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第三話 硝子屋クイッカ



バターライダーの街を離れて一時間ほど歩く。


帰ってくると世界は夕焼けに沈んでいた。太陽が地平線の上を這い、だんだんと茜色を濃くしていく。

林の中には大きく開かれた場所があり、そこに二件の家が並んでいる。片方は木造で、片方は赤煉瓦の家。どちらもこじんまりとした住居であり、煉瓦の家からは煮炊きの煙が上がっていた。


「ただいま」


そう声を上げると、煉瓦のほうから声が上がる。


「おかえりー、ってかおそーい! 打ち合わせにいつまでかかっているー!」


家の裏手から出てくるのは、灰色のツナギを着て防眩ゴーグルをかけた少女。金色の髪を後ろにまとめており、分厚い革手袋をはめている。


「あれー? どしたのそれ?」


アトラは両手に模型の残骸を抱えており、それを見咎めたものだ。


「これは、その……」

「ああ……物取りか何かに襲われたね。大丈夫だった? ごめんね、ホントはあたしもついていくべきだったんだけど、仕事が忙しくて」


少女は近づいてきてアトラの全身を調べる。少女は17歳であり、アトラよりは頭一つ分ほど背が高い。


「だ、だいじょぶだよ。それに襲ってきた奴らならボコボコにしたから」

「アトラが?」

「いや、その、べ、別にクイッカに関係ないだろ!」


まとわりついてくるのを拒み、木造りの方の家に向かう。


「ごはんいつでも食べられるから、荷物おいたらこっちおいでー」

「わかったよ!」


クイッカと呼ばれた少女は硝子屋である。

家の裏手にある工房で硝子を吹き、ステンドグラスから花瓶まで色々なものを作る。

アトラよりは7つ年上、それだけに、姉と保護者の中間のような力関係があった。


「そう……模型はもういらないって?」

「うん」


野菜くずと塩だけのスープ、それに黒パンという夕食をとりつつ、二人はクイッカの家で話し合う。


「クイッカの方はどうなの」

「うちは硝子屋だってのに、武器とか鎧の注文があったよ。徴兵が始まったらしいね」


でも無理、と肩をすくめる。


「金属の輪を繋げた鎧とか、金属板を鎖で繋いだ鎧とか、聞いたことはあるけど作ったことないもの。すぐに用意するのは無理だよ」


模型屋と硝子屋、親から受け継いだ家業とは言え、戦火の迫る時代にあって必ずしも仕事が豊富とは言えない。

アトラが思うに、クイッカは彼よりも優れた職人であるが、それでも女だてらに身を助けていくにはまだまだ未熟と言わざるを得ない。


腕を磨こうにも仕事はない。仕事を得ようにも腕がない。笑い話のような堂々巡りに悔しさが込み上げる。

蓄えも尽きようとしている。クイッカは何も言わないが、塩味だけのスープは岩肌に溜まった水をすするようで、アトラにも色々と気付かせる粗末さがあった。


「仕事を探してこないと……」

「アトラは心配しなくていいよ。しばらく街が騒がしくなるだろうから、アトラは模型の練習してなさい」


皿についた芥子粒けしつぶのようなパンをつまんで口に運び、アトラは壁を見る。そこには古い銀板写真が飾られていた。

クイッカがまだ赤ん坊のアトラを抱いて、その肩に背後から顔を寄せる壮年の男。という写真だ。


「クイッカの親父さん、いつ帰ってくんのかな」

「そのうち戻ってくるよ」


クイッカには父親以外の身内はいない。その父親は戦争に駆り出されたと聞いているが、まだアトラが幼い頃の話なので詳しくは知らなかった。

アトラも深く聞くことはなかった。男とはそういうものだと思っていた。

アトラの祖父は数年前に没している。それ以外に身内も親類もおらず、二人でこのささやかな工房を守っていたのだ。


皿を顔が映るほど綺麗に平らげると、アトラは思っていたことを述べる。


「なあ、俺、徴兵に」「だめよ」


食いぎみで返された。


「なんでだよ!」

「アトラのお祖父さんに頼まれてるもん、アトラのこと頼むって」

「兵士になることの何がダメなんだよ!」

「兵士がダメとは言ってない。アトラはまだ子供よ。今はたくさん食べて、たっぷり寝て、大きくなることを考えなさい」


先程も似たようなことを言われた。立ちはだかる常識の壁か、あるいは己の未熟さの沼にはまるような気分だ。

アトラとて自分の手足の細さは身に染みている。どうにもならないと察せざるをえず、それを誰のせいにもできない。火山のようなもやもやした苛立ちをじっとこらえる。癇癪など男のやることではない、これもアトラの価値観だ。


「そんなことより模型の技を磨きなさい。きっと平和になったら模型の仕事も増えるから」

「うう……」

「模型がイヤなら畑を耕したっていいし、荷運びの仕事だって」

「嫌じゃないよ!」


アトラの答えに、クイッカは少し驚くように彼の眼を見る。


「別に嫌じゃない。練習だってやってる。あの議事堂の模型だって頑張って作ったんだよ、それなのにあいつ……」


アトラは奥歯を噛んで言葉を飲む。愚痴を言うのは男らしくないと感じたからだ。


そして、そこでようやく苛立ちの根本に気づく。


つまり自分は、あの模型をけなされたと感じたことに腹を立てていたのだ。

そう思えば兵士になりたいと頼み込んだことも、どこか自暴自棄的な行為に思える。そう考えてまた顔を赤くする。


時代の奔流、街の変化、その激流の中にあって、アトラはあまりにも未熟だった。悲しいことには、その未熟さを理解できる聡明さがアトラにあったことか。


アトラは脇を見る。硝子屋だけあって、この家はたくさんの硝子で装飾されていた。色つきの硝子、鉛ガラス、鉛の網目にガラスを嵌め込んだロンデル窓まで様々だ。ガラスの器や置物もある。


ガラスを見つめる。ガラスの中に神がいるという祖父の言葉を思い出す。それはアトラにとっては心を落ち着けるための反復行動ルーティーンとなっていた。

やがてほうと息をつき、ひどく落ち着いた声で言う。


「もう家に戻るよ」

「……暖かくして寝なさいよ、アトラ」


クイッカの家を出ると夜闇が近かった。

世界の南限に近いバターライダーでは、夕日は地上すれすれを飛んでゆっくりと沈む。陽の沈まぬ時期と、陽の昇らぬ時期は年に40日ずつ。気候は寒々しく、日の光は弱く、木は細く実りは少ないとされる土地だ。

世界というものを知らぬアトラでも、ここが世界の崖っぷちに近いことは察せられる。


「戦争か……」


まだ心がざわついている。アトラは一人きりでいるときも、動揺や興奮を出すまいとする意識があった。

心臓をぎゅっと握り、木造りの家へ。


「ただいま」


返る言葉はない。

アトラは祖父の作業部屋へ行く。今はアトラの作業部屋だ。

大きめのテーブルが鎮座する部屋には、たくさんの棚が吊ってあった。そこに並ぶのは半球のドームに封じられた水車小屋、花屋、川に渡された橋と水門、槍を構えた歩兵たち。


模型と言うよりジオラマに近いもの。その半数ほどは祖父が作ったもので、アトラが練習のために作ったものもある。


「……悪くないんだけどなあ」


だが、自分の模型と祖父の作品を見比べると、さすがにその差は歴然だった。地面の処理、小物の作り、配置のセンスも違う。


そして積み上げてあった木箱に登り、屋根板の一枚を剥がす。


「っと、これこれ」


それはやはり模型だった。

何の変哲もない、小屋といくつかの畑のジオラマ。鶏が何羽か放し飼いにされ、隅の方に小川も流れている。大きさは直径一メートルほどの円形であり、飾り物としてもなかなかの大きさだ。


なぜ屋根裏に隠してあったのか分からない。アトラは掃除の際にこれを見つけ、しばしば眺めるようになった。


アトラはそれをテーブルに置き、積まれた木箱の上に腰掛けて眺める。


「すげえなあ……何度見ても」


祖父の記憶はあまりない。模型屋だったのは確かだが、どの街にもいるような平凡な職人だったと聞いている。アトラは祖父の残したいくつかのメモ帳と、本によって模型を学んだのだ。


だが、学べば学ぶほど、この模型だけはレベルが違うと感じる。

小春日和を思わせる草の暖かみ、歳月を経て自然な古びを見せる小屋。川はその冷たい流れが肌に感じるようで、今にも川魚が跳ねてきそうだ。10本ほどある木は自然そのものの枝ぶりで、陽光を照り返す葉の輝きは、模型の中がまばゆき真昼であることを思わせる。


ここには豊かさがある、と感じる。

この小屋に住み、毎日畑を耕して、川で釣りをし、たまに鶏の生む玉子が何よりのご馳走。そこには何者にも脅かされない豊かな日々がある。


「爺ちゃん……こんなすげーの作れるなら、もっとでかい仕事ができたはずなのに……」


模型がうまく作れない時、クイッカに叱られた時、アトラはこの模型を眺めた。そして妄想に心を踊らせていると、嫌なことなどどうでもよくなってくる。

ガラスの中に神様がいる。それはあるいは、このような豊かな気分を与えてくれる、模型そのものの力かもしれない、そのように思う。


重たい模型を背負ってバターライダーまで往復し、様々に感情の揺れ動いたアトラは疲れていた。

木箱の上で船をこぎ始めた彼は、やがて重心が前に傾き、不安定な位置で座っていたために一気に体を投げ出され。


「……え、うわっ!?」


そして重力の変化に眼が覚める一瞬。

彼は頭から、ガラスの半球へと突っ込んだ。



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