第三十九話 攻撃目標
「あんたら誰だい?」
と、そこで背後から声をかけられる。作業をしていた男性の一人だ。油染みで汚れた上下ツナギの服を着て、分厚い防眩ゴーグルを額に上げる。
「御領主様より、こちらで炊事のお仕事をするよう命じられたデス。でも場所が分からなくて迷ったデス」
さらりと言ってのける。男性の方は合点がいった様子で頷いた。
「ああ、炊事場と宿舎は向こうだよ。建物の影になってるから分からなかったか」
「立派な大砲デスねえ。でもこれで何と戦うのデス?」
言いつつ、スウロは自然に男性の横に並ぶ。上目遣いをして無邪気そうな声を出す。
「聞いてないのか? グランの街に決まってるだろう」
「ああ、いえ、それは聞いてるデス。こんな大砲を使うほど丈夫な建物があったデスかね」
「ああ、グランの街の方が技術が進んでるからな」
スウロがいきなり腕を組んだので、ややどぎまぎしながら言葉を返す。
そしてアトラは見た。スウロはアトラにだけ見える角度から追い払うような仕草をする。ここは任せて、と解釈し、そっとその場を離れた。
「戦うのはグランの街……」
周囲を見る。外に見張りなどは出ていない。
しばらく建物を眺めていると、工員らしき数人の男が通りがかった。
「おや、新人かい」
「えっと、そうです。宿舎は向こうでしたよね」
「そうだな、部屋割りは食堂の壁に張り出してあるから、確認しとけよ」
「はい」
何となく、アトラの感覚では物語にあるような敵の本拠地とか、悪い領主の屋敷に忍び込んだ感覚だった。だがピリピリした感じはしない。
「あの、詳しいことを聞いてないんですが、なぜグランの街と戦うんですか? その前にグランの街って人が生き残ってるんですか?」
二人の工員は顔を見合わせる。アトラは、万が一いきなり殴りかかられてもいいように構えていたが、二人はやや困り顔になりつつ、丁寧に説明してくれた。
「終戦派の人らから聞いてないのかい? もしかして街から歩いてここまで?」
「ええまあ、そんなとこです」
「今日は午後にも馬車が来るはずだから……そのとき改めて説明されると思うが、簡単に言うとグラン河が溶岩になったのはグランの連中のせいなんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ、砂取りを効率的にやれる竜って話だったが、どれほど欲をかくのか、河をすべてその竜で埋め尽くした。銀を山ほど取って贅沢に暮らしてやがるのさ。グランの街だけが中洲になって残ってるだろう? それが証拠だ」
「砂取りというのは?」
「ん? 川の泥に含まれてる竜銀を抽出することさ。なんだあんた、グランヴァルの住人じゃないのか?」
グランヴァルの住人にとって、砂取りという言葉を知らないのは不自然なことらしい。本来なら不用意な質問だったかと気まずい顔になる場面やも知れぬが、アトラにはあまり自覚がない。なればこそ相手もさほど警戒しなかった。
「砂取りはヴァルの産業だったのさ。よその街じゃあ竜の足跡から銀を集めるだろ、あれは地面の生物に含まれてる銀らしいが、これは有機……なんだっけ、つまり栄養のある川底の泥にも含まれてる。これを抽出するのが砂取りだ」
「まあ詳しいことは終戦派の人らに聞きな。あと昼の食堂は混むから、早めに食べとくといい」
「ありがとうございます」
「もっと食堂が広けりゃいいんだがな」
「まあぼやくなって、進水までもう三日だからな」
言いつつ、男たちは帰ってしまう。
入れ違いにスウロが扉から出てきた。アトラと工員たちの様子を伺っていたのだろうか。
「アトラ、帰るデスよ」
「もう用は済んだの? なんか気になってたみたいだけど」
「戦闘艦があると分かっただけで十分デス」
そして宿に戻り、模型は再び農園の眺めに戻す。
アトラの作ったプールが青く光っていた。レンナはまだ中でのんびりしてるのだろうか。
「攻撃目標はグランの街デスね。明日には大砲を積み込んで、三日後に進水、そのまま出撃するようデス」
「船ってそんなすぐ実戦に行くものなの?」
「演習できないのデスよ。河に浮かべば街道を往く商人に見つかるデスからね。そんなことより逃げるデスよ」
「え、どうして?」
「あの船と大砲の金属には銀が練り込まれてます。覚えていますかアトラ、以前こんな話をしたデスね。南方に出ている王の勅令。個人においては4500万ドルム以上の実体銀の蓄財を認めない。魔王との戦いのため、遠征隊に供出すべし。実体銀とは竜銀とその吸蔵実体のこと」
「ベルセネットで言ってたことだね」
「あの船は500億以上の銀が練り込まれてます。銀は金属をも強化するデス。あの船なら溶岩の河も渡れるでしょう」
「500億! そんなに!?」
いくらグランヴァルが豊かな街とはいえ、人口はせいぜい5万を少し超えるほど。アトラの限られた経験からしても不自然なほどの量だ。
「我々が本来の労働者でなかったことはすぐに分かるデス。向こうが警戒しなければいいデスが、終戦派が関わってる以上、きっと警戒を……」
その時、宿の外から何かが聞こえる。
それは音と認識しにくい音だった。窓枠がぴしぴしと揺れ、耳の奥に染み透るような甲高い音。そしてざわめきが聞こえる。
街の通りからだ。見れば空の彼方。花火のようなものが打ち上がって黒煙を上げている。
等間隔に二本、風で散らされてすぐに形が崩れてしまうが、黒いモヤのようなものはしばらく残った。
「何あれ?」
「打ち上げ式の信号弾デスね。先端に鏑矢のような笛がついてて音が鳴るデス。何らかの緊急連絡をグランヴァルに届けるためのものでしょう」
また打ち上がる。等間隔に黒煙が二本。そして赤い煙のものがさらに一本。
「侵入者あり、警戒せよ、緊急事態……」
「わかるの?」
「何となくデスよ。それ以外の意味なら我々には関係ないことデス。早く宿を引き払った方が良さそうデスね」
そそくさと階下に降り、宿の支払いを済ませる。店主は何も言わず、アトラたちの顔も見なかった。それは何も気づいていないのか、気づかないようにしているのか。
通りに出れば、一見すれば何も変わらない眺めである。だがいくつかの店の軒先では人々が噂話を交わし、いくつかの家では雨戸が降ろされていた。微熱のような緊張が流れている。
スウロは路地へと入り、アトラも後についていく。
「どうやらけっこうな厄モノを引いたデスね」
「どういうこと?」
「まず、あの船は存在してるだけで反逆行為なのデス。もはやそんなことを意識する人も少ないようデスが、問題は船の大きさデス。いくらなんでも目視できる距離の街を攻撃する船ではないデス」
「? つまりどういうこと?」
スウロはあらかじめ調べてでもいたのか、細い道を進みながらも足運びに迷いがない。グランヴァルの外へ外へと向かっている。視線を浴びてるわけでもないのに、背中の毛がちりちりと逆立つ。
「可能性は二つデス」
日は高く、人通りは多い。みな黒のローブで肌を守っているが、アトラはまだ着慣れていないこともあって、ローブの中で体が泳ぐような感覚がある。
「一つは工員たちの認識がすべて正しい場合デス。グランの街こそがすべての元凶。本当に人が生き残っており、溶岩の河を生み出した犯人であり、攻撃に対して防御や反撃が予想される場合」
「もう一つは?」
「本来の目的が、河を下って海に出ることである場合。海は驚くほど縮小したデスが、それでも海沿いにはたくさんの街がある。大砲を積んだ軍艦ならたやすく蹂躙できるでしょう。そのような野心から生まれた船なら、ここまでの過剰反応も頷けます。建造している作業者と、命じている者に認識のズレがあるのデス」
「そんな……大変だ。何とかしないと」
「別に問題ないデス、模型がありますから」
アトラの頭に疑問符が浮かぶ。背中には亀の甲羅のように模型を背負っているが、これで事態が解決できるのだろうか。
「造船所を指でぷちっと」
「ダメだよ! 中に人がいたら死んじゃう!」
「まあそこまでせずとも、船と造船所を破壊する手はいくらでもあるデス」
「うーん……でも本当に壊していいのかな。せめてグランの街に人がいるかどうか確かめてから……」
その時。
路地の出口付近に、手槍を持った人物が現れる。
「む……そこの二人、姓名を述べよ」
「ほう、優秀デス」
スウロが呟き、そして早口で言葉を並べる。
「祭礼の火、祝唄にて射抜け、芥火もて無垢なる泥を豊穣で満たせ、焦がせ天門の求耳、炎霊の羽よ」
火線。
スウロの指から放たれる紅色の光が槍となり、アトラの脇を抜けて、衛兵の胴鎧にぶち当たる。衛兵は吹き飛ぶでも血を流すでもなく、己の胴に何が当たったのか見ようとして。
そのまま気を失って地面に倒れた。
「スウロ!」
「落ち着きなさい。生命エネルギーを打ち込む術デス。急に大量に打ち込むと失神するのデス」
服が熱を持っているが焦げてはいない。威力の絞り込みや精度などはアトラには分からないが、今の術はかなり洗練されたものに思えた。人を戦闘不能にするための術、対人用の術だ。
「意外に街の動きが早いデス。急ぐデスよ」
「う、うん」
そして走ることしばし。
5ブロックほど移動して、空き家らしき家に窓から忍び込む。ホコリが積もっているが立派な家だった、ひととおりの家具もある。
「ここが空き家ってなんでわかったの?」
「あらかじめ探して、目星をつけておいたのデス」
「……」
スウロは耐熱用のローブを落とす、その下からまた紫のローブが現れたので少し混乱する。
「模型はベッドの上に置いておいて、万が一衛兵が踏み込んできたら飛び込みましょう。町の外に出てもいいデスが、外だと模型は目立つデスからね」
「うう、さてはスウロ、こうなることが予想できてたんだね。もし造船所で終戦派と鉢合わせしたらどうするつもりだったんだよ」
「戦闘になってたかも知れませんが、心配ないデス。「写し」の模型があるこっちのほうが逃げ足は上デス」
スウロは模型を「写し」にして、造船所の周囲を見て考え事を始める。どうやって船を無力化するか考えているのか。
「拡大、透過」
呪文らしき言葉をとなえると、箱型の建物の一部が透明になり、内部に船と、多数の豆粒のような人形が生まれた。
「うわすごい、こんな機能もあるの?」
「そうデス、内部の設備や人員も丸わかりデスね。覗き見なので、造船所と確信が持てるまでは控えてましたが」
船体はほぼ完成しており、あとはクレーンで大砲を積み込むだけに思える。実際は細かな作業が山ほどあるのだろうが、進水式が間近というのは本当に思えた。
「ここに穴を空けるデスかね。それとも河までの間に大岩でも……」
「……」
スウロは船の完成を防ぎたいようだ。確かに大砲を積んだ戦闘艦、それを無くしてしまいたい、という気持ちは分かるが、それで解決するのか、という気持ちもある。
「ねえスウロ、もしその船を壊せても、また造られるだけじゃないの?」
「これだけの船なら建造に数ヶ月かかるはずデス。我々の役目としてはそんなもので十分でしょう。それに、我々の存在が抑止力となります」
「どういうこと?」
「船について聞き込みをしていた人間がいた。一人は筋骨隆々な男、一人は絶世の美女。そして二人は数分後に街で目撃された。魔法使いがまじないを使って飛んだと考えるでしょう。終戦派と領主はその情報を警戒します。建造を諦めるか、一時的に止める公算は高いデス」
なるほど、だからスウロはあんなに大っぴらに聞き込みをしていたのか、と理解する。
街からあの造船所まで歩いてきたというのはいかにも不自然だ。自分たちを何かを内偵している存在だと見せつける意味もあったのか。
「……なんか後付けな気もするなあ。結局、行きあたりばったりに動いてるだけなんじゃ……」
「何か言ったデスか」
しかし、まだ何かスッキリしない。
それというのも戦闘艦の生まれた原因、その謎が放置されたままだからだ。
(……河の北側、グランの街がすべての元凶で、溶岩を生み出す竜を操ってる……)
グランの街が見かけ上は健在なことがその証拠だという。しかしアトラには突飛な話に思える。
なぜグランの街が原因となるのか。
この街、ヴァルの街でグランについて語られるときの、奇妙な空気は何なのか。なぜ工員たちはグランを攻撃することに疑問がないのか。
「やっぱり、確認しないと……」
どうしても北に行かなければ。そう判断する。
思いつく顔は一つ。飛行機を飛竜と呼んでいた、トラッドのことだった。




