#1 組織へようこそ
1
ふう、と息を吐いた。今日、あのカフェに行く。
レナーテとの約束。いざ当日になってみるとやたら緊張してしまう。こんな俺があんな…住む世界の違う裏組織でやっていけるものなのだろうか。
ポプラー・ストリート・ノースウエストの通りに吹く朝の風が顔を撫でる。
普段であれば心地よいはずの、柔らかな陽と緩やかな風を受けながら、進む足はどこか重い。
程なくして目的地に着いた。
ここを初めて訪れてから、まだ1ヶ月経っていないというのに、前回とはまるで違う場所のように思えた。
だがそこにはこの前と変わらないレンガ貼りの外観、4つあるテラス席、ピカピカの窓から見える暖かな雰囲気の内装。
この前は見なかったがちゃんと店に看板がかかっていた。「SRICE」という店名だった。
意を決してドアを開け、店に入った。ドア上の鈴の音と、一人の女性の声が重なった。
「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」
ここに来て客として扱われるとは思っていなかったので驚いた。というかそもそもこの女の子は誰だろうか。
金髪でそばかすの目立つこの女の子は、前に来た時はいなかったはずだ。
金髪と言ってもレナーテより薄い、クリーム色という感じの髪色だった。
黒髪の女性は?というより俺がここに来た理由を知っている人はいないのか?この女の子は何も知らないように見えた。
返事に詰まりおろついていると、キッチンの奥から黒髪の女性が顔を覗かせた。
「ああっキャシーちゃん!いいのいいの私が対応するから!」
そう言って女の子をテーブルのバッシング(食器の片付けや拭き掃除、整頓をすること)に向かわせると、俺の正面に向かい直しにっこりと笑顔を向けた。
「おはよう、キセルくんだったよね。私は『紫涵ズーハン』、フルネームは少し長いからとりあえずズーハンとだけ呼んで。話はレナから聞いてるよ。さ、上に行こうか」
キビキビはつらつとした明るい喋りに押され、はっきり「はい」と口に出すことができなかった。また女性に先導され、店の奥に入るルートを辿った。
キッチン横の通路に入るとき、先ほどの女の子…キャシーちゃんとやらが不思議そうにこちらを見ていることに気づいた。
「組織のことは説明されたかな?まだだったら他のメンバーと一緒に事務所でまとめて説明しちゃうね。さっきはちょっとぐだっちゃってゴメンねー、あの子はただのバイトだからあなたが来ること知らなかったのよー」
階段に足をかけたところから女性が話しはじめた。なるほどそれは俺のことをただの客として扱って当然だな。それにしても紫涵さん、よく喋る明るい人だ。
階段を上りきり、廊下を少し進んだところにあるドアに紫涵さんが手をかける。ここから始まる…よし、と眉に力を入れた。
そして右手人差し指の骨頭に口づけした。それは自分なりの覚悟だった。
キッと短い音をたて、ドアが開いた。
2
ふう、とため息が出た。昨日の晩、無事退院できたので明日の朝にカフェに行くとキセルから連絡をもらっていた。
「どうしたの?レナーテ」
事務所のテーブルでトランプタワーを積みながら、ウォックが声をかけてきた。ため息をこぼしたことを心配しているようだった。
「いえ、なんでもありません」
と答えたがすぐに、「今日来る新人くんのこと?」と返されてしまった。そんなにわかりやすかったのだろうか。
相棒、と言ってしまったがキセルを自分の相棒にしたい理由はぼんやりしたままだった。はっきり言葉に表せられる理由というものがない。
だが相棒として迎え入れたい気持ちは変わっていない。
何故なのだろう、それは自分でもわからなかった。
私は彼の殺意を二回見た。
一回はあの夜、路地裏で。彼は眠りにつかなければ、おそらくあのまま覆面の男を殺していただろう。
二回目に見たあの晩だって、私が器具を渡さなかったとしても素手で、デイビッドを殴り殺していただろう。
キセルの殺意は本物なのだ。殺すために効率的な方法を"考える"ということを一切しない。言うなれば純粋な殺意のみを持てる人種。
殺し方をあれこれ考えるよりも早く、的確に、効率的に相手を殺そうと体が動く。私にはこんな高純度の殺意は持てない。
自分の持っていない、自分に欠けているものを補うことができるから…。
いや、こんな理由では絶対ないのはわかっている。
「また難しそうな顔してるよー。顔変わんないけど」
ウォックに声をかけられてハッとした。トランプタワーは7段ほどの高さになっていた。
「考えすぎない方がいいってー。キセルくんだっけ?話聞いたけどあの裏リングで7連勝したわけでしょ?しかも最後はデスマッチで。それならこの業界でも大丈夫でしょ」
「…しかし本人が志願したわけでは…私が半ば強制的に引き入れたようなものなので…」
「じゃあなんで相棒なんか?」
トランプがパタパタと崩れた。一段声が低くなった彼の言葉に、思わず言葉が詰まる。
「わからないならいいけどさ。とりあえず彼のやる気を見てあげれば」
テーブルに散ったトランプを集めてケースに戻しながら、ウォックが言った。
「さて、そろそろ来るみたいだし、コーヒーでも準備しよっか」
ウォックは席を立って給湯スペースへ入っていった。トントンと階段を上って来る音が聞こえる。
よし、と心の中で言って目を閉じた。一旦気持ちを落ち着けるためだった。
キッと短い音をたて、ドアが開いた。
3
事務所に入るとすぐにレナーテと目が合った。レナーテは立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「おはようございます」
おはようレナーテ、と返し、顔は動かさず事務所内を見渡してみた。この前と変わらない光景だ。
「おはようキセルくん。ここにいる連中でまずは自己紹介だね、はいこれ」
癖っ毛で猫目の少年らしい男が、そう言いながら給湯スペースからカップを運んできた。差し出されたコーヒーカップを礼を言って受け取る。
「ささ、まずはソファにかけて。この中じゃ初めましてだよね。
僕は『Walky Talky Dooウォーキー・ターキー・ドゥー』、
『ウォック』って呼んでね」
どうもと言いながらソファに座った。背が低く声が高いその男はウォック。喋り方もあわさって、なんかやんちゃな少年みたいに思えた。
ウォックは俺の正面に座った。
「よろしく、ウォック…さん」
「"さん"は要らないよ〜気軽にウォックでいいからいいから」
「えっとじゃあ次は私」
かけていたメガネを丸いサングラスにかけ替え、黒髪の女性が声をあげた。
「私の名前、フルネーム少し長いって言ったでしょ?長いってよりはハーフだから特殊なんだけど、『李り・シアラルキー・紫涵ずーはん』って言うの。まあさっき言った通り『紫涵』でいいから。よろしくね!」
「よろしくお願いします。紫涵さん、ハーフっていうのはやっぱり中国系ってことです?」
「そうそう!父親が中国人で母親がアメリカ人。で、父さんってば中国拳法の達人だったからさー、私も小さい頃から修行してたのよー」
紫涵さんは拳をシュッシュと前に出し、拳法のジェスチャーを交えながら楽しそうに話す。
「もう英才教育よ英才教育。そんなわけで私も拳法は使えるわ。そうそれでね」
「紫涵ながい」
「とりあえず名前だけでお願いします」
「えーーーまだ話したいけどまあいいか後で…てか聞かれたから答えただけじゃんかー」
「父親が拳法の達人〜からのくだりは要らないでしょ」
呆れながらウォックが言う。2人が止めなければいつまでも話しそうな勢いだった。
そういえば紫涵さんの髪型、髪が頭頂部の少し後ろで団子のようにまとめられ、そこから長い三つ編みが垂れているのだが、なんだか古代中国の辮髪べんぱつのように思える。というかそういう意味なのだろう。
「改めて自己紹介させていただきます。私は『レナーテ・バルテル』、出身はドイツです」
最後にレナーテが自己紹介をした。この前思った通り、ドイツの出身だった。
「はい、じゃあ最後に君の自己紹介だよ!」
紫涵さんに言われ、そういえば最後は自分かとそこで気付いた。
「自分は『キセル・フリックス』。数年前まではボクシングをやってました。ついこの間この街に来て、裏リングのファイトマネーで生計を立ててたような暮らしでした。あ、出身はマイアミです」
マイアミという言葉が出た瞬間、全員が反応したようだったが、それについては特に何も言われなかった。
「しつもーーん」
ウォックが声をあげた。
「レナーテの相棒ってことで頼まれてここに来たみたいだけど、そもそも君は・・何でウチに来た?」
ウォックの顔から、先ほどまで浮かべていた朗らかな笑顔が消えていた。獲物を狙う肉食獣のようなウォックの猫目に見つめられ、ばくん、と大きく心臓が跳ねて体が固まった。
見るとレナーテも同じような緊張を抱えているように感じた。
「君自身がこの組織、裏社会だよね。こんな世界で暮らしてもいいと思えるだけのものがある?カタギの世界でつつましく暮らすよりもレナーテの相棒って役で生きる方が君にとってはいいの?」
「ちょっとウォック…」
「大事なことだよ。僕らはこの若い青年の『綺麗な人生』を壊すんだから」
紫涵さんが口を挟みかけたが、ウォックが述べた重大な事実に何も言えなくなり黙った。
沈黙が続いた。
ウォックは誰を見るでもなく目を閉じていた。誰かがこの沈黙を破るのを待っているようだった。
何も言えずにいた。レナーテの相棒として…か。
もしカタギとして、そう例えばこの店で働いて、生活して、恋人を作って、結婚して、家庭を築いて…うまくいけばそれが理想の人生だ。その通りにコトが進むとは限らないが少なくとも…そういう平凡で一般的な"幸せ"を得られる『可能性』はある。
だがそれがこの世界に入れば………。
ウォックの言うことは事実だ。この決断次第で俺は人生を…。
半ばすがるような思いでレナーテを見た。目が合った。
……。
「…ウォック、俺は__」
ウォックの目がぱちりと開いた。開いた瞬間に目が合った。
閉じた瞼の下でずっと俺を見ていたような気がして怖くなった。
しかし、力強く答える。
「俺は組織に入る。この世界で生きる」
紫涵さんとレナーテが同時に顔をあげた。
「なぜ?」
ウォックが訊いた。
「ウォックは何でここに?」
「え?」
ウォックは驚いたようで、まぬけな声をもらした。他の2人も驚いていた。
「ウォックは何でこの世界で生きてるんだ?理由を言えるか?」
「そ、それは…今キセルには関係ないだろ。それよりそっちの__」
「俺もそれじゃダメか?」
みなが頭に疑問符を浮かべていた。
「ウォックはさっき自分で言ったことをまるまる受け止めて考えてみても、つまり…平凡な幸せと引き換えにしてでもこの裏社会で生きていくことを選んだわけだ。でも理由はわざわざ人に話すことでもないんだろ?だから俺も『理由はあるが教えない』これでどう…です?」
どのあたりからか丁寧語が抜けていた。初対面の(恐らく)年上相手に…。最後に慌てて「です」をつけただけなので、変な文になってしまった。
「……!」
また少し沈黙が生まれた。この沈黙を破ったのはレナーテだった。
「ウォック、先ほどのあなたからの質問、私も『理由はちゃんとあるが教えない』と答えておきます」
先ほどの質問が何なのかはわからないが、それを聞いたウォックはまた朗らかな笑みを浮かべた。たはーと脱力し、俺に向かってぺこりと頭を下げて謝ってきた。
「いやー申し訳ない!変な空気にさせたね!そう返されるとは思わなかったよー…」
さっきと大分キャラが違う気がする。どちらが素なのだろうか。
「もう僕は何も言わないよ。改めてキセル、組織バレット・レインへようこそ」
握手を交わし、互いに笑い合った。女性陣2人はまだ緊張気味なようだったが。
4
4人でソファに座りそれぞれのことを少しだけ話した。休憩を終えた後で組織全体のことを説明すると、紫涵さんが言った。
「じゃあ説明の前に少し休憩ね。ちょっとコーヒー淹れてくるわ」
「あ待って僕もー」
ウォックと紫涵が給湯スペースへ向かい、ソファにはレナーテと俺の2人が残った。
一息ついているとレナーテが声をかけてきた。
「キセル、私はその…無理やりあなたを組織に入れてしまったようで…」
「別にいいよ。約束したことだろ。それに後悔なんかしてないし、するつもりもない」
「…これからは相棒、ということになりますが…」
何故だろう。自分から誘っておいてえらく不安がってるじゃないか。印象としては何だか断られることに怯えているようだ。
「嫌か?」
「いえ、そうではないのですが」
「そもそも何で俺なんかを相棒にするって考えてるんだ?どこを買われたんだ?俺は」
「それは…今度お話しします」
結局納得できないままだが…まあいいか。じき教えてくれるだろう。
「ねぇねぇ紫涵、レナは何でキセルを相棒にしたがるんだと思う?愛棒♂ってことかな?」
キッチン台でうなだれながらそう訊いてくるウォックの頭を叩き、水を入れた電気ケトルを眺めながら紫涵が答える。
「んー?そんなのわからないけどさー。レナのことだしちゃんと考えはあるでしょ。あいつ・・・が何て言うかは知らないけど。てかウォック、あんたさっきの何?ちょっと怖かったんだけど」
「ごめんごめん。でもまー確かにねー…本人たちもやる気あるみたいだし悪いことにはならないだろうけどさ。ただやっぱりあいつ・・・が何て言うかだよねー本当」
「あーもう今から気が重いわー。あ、湯湧いた。あんたカップ出して。あとインスタントコーヒーも。ほら早く」
「へーい」
小さな食器棚からカップを出そうとして、カップが人数分ないことに気づく。
「キセルの分のカップとかの生活用具も買っといた方がいいね」
「あーそういえばね。まあ今日はしゃーないね。下店から一個取ってくるよ」
「あー悪いね紫涵」
「次は組織の説明って言ったっけ?」
「ええ、構成や仕事などの説明ですね。特に難しいことはありません」
「そっか、ならよかった」
そう言って目を閉じるキセルの横顔を、レナーテはただ見つめていた。




