第二十八話 刃金の夜
「なるほど」
スウロが小模型の中で伸び上がり、筒のような遠眼鏡を構えてつぶやく。
「何か分かったの、スウロ」
「人狼はどれも竜の骨がある方向から来ている。おそらく、竜の骨から生まれているのデス」
「まさか」
人狼と乙女の戦いは続いている。大槌で打ち据え、短剣で切り刻み、鞭で四肢を吹き飛ばしても人狼は次々と現れて向かってくる。乙女の攻撃はまさに破局の一撃。衝撃波で砂を巻き上げ、ハルモンドの外壁をびりびりと震わせて戦いは続く。
「元々がどんな姿の竜だったかは知りませんが、骨となっても力を残している。間違いなく真なる竜銀の加護を持っている都市曳航竜デス」
「真なる竜銀……。で、でもそれなら遠征隊が見逃すかな。竜が死体になってるんだよ。手に入れるチャンスなんじゃ」
「違うデス。思い出してください。都市曳航竜は獣を竜に変えたものデスが、それでも真なる竜銀の力のごく一部に過ぎないのデス。銀がそこにある、それは見た目がどうであっても、活動中の都市曳航竜がいることと大差ないのデス」
「そ、そんな巨大な力が……」
バターライダーで見た竜を思い出す。「蛾」が街を滅ぼした炎の羽ばたきを。「亀」が天を焦がした無数の光条を。
そして「勇者」フィラルディアのことを。
彼女は言っていた。竜銀を集めることも己の使命のうちだと。だからアトラの持つ模型も狙われた。
だが、フィラルディア自身は積極的に奪いたいわけではない、とも感じた。
(……南方に)
(南方に、真なる竜銀があるならそれでいい、ということかな。北方で行われてるという人間同士の戦い、そこから遠ざけられればいいと……)
(いや、違う。「終戦派」がいる。この南方にも来て、竜銀を集めている。真なる竜銀だって集める対象のはず)
(じゃあどうして放置されたんだ)
(少なくとも勇者はあの竜の骨を知ったはず、どうして……)
「アトラ、このような話を知ってますか」
アトラの熟考を察したのか、スウロが口を開く。
「え、なに?」
「ある傭兵の集団は、敵と戦うときに必ず三人で当たったそうデス。三人で取り囲み、包囲した敵が誰かに斬りかかろうとした瞬間、他の二人が背後から斬りつけると」
「それって、つまり」
「そうデス、竜と竜は基本的に一騎討ちなどしない。竜は騎乗用の生物というだけではない。都市であり、一つの国家なのデス。都市曳航竜を倒すためには、同格の存在が複数いなければとても挑めない、という可能性はどうデス」
なるほど、と思う。
それなら腑に落ちる。フィラルディアは真なる竜銀の武器を持っていたが、「亀」と合わせても二つだ。
天変地異に匹敵する竜の力、それを見たアトラとしては、たとえ竜が10体いても挑みたくない。
「しかし、骨だけとはいっても銀を探すのは難儀そうデス。あれほど高位な魔物を無尽蔵に生み出せるとは」
「でも、あの乙女は戦えてるよ」
乙女の戦いはまさに武神。
武器を粉々にしながら、鎧を爪で傷つけられながらも足を止めない。その一閃で人狼の巨体は両断されていく。
「人狼は都市曳航竜ほどの強さはないようデス。しかし、だとしてももう十分以上も戦い続けている。あの乙女は竜銀を呑んだ人間でしょうか、あるいは他の何か……」
すぐそばで爆発のような衝撃。アトラたちに認識できる速度をはるかに超えていたが、折れた鎗の穂先が砂丘に突き刺さったのだ。砂は着弾点を中心に円形に吹き飛び、数千万の砂が矢のような速さで拡散する。模型の上に砂が積もり、いくらかはざざざと落ちてくる。
「うわっ!?」
声を上げるが、それにかぶさって獣の咆哮。
音の速さで砂塵が広がる、雲すら逃げ惑うほどの轟音。
「! 剣の乙女が!」
人狼の爪に吹き飛ばされ、回転しながら飛ぶ。銀色の鎧が引き裂かれて砂にばらまかれる。
「助けないと!」
「だめデス!」
模型から飛び出さんとするところを、足首を掴んで止められる。
「あまりにもレベルが違う。下手に手を出せば八つ裂きにされます」
「こ、この模型に封じ込めれば」
「あの狼の素早さを見たでしょう、簡単に入ってくれると思えないデス。それに複数いるのデスよ」
「うう、でも何とかしないと、あの人が」
人。という言葉に奇妙な違和感がある。
あれは人だろうか。
眼が慣れてきても、東の果てが白み始めてきても、まだ顔がよく見えない。
その手足は黒々とした泥であり、首回りから吹き出すのは黒い蒸気のようにも見える。何か武器を握っているのは分かるが、その子細が見えない。
人狼が空間を薙ぐ。不可視の斬撃が朽ちかけた剣を砕き、鎧を砕いて、色のない血潮を砂漠にばらまいて壁にまで爪痕を刻む。
「……! あれは!」
血が噴き出して、臓物が砂に散らばった。
だが、誰もいない。
そこで空を切る音。
壁上から射かけられる矢だ。固定された大型の弓で、二メートル近い矢を射っている。それが人狼の足元に突き刺さって、獣はとっさに後退する。
襲撃はそこまでだった。人狼は東を見て低くうなり、四足で去っていく。砂はさらさらと流れ続けており、獣の足跡は、明け染める朝日に触れるとともに消えるように思えた。
今のすべてが夢であったかのような、奇妙な一幕。
「……? 何なんだよ。矢で援護できるなら、もっと早めにやればいいのに」
「剣の乙女に当たるのを恐れたデスかね? それにしても、やはり鎧の中身は誰もいないようですが」
東の雲が虹色に染まる。段々と明るくなっているが、やはり砕けた鎧のあたりに人はいない。そして血の痕もない。
きりきり、と縄の巻き上げられる音がする。ハルモンドの城門が引き上げられ、騎馬に乗った衛士たちが出てきたのだ。それに続いて木の篭を背負った男たちもいる。なぜか老人が多かった。
それらは砕けた鎧を集め、武器を集め、さらには人狼の死骸まで回収している。人狼の方は幻などではなく、はっきりと血肉が残っていた。血泥に汚れ、砂にまみれた爪は長剣のように長い。
「アトラ、見つかると面倒です、逃げましょう」
「う、うん」
アトラは小模型の天井部分に腕を伸ばし、肘から先だけを出して砂地を掴む。そしてぐっと砂をかけば、模型はダンゴムシのようにころころと転がった。
「……この移動方法ださいデス」
「見つからないようにしてるんでしょ……。あの人たちから見えないとこまで行ったら、壁を超えて戻ろう」
「はいデス」
模型が回転しているというのに、外の景色は揺れもしない。
考えてみれば模型をどれだけ揺らしても中の建物に影響がないのだから、模型の中は常に水平ということだろうか。
アトラは何度か砂を掴みつつ、背後を見やる。
そこでは大勢の人間が動き回り、あらゆるものをかき集めていた。
その黙々とした働きぶりに、何故かひどい不気味さを覚えた。
※
「ようするに、あれがこの街の築き上げたバランスなのデス」
こっそりと宿に戻り、朝食をつつきながらスウロが語る。彼女は早く起きたために少し眠たげだった。肩に力が入っていない。
「どういうこと?」
「あの竜の骨から魔物が生み出され、それを剣の乙女が倒す。おそらく乙女も銀の輝きの産物でしょう。朝になればその武器と鎧、人狼の死体を回収して竜銀を取り出すのデス。だから弓を射かけるのを遅らせた、乙女になるべく長く戦い続けてもらうためデス」
「? 死体から竜銀をって、そんなことできるの? いや、というか真なる竜銀から生まれた怪物から、竜銀を抽出するっておかしくない?」
「いいえ、真の銀とはすなわち純銀。竜銀の純度を限りなく上げていけば、理論的には真なる竜銀に変わるのデス。逆を言えば、真の銀が薄まったものが竜銀なのデス」
「そうなんだ……」
「もっとも、それは限りなく究極に近い密度での話。魔法使いの使う高純度の竜銀ですら足元にも及ばないデス」
がらん、と銀無垢の板を取り出して言う。スウロは歩いていても音がしないが、そういうインゴットをどこに隠しているのかと不思議に思う。
「ええと、それで……どうすればいいんだろう。僕たちであの竜の骨を何とかできるかな?」
「んー、昼間は人狼が出ないようデスから、昼に行くとか……。でも、そもそも骨のどこに銀があるのか分からない。無闇に破壊してたらハルモンドの人々に見つかるデス」
「そうだね……」
キノコ入りのシチューは深皿に入っており、底には魚の骨が敷き詰めてある。湖で捕れるという細長い魚、その骨だ。これは食べるものではないらしい。濃厚な出汁が出ていると感じる。
「ここは、街の流儀に従うべきデスね」
「うん?」
「私たちも武器を作るのデス。それで、剣の乙女に活躍してもらうデスよ」
「武器を作るって、僕は模型とガラス作りが少し分かるだけだよ、スウロが作るの?」
「違うデスよ」
ちょい、と肉を切っていたナイフを振り、脇に置いた布の塊を指す。
「このナイフ、その模型の中に組み込んだら、何になると思うデス?」
「それは、中の世界だとでっかいナイフに、あ」
「そういうことデス」
その時。
があんという低くたなびく音がどこからか響き、アトラは身をすくませる。
「うわ、工房の音かな? でもなんか違うような……」
「だめだったか、昨日の戦いは激しかったからな」
「ああ、まただ、だんだん短くなる」
急ぎ足で通りを歩く人々の声。
アトラが意識するともなく、その会話がするりと耳に忍び入る。不吉な予感とともに。
「また、次の乙女が選ばれるのか」




