第五十話 強敵
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「こっちがみんなの寝床だよ」
案内されるのは大竜窟のさらに奥。落盤した岩がうず高く積もっており、その丘のような場所を越えた先である。
「こんなとこ住んでて危なくないの?」
「そりゃ危ないさ。岩に足を潰された子もいる。でもこれが仕事だからね」
「仕事……?」
目隠しをした少年はドリーと名乗った。目が見えてるかのように正確な足取りであり、崩れかかった坂でなるべく平たい石に足を置いて進む。
坂を降りればやがて広場に至った。中央には金属の容器が置かれ、そのへんから集めてきたのか木くずが燃やされている。ドリーを見ると子どもたちが彼に空間をゆずり、火の前に彼を座らせる。
「エイワンの友達ならそう言ってくれよ、歓迎したのに」
「ああ、うん、ごめん」
友人でも何でもないが、さすがにそこを否定する勇気がなかった。アトラなりに頑張って話を合わせる。
「ええと、僕たちは旅の商人で……実はケイニオン加護の館の子を引き取りたいと思ってるんだ」
「なんだって?」
「でもエイワンは兵士になるんだって……ハガネと戦うんだって言ってた。それでちょっと気になったと言うか……。ねえ、ハガネってのはこの隧道にいるの? 君たちをその、何ていうんだろ? そう、支配してるの?」
少年たちは顔を見合わせる。アトラがどの程度を知っているのかいぶかしむ様子だ。
どうもドリー以外は消極的であり、目線は寄越すものの話に入ろうとしない。ややあってドリーが答える。
「僕らの村の前に座ってた鎧があるだろ。ハガネってのはあれだよ」
「え?」
「あれは5年ほど前に大竜窟に住み着いた。近づくものに炎を吐くんだ。目的は分からない。魔法使いの道具なのか、それとも鎧の形をした魔物なのか。分かってることといえば、生き物が近づくと20秒間炎を吐くこと。一度吐くと15分間休むこと。そして鎧を通り過ぎてしまえば何もしないこと。そしてあと一つ、13歳以下の子は襲われない」
「え……」
広場を見渡す。みな少年少女ばかりで大人がいない。
しかしドリーなどはやせ細ってはいるが、もう少し年嵩に見える。16、7はありそうだ。
さらに言うなら、子どもたちは20人以上はいるのに生活感が乏しい。みなそのへんの岩場に寝そべるばかりで、家事らしきことをしていない。ドリーとアトラの会話を聞いてはいるが、興味があるという程でもない。
「領主様は俺たちに仕事を与えたんだ。ここで銀を集めて、トカゲを竜に変える。いつも決まった時間に兵士たちが来るから、竜を入り口へと放つ。10年この仕事をやれば、ケイニオンに財産と家を与えてくれるって約束なんだ」
「約束……」
アトラは洞窟を見渡す。あちこち落盤しており、水の流れる音もする。
「ねえ、ところでなんでこんなに荒れ果ててるの?」
「あのハガネが来た日に大規模な落盤があったらしい。ハガネが崩したのかも知れないし、偶然かも知れない。しょうがないさ。都市曳航竜が掘った穴だけど、でかすぎて天井付近の補強とかできてなかったらしい。その竜が通れればよかったんだろう」
「……」
違和感がある。
勝ち気な少女、エイワンの姿が思い返される。
彼女はおそらくこの街の仕組みを知っている。院長と外部の人間の会話を知っているからだ。
「エイワンはハガネと戦うって……」
「エイワンが……。どういう意味で言ったのかな。言葉のあやじゃないか? 兵士になるってのはあれだよ、どちらにせよここに来るなら一度兵士になるんだ。俺たちはこう見えても街の兵士なんだよ」
そのドリーの言葉。目隠しをしていながらも朗らかに笑む様子。周りの子どもたちの安楽に寝そべる様子。
アトラがそれを理解する前に、きゅっと心臓が縮むような感覚がある。こらえがたい悲哀の波。横隔膜の震え。不定形の感情が首すじに突き刺さり、涙腺から涙を溢れさせる。
「ん、どうかした?」
「なんでも……」
なぜ悲しいのか、その理由をゆるゆると言語化する。
エイワンはおそらくもっと深く理解していた。この場所で竜を作り続けることの意味を。街や領主が約束を守る気があるのかを。
孤児をこんな洞窟に送り込む、およそマトモな発想ではない。そんな領主が、約束だけはマトモに守るなどあるわけがない。
子どもたちはおそらく、もうこの大竜窟を出られない。出ようとすれば背後から炎を浴びるからだ。
街にも領主にも、彼らに家や財産を与える気はない。孤児院と領主は結託し、この大竜窟に子どもたちを送り込んでいる。彼らだけがその非道さに気づいていない。あるいは気づこうとしていないのか。
それに何より、彼らにいま起こっていること。
銀を食べて命を永らえている。彼らは銀を食べることで人間性を失いつつある。繰り返される毎日の中で、領主との約束を盲信することで意識を繋いでいるのか。
「そうだ、育てた竜を見せてやるよ。この先に肥育場があるんだ」
「う、うん」
どうすればいいのか。アトラは暗がりを歩きつつ考える。
(あのハガネって鎧を倒せばいいんだよな……そうすれば子どもたちは出ていける。銀だって街の人で採掘できる)
(でも木剣も折れちゃったし、そのへんの棒きれで殴ってもダメだろうなあ。それに、もし動いて戦いにでもなったら)
(それとも小模型に入ってもらおうかな。何度も往復すれば全員を連れ出せる。タオグルももっと改良して……)
「ほら、あれが竜の檻だよ」
それは太い鋼材を何十本も使った立派な檻であり、中には人間などひと呑みにできそうな鰐が何匹もいる。外部で作られた檻なのは明白だった。
「コツがあるんだ。銀の粒を角材に埋め込んで、こいつに噛みしだかせる。すると歯がやたら丈夫になる。そうやってたくさんの銀を食わせるんだ」
「へえ……すごいね」
その姿は鰐という獣に似ているらしいが、もしこの怪物がアトラの町に住んでいたらと思うと背筋が寒くなる。
よく見れば一頭、ひときわ大きな鰐がいた。その鰐は背中のひだ模様が銀色に輝いており、手足も左右で4対8本ある。
「なんかすごいのいるね」
「あれはイルガード、ここの番人だよ。竜は外に向かって歩くように調教するんだけど、あいつだけは何も教えてない。もし檻から出たなら、動くものすべてに襲いかかるだろうね」
「番人……」
「賞金稼ぎだよ。まだ来たことはないけど、大人たちが油断するなって言ってたんだ。番人として凶暴なのを一匹、作っとけってね」
「ふうん……」
アトラは今のところ歓迎されてるようだが、いつあの怪物をけしかけられないとも限らない。そう考えるとぞっとしてくる。
あの鰐は大きいだけでなく、八本足が俊敏さを予感させる。大人の戦士や魔法使いですら食い殺すだろう。
「あの鰐って、やっぱりハガネの火にも耐えるんだよね」
「そうだよ。ハガネは大きめの獣にも反応するんだ。だから皮膚も頑丈に仕立ててある。銀をまぶした布で背中をこするんだよ、何時間もね」
「生半可な剣や魔術も弾いちゃうね……」
しかし、とアトラはふと疑問に思う。
ハガネは13歳以下の子供には反応しないらしい。ではなぜ鰐には反応するのか。反応しないのは人間の子供だけなのだろうか。それとも鰐も子供なら反応しないのだろうか。
「この村の現状はこんなとこだよ。大体わかったかい」
「ああ、うん……」
「戻ったら孤児院の院長によろしく言っといてよ。仕事は順調だって……」
ドリーがふと首を向ける。
光に反応したのだ。目隠しをしている彼だが、全身の皮膚でそれを読み取るのか、アトラよりも反応が速い。
アトラも背後を見る。赤い光が落盤の岩場を乗り越えて届いている。夕映えのように赤い、それは炎の赤。
「火が燃えてるよ……?」
「ハガネのやつが火を吹いたんだな。アトラ、あんたの連れか何か?」
「いや、心当たりないけど」
「まあ連れだとしてもハガネに火吹きをやめさせるのはムリなんだけどね、戻ろうか」
アトラが大竜窟に入って二時間も経っていない。外はまだ真夜中であり、街の人間が入ってくるのは不自然だった。野良犬はたまに入ってくるけど、すぐ灰にされるんだよね、とドリーの言葉。
ドリーは大きな岩をなんなくよけて歩き、焚き火が燃えていたあたりへ。
「また侵入者か? 見張りのココリは何て言ってる?」
「人間みたいだ。歩いてるのが見えたって」
あの凄まじい炎の中を見張っている子がいるのか。それは驚くと同時に不安をも覚えた。
そこまでの視力はおそらく銀を飲んだためだろう。考えてみればドリーの身体感覚もそうかも知れない。
「大変だよ! 侵入者健在!」
落盤の向こうから声がする。ドリーはすぐさま駆け出し、他の子どもたちも弾かれたように起き上がって丘を登る。
「あ、ま、待って!」
アトラも後を追う。岩が崩れてきて登りにくい。こんな落盤が起きた洞窟で暮らすこと、それだけでも恐ろしさがある。
ようやく瓦礫の山を乗り越えると、先程よりも周囲がよく見えた。空気は乾燥しており、湿気を含んだ冷たい風が後方から来る。
「どんなやつだ」
「大柄だ、でっかい布をかぶって背中に剣を差してる。数は一人」
「歩いてくるのか? ハガネはもう一度火を吐くかな」
「まだかなり遠い。もう一度やるはず」
アトラが目を凝らすが、暗闇が続くのみで何も見えない。見張りの子はやはり人間を超えた視力を持つのだろうか。
そして十数分。
アトラはハガネを見る。その座り込んだ形の鎧ががくんと頭を上げ、真正面を見据えたかと思うと、ばちりと静電気のような音がして、一瞬後に猛炎。
「うわっ!?」
凄まじい熱波。とっさに顔をかばったが、肌に焼きごてをあてられたような痛み。
ふいごで風を送り込む登り窯のごとく。数十メートルある洞窟を炎が満たす。ガラスと灰しか残らない極限の世界。横倒しになった竜巻のような炎。
そしてアトラは見た。炎の中を悠然と歩く姿を、布で全身を包んだ戦士を。
ドリーは「まだ賞金稼ぎは来たことがない」と言っていた。子どもたちに動揺が走る。
それはアトラも同じだ。この世界にどんな戦士がいて、どんな魔法使いがいるのかろくに知らない。あの炎にも耐える戦士が、あるいはまじないの力が存在するのだろうか。
「なんだよあいつ!?」
「落ち着け! 領主の使いかも知れない、さっきと同じように確認する」
布を被って、おばけの真似をする大人のような格好だが、アトラはその布に違和感を覚える。
それはまったく焦げていないからだ。確かに炎を扱うための燃えにくい布はあるが、それだってハガネの炎を浴びれば表面が焦げるぐらいするはず。
「それに、あれだけの炎だと酸素がかなり食いつぶされるはず……。もしかして、ハガネが15分おきにしか炎を吐かないのってそのあたりが理由……?」
「そこのお前! 止まれ!」
見れば、子どもたちはみな物陰に隠れている。アトラも身を潜めて成り行きをうかがう。
「お前は賞金稼ぎか! もし領主様の使いなら割り札を出せ!」
ドリーは手に紙を持っている。それは途中で千切られた書類のようだが、洞窟の湿気に当てられて歪み、穴も空いてボロボロになっていた。あれが割り札として機能する日は本当に来るのだろうか。
謎の人物は喋らず、どこから声がしたのかと探るように思える。
「ドリー、あいつ何も言わない」
「今度こそ賞金稼ぎか、竜を放て」
「あ、待っ……」
アトラが止めかかるが時すでに遅し。
ばちん、と掛け金が外される音、どこかに仕掛けられた檻から竜の這い出る音。ざざざと砂利を蹴立てて加速する竜のシルエット。
視界は暗い。先ほどの炎のせいで網膜が暗がりを忘れたのか。影に躍りかかる竜の巨躯と、剣の鞘走る音。
そして、一刀のひらめき。
ひだのある皮膚が、丸太のような胴体が斬り裂かれ、暗がりで色もわからぬ血しぶきが戦士の半身を――。




