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八咫烏のタイムダイバー  作者: 銀河 径一郎
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第4章 秘巫女の希み

 旭子は古相寺に視線を向けると言った。

「古相寺、今回使うタイムマシンのしくみについてこの者たちに説明してやってくれるか?」

「はい、秘巫女様」

 答える古相寺の横顔に壬生野が拳を握って声を出さずにエールを送った。

 古相寺は立ち上がると秘巫女の椅子の隣に立ち四人の男たちを見渡し、手に持って来た定規を掲げて見せる。

「私達は学校へ通う前から、『こんな事は学校で教えるまでもない常識なんだから絶対忘れるなよ』という耳には聞こえない前置きをされて『時間とはこの定規のように一直線で、等間隔に日付や時刻が並んでいるものなんだぞ』と叩き込まれてきました。

 さらに『時間はいつでも過去から未来への一方通行であり、お前の後悔の生みの親は時間なんだ』と信じ込まされて来ました。

 今、冷静になって振り返ると、それは時間というものに根拠も示さずに神聖不可侵の特権を与えていたの同じ事でした。

 ところが最近の量子理論の研究者は、時間という不動の次元軸があるのではなく、時間は空間と同じに扱えるブロックのようなものだと考えているのです。

 映画の『インターステラ』では主人公が四次元立方体の中で移動すると行きたい時間に移動する事で説明してましたが、時間は空間と同じように動かせるものなのです」

 壬生野はブラッシュアップした説明を古相寺がうまくやりこなした事にホッとした。

 男たちの目が丸い点になったと見ると古相寺は予定通り口調を切り替える。

「簡単に言えば、時間なんて定規のようなもんだと思ってたら、定規なんかない。時間はお店で手に取った品物についている値札みたいなもんだと分かったのです。

 値札の波動を変えてやると、その品物はポンと時間や空間を飛び越えて別の店に現れるのです」

 

 すると望月が「ちょっと聞いていいかいな」と手を挙げた。

 質問など想定していなかった古相寺は動揺して視線を泳がせ壬生野をちら見してから言った。

「ど、どうぞ」

「その波動を変えるってのはどうやるんや?」

「それは、たしかブラックホールを利用するんです、ね?」

 古相寺は壬生野に縋るような眼を向けた。

 壬生野は強く頷いて心の中で古相寺を応援する。(ブラックホールの説明は昨日たっぷり予習したんだから思い出して答えて、美穂、頑張りや)

 望月の質問が続く。

「ブラックホールがワームホールに繋がっていてそれを使ってタイムトラベル出来ると聞いたことはあるで。そやけどそない簡単にブラックホールがコントロールできるもんと思えんのや。自分の行きたい時代の決めた時刻に行けるもんかいな?」

「あ、ああ、よくご存知ですね」

「結社の中に、まだ動いてないがタイムマシンが出来たそうやと聞かされた時に、そりゃあ少しは本読んだり勉強しますがな」

 古相寺は「なるほどー」と返して壬生野へ目配せしてくるが、望月の疑問は続く。

「『インターステラ』みたいにな、特異点に飛び込んで落ちて行くのは無謀や、無責任やと思うで」

 古相寺はダジャレを思い出す。

「あれです、私たちの場合は八咫烏だけに、カー・ニューマン・ブラックホールなんです。八咫烏だけにカー。なので大丈夫です」

 古相寺は耳を澄ませたが一人が小さく笑っただけだった。ただその一人が旭子だったから救われた。勢いづいて壬生野が「うまい」と声をかけたのだがそれは空回り感が漂った。


「なるほど。で、そのカーなんちゃらブラックホールなら大丈夫いう根拠はどの辺にあるんかいな?」

 望月がさらに質問すると、古相寺の声が震えた。

「それは、その、あの……」

「コショージさんやったかな? 秘巫女様から指名を受けた以上、あんたも責任持って説明してもらわねばあきまへんで」

 望月が意地悪く言うと古相寺はいよいよ困って俯いた。そこで放っておけずに「待って下さい」と声を上げ立ちあがった者がいた。


 古相寺の窮地に声を上げたのはもちろん壬生野だ。だが、彼女に加えてもう一人の男も立ち上がっていた。一番若い松丸だ。壬生野は驚いて松丸を見返した。

「先にいいですか?」

 松丸が言うと壬生野は「ええ」と譲って腰をおろした。


「望月さん。それは遠心力みたいなもんのおかげですよ。いや、私もタイムマシンの話を聞いてにわかに本を何冊も読み出した素人ですから物理学者の本当の説明はできませんから私の直感という事で聞いて下さい。

 普通の静止してるブラックホールは特異点が小さいですが強力で、いわば巨大な蟻ジゴクみたいなものです。

 カー・ニューマン・ブラックホールは全体が高速回転してるので、特異点もドーナツ状に広がって事象の地平面も外側に押し出してきてます。その点で危ない感じがしますが、しかし、同時に回転してるエルゴ領域と事象の地平面が私たちを外周に挟み込んでずれないように留めているのではと思います」


 古相寺がそこで「エルゴ領域てなんでしたっけ?」と立場を忘れたまさかの質問を投げかけてくるが、松丸は微笑んで答えた。


「『天空の城ラピュタ』で人が近づかないよう天空の城を取り巻いている「竜の巣」というのがありました。あの雰囲気で考えてもらうと当たるといえずとも遠からずと思います。このエルゴ領域の中にあると特異点に入らない代わりに外に逃げ出すのも困難な感じです。

 こうして高速回転がさらに速くなるとエネルギーと質量が釣り合った極限ブラックホールの状態になります」

 古相寺は頷いた。


ドーナツ状の特異点

「こうなると、事象の地平面もエルゴ領域もぺしゃんこに消えてしまい、極限まで広がったドーナツ状の特異点が露出します。この時、物理法則が破綻して制限が取れるようです。

 ホーキング博士は物理法則は破綻しない筈だと主張し『インターステラ』の監修をしたソーン博士と賭けましたが、シミュレーションの結果、負けを認めました。極限ブラックホールに発達するともはや物理法則は成り立たないんです。

 この時、特異点のドーナツのすぐ外側に物理法則の制限を解かれたCТCと呼ばれる『閉じた時間の輪』が出来ます。すると特異点に落ちることなくドーナツの少し上を進んでた私たちは時間を順方向にも進め、逆方向にも遡れるようになってて、タイムトラベルが可能になるのだと考えられてるようです」

 壬生野が拍手を始めるとその場が拍手を送り松丸の説明を褒めた。

 

 旭子がにこにこして古相寺に聞く。

「古相寺、これぐらい説明してくれると後が助かるのう」

「あっ、はい、助かりました」

「それでは古相寺、後を続けなさい」

 古相寺は咳払いをして続けた。

「後を続けるのもおこがましいですが、秘巫女様のご指名なので続けます。

 このような原理だからこそ比較的小さな機械装置、今、結社に完成しているのは小屋サイズですが、タイムトラベルが可能になったわけです。だからといって安心できるとまでは言えません。時間旅行の足場はとても弱くて、揺れたりズレたりしてしまうものなのです」

 古相寺はゆっくりと男たちを見回した。すると年長の白岩が言い放った。

「わしらは時間が一日ずれようがひと月ずれようがびびったりしまへんで」

 おそらく白岩は特務員のまとめ役は自分だいうと考えがあり、良いところを見せたいのだろう。しかし、古相寺は聞き返さずにはいられなかった。

「そんな大雑把な感覚で本当に大丈夫だとお思いですか?」

 白岩は唾を飛ばしそうな勢いで切り返す。

「時間がずれたって死ぬわけやない、びびるかいな」

「時間が2分ずれたらこの時代に戻れなくなります。今までの作戦ではどんな事態であろうとこの結社に戻ってこられました。たとえ瀕死であろうと仮死状態だろうと結社の撤収部隊が回収して高度医療回復装置で健康体に戻れました。

 しかし今回のタイムトラベルでは機械装置の本体が設定された帰りの時間と場所を厳守してその場に来てもらわなければ二度とこの世界に戻れないのです。行った先では少しの怪我をしても撤収部隊はないので例えばそこが南方ならつまらぬ伝染病で呆気なく死ぬかもしれません」

 そこで白岩は顔に焦りが浮かんだ。

「南方てえと太平洋戦争時代に行くってことですか?」

 古相寺は振り向いて、旭子の口が開くのを待った。

「そうじゃ。行く先は太平洋戦争時代じゃ。古相寺、続けなさい」

 古相寺はお辞儀して続けた。

「戦争のまっただ中に飛び込むことになりますので、行く時は五人でも帰りに五人揃うことは難しい。正直な予想ではおそらく一人も指定場所に辿り着けない可能性が97%と考えられています」

 古相寺がそう言って口を噤むと、沈黙が広がった。


 過酷な作戦を生き抜いてきた特務員たちだったが、言われてみれば現代においては常に作戦行動中は撤収部隊が遠巻きに待機してくれていた。たとえ手足が千切れたり内臓が破裂したり土中に埋められても撤収部隊が助け出し最高度の救命措置をしてくれ結社に戻れば高度医療回復装置で失われた手足や臓器さえ再生することが可能なのだ。そのように助けられると知っていればこそ思い切り無茶が出来た面があることは否めない。

 さらに結社に戻れないとなれば、金一封を頂き、地上のネオン街に這い出して、うまい飯をたらふく食い、酒を浴びるほど飲んで、いい女と汗だくで生きてる喜びにひたる事も出来ないではないか。


 重い沈黙を破って松丸が言った。

「自、自分は古相寺さんにはきちんと現代に帰っていただきたいと思います。なんといっても秘巫女様直属の巫女様なのですから」

 旭子は松丸が古相寺に一目惚れしたのを読み取って心の中で笑った。もっともその紅潮した顔と古相寺を見詰めて震えるような睫毛を見れば誰にもばれてしまっていたが。

 残る四人の男たちはバラバラと揃わぬ拍手をしてはやした。

「よおよお、色気づいたか、優男」

「こんなとこでええカッコ見せて」

「抜け駆けしようたあ百年早いんだよ」

 古相寺もこのような冷やかしに慣れていないらしく俯いて頬を染めている。

「いえ、自分は純粋に古相寺さんまで危険な目に遭わずともよいと思ったからで。自分たちに付き合わずに途中で帰還して頂いてもよいのではと思った次第で」


「いや、古相寺は古相寺で大詰めに関わる大事な役目があるのだ」

 旭子がそう言うと、白岩が首をすっと前に突き出して聞いた。

「さて、そろそろこの辺で、秘巫女様が絵を描いた、全米が震えて泣き出すような作戦の詳細をお聞きしたいと思いますが」

 そう言われた旭子はちょっと不愉快に思う。

「誰ぞ、そのような噂を申しておったかや?」

「いえ、聞かずとも言わずもがなでございます。秘巫女様がじきじきにご立案なされば、常人の思いも及ばぬ作戦に違いありませんから」

 旭子は扇をパチンと音を立てて頷いた。


「これは極めて困難な作戦じゃ。歴史に残る勇猛な武将と並べても見劣りしない武者魂を持ったお主達が涙を流してこんなことならもう帰りたいと喚き散らすであろうが、それでもそなたらの命を捨てたつもりで成し遂げてもらいたいのじゃ」

 白岩が芝居がかった大声で応じた。

「おう、お聞かせくだされ」

「行くのは現地での準備や訓練期間もあろうから昭和19年の秋とする。前年にミッドウェー海戦の大敗、この年に入りガダルカナル島撤退と、日本の勢力は狭まり、いよいよ明らかな劣勢に転じている時期じゃ。

 古相寺は当時の三本特務員の中で海軍省に潜入している外山と小柴という者に連絡を取り、我らに必要な情報の提供を求め、なりすましのための身分証、そして命令書の偽造を依頼して潜入させるのじゃ」

「かしこまりました」

「松丸、そなたは海軍省の通信部門に潜入し、毎日、伊号潜水艦の動きを細かに収集してくれるか」

「はい、お任せ下さい」

 そこでまた男たちが冷やかす。

「秘巫女様のお情けの差配じゃな」

「通信事務なら憧れの古相寺様と何度も会えようて」

「しかし当時はデートも出来ん時代らしいぞ。顔だけ見て何も手出し出来ぬでは狗神憑きのごとき苦しみだろう」

 そこで旭子が「お黙り」と一喝して一同は静まり返る。


「矢吹、そなたはバイクの操縦が得意と聞く、作戦では1ケ月ほど訓練してから水上偵察機のパイロットになってもらうといたす」

 矢吹はゲッと声を出して驚いた。

「そ、そんな水上偵察機など、模型飛行機もドローンも動かしたことはないですが、1ケ月で覚えられるものですか?」

「まあ、バイクも偵察機も手足四本使って動かすそうですから似たものでしょう。もし出来なければ作戦はそこで終わりですから矢吹ならなんとしても覚えるでしょう。吾も巫女たちとうまくゆくように祈祷するゆえ大船に乗るつもりで励みなさい」

 矢吹は旭子の機械に詳しくなさそうな話しぶりから反論をあきらめた。


 白岩が自分の序列上位をアピールしたくて聞いてくる。

「それで偵察機はどのように投入されるおつもりですか?」

「昭和20年1月15日、伊号第12潜水艦は敵に発見されたと打電し、その後、米軍による撃沈記録があります。そこで白岩は矢吹と前日にわかってる座標海上付近を飛び回り浮上した伊号第12潜水艦を発見するのです」

 白岩は慌てた。

「あ、いや、ちょっとお待ちくだされ。座標がわかっていても広い海で偵察機から潜水艦を発見するというのは砂漠で落としたコインを翌日に気付いて探し出すような至難の技ですぞ。仮に潜水艦を発見できたとしても米軍に見つかり偵察機潜水艦双方とも攻撃を受けて御陀仏の可能性があります」

「そうかもしれませんが、そこは要領よく立ち回りなさい。米軍より先に伊号の潜望鏡を見つけて、その前方に着水し、まずは白岩を極秘任務の命令書を持った参謀として乗り込ませるのです。伊号はすぐに潜航させて米軍による索敵から回避させ、落ち着いたところで今度は望月をピストン輸送で乗り込ませ、矢吹自身も偵察機ごと乗り込むのです。カタログでは伊号第12潜水艦は零式小型水上偵察機一機を格納可能となってます」

 白岩の脳は真っ白になった。

 まもなく撃沈される予定の伊号潜水艦を見つけて、それに参謀と偽って乗り込み、己を撃沈する予定の米軍駆逐艦、掃海艇から逃げ切る。発想からして無謀な作戦だ。


 すると旭子が白岩の意識を読んで叱った。

「無謀とは言わせません。既に日本軍は制海権も制空権も日本列島の周辺だけに縮小しています。吾が使用したい海域に動ける潜水艦は調べてもなさそうでした」

 そこで旭子は古相寺を見て頷いた。

「吾があきらめかけた、ところに古相寺が伊号第12潜水艦が近くの海域で沈没した記録を見つけてくれたのです。

 撃沈された筈の潜水艦をこっそり助けてしまえば司令部は呼びかけません。だから沈没予定の伊号第12潜水艦に白羽の矢を立てたのです。」

 だからそれを無謀と言う……、と言葉を並べかけて白岩は慌てて首を振った。考えることは秘巫女様に筒抜けなのだから、もう否定などしない方が賢明だ。


「では、その伊号第12潜水艦で何を攻撃するおつもりですか? マッカーサーが乗る戦艦とか、立ち寄る空母とか」

「マッカーサーではありません。彼一人倒しても、米軍の大勢に変化はないでしょう。

目標は重巡洋艦インディアナポリスの撃沈です」


 白岩はあれっと疑問を抱いた。おぼろげな記憶だがたしか映画で重巡洋艦インディアナポリスが日本軍の伊号潜水艦により撃沈されるストーリーがあったような気がするのだ。

 すると旭子がそれを受けて続けた。

「白岩のあまり自信のない記憶にあるように、確かに放っておいてもインディアナポリスは伊号第58潜水艦に沈めらる。これは歴史的事実であり米国で映画にもなりました。しかし悔しいことに、それはテニアン島で原爆の部品を下ろした後だった」

 そこで旭子の声が大きくなった。

「よいか白岩、なんとしてもテニアン島に着く前に、原爆の部品を積んだインディアナポリスを沈めて、広島長崎の無辜なる民に対する殺戮を回避するのじゃ」

 激しい語気に白岩始め男たちは秘巫女様が広島長崎の犠牲者への深い思いからこの作戦を考え出したのだと気付いた。

「戦争だから戦っている兵士が傷つき亡くなるのは止むを得ぬ点もあろう。しかしな、広島長崎の原爆の被害者は大半が平穏に暮らしておった民ではないか、

 中でも朝早くから空襲に備えて防火地帯をつくる作業をしていた中学や女学校の生徒が約八千数百人もおったのじゃ。うち六千人が原爆の直撃を受けて一瞬のうちに溶けるように亡くなった。

 生き残った子供もひどい火傷に苦しみ激痛に苛まれて線香花火のような余命で早ければその日のうちに、残ったものでも新年を迎える者はほぼなかったのじゃ。

 敵軍にとっては何の罪咎もない民ではないか。この無辜なる民たちの命を一瞬で根こそぎに奪い去った事、勝者がいかなる理由で正当化しようとも人道に照らして許されるものではないわっ」

 旭子が叱り飛ばしパチンと鞭打つような音を立てて扇を閉じ、その場をぐるりと見渡した。美しかった瞳が恐ろしい般若の如きいかつい目つきに変わっており、一座は恐れおののいて平服した。

 

 ひと呼吸おくと旭子の夜叉の表情は柔和に戻った。

「しかし、今更どう怒ろうと虚しい後の祭りじゃ、と、事の次第を知りてよりはずっと堪えておった。それがタイムマシンなるものが実用化され実際に米国の国務省施設に隠されてあると聞き及んだのじゃ。早速、情報収集に長けた三本を二名潜入させたのが三年前。最初の一年は何の成果も得られなんだが、二年目の後半になって念願の設計図を入手した。最初はこれであの昭和時代へも行けるのかと嬉しく思っていたが、機械を組み上げてみると単独で動かせるのではなかった。機械はジョン・タイターの使用した物より改良されて親機だけでなく、子機にあたる搭乗コード端末が必要だったのじゃ。それをようやく今回三本が取得してくれた。

 おかげで我らが無辜なる民を救う道具が揃ったわけだ。しかし、これから先はそなたたちの力なしには成し遂げられぬ大事業ぞ。先ほど白岩が申した通り砂漠の中からコインを探し出すほど難事であることは承知の上じゃが……、」

 そこで旭子は椅子からするりと降りて上半身を倒し両手と額を床につけた。薄絹のヴェールがひと呼吸遅れてふわりと床に広がる。

「この通りじゃ、そなたたちの命、無辜なる民たちを救うため吾にくれ」


 これには四人の男、そして古相寺も度肝を抜かれた。

 この結社にあっては雲の上の存在であり、天主様こと本天皇に助言という名目で指図することさえある秘巫女職なのである。普通なら傲慢になっても止むを得ない頂点にある旭子が、会社でいえば平社員扱い、人聞きの悪い言葉を使えば使い捨てである特務員たちに土下座したのだ。

「あ、いや、もったいない」と白岩が止めようとするがあまりの驚きで腰が抜けて動けない。一番傍にいた巫女である古相寺も慌てて近寄り手を取り「旭子様、お顔をお上げ下さいませ、このような事をなされては、示しがつきませぬ」と諫める。

 他の三人の男たちや残りの巫女たちは旭子より頭を低くしようと床に伏せた。


 しかし旭子は土下座したままもう一度希った。

「皆の者、吾が願い、聞き届けてくれるか?」


 白岩が床に額を擦りつけるようにして答える。

「承ってござる。元より天子様の御為に捨つる命でございますが、秘巫女様の広島長崎の民へ手向ける深い情けは京の裏御所におわします天子様も全く同じお気持ちに相違ありますまい。

 どうぞ頭をお上げくだされ」

 すると旭子は頭を上げてその場で座り直して思い出したように聞かせた。

「裏御所の天子様はほんに優しいお子ですよ、何年か前、暦の講義に参内した時のこと、たまたま天子様が畳の上の小さな蚊の骸をお見つけになり『朕は殺生しとうない。あの煙をやめてたもれ』と侍従に仰せになったのです。

 御前を下がってから侍従に仔細を聞いたところ、新しい部屋が大きくなって以前使ってた蚊帳が届かぬため張らずに蚊取り線香を焚いておったそうで、蚊の命さえ憐れむお方なのです

 きっと広島長崎の無辜なる民を救うこと御同意下されよう」

旭子の言葉に白岩は頭を垂れた。

「承ってそうろう。我ら、天子様、秘巫女様の御心のままに、この大役、命を捨てても、きっと成し遂げまする」

 男たちも古相寺も「命を捨ててもきっと成し遂げまする」と続けざまに答えた。


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