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八咫烏のタイムダイバー  作者: 銀河 径一郎
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第8章 桜受家の海軍士官



 16時4分前に廊下で酸漿の「こちらです」という声がして、すぐ紺色の海軍一種軍装を着用した二人の士官が飛鶴の間に入って来た。

 制服を着た士官のする白い手袋の敬礼は凛々しくて、古相寺は白岩たちと同じ特務員とは思えないなと感心した。しかし、すぐに白岩たちも制服に身を包んで慣れてゆけば同じように凛々しく感じるのだろうと思い直した。

 先に襟章に金線一本、桜ふたつの若い方の士官が挨拶する。

「はじめまして、小柴中尉です。こちらは外山少佐であります」

 紹介された外山少佐が再び敬礼挙手のまま一同へゆっくりと視線をまわした。襟章は幅広の金線二本に桜ひとつである。

「外山です」

「わざわざ、ご苦労様です、白岩です、どうぞ」

 白岩達は大きな座卓の下座に立って、お辞儀をして迎えた。小柴中尉は20代半ばぐらい、外山少佐は白岩と同じ40歳ぐらいだろう。


「少佐様、座布団をおあてになってください」

 古相寺が勧めると、外山少佐は笑いながら腰を下ろす。

「いやいや、格式ばった挨拶はこれぐらいで、私らは同じ八咫烏結社の特務員ではないですか、しかも私は秘巫女様の後ろ盾でズル出世した少佐ですからな、内輪では全然威張れないんですわ」


 公子によればタイムトラベルの件は万が一おかしな噂が立つのを恐れて伏せてあるそうだ。そこで表向きは白岩たちは親しい明院寺家の特務員で桜受家が便宜を図ってやるという話に作り変えられていた。


「まことにありがたいことで。桜受家の三本といえば八咫烏随一の実力ですからなあ、我らも是非薫陶を受けたいものです」

 白岩が囃すと外山少佐もまんざらでもなさそうだ。

「いやはや薫陶などおこがましい。右も左もわからぬ状態でいきなり少尉だと言われて海軍軍令部で英文の注文書やら任されて青くなりました」

 

 そこへ酸漿さんがお茶を淹れてくれたが、茶菓は干し芋だった。

 これには外山少佐が思わず声を上げた。

「酸漿さん、なんだこれは? 菓子はまた八つ橋だろうと楽しみに来たのに、いつから干し芋に化けてしまったんや?」

 外山少佐はがっかりして抗議したが、酸漿さんは澄まして言う。

「海軍さんが踏ん張ってくれんと次は笹の葉をしゃぶることになると思いますよ」

 外山少佐が大声で笑ったのので白岩たちも気兼ねなく笑った。

「まったく酸漿さんにはかなわんな」


 笑い声が引き潮になったところで、望月が尋ねた。

「外山少佐はいつ海軍へ入られたんです?」

「特務員の実践を数年積んで昭和3年に海軍本省に派遣されました。

 そして翌年はロンドン軍縮条約会議が行われるというので列強の戦力分析やら交渉の予想などの文書をまとめたりてんやわんやでした。ま、私は上司に言われた通りに辞書片手に翻訳するだけでしたが、俺は翻訳するために特務員になったんじゃないぞと思いながらもう少し派手な命令が来ないかと思ってました。

 その時、交渉の海軍側次官随員として渡欧されたのが後の連合艦隊司令長官、今は亡き山本五十六元帥閣下でした。会議の結果、日本の艦船保有比率は英米の6.975割に制限されてしまい、そこで山本元帥閣下は航空を海軍の主力に据える航空主兵主義を上層部に訴えていよいよ強力に押し進めたのです」


 望月は頷いた。

「それが真珠湾につながったというわけですか」

「ええ、とにかく日本は戦艦の数を制限されたのですから、大きな大砲を積んだ戦艦が有利という大艦巨砲主義に捉われていたら太平洋戦争の緒戦で真珠湾やマレー沖の大戦果を上げることは出来なかったでしょうな。特にマレー沖で英国の誇る最新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』を航空機だけで撃沈したことは画期的で、世界の列強が一番衝撃を受けたのはそこなんです」


 古相寺が感心して言う。

「山本はんはえらい頭がよろしかったんですね」

 すると外山少佐はにやにやして言った。

「というか、元帥閣下はとびきりのギャンブラーなんです」

 思いがけない返事に古相寺はすぐ聞き返した。

「そうなんですか?」

「ええ、暇があれば部下たち相手にポーカーなどしてはりましたね。

 昭和11年末に元帥閣下は海軍省次官になり私も親しくさせていただきましたが、ほんまポーカーフェースなんです。

 元帥閣下は相手を観察して計測すれば必ず勝つ機会がわかるというのが持論でして。

 2年ほど遊べば戦艦1、2隻の金は作れると豪語されてました」


「話を面白くしようとしての大風呂敷ですよね?」

 松丸が笑いながら言うと、外山少佐は真顔で返した。

「いやいや、実際、元帥閣下はあまりにも勝ちすぎてしまうのでモナコのカジノ協会から出入り禁止になってるんですよ」

 松丸は感心した。

「ほおー、そうなんですか」

「ええ、大事なのは相手を観察してという点でして、元帥閣下は若い頃から米国についてよく調べており駐在武官もなさったから観察は十分でした。それで英米を刺激するだけで利の少ない日独伊三国同盟に反対でした。

 そこで海軍次官の立場で戦争を回避したいとお考えだったのですが、米内大臣が三国同盟に狂信的な右翼による山本閣下暗殺を危惧されて海軍省次官から連合艦隊司令長官に配置換えしたのが本当のところです。

 開戦前に近衛首相に聞かれた時、元帥閣下は半年、1年は暴れて見せるがその後は全く確信がないから日米戦争を回避するよう答えたそうですが、どうも近衛さんは海軍は最初の1年はやれる自信があると、そこだけ大きく受け取ったようです」


 白岩が頷いた。

「なるほど」

「大きな声では言えませんが、ミッドウェーでの大敗で元帥閣下の責任を追及する声が海軍内からも上がりました。

 しかし戦の勝敗というものは様々の要素の積み重ねで決まりますからな。作戦の前提としての山本元帥閣下ならではの航空重視の用兵がなければ、そもそも緒戦からあれほどの連戦連勝はなかった事に気付かなければならんのです。

 おそらく従来の大艦巨砲主義で戦っていれば最初の1年ほどで米国の艦隊がどんどん充実して今のような位置まで攻め込まれていたであろうと思いますね。

 なんだかんだ言われても山本元帥閣下は稀有な戦略家である事に間違いはないのですよ、惜しい方を亡くしてしまった」

 古相寺には外山少佐が小さく溜め息を吐いたように見えた。

 

「大本営発表如きに惑わされない皆さんは既にご承知と思いますが、戦局はいよいよ大変な坂に差し掛かりました。毎日のように制海圏、制空圏が狭まっております。

 海軍というところは司令長官が連合艦隊旗艦に将旗とともに座乗するのを伝統として来ました。しかし、もはや残る大型艦艇は弩級戦艦武蔵と大和ぐらいです。しかし我らが戦いで航空兵力が戦艦に勝ることを世界に示してしまった以上、制空権がなければ弩級戦艦など張りぼての虎のようなもので、実戦に投入しても沈没させられる確率の方が高いありさまです。

 まあ、いずれは古い体質の大艦巨砲主義者の実戦で使えととの大声に押されてのこのこと繰り出すことになるでしょうが、彼らはその結果は考えてないのです。

 いずれ長官旗は日吉の艦隊司令部に掲げられて海軍軍人として良い恥さらしをすることになりましょう」

 白岩もそれには返す言葉もなかったが、古相寺はつい質問してしまう。


「日吉と言われると、海軍が慶應義塾の校舎に入られたとある方に聞いたのですが?」

「ええ、最初に第一校舎に入ったのは海軍軍令部でして、艦隊司令部は寄宿舎の方に引っ越しました。大きな防空壕も今、工事してるところです」

「その、近くに喫茶店とかお店はあるんでしょうか?」

「ああ、それなら校舎の前にロッジ風の赤屋根のしゃれた食堂があります。私も何度か飯を食べましたよ。洋風料理のうまい店です。この食料事情では外世間の店はたいしたものは出来ませんが、学徒出陣で生徒が減ってたところに海軍が越して来て感謝されてます。それで海軍からも食材を都合してやってるようですな」

「私が行ったらそこで働けますかね?」

「いやあそれは私にはなんとも言えませんな。ああ、するとあなたは連絡係を希望されておるんですね?」

「そうなんです」

「なるほど。しかしながら海軍の客の数は大学生の数より少ないでしょうから女給の就職は厳しいやもしれませんな。一応、聞いてみましょう。海軍の人間から聞かれれば店の者も考えるかもしれません」

「ありがとうございます、私、古相寺と言います」

 すると小柴中尉が字を尋ねて返した。

「こんな可愛い女給さんがいたら客の数が増えますね」

「ほんな言わはったら困ります」

 古相寺は頬を染めながら手を振り、松丸は苦虫を噛んだような顔になった。


 外山少佐はようやく本題に入った。

「白岩さん達は奇特にも、その海軍でひと仕事したいということですな」

「ええ、お願いできますか?」

「日付が先のものについては、現時点での確約はできませんが、一通り揃うと思います、小柴君、説明してくれ」

 小柴中尉はカバンから書類を取り出して読み上げた。

「まずは望月さん、矢吹さん、零式小型水上偵察機に搭乗希望ということでしたが、基礎の飛行訓練はもう出来てるのですね?」

「はい、以前にセスナでシミュレ、いえ瀬砂町の菫の咲く飛行場で練習してました」

「どちらが操縦でどちらが偵察になりますか?」

「私は偵察で、矢吹君が操縦を担当します」

「わかりました」

 小柴中尉が書き込むと矢吹が言った。

「ただ実機を使った習熟訓練をしておきたいのです」

「当然です。ただ訓練機は型が古い九六式小型水上機になる可能性もあります。それと遅くとも12月1日までに零式小型水上偵察機を手配してほしいという事ですが機体自体は何か所かにある筈ですが、必要な時期に指定場所に運んで行けるパイロットが足りてないんです」

「では受け取りに行きますよ」

「わかりました。では11月中旬ぐらいから動けるように待機してください。機体はどこで出るかわからないので」

「了解しました」


「次に松丸さん」

「あ、はい」

「司令部電信室に入りたいとのことでしたが、知識はもう詰め込んであるんですね?」

「ええ、もちろんです。ハムのレジェンドからも手ほどき受けたので大丈夫です」

「ハムノレジェンド?」

 そこで白岩が松丸を小声で叱る。(ハムなんてまだないやろ)

「あの、最新式の無線機のことです、なんでもド、ドイツ製だそうで」

「そうでしたか、研究熱心ですね。なるべく夜間当直になるように勤務を組ませましょう」

 そこで古相寺が質問する。

「なぜ夜間がいいのですか? バレにくい?」

「あ、いや、皆さんは結局潜水艦で仕事されたいのでしょう。潜水艦が通信を行えるのは浮上した時にほぼ限られます。潜水艦は敵に発見されない事が一番の防御ですから、浮上するのは夜間が多いんですよ」

 古相寺は納得した。

「それで電信室は慶應義塾の寄宿舎にあるんですね?」

「あ、電信室は万が一にも爆撃されてはまずいので、えーと少し離れた場所の地下壕になります」

 

「それで白岩さんですが、参謀本部の大佐という役職で、制服一式、それに極秘の印が押された作戦指令書を用意しますが、作戦の内容はどうしますか?」

 白岩は唇を噛んで頷いた。

「それはぎりぎりまで情報を収集してから細部を決めますので出来れば白紙で」

 そうはぐらかすと外山少佐が食いついた。

「わかります。ただ我々としてもおおよそどんな作戦なのか知りたいところですな。明院寺家に手を貸すが中身は全く知らないでは、うちの秘巫女様に報告申し上げる際に納得頂けなくなってはいかんと思いますでな」

 いやその秘巫女様が納得されて話を外山少佐に持って行ってるのだが、それを言うわけにはいかないのが辛いところだ。

「………」

「では目標は戦艦ですか? 空母ですか?」

 白岩は少しは情報を与えてやろうと打ち明けた。

「それは戦艦でも空母でもない。新型兵器を積んだ巡洋艦です」

「巡洋艦ですか、大型艦を一隻で沈めるのは至難の技ですぞ、当然、巡洋艦には駆逐艦が通常2隻以上随伴してますからな。へたすりゃあ魚雷を撃つ前に爆雷で深海に追いやられてしまう」

「そうでしょうな。しかし、わしらの駒はそれ以上望めないでしょう?」

「たしかに。結社が自由に手配して使えるとなると船一隻、飛行機数機というのが限界でしょうな」

「なんとかその手駒でうまい戦術を編み出さねばなりません」

 白岩がそういうと小柴中尉が声を上げた。

「回天は? 回天を一気に繰り出せばあるいはうまくゆくかもしれません」

 回天というのは魚雷に操縦する人間を乗せるという特攻兵器だ。

「回天ですか……」

 白岩はそれはあまり考えてなかった。すると外山少佐が述べた。

「回天は港の中なら、うまく港内に忍び込めれば可能性があるだろう。しかし小さい回天では外洋に出たら波に翻弄される可能性が高いし、さらに潜望鏡すらまともに覗けない。戦果は望み薄だ」

「そういえばずっと前、回天の潜望鏡は短すぎると参謀の誰かが言われてましたね」

 白岩が頷くと外山少佐が述べた。

「そういうことだ。まあ、白岩さんとこの秘巫女様は不甲斐ないわしら海軍に花を持たせようと白岩さんに乾坤一擲の御命令を下してくださったんだな。八咫烏がひとたび動くとなれば、それはその辺の民が動くのと訳が違うからの。天界神界の護法善神集まり来りて必ずや勝利をあげること明らかなり。ありがたいことじゃ」

 外山少佐が拝み出しそうな勢いなので、白岩が切り返す。

「買い被られては困りますな。わが秘巫女様は何もしないのも心苦しいから惜しみないわしらに特攻でもして散って来いということだと受け取りましたがの、ハハハッ」

「いやいや冗談でもなくなりそうです。戦艦も空母もない海軍に残された戦法は特攻ばかりになりそうな気がしますな。そういう事情で、間髪を入れずわしらも明院寺家の皆さんの後を追いますで」

 すると白岩も返す。

「わしらで米英の鼻をあかしてやりましょう」

 外山少佐と白岩はがっちりと握手した。

 それを見ていた古相寺は胸が痛んだ。特攻などという非人間的な作戦をすでに自分の予定に決めている特務員たちに心の中で(そんなのおかしいよ)と叫んでいた。


   ○


 外山少佐が帰って6時になると古相寺は飛鶴の間で壬生野との通信を始めた。


『茜、今日はこの昭和時代の特務員さんが二人来てくれはったよ』


『白岩さん達の身分をごまかしてくれるひとやな?』


 古相寺は座卓の向こうで詰将棋の本を見てる白岩の顔を盗み見て苦笑いしながらコード端末機に文章を打ち込む。


『聞こえが悪いけどそないゆーことや』


『でどないな感じの人やった?』


『一人は外山少佐いいはって白岩さんと同じぐらいの歳やけど、カッコイイの』

『海軍の制服を着てはるせいかもしれんけど敬礼がええんよ』


『ほうか? あん歳をカッコイイ言う美穂は痛いなあ』


『自分かて中年のケネディとかカッコイイ言うやないの?』


『ケネディさんは別格やもん比べたらあかんよ、人類ん中で一番ええんよ』


『ふふふ、茜の好みじゃ話にならんわ』


『もう一人は?』


『そっちは小柴中尉いうて、二十代半ばすぎかな』


『そっちはカッコよくないんの?』


『そうやね、普通や』


『ふーん、普通か。ほな松丸さんと比べてどうやの?』


『なんで比べなきゃあきまへん?』


『やっ、何やら松丸さんを守りたい雰囲気に聞こえるよ?』


『そんなことないって。男しに興味ないもん』


『ふうん、そういうことにしといてあげるわ。で、いつから日吉に行くん?』


『明日の昼に出発や。タイムダイバー隊員の準備が揃うから』


『ほうか。松丸さんは同じ方向やから同じ汽車やな』


『そうやけど。それより白岩さんや望月さんや矢吹さんとはお別れや』


『うん、そうやな』


『もしかしたら戦死なさって、もう会えへんかもしれへん。怖いわ』


『会える可能性もあるやろ』


『たいがい言わんといて。会えへん可能性の方が大きいんやで』


『うん……』


『うち、どないしたらええんや? うちに出来ることはあるん?』


『そないやな、無事に帰ると信じてあげることやろな』


『うん、それはわかる。でももっと形んあること出来んかいなと思っとるんや』


『うん、ほなら無事で帰るよう願いを込めてお守りをこしらえるちゅうは?』


『巫女としてはありきたりやけど、それがええかな』


『うん。それが一番や』


『さすが茜や』


『うちも旭子様と一緒に無事を祈ってるからな』


『うん。おおきに』

『話は変わるけどこん前の潜水艦を見つけるいい方法はあったん?』


『うーん、そっちはまだ。もうちょっと探してみるわ』


『ほうか、期待しとるし。茜、また明日な、ごきげんよう』


『うん、ごきげんよう』


 

   ○


 晩の御膳が食堂の女給さんと酸漿さんによって座卓に並べられた。

「板長さんが今晩は松茸が手に入りましたで味わってください言うてはりました」

「おお、土瓶蒸しかいな、贅沢なご馳走やなあ」

「はあ、松茸がそないに贅沢ですか?」

 昭和時代にはそれほど贅沢品でもなかったかと思い直して白岩は聞いてみる。

「酸漿さんの分もあるんかい?」

「ええ、松茸はぎょうさん採れはりましたで後でいただきます」

「それはよかった」


「お魚は子持ち鮎、ご飯は栗ご飯になってますので」

「このご時勢にありがたいこっちゃ」

 男四人はうまいうまいと言いながら食べていたが、昨日まで食事時によく使われていた単語を今日は誰も口にしない事に古相寺は気付いた。そう、昨日までは『最後の晩餐やから』と笑いながら言ってたのが、今日は本当に最後なので皆揃って避けているのだ。命知らずの特務員が縁起を担いで避けるなんて、そう思うともう喉を通らなくなった。


「皆さん、今日は上がりますので。おやすみなさい」

 古相寺が座を立つと白岩が声をかける。

「おやすみ、てか、まだ栗ご飯残ってるやないかもったいない、よし一番若い松丸食え」

「えっ、いいんすか?」

 そういう今まで松丸にきつく当たってた風当りの変化も胸に染み入るようで、古相寺は急いで部屋を出た。


 お守りを作るための材料をと思ったが、コンビニが夜も開いてる時代でもないし内部で調達するしかない。ところが、公子さん以外の巫女達は本当の事情を知らないので古相寺を他家の者として分け隔てて扱うところがあるのだ。

 古相寺はまず酸漿さんに聞くために事務室を訪れた。


「酸漿さん、まだいはりますか?」

「ああ、古相寺さん、食事は済みはったん?」

「はい、ごちそうさまでした。今までありがとうございました」

「気にせんといて。秘巫女様が『あれは八咫烏の決死隊ゆえ余分に金をつこうてでも充分もてなしてやれよ』と仰せでな」

「はい、隊の皆が感激してたと酸漿さんからも公子様にお礼を申し上げて下さい」

「承りましたで、いよいよ明日は出発やな」

「はい。それでうちの隊員にお守りを作りたいのですが余った布などありませんか?」

「ああ、ハギレやな、ならそこそこあるかもしれへん。おいで」


 酸漿は事務室の壁際の戸棚から行李を持ち出して、机の上で開けた。

「うわー、ぎょうさんありますねえ」

「持つのが男しなら赤い柄より渋めのこの濃緑やら、この群青やらがええかもな」

「そのふたつがええです」

 古相寺は濃緑と群青の布地を受け取ると机に向かった。

「サイズはどれぐらいがええですか?」

「古相寺さん、サイズなんて敵性語をうっかりお使いおすな」

「なんですか?」

「ほら、鬼畜米英の言葉は軽佻浮薄(けいちょうふはく)だから日本語を使えちゅうことです」

 古相寺は(戦争中にそんなアホくさい細かいことしてはったんや)と驚きながら慌てて知ったかぶりをする。

「そ、それは知ってます、サイズのサイは年齢の才と同じかと思うてたので」

「ああ、なるほどな、どれ、一枚はうちがしよるきに」


 酸漿と手分けして古相寺は布地にとりかかる。

「縦の寸法は袋縫いにするからお守りの寸法の倍にしいや、横は両端に縫い代を足してやから、縦は五寸、横は一寸五分ぐらいでどないやろ?」

「わかりました」

 寸法通りに布地を裁断すると今度は袋縫いに移るが、古相寺は針に糸を通すところでだいぶ時間がかかり、ようやく縫い始めてふと見遣ると酸漿はもう最初のひとつを完成させている。そしてふたつめも驚くような速さで縫い進めてゆく。

「酸漿さん、速いですねえ」

「速いか遅いかは単純な繰り返しが好きか苦手かの差や。

 どれ貸してみなさい、中身はあんたに任せるきな」

「ありがとうございます。あの弾除けのお守りってありますか?」

「弾除けはさすがに聞かんけど、千人針にサムハラを書くのは流行ってはるわ」

「サムハラですか?」

 今でこそサムハラ神社は有名だが、最初のサムハラ神社は昭和10年に岡山に創建したが無許可のため特高に睨まれ翌年に撤去していた。

「ほら、加藤清正が刀に彫ってて無事だったとか、日露戦争の激戦地の二〇三高地でサムハラの字をつけてた人が生き残ったとかで、弾除けと意味は同じよね」

「それええです! どない字を書くんですか?」

「たしかどこかに書いておいたわ」

 酸漿は立ち上がって机の上を探して書類入れから紙を持って来た。

 古相寺はそれをお守りの表に書こうと決めた。


 酸漿は古相寺の手がけてた布地を瞬く間に縫い上げた。

 合計五枚のお守り袋を受け取ると古相寺は涙目になって感謝した。

「酸漿様、ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」

「たかがお守り袋で一生思い出されてはこそばゆいので忘れてええわ」

「だって私が一人で作ってたら真夜中までかかったかも」

「それより中身はどうしはるつもり?」

「丑の刻が良いとされてるので明日の二時半から三時すぎに書きます。ついては礼拝所にその時刻に入ることは出来ますか?」

「それでは警備に頼んでおきますから、そこで鍵を受け取って入りなさい」

「はい、ありがとうございます」


   ○


 午前二時にスマホのアラームが鳴ると古相寺は飛び起きた。なにしろタイムダイバー隊の仲間たちに気合を込めてお守りを作るのだから、いつものようにしばらく寝ぼけているなんて暇はないのだ。古相寺は素早く口をゆすぎ顔を洗って警備室に向かった。


 ドアをノックしようとすると内側から開いて警備の特務員が顔を見せ笑った。

「やっぱり、この前のタライの娘だな」

「その節はどうもお手間をかけまして。礼拝室の鍵をお借りします」

「秘巫女様は毎朝4時には来られるから、その前に終えて戸締りしてすぐ鍵を返してくれよ」

 そう言われて鍵を受け取り古相寺は地下6階の礼拝室に入った。

 巫女の控室に入ると予備のものらしい巫女服を見つけ袖を通して水引で髪をしぼると心持ちも一気に引き締まる。


 巫女の作業机の引き出しからお守りの表紙、中板、中紙も見つかった。

 続いてお守りの中紙に書く霊符の手本も各種6枚ずつ出て来た。

 あとは先細の筆ペンだ。お守りの中紙は普通の霊符の用紙よりふた回りも小さい。力が入りすぎてボテッと筆先を広げてしまう癖のある古相寺には普通の太さの筆先で細かい字を書くなんて無理なのだ。

 古相寺は全ての引き出しや筆ペンを探してみたがどこにも見つからない。

 そしてやっと古相寺は気付いた、この昭和時代に細い筆ペンなんて実用発明品はまだ出来ていないのだ。

 絶対絶命のピンチ。しばらく自分の頭を叩いていた古相寺だが、ふとひらめいてその方法を実行することにした。

 

 古相寺は礼拝の所作をして祈祷の座所に入った。

 二回拝して焼香し、手を胸に当てて勧請文を唱え、加持を行い、柏手を打っていくつかの神咒を誦し、瞑目して、一気に用意していた符の手本をなぞり相手の名を記す、さらに表紙にサムハラの神字を記す。

 こうして自分も含めた隊員五名分の中紙と表紙が出来ると祓い詞を唱えて願文を奏上し入魂した。

 そして古相寺は送神文を三度唱えて二礼して退座した。時刻はまだ三時半だ。


 お盆に中紙表紙を載せて巫女の控室に入るとなんとそこには秘巫女の公子が座ってお守り袋を触っていた。

「あっ、公子様、お早いんですね」

「そなたも早起きして隊員にお守りを作ってたらしいのう」

「はい、良いものが出来たと思います」

「どれどれ、見せなさい」 

 まず公子はサムハラの表書きに目を止めた。

「当節はこれを千人針に書くのが流行りらしいのう。そなたも目ざといわ」

「酸漿さんが教えてくれはって」


 次に公子の目は中紙の符に釘付けになった。

「おや、この霊符、古いやないか? どうや?」

 古相寺の心臓が罪の寒さに震え出した。

「そ、それはその……」

「この字は古いし紙も色褪せとるん? はっきり答えい!」

「あの、うち不器用で紙が小さいと符を書けないので、仕方なくお手本を使いました」

 古相寺の言い訳に温厚な公子がキレた。

「何事かあ! それでも桜受の巫女かー」

 公子の怒声に古相寺は床に突っ伏した。

「申し訳ございません」

「米粒に経文を書く者もおるに小さくて書けん?

 手本をそのまま使うなど、ごまかすにもほどがある」

 古相寺は額を床に擦りつけて謝る。

「申し訳ございません、申し訳ございません」

「ちゃんと心を込めて手書きせんかー」

「申し訳ございません」

 古相寺は額を床に付けたまま息を止めた。


 公子は持っていた扇をピシッと閉じると深呼吸して言う。

「本来ならばタライの罰を与えて、後日、佳き日の丑の刻に作り直させるべきだが、残念ながらそなたは本日出立せねばならぬ。

 次善の策として今すぐ作り直しなさい。日の出前ならよしとする流派もあるでな」

「あの、私の手では細かい符は無理かもしれませんが……」

「そなたはきれいに書こうとしておるが、符は清き心が書くもので多少線が太くなる程度は構わぬのじゃ」

 

 再び、古相寺は礼拝の所作をして祈祷の座所に入った。

 二回拝して焼香し、手を胸に当てて勧請文を唱え、加持を行い、柏手を打って……と同じ手順を繰り返し、今度は赤口の朱墨と青墨のふたつの硯を用意して、瞑目すると金光が舞い降りるのを観じて符を描いてゆく。

 よい、それでよいぞ。

 誰かの声が響いたように思うが気をそらすこともなく符の線を伸ばしてゆく。

 五人の符が出来上がり、祓い詞を唱えて願文を奏上し入魂まで終えると古相寺は感激で涙を流した。

 神がすぐそばにいて自分を導いてくれたようにと感じたからだ。


 控室にさがると、公子が微笑んで頷いた。

「出来たか?」

「はい、おかげ様で出来ました。少し線が太くなったところはありますが私にしたら上出来だと思います」

「うむ、袋に入れて完成させなさい」

 古相寺は中板、中紙をお守り袋に詰めて守り結びで閉じる。そして表にサムハラ神字の紙を貼ってお守りを完成させたのだった。

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