来てね」

 二歩目を踏み出そうかと思い、留まる。

 元々、最初の見舞いも今回の見舞いも、クラスの意向に従う形で訪れた。その為、次回もここに訪れなければならない理由はなく、私自身、今回の見舞いを最後にするつもりでいた。しかし、帆樽晄が、「また来てね」と言った以上、返答次第ではもう一度この場所に足を運ぶ必要があった。

 約束を交わすのであれば、それを違うような真似はしたくなかった。

「……わかった」

 頭の中で、本棚に置かれた、『友達の作り方』と書かれた本が脳裏に過る。

 私は目に見えない何者かに向かい、「この空間は渡り鳥が一息付く為の止まり木のようなものだ」と、心内で告げていた。

 そんな言い訳を考えてしまう程に、この空間には抗い難い心地良さがあった。

「また来る」

 病室の扉を閉める際に一瞥した帆樽晄は、別れを惜しんでいるのか、どこか切なそうな笑みを浮かべながら手を振っていた。

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