第三十七話 空に挑む
スウロを宿に残し、少し歩き回ってみる。
最初に向かったのは河を見下ろせる丘だった。
網膜の底まで届きそうな、あかあかとした輝き、遥か遠方まで広がっている。
その奥、聞いていた方角に目を凝らせば、うっすらと黒い影が見えた。
「あれがグランの街かな……ゆらゆらしてて、よく見えないけど、というか見つめてると目が痛くなるなあ」
マグマの流れに包囲された街。中洲は十分な広さがあると聞いているが、浅い角度から眺めれば、まさしく火の海に投じられた石のようだ。あっという間に燃え尽きるか、溶け崩れそうな印象がある。
「すごいなあ、人がいるとして、あれで5年も生きられるもんなのかな」
生きられなかったらどうなるのか、深く考えると恐ろしくなりそうだったので思考を打ち切る。
背中の模型にはレンナがいるはずだが、出てくる気配がない。新しい町だというのにのんびりしたものだ。騎竜の面倒は見てくれてるだろうか。
「というか、スウロも模型に入ってればいいのに」
気がついたことがある。スウロはあまり模型に入りたがらない。
しかもそれは最初からではない。渓谷の町、ベルセネットを出たあたりでは普通に入っていたはずだ。その後は模型の機能について研究するときに入るだけで、移動時はアトラの騎竜に同乗している。眠るときも砂漠でマントにくるまり、息を白くしながら夜を明かすことが多かった。
性に合わないのだろうか。それとも野盗でも警戒してるのか。魔法使いらしく星を見てでもいるのか。あれこれ考えるがピンと来ない。
やがて丘を降り、街を散策する。
歩き回って分かるが、見た目よりも人口が多い。
それというのも多くの建物に地下が増設されているためだ。商店、民家に加え、図書館など公的な施設も地下に作られている。
「けっこう深くまで作ってるんですね」
地下三階の家具屋にて、店の主人に問いかける。
「ああ、地下は温度が安定してるからな。街が様変わりしてから地下が開発されてるんだ。あの溶岩は地下には染み出してこねえし、河からも100メートル以上離れてるしな」
家具屋に寄った理由はアトラの趣味である。アトラの専門は模型であるが、その関係で木工や編み細工、彫金なども学んでいる。もっともどれも初歩的なものばかりで、それで生計を立てられる腕ではない。
木工の椅子を撫でて言う。
「これ、いい仕事ですね。金具がすごい。彫金で竜銀を練り込んである」
「ああ、そいつは600万ドルムだよ。何ならもっと良いやつも倉庫にあるが」
「600万……そんな高い物なんですか」
確かにふんだんに銀が使われ、宝石やタイルで飾られたデザイン性の高い椅子だ。何となく、どこかの谷で見た美しい本を思い出す。
「あんた旅人かい。グランヴァルの周りは銀が豊富だから物価が高いのさ。それにみんな外に出る機会が少ないからな、家具やら絵画やら、家に飾るものに凝るんだよ」
「出る機会が……河からの熱気のせいですか?」
「まあ寿命を縮めるほどのもんじゃねえがね。娯楽はもっぱら地下だよ。アンデロンの演劇場とか、グゼ老の植物園とか見ていきな。マダム・フィッチのサロンでもいいが、あそこはドレスコードがあるぜ」
「考えときます……」
それと、と、聞き込みをしてる理由を思い出す。
「僕、河を渡りたいと思ってるんです。渡り方を研究してる人はいませんか?」
すると家具屋の男は、申し訳なさそうにまなじりを下げる。
「ああ……ドゥタの工房でも覗いてみたらどうかな。溶岩を渡る船を研究してたはずだが……まだ続けてればな」
「ありがとうございます」
実際、その手の情報はよく集まった。
「シャーリーン商会かな。橋をかける計画があったって聞くよ」
「モンガートンの親方はトンネルを掘るって言ってたなあ。三年ぐらい前に山ほど人足を集めてたけど」
「河に棲む竜を全滅させりゃいいのさ。メラーデ兄弟が上流から毒を流す計画を立ててたが……」
そして丸一日、歩き回って。
出会ったのは数多くの挫折であった。
溶岩に耐えられる船は建造費用があまりにも莫大なため断念。
トンネルは熱気を避けようとすればとてつもなく深く長いものになり、岩盤を何枚も破って掘るほどの工事はとても不可能。
毒を流す作戦に至っては、集めた出資金が持ち逃げされたらしい。
「気球もダメなんですか?」
「ああ、河の上は強烈な上昇気流が吹いてて、河の中ほどから南北に押しのけるような風が吹くんだ。風呂を想像するといい。温まった湯は、水面まで上がってから水平方向に広がるだろ?」
「そうですね」
「それに押し戻されちまう。気球は大した推進力を持てないからな」
「じゃあ、もっとずっと上空まで行けば」
「何度か試みたやつはいるが、この町の技術だと高度1500メートルがせいぜいだ。上昇気流は8000メートルを超えるらしい。そのぐらいの高さになると空気が薄くなるし、いろいろな理由で無理だと分かったのさ」
男は丁寧に説明してくれたが、その裏には諦めというより戒めのようなものがにじんでいた。なぜ無理なのか、それを一言一句暗記して、自分を説得するような話しぶりである。
あの河は人間にはどうにもできないのだと、そもそも挑むべきではないのだと言外に語るようだ。
「北に行きたいなら源流から回り込むルートだな。ちょうどいい、いま広場でキャラバンの人員を募集してるよ」
「そうなんですか。でも知らない人との旅って不安でしょうね」
「まあね、だが心配ないさ、終戦派の人らが音頭を取ってる」
「……!」
アトラがぐっと息を飲み込み、まなじりに力を込める気配に大工は気づいただろうか。
「終戦派……この町に」
「ああ。あの人らは戦争被害の復興もやってるからな。溶岩の河も災禍の一つと見なして、北側への旅を指揮してるんだよ。グランの街は中洲だから近づけないようだが」
いくつかの街を経巡るとき、終戦派のことも耳にした。
彼らは「極北の魔王」がすでに滅んでおり、遠征隊の戦費調達は無用な徴税だと訴える組織である。宗教的な性格を持ち、各地に信奉者がいる。
同時に彼らは慈善団体的な側面もあった。戦災孤児を救済する施設を作ったり、荒れ地の開拓や井戸掘りの技術を伝えたり。その費用として、戦費に当てられるはずだった竜銀の寄付を求めている。
(だけど……)
バターライダーで見た光景。
折り重なった死体。奪われた竜銀の武器。
――北方で起きていることとはね、人間同士の殺し合いですよ。
そう言った、統率者ザッカーの言葉。
この街にいる終戦派と繋がりがあるのかどうか分からない。あるとしてもザッカーまでは辿れないだろう。
だが、言いしれぬ不安がある。
気が付けば、足は広場へと向いていた。
そこで組まれていたのは大型の馬車だ。竜銀で強化された馬で引く、巨大な荷台を備えた馬車。それが三台。
「あれが……北へ向かうキャラバン」
そこに一抹の不安を覚える。なぜかと言語化はできず、まだ人を疑うということに慣れていない無垢な部分を残すアトラではあったが、その馬車の連なりから眼が逸らせないでいた。
「はっ、キャラバンだと、あれが旅支度に見えるのかよ」
がん、と音がする。
それは酒瓶の底でベンチを叩いた音だった。
アトラが首を向けると、先ほど酒場で見た男である。名はトラッドと言っただろうか。
トラッドの発言はアトラに向けてではなく、どうやら酔った勢いの適当ながなり声らしい。馬車を組んでいた大工たち、あるいは馬車の荷台にむしろを敷き、うずくまっていた男たちが面倒くさそうな視線を投げる。
「知ってるぞ、あれは旅じゃねえだろ。いわゆる人足馬車だな。どこかででかい船を作ってやがるだろう。コソコソやりやがって、馬鹿なことだぜ。溶岩に耐える船なんざどれほど馬鹿でかいもんになることか。なぜ空を行かねえ。人間に空が飛べねえと思ってんのか」
「あのう」
大胆にもアトラは声をかける。
「ああん?」
酔漢にありがちな、状況をよく把握できずにとりあえず威嚇しておこうという目つきが返る。アトラはそのような機微が分からないため、特に気に留めない。
「何か、河を渡る考えがあるんですか?」
「誰だよお前は」
筋骨隆々ながら童顔というアトラは割と印象に残る方だが、トラッドの記憶の箱は人を入れておけるテンションではなかったらしい。
だがその男は、はっと眼を見開いてアトラの手を取る。
「誰でもいい! お前! 俺の飛竜に乗れ!」
「飛竜? 飛竜がいるんですか?」
「勿論だとも! 北方から流れてきた技術で俺が作り上げた、世界一の飛竜だ!」
「凄いですね、ぜひお願いしたいです」
そうかそうか、と腕をぶんぶん振られ、背中をどやしつけるように歩かせる。トラッドの足取りは覚束ない。
節くれだった指にざらついた皮膚、職人の手だなと感じる。肌は赤銅色に焼けているが、目の周りだけは白みが残っていた。仕事ではアトラの額にあるような防眩ゴーグルをかけるのだろうか。
家は町外れの一軒家だった。さすがに1キロほども離れれば熱波は感じない。やや空気が乾燥しているぐらいだ。
大きめの納屋に案内されて、覆い布を外しつつトラッドが吠える。
「見てくれ! これだ!」
それは木の骨組みに革を張った体と、車輪のついた足を持っていた。全体は十字に近く、直線的で長大な翼と、尾の先端には左右と、背びれのように垂直に伸びた突起物がある。
「これって……」
中央にあるのはパイプが何本も突き出したごつい機械。頭の部分とおぼしき先端には三枚のねじ曲がった羽根。オイルの匂いがして、重そうな割に華奢に見えて、翼は羽ばたける余地がないように見える。
「空飛ぶ竜だ! 聞いたことぐらいはあるだろう。北方ではこういう機械でだれもが空を飛ぶ」
南方でもそのような機械仕掛けの獣は稀に見かける。銀櫃牛と呼ばれる運搬用の重機がそれだ。かの十八次遠征隊の基地ではクレーンであったり、エンジンで動くチェーンソーなども見かけた。
「これ……飛べるんですか? 羽ばたけないと思うんですけど」
「飛ぶとも! こいつは翼の揚力で飛ぶ。こういう形状の翼が風を受けると、翼の上下で風の速度が変わって……」
それは鳥のように空を飛ぶという。
だが、アトラには鳥には見えなかった。空に挑むにはその革張りの翼はあまりに華奢で、炎を越えるにはあまりにも燃えやすそうに思えた――。




