第五十三話 竜の見る夢
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直上からの陽光。村の家々を、森の木立の影をくっきりと大地に刻む。
何十人かの子どもたちが忙しく立ち働いている。中にはもう少年期のあどけない印象から脱却し、他の子供に何かを教えていたり、もくもくと木工を行っている子もいる。当面の仕事は家のようで、立ち木を伐り倒して板に加工し、鉄くずから釘を打ち出している。
その中を歩く男女二人。
「あの、僕らの村は気に入ってくれたかな、僕はカインって言って」
「ねえあの家って藁葺きなの? 土地とかどうやって分けてる? 小さい子もいるんだけど薬とかあるんでしょうね」
元からいたカインたちが15人、エイワンたち20人が加わってこれで35人となる。
さすがに畑が足りないかと思われたが、カインたちは麦を備蓄しており、魚や獣肉の干し物、野菜の塩漬けなど保存食を用意していた。とはいえ食料は常に不足気味であり、畑は模型の範囲の四割に達している。土地の拡大は急務となりそうだ。
鶏は19羽まで増えていたが、これも足りない気配である。今日は二羽をつぶして歓迎会をやるのだとか。
「ね、ねえ、エイワンって言ったよね。きれいな髪だね、その年で子どもたちをまとめてるなんてすごく立派で」
「ありがと、ねえトイレは男女別々なんでしょうね? お風呂も広げてもらうわよ。湯沸かしの燃料はちゃんとある?」
その様子を遠巻きに見ていたアトラとスウロ。アトラは腕を組んでつぶやく。
「うまくやれそうだね」
「そう……デスかね?」
スウロはまた模型の調査をしていた。空中にいくつかの板が現れ、文字がつらつらと表示される。
「ケイニオンの街で集めた銀が153億ドルム……面積の拡大にあてるなら、効果は微々たるものデスね」
「それだけあってもまだ足りないのかあ」
「その代わり、拡張機能が見つかったデスよ」
「へえ、どんなの?」
「「森」の模型にタイムラプスを適用したデス。50億ドルムほど使って、この「村」と同じ24倍にできました」
「え、たったそれだけ? それなら模型の中を広げたほうが良くない?」
「村」のタイムラプスは最初の時点で10万倍にできた、そう考えるとかなり少ない気がする。
「計算してみるといいデス。一人が「森」で一日に2000ドルム稼げたとするデス。24倍となると、一日に4万8千ドルムになるデス」
「まあそうだね、毎日狩りに出れたらだけど」
「さらに狩りに出る人数を増やせば稼ぎも増えるデス、しかもイノシシなら500ドルム、クマなら1200ドルムだそうデス。もっと強い獣と出会ったらどうなることか」
「なんか興奮してて怖いんだけど……」
「そこの二人、こっち来るデス」
と、カインとエイワンを呼ぶ。
アトラたちがいたのは森の中である。二人は木漏れ日のレースを浴びつつやってくる。
「マスター、どうしたの」
「ここに穴があるデス」
と、地面の一点を示す。直径10センチほどの穴が空いた。
「「銀の追加」という言葉で開閉できます。ここに銀を入れるたびに、模型の中の世界が少しずつ大きくなるデス。おおよそ一億ドルムで一平方メートル。さらに何十億も使うと機能が拡張されるようデス」
スウロは「森」にタイムラプスが適用された話などを行う。二人は黙って聞き、一通り説明が終わってから口を開く。
「分かったよマスター、僕たちの手で模型を広げていく」
「その「森」ってとこで戦える子を育てないといけないわね。ねえ、マスター……って呼ぶんだっけ、家畜がもっと欲しいわ。今はまだ飼えないけど、そのうち豚と牛も入れて」
「ケイニオンには家畜が少ないデスから……次の街で買いましょう。およそ48日後ぐらいと思っておいてほしいデス。飼育小屋と飼葉を用意しておくデス」
「医学書も全然足りないわよ。特に子育てと新生児に関係するやつ、助産のやつも」
「こ、こ、子育て」
なぜかカインが顔を赤くする。スウロはメモを取る。
「本はケイニオンで買い足しておくデス。しばらくは街に着くたびに買いましょう」
「センビア果の樹もお願い。山裾に大きな赤い屋根の農家があって、ラッファルっておじさんが住んでる。その人を尋ねれば売ってくれるはず」
「わかったデス、他には?」
「言えばきりがないけど……なるべく自給自足しろってんでしょ、何とかするわよ」
「では頑張るデス。どうしても外に用があるときはレンナを尋ねるデス。この森の奥に住んでるデスよ」
「ねえカイン、ここ塩は取れるの? 院長が言ってたわ。人間は塩を取りすぎると腎の病になるけど、取らなすぎても体に良くないって」
「あ、ああ、魚が取れるんだけど、その肝を干しておくと塩分が取れるんだ。あとは野鳥の内臓とか、蛇からも塩気が取れるし、ヤギのミルクからも……」
二人は連れ立ってまた畑のほうに戻る。スウロは何だが感心した様子でうなずいた。
「やはり私の見込んだ子デス。しっかりしてます」
「見込んでたっけ……?」
アトラはふうと息をついて、模型の空を見上げる。
「塩は創造状態で作れるから、大がめに何個も用意しとこう。あとは加工用の石材……これは森の中に置くとして、粘土も追加してあげないと」
「完成された世界のように見えても、まだまだ手助けがいるデスね。完全な循環を作り出すのは大変なことデス」
スウロはある方向を見る。どこまで行っても森しかない世界なため、風景はあまり代わり映えしない。
「もう少し拡がったら、山を作りましょう。粘土も取れる、鉛や銅も、岩塩も取れるような山を作るデス」
「できるかなあ……? まあやってみるよ」
「もっともっと拡がったら海を作るデス。南国の植物が生い茂る森や、泥に無数の生命が息づく干潟も……」
「スウロ?」
呼びかけると、黒衣の魔女は頭を振りながら立ち上がる。
「もう模型を出るデス。やはりここは長居するところではないデスね。ふいに我を忘れそうになるデス」
「う、うん」
模型を出る。小屋の一つの屋根から出ていくのだが、アトラたち以外は穴を通れないよう設定している。
だが住人たちはアトラの方を見ていなかった。もっとずっと大事なことがあるのだと、目の前の仕事に集中するかのように。
外へ出てみれば夜である。ぱちぱちと焚き火が燃え、騎竜がうずくまって目を細めている。眠ろうとしているのか。
「火なんか焚いて大丈夫かな。ケイニオンじゃ銀を盗んだり色々やったからなあ、兵士が探してるかも」
「もう10キロは離れたデス。知ってますかアトラ、5キロも離れれば焚き火の光は大地の丸みに隠れるのデス」
「大地が丸いって話でしょ、聞いたことはあるけど……」
「まだ買う物もあるデスし、何度かケイニオンに行ってもらうデスよ。大丈夫デス。領主の館から銀がなくなったことも、孤児院が一時的に消えてることも我々の仕業だとは誰も思わないデス」
「あとでちゃんと戻さないとね……」
北を眺めればカラトルムの山。夜にあってなお暗いシルエット。吹き下ろす風が足もとを冷たく流れる。
「スウロ、ごめんね」
「はい? 何を謝るデスか」
「いや、さっき話したこと……勇者フィラルディアと会って、真なる竜銀の鎧を奪われちゃって……」
「気にすることはありません。命があっただけ儲けものデス」
それは本当に気にしていない様子だった。
スウロはあまり真なる竜銀に執着していない、と感じることがある。手に入れた以上は熱心に調べるが、それが人間の身に余るものとも考えていそうな。いっそ言ってしまえば忌避すべき対象と考えているフシがあった。
それに、とスウロは指を振る。
「今はアトラの成長デス」
「え、僕の?」
「そうデスよ。白兵戦もまだ未熟。知識も足りない。何より模型の扱いデス。学んで、鍛錬して、良い男になるのデス」
「鍛錬かあ……剣の扱いってどうやればいいのか……」
「いずれは剣の師匠も、模型の中から生まれるでしょう。北方に着くまでには……」
ふと思い出す。火を統べる鎧の語っていたこと。あの声なき声を。
――行くな
――北方へ行くな
「……」
とりとめのない考えが浮かんでは消える。それは砂漠を歩く巨大な影のようだった。夜の深みのその向こう。十八に分かれた魔王の影。
「ねえスウロ、魔王は何がしたかったのかな……」
「さあ、それはきっと、人間には分からないことデス」
しんしんと夜は冷えてゆく。スウロは毛布を肩から被り、アトラにそっと寄り添う。
「じゃあ、人間は何がしたいの……争い合って、奪い合って……」
「それもきっと、誰にも分からないのデスよ、アトラ」
真なる銀とは魔王の血肉。魔王が世界に与えたもの。
それはやがて、一つに集まるのだろうか。
集まらねばならないのか。
――彼はここで死んだ、その時に彼の言葉も消えたのだ
あらゆる考え方も、人々の集団も、巨大な怪物も。やがては争い合うのか。争って消えて、一つだけになろうとするのか。
「スウロ、次はどこへ行こうか」
「そうデスね、カラトルムを越えてもいいデスし、東や西へ行ってもいい。南へ少し戻ってもいいデスよ」
その答えを知るために、旅をするのか。
「いつか北方へ行けるといいね」
「ええ……必ず行くデス」
アトラは懐に抱えた模型を撫でる。その台座の銀は、わずかに熱を持つかに思えた。
「……スウロ、竜が」
それは夢だったのか。
あるいは誰かの夢を覗いていたのか。
砂漠の夜。遥か彼方に竜の影が。
星に届くほどの巨大な影が、さまざまな姿をした竜たちが。
永遠に果てなく、歩き続けていた。
ここまでで第五章終わり、第一部完となります。
続きを書けるのは少し先になりそうですが、できれば続けていきたいと思っております。気長にお待ちいただければ幸いです。




