第一話 模型屋アトラ
模型はガラスの覆いをかけて完全となり、そして模型屋は、ガラスの中に神を見るという。
いわゆるスノードームの系譜、アトラの店ではそのような模型を専門に扱っていた。
半球型のガラス蓋に閉ざされた模型の世界。それをアトラはまじまじと見つめる。
ガラスの中に神を見る。祖父からのその言葉の意味はまだ理解できていない。ただ模型をじっと見て、心を落ち着けようとしただけだ。
特に今は、必死に自分を落ち着かせなければ。
「アトラ、残念だがこれを買うことはできんな」
眼の前の人物の言葉に、その少年、アトラ・メイヤーズはぎりぎりと拳を握る。
「な、なんででしょうか。財務官、さま」
相手はアトラの住む街、バターライダーの財務官である。豊かな髭を蓄え、銀の片眼鏡をかけている。アトラの脇には長テーブルがあり、そこに大きな模型があった。
それはこの街、バターライダーに建設される予定の議事堂の模型である。図書館や寮などが併設した大きな建物であり、上下水道が完備されている。バターライダーの重心となるべく建設される予定だという。
模型にはガラスの半球がかぶせられている。そこにアトラの作り笑いが映り込んでいた。
「街の財政も逼迫しておってな、特に議事堂を新しくする以上、余計な出費は控えねばならん。今後は工事模型の発注を控えることになったのだ」
「そ、それは今後のことでしょ。この模型は買ってくれる約束で」
アトラ・メイヤーズ、彼の仕事は模型屋である。
新しく家を建てたり、船や馬車を仕立てるとき、模型を用意して施主にイメージを伝えやすくする。それによって職人と施主の話し合いがしやすくなり、また出資しやすくもなる。もちろん飾り物としての模型も作る。
街からの公的な発注は、言わずもがな一番の大仕事である。アトラには身に余る仕事とは承知していたが、祖父の縁で受けた以上はと、必死に取り組んだつもりだった。
「そ、それに財務官さま、もう完成間近なんです」
「これでか? お前の祖父はもっと上手く作ったぞ」
ぐ、と息を飲む。
確かに未熟さは目立つ。細部の作りは甘いし、土台や樹木にも自然さが出ていない。それは無理もなかった、アトラはまだ10歳の少年なのだから。
しかし、普通の仕事の倍の手間をかけたのだ。約束を反故にするのはひどい、とアトラは言いたかったが、言うと目の前の老人を殴りそうなので我慢する。
「そういうわけだ。出来上がってるのは議事堂が半分か。ここまでの手間賃は払う、建物が七つの予定だったから、まあ十分の一というところだな」
「で、でも」
模型に複数の建物がある場合、一つ作ってから次に取り掛かる、ということは少ない。
あらかじめ全体の予定を立て、必要な材料を用意し、土台にも手間をかけねばならない。全体分のガラスも職人がすでに作っている。建物はまだ一つだが、工程は半ばを過ぎているのだ。
それを言わんとしたが、財務官の老人はアトラの前に手を突き出し、言葉を飲み込ませる。
「アトラ、わきまえろ。今の世の中がどのような時期か分かっているだろう」
「……」
「「極北の魔王」との戦争は終焉の時を知らず。バターライダーもいつ戦場になるか分からぬ。この議事堂はその本来の用途とは別に、いざとなれば兵力を集中できる要塞でもあるのだ。大きな声で言えることではないがな」
それは知っている。壁の厚みは通常の建物の倍はある。中には複数の井戸を持ち、広い倉庫も抱えている。軍事には詳しくないアトラだが、明らかに普通の建物とは違うと感じていた。
「戦争……ですか」
「そうだ。ただでさえ財政は厳しい、その中で半端な模型に金は出せぬ、分かるな」
「……はい」
分かるはずはない。こちらは生活がかかっているのだ。
だが仕方あるまい、と心の中で肩を落とす。所詮、模型屋の立場などそんな物だ。祖父の縁で仕事を貰えた時は舞い上がったが、まさかこんな結末になるとは。
街に出れば、からっ風が肌を撫でる。
大きめのリュックに残りの模型を詰めて歩く。リュックは金属のフレームが芯となり、内部が本棚のようになっている。そこに模型を一つ一つ固定して、さらに丸めた紙を詰めて、模型が傷まぬように慎重に運ぶ。
バターライダーは人口30万ほどの中規模の街。竜銀のまじないでともる街灯が並び、道は石畳とアスファルトで舗装されている。官庁街だけにロングコートの役人が足早に行き交い。それに混じって白いドレスの婦人なども見かける。
アトラは3歳児ぐらいなら立ったまま入りそうなリュックを抱え、街の喧騒の中を歩く。
また人が増えた気がする。街が発展しているというのもあるが、戦乱を逃れて南へ、南へと人が集まっているのだ。バターライダーの人口もここ20年で三倍になり、しかし全員に仕事があるわけでもなく、道端にだらんと失業者が座り込む、そんな眺めが日常になっていた。
「おおい、そこの兄ちゃん」
「え……?」
見れば、路地の奥に小太りの男がいる。小さな木箱の向こうに座っていて、その木箱には何やら紙に包まれた物が並んでいる。
「饅頭はどうだい、干し肉と野菜入りで200ドルムだよ」
肉体労働者の一日の給料が6000竜銀ぐらい。200ドルムというのは破格といえる。
「えっ、そんなに安いの?」
「近ごろじゃ、こんな街中で露店を出してると役人がうるさいんだ。思い切り安くして、パパッと売り切ろうって寸法さね。さあ買っていきな」
「うわマジで? やったね」
と、路地に踏み込んだ瞬間。
ざく、と音がする。
「え?」
がらがら、と地面に散乱する木片、色のついた粉の小瓶、小さな筆やピンセットなど。指先でつまめるほどの馬車や、衛兵の人形も散らばる。
「ち、なんだこいつ、模型なんか詰めてやがって」
「!? おい! 何すんだ!」
リュックを切られた、ということを認識するが、悲しいかなアトラはその意味が理解できなかった。ただの悪戯かと、あるいは何かの事故かと思ったのだ。
アトラは何を言ってもまだ少年であった。肌を切る夜風の冷たさを知らず、職にあぶれて路地に寝そべる侘しさを知らず、時代のうねりが街に押し寄せているのを知らなかった。
そして率直なところ、運もかなり悪かった。
「おいガキ、金は持ってないのか」
「い、いや、何してんだ、その模型は」
「金だよ! 田舎者が!」
やせ細った男だが目つきがギラついていて、その手に大ぶりのナイフを握っている。その頃になってようやく事態が認識され始める。
よく見れば男の背後にさらに何人かいて、路地の入り口を見張っていた。背後では饅頭屋の男が腕を組んで突っ立っている。彼もグルなのだ、とようやく理解する。
両手を広げれば壁につくほどの路地である、逃げられはしないだろう。
「う、お、お金、お金は……」
「腕を上げろ」
男に言われ、奥歯を噛み締めつつ腕を上げる。男は無遠慮にポケットに手を突っ込み、封筒を抜き出した。役場から受け取っていた手間賃だ。
「あるじゃねえか、素直に出しとけ」
「ちくしょう……」
もはや逆らえない。男たちは中身を確認し、期待ほどではなかったのか、しかめ面でうなずきあう。
「他に何か持ってねえのか。その大荷物だ、何か買い出しに来たか、売りに来たんじゃないのか」
僕は地面に落ちた模型を見ている。
ガラスの半球に覆われた議事堂。その光沢にわずかに映り込む顔を見ている。
心臓が早鐘を打つ。落ち着かなくては、ガラスを見て、そこに映る像を見て……。
「おい小僧、無視するんじゃねえ、舐めてんのか」
「……」
何も答えられない。殴り飛ばしてやろうかと一瞬思うが、さすがに実行に移せるほど無鉄砲ではない。
「てめえ! 何とか言え!」
がしゃ、と男の足が模型を踏み潰す。薄い硝子はあっさりと砕け、木と紙でできた議事堂も潰れる。
「あ……!」
像が。
ガラスに映る像が。己の姿が、粉々に砕けて。
路地がわずかに暗くなる。
アトラは気づかなかったが、そこに大柄な人物が立っていて、ナイフを構えた男が気配に振り向く瞬間。
「こらー!!」
いきなりしばき倒される。ハエを叩くようにびしゃんと。
「!?」
縦に切り取られた絵のような眺め、現れるのは驚くほど大柄の女性だ。肩当てと胴当てからなる軽鎧を身に着け、背中に大剣を背負っている。
「お前たち! こんな真っ昼間から恐喝とは何事だ! 男なら精一杯働け! 汗を流せ!!」
街の衛士かと思ったが違う。その女性の鎧も服も使い込まれてすり減っている。腕回りもかなり太い。北で魔王と戦っている傭兵だろうか。
「う、ぐ、てめえ」
殴られた男はふらつきながら立ち上がり、他の男たちも抵抗を見せようとしたが、相手が本物の職業軍人か、傭兵かと見て戦意をなくしつつある。いくら男たちのほうが多勢でも、武装した人間と戦えるものではない。
その女性は両腰に手を当て、腹の底から声を出す。
「お前たち! 仕事が欲しいなら港へ行け! 今ちょうど募集がかかっているぞ!」
「な、なんだって? まさか……」
男たちが顔を見合わせ、女性はさらに声を張る。
「そうだ徴兵だ! 聞け臣民よ! この我、勇者フィラルディアの言葉を心に刻むのだ!」
というわけで新連載を始めました
ゆっくりした更新になると思いますので、気長にお付き合いいただければ幸いです