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RENATE AT ATLANTA  作者: すだち
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プロローグ:キセル・フリックス⑥

 実況のスタートの声と同時に、ベルが高く大きく鳴り響いた。

 まずキセルは軽くステップを踏みながら、デイビッドと距離をとった。要は周りを囲む棘殺(きょくさつ)ロープに接触さえしなければ普段の試合と変わらないのだ。そう自分に言い聞かし、徐々にデイビッドへにじり寄る。

『キセルはいつも通りボクシングの構え! 軽やかなステップでデイビッドとの距離を調整している! ここでじわじわと射程圏内まで近づいていくか……?』

 強く踏み込んで素早くデイビッドの懐まで潜りこんだ。いつも通りデイビッドはこの動きに反応しきれていないようだ。ここでまずはボディを叩いてしまおう。

『いった! 速い打ち込み! 重い打撃がデイビッドの脇腹に沈む! もろ食らった! もろ食らったぞデイビッド……』

 がっ、とデイビッドが短く声を漏らした。退がる体勢は残してあるのですぐさま距離を取り直す。だが体を後ろに引こうとした時、動きが止まった。というより止められた。

『お!?』

 実況が声をあげたと同時にキセルも声をあげそうになった。

『デイビッド掴んだ! キセルの腕をガッチリと掴んで__』

 デイビッドがにたりと笑った気がした。

 そもそも両者の体格差はかなり大きい。ヘビー級とスーパーミドル級が同じリングで闘うことなどボクシングではあり得ないことだ。そのためこの体格差でキセルが闘うには、ヒットアンドアウェイの戦法が有効、且つそうしなければ確実に勝ちを拾うことはできない。

 そう、この体格差で掴まれでもしたら、重量の差でまともに動けない。

『__そのまま放り投げたぁーーー!!』

 投げとばされたキセルの体は棘殺ロープへと一直線に向かう。硬く冷たい鉄のいばらが、背中に深々と突き刺さった。背面が一気に熱を帯び、ぬるいものが背中をだらだらと流れた。

「ぐあああああっ!!!」

 キセルは叫んだ。長く野太く、悲痛を隠さず曝け出すように絶叫した。

『投げ飛ばされた勢いそのままに棘殺ロープに突き刺さったぁー! キセル崩れます! うずくまるキセルの背面が赤く染まっている! 痛そうだぁこれは……!』

 こ……こいつ……!

 激痛をこらえるために歯を食いしばる。歓声がガンガン頭に響く。デイビッドを睨みあげた。彼はどしどしとこちらに歩いてくる。

「殴り勝つ必要はないんだぜ? 掴みさえすりゃあ……」

 背中が痛んでまともに抵抗できない。また腕を掴まれ、すごい力で引っ張り起こされる。まずい! また……っ

「お前は俺に……投げ飛ばされるだけだからよ!」

 自動車に跳ね飛ばされたような不可抗力の勢いだった。遠心力と痛みが加わり何もできない。足の踏ん張りすらきかず、四隅のポールめがけて投げ飛ばされた。当然ポールにも棘がついている。今度は背面でなく正面から突っ込んだ。棘の先端がどんどん近づいてくる。

 悲痛な叫びが轟く。肌に突き刺さる棘、流れ出す血。倒れることもできずに、そのまま膝をついてマットを睨み口をつむった。

『キセルすかさず腕を前に出して顔をガード! だがこれはボクサーの命である両腕が犠牲になったことをあらわします!』

 そう聞こえて心が熱くなった。そしてその直後に急冷される。この感覚は。

「てめぇはもう終わりだぁあっ!」

 デイビッドが叫びながらキセルの元へ駆けてくる。キセルは半ばヤケだったのか、ここまで自分の身におきた不幸を呪った。呪いは流動的に殺意へ形を変え、デイビッドへと向けられた。

「許さねえ……許さねえぞ……っ!」

 キセルは一気に立ち上がり振り返った。勢いよく立ったので立ちくらみがしたが、ふらつくことはなかった。

 駆けてくるデイビッドの股間を一瞥(いちべつ)し、これから自分がどう動くか決めた瞬間、すでに身体は動いていた。デイビッドに立ち向う方向に勢いよく駆け出す。

 全力で股間に蹴りをいれた。流石のデイビッドも一瞬動きが止まり、よろめきながら膝をついた。俯く額に脂汗が一気に浮かぶ。

『あああああっ! キセル金的! 金的だ! これにはデイビッドも悶える!』

 実況と観客たちの心境は同じらしい。自分たちの急所が蹴り上げられたかのようにうろたえた声をだしている。

「ぐ……くっそぉ……このクソ野郎……っ!」デイビッドはうずくまり、肩を震わせる。

 デイビッドは次の攻撃を警戒し、すぐに顔をあげた。だが目の前にブーツがあった。キセルのブーツが、いやブーツのつま先が”眼の前”に。

 ブーツがゼリー状の球体を潰し、窪みの奥まで深く抉り込んだ。

 デイビッドが低い叫びを漏らす。観客席でもあちこちから悲鳴が聞こえた。実況の男が一瞬、息をつまらせたのがわかった。

『き、キセル! デイビッドの目を蹴り潰したぁあっ! 金的といい目潰しといいキセル残虐! 今日のキセルは残虐そのものです!』

 血液混じりの透明な液体がマットに垂れたのを見て、リングの傍で動いた者が一人いた。さらにそれを見て動く者が観客席にもう一人いた。そして、頭を垂れて悶える者と冷ややかに見下ろす者が一人ずつ。

 キセルは低い声で言った。

「怒らせる相手を間違えたな」

「て、てめぇ……ぐう……」

「デイビッド!」突如、リングの外から声が飛び込んできた。右耳に白い布をあてがう男が、リングのすぐ横でデイビッドに呼びかけていた。

 するとなんと、男はたたまれたパイプ椅子をデイビッドのそばに投げ入れたのである。デイビッドはそれを掴みながら立ち上がると、それをキセルめがけて横に振った。

「なんっ……!?」

 武器の使用は禁止のはずでは? 混乱し、整理が追いつかないままのキセルをデイビッドはパイプ椅子で思い切り叩いた。

 ガードに使った腕がまた激しく痛んだ。防ぎきれなかった衝撃が側頭にも及んで傷口が開き、膿の混じった血が噴き出した。マットに倒れこんでからキセルは考えた。

 パイプ椅子は武器というより道具として扱われるのだろうか。

キセルは混乱していた。

 もしこのデスマッチにおいてのみ"道具"の使用が許可されていたとしたら。そしてそれを俺だけが知らなかったとしたら。罠なんてものじゃない。この試合、完全にデイビッド陣営が俺を取り囲んで殺す気でいる。

 デイビッドがパイプ椅子を捨てた。とどめはこの手で刺そうと決めていたからだった。何より、デイビッドにとってはこの状態のキセルを椅子で殺してもしょうがない、と判断してのことでもあった。

 悠々と近づいてくる。

 いけない、とキセルはすぐに立ち上がった。激しい目眩がして、今度はかなりふらついた。なんとか立ち上がりはしたものの、観客席の誰もキセルに脅威を感じてはいなかった。

 そのときキセルはレナーテのことを考えていた。何故かあの器具よりもレナーテ本人のことを思い浮かべていた。

 ぼやけた視界の端で金色に輝く髪が流れたのが見えた。観客席の最前列あたりだ。思わずその金色を目で追った。カメラのピントがピタリと合わさるように、その一瞬だけ視界がはっきりとした。レナーテがいた。

「キセル!」レナーテが何かを投げつけた。いや、何かはもうわかっている。

「これは……っ」

 受け取ったキセルはそれを反射的に指へはめた。前を向きなおすとデイビッドが割と近くまで迫っていた。

 レナーテを見たからなのかはわからないが、いつの間にか焦りが消えて冷静になっていた。頭部と背中、両腕の激痛でどんどん頭が冴えてくる。いま何をすればいいかが自然と見えてくる。

 まずは軽くふらついて見せた。そう、デイビッドをギリギリまで引き寄せるために。

 デイビッドの手が届く範囲のギリギリ外まで油断させて待ち、飛び込むための足を用意させておく。

 次第にデイビッドコールが巻き起こっていた。その中でも逆転を信じるキセルコールが一部で起こっていた。観客の熱量と実況の興奮が飽和して全員が息を呑む。やがてその時は訪れた。

 よし、ここだ。

 予備動作なしのゴキブリをイメージしたダッシュでデイビッドとの距離をつめる。デイビッドや観客はみな驚愕していた。

 飛びかかるように大きく振りかぶってデイビッドの頭へ拳をぶつけにいく。ズタズタに負傷して血を流した腕で殴りかかってくるなど想定していなかったのか、デイビッドはその腕を捌くことすらできなかった。誰にもこの反撃は予想できなかった。

 否、予想していた者__そう信じていた者は一人だけいた。

 キセルの意識はレナーテとの最後の会話へ向かっていた。

 ああ、これをつけて殴るとどうなるんだろう。ちゃんと説明はきくべきだったな。

 デイビッドの額のやや上にキセルの拳が当たった瞬間、器具は大きな破裂音を立てて煙をふき出した。

 その音は歓声に紛れて、闘っていた二人にしか聴こえなかった。

 一人にとってはその音が人生の最期に聞く音となった。


 空砲。ショットシェルというものがある。

 弾頭の代わりにワッズと呼ばれる紙や木、プラスチック製の栓を詰めてある弾のことだ。実弾が発射されるわけではないので映画の撮影用などに使われているが、一応栓となるものが微距離ながら飛ぶためイメージに反して殺傷力がある。1984年、俳優のジョン・エリック・ヘキサムは空砲を装填した銃を頭に当てて発砲したために死亡した破砕された彼の頭蓋骨は脳の奥深くに達していたという。


 デイビッドが力なく倒れた。キセルはレナーテの方を見た。レナーテは手を出した。その器具を早く寄越せ、と言っているようだった。

「医療班! 確認しろ!」

 見つめ合う二人の後ろで、ドヤドヤと三人ほどの男がデイビッドに群がる。

「レナーテ……」

 器具を投げ渡すとレナーテはこくりと頷き、キセルに背を向けると観客の中に紛れて消えていった。

 レナーテが消えたあとも、キセルはその場所をしばらくぼんやりと眺めていた。

『おおおおおおお! キセル勝った! キセル勝ちました! デイビッドに勝ったぞ!』

 うるさく騒ぐ実況と観客達の声ではっと我にかえる。意識が現実に戻ると、それを待ちわびていたかのように背中と腕が再び痛み出した。

『本日第五試合勝者はキセル! キセル・フリックス勝利! 七連勝記録を打ち立て三十五万ドル(およそ3850万円)もの金を手にしたぁああ!』







 熱風の夜が終わり三日、俺は今病院のベッドの上だ。終わってみると夢のようだが、身体中の傷がそう思わせてはくれない。

 死なずに済んでよかったが、結果として俺は人を一人殺してしまった。あの器具がどういう効果を発揮してくれたか詳しくはわからないが、これで俺も晴れて人殺しの仲間入りだ。

 この穴だらけの身体の治療費、借金の返済、デスマッチ関係者らへの口封じ代、その他諸々。特に警察と病院の医師関係に払う額がでかく、獲得した三十五万ドルも今やほとんど手元に残っていない。

 捕まって臭い飯を食うよりはいいとは思うが、完治してまた闘えるようになるまでは、今手元に残った金で生活しなくてはならないからとても贅沢はできない。

 これではせっかく命を賭けて死にそうな思いまでしたのにプラスマイナス0という感じ。でも借金は全部返せたし少しは良いのか……。いや、このケガだからやはり差分なしだな。

 そんな状況で、俺はある話を持ちかけられている。

 今日も個室のドアが三回ノックされた。部屋に入るなり金髪の少女がその小さい口を開く。レナーテだ。

 そう、話を持ちかけてきたのはこのレナーテ。借金の返済や関係者への口封じ等、裏リングの方面で俺の代わりに動いてくれたのはロヴさんだが、警察や医師に話をつけてくれたのは何を隠そうこのレナーテなのだ。裏の何でも屋という稼業はそういった公的機関の方面にも顔が効くようになるらしい。

「容体はいかがですか、キセルさん」

「まあ……まだ痛むがしばらく安静にしてりゃあじきに退院だとよ」

「大事なくてよかったです。ところで、うちの組織に所属する気はありませんか?」

 話とはこれなのだが。

「あの……素朴な疑問なんだが、なんだってそんな話を俺に持ちかけるんだ?」

「うちの事務所は人手不足気味なので、あなたのような人が必要なのです。お願いできますか?」

 彼女はベッド傍の椅子に腰掛けて答えた。椅子に座ったということは、俺が断ってもいくらか粘るつもりだろうか。それにしても、直球ではあるがかなりアバウトな理由である気がする。

「給料次第って感じかな……いくらだ? 裏試合やってた方が稼ぎがいいならお断りだぜ」

 今はとにかく金が欲しかった。稼ぎ次第で裏仕事をやるかどうかなんて、俺も随分汚い人間になったものだな。

「給料はバラバラなのでなんとも。その辺の飲食店でバイトするよりはずっと稼ぎがいいのは確かですが。それにキセルさん」

 レナーテが一拍言い淀む。何かと思い続きを促した。

「先日デスマッチをやっていた地下リングが摘発されました。それを機にその他の賭博がらみのストリートファイトも検挙される形となり、警察は夜の見回りをはじめとした治安維持体制を強化。とても裏試合など開催できる状況ではなくなりました」

「な……! それってつまり……」

「もう以前のように裏でファイトマネーを稼ぐことはできません」

 なんてこった。まだこの街に来て日が浅い。定職はおろか頼れる人もいないってのに……。

 しかしこうも毅然と言われると中々に応えた。レナーテが座り直すようにして俺に向き直る。

「どうでしょう? 私に借りもあるじゃないですか。どうか協力してくださいませんか?」

 借りもあるじゃないですかとは中々すごい言い方をする。確かに否定はできないが。

「容赦ないなあんた……はぁ。いいさ。それ以外何かあるわけでもないしな。あんたのとこで働かせてもらうよ」

 見ての通り、高い意識を持って引き受けたわけではなく、なし崩し的にはなったがこれでいい。それにしても彼女はこんな俺のどこを買ったのだろう。それは未だに謎のままだ。

 そして、それはこれから先もしばらくは謎のままだった。

 ふと見ると、彼女は俺の承諾を受けて心なしか嬉しそうに見えた。見えたというより、思えた? なんせこの少女、表情を本当に変えないもんでね。

 それでは、とレナーテが立ち上がった。話が済んだので帰るようだ。

「よろしくお願いします。退院したらあのカフェに来てくださいね。相棒として待っていますから」

「ああ」

 ああ? 空返事してしまったが何? 相棒?

 聞き返す前にレナーテは部屋から出て行ってしまった。むしろ、聞き返させないために吐いた捨て台詞のように思える。

 レナーテの相棒……なんだか恐ろしくなってきたが、それなりに興味もわいた。死線を一度潜ったのだ。もう少しのことでは動じないぞ。

 ここで、カフェに行った時に対応してくれたあの黒髪の女性や小柄な店員とも顔をあわせる羽目になるのかと気づく。うまく折り合いがつけられるだろうか。

 なんて不安を少しばかり抱えたまま、俺は満足げに目を閉じた。


 ここはアメリカ合衆国ジョージア州アトランタ。

 一人の青年の運命の歯車はこの地で、少女の歯車と噛み合い大きくゆっくりと動き出した。


プロローグ終わりです。次回から本編です。

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