第二十七話 蒼に眠る
鍛冶屋ハストの後につき、しばらく歩く。
到着したのは街の中心となる丘である。
振り返れば三日月型に広がる街が一望できる。防壁がぐるりと取り囲み、何ヵ所かに巨大な巻き上げ式の門が。そして遥か遠くに朽ち果てた骨が見える。距離感がおかしくなるほどに大きい。
「ついたよ、ここが乙女の御座だ」
その丘は真横から見たなら直角三角形に近い形をしており、南側がなだらかな斜面、北側はほとんど垂直に切り立った断崖となっている。
丘の頂上には記念碑のようなものがある。いくつかの石の柱で周囲を囲み、女性を抽象的に表現した彫像を置くという立派なもので、根本には花束や果物、刺繍や陶器の飾り物などが供えられていた。
「誰かのお墓なのデスか?」
「そう見えるかい。まあ、ある意味そうかもねえ、剣の乙女はこの下に眠っておられるんだよ」
崖にそって柵が設置されており、鍛冶屋ハストは真下を指で示す。
「……?」
アトラがおずおずと柵の下を覗きこむ。それは水場だ。そよ風が扇状の波紋を刻み、こんこんと清水をたたえる水場が見える。崖の下から上ってくる風は水の気配を乗せて冷たく、魚のぱしゃりと跳ねる音も聞こえる。
「すごい、立派なオアシスですね」
オアシスの外縁部にも防壁が作られている。そこで気付いた。この街は丘を中心として、街と湖、その二つが三日月の形に存在する街なのだ。
「なるほど、この丘が常に湖に影を落として蒸発を防いでいるデスね。南回帰線より南のこのあたりなら陽光が湖に差すことは少ない、この丘の形状といい、まるで日時計のようデスね」
「ああ、この湖は何千年もここにある。壁の中には畑もあるし家畜も飼ってる。ハルモンドはすべて壁の中だけで完結できる街なのさ」
少し話がそれた、とハストは肩をすくめる。
「そして、この街を守ってくださる乙女もいる」
ハストは革張りの背嚢を背負っており、そこには剣や槍、鎧や籠手など様々なものが詰め込まれていた。ハストはゆっくりとした動作でそれを体の前に持ってきて。
次の瞬間、中身を柵の外にぶちまける。
「あ」
いくらかの武器は断崖に当たってがあんと鳴りつつ、一瞬で湖面まで落ちて水音を鳴らす。アトラが慌てて身を乗り出してみれば、すべての武器は水に飲まれ、ただ波紋だけがゆっくり広がっていくところだった。
もはや鋼の輝きは見えない。湖はかなり深いようだ。
「ど、どうして」
「日の当たるうちは水の中で眠っていなさるが、夜になると水から出て、魔物を退治してくださる。でも力が強すぎて武器がすぐダメになるんでね、どんどん新しい武器を欲されるんだよ」
がしゃり、と音がして、見れば別の鍛冶屋が坂を上ってくるところだった。ロープで球状にまとめた金鱗鎧を背負っている。
それはまたも女性だった。ハストよりも若い。丸っこい印象で頬を赤らめた人物である。アトラは知っていた。火をよく扱う職人は頬が焼けるのだと。
「レンナ」
と、ハストがその少女へ駆け寄り、背負い籠を降ろしてやる。
「あんたたち、あたしは仕事の話があるから、案内はここまでだよ。レンナ、いい鎧だね。今日のは特に……」
そして世間話を始めてしまう。
何だか放り出された気分のまま、アトラはまた湖の底を見る。
丘の影となっている湖面は暗く、何も見えない。沈んでいった剣の輝きも、剣の乙女の姿も。
「アトラ、そろそろ行くデス。暗くなる前に宿を探すデス」
「あ、うん……」
ゆるやかな坂を降りつつ、アトラは何度か背後を振り返る。
「アトラ、あまり見るもんじゃないデス」
「え、そうなの?」
だがどうも背後の二人が気になるのか、降りながらもずっと後ろを気にしていた。
「ねえスウロ、なんで女の子同士でキスしてるの?」
「おやアトラ、それだけ鍛えてる割に世間知らずデスね」
「鍛えてるのは関係ないでしょ」
「そうデスかね」
スウロは顎の下を人差し指で押し、やや楽しげに答える。
「愛とは定まった形がなく、どのような関係の中にも存在するのデス。性別の違うこと、あるいは同じであることなど小さなことデス。あらゆる関係性は愛の希釈に過ぎないのデス。この世は愛から生まれているのデス」
「全然わかんないよ……」
どこかから槌音が響く。
ハルモンドの街は奇妙な熱気に包まれているように思えた。それは工房で炭の燃えるためか、あるいはそこに住む人々の放つ熱気ゆえか。
※
「本当にいるのかなあ」
適当な宿を取って食事にする。湖で取れる魚料理が名物とのことだったが、驚くほど細長く、また身が薄く、骨が透き通って見える細剣のような魚だった。
それを柑橘系の匂いがする汁につけて発酵させる。こうすると骨が柔らかくなり、食べるときに気にならなくなるという。ソテーにしたそれを、挽き肉と香辛料のソースをかけて食べる。
「迷信であれだけの武器を投げるとは思えないデス。実際にいるのでしょう」
「剣の乙女……。それが、街を守ってるって」
スウロは魚料理に加えて甘いものを何皿か食べて、考え事をするように斜め上を見ながら言う。
「疑問点は二つデス」
「疑問点?」
スウロは薬指と小指、二つの指を立てる。
「まず、この街はいったい何と戦っているのか。壁に刻まれた爪の跡は尋常ではないデス。ハルモンドは十数年もこの状態だそうですが、剣の乙女はずっと戦い続けているのか」
「砂漠に出る魔物じゃないの?」
「それはもっと北に出るものデス。ハルモンドには立派な水場もあるし、それを求めて獣が寄ってこないとも言い切れませんが」
そこは深くは踏み込まず、小指の方を細かく動かす。
「もう一つ。第十八次遠征隊は、なぜこの街に補給に来なかったのか。先遣隊は来たのに」
「それは……もう十分だから、とか。急いで北に行く理由があったとか」
「それもあるかも知れないデス。しかしこの街は豊かデス。大量の武器を作れる竜銀があり、竜の足跡もある。別動隊を出してでも回収に来るべきデス」
「うーん……でも、この街だけじゃないけど、どの街も王様に従わない感じだしなあ」
何となくそのへんで納得できてしまう。
「もし、あれらの武器が魔物と戦うためのものであり、そういう魔物が沸いてくるなら」
魔法使いはいつの間にか酒杯も重ねている。スウロはそのすみれ色の瞳を、酒気にうるませて言う。
「魔物を我々が何とかすれば、竜銀はすべて我々のもの、ということになるデス」
「え……」
アトラはしばし硬直し、そして目を丸くする。
「いや! ならないよ! 竜銀はこの街のものでしょ!」
「そうデスか? 必要以上の竜銀など所有する意味はないのデス。それに、勅命においてはそれらは魔王との戦いに供託されるべきもの、蓄財はダメなのデス」
ふと思い出す。
そう言えばスウロは元々、そのような行動原理で動いているのだ。多くの竜銀が集まる街に行き、竜銀を呑んで人を超えた存在を討たんとしていた。
なぜ彼女がそんな事をしているのか。
あのベルセネットを旅立つ夜に聞くこともできたが、アトラはそうしなかった。
彼女には彼女なりの旅の目的があり、この街でもそれに従って動くのだろう。その動機とはおそらく彼女の人生そのものであり、容易には踏み込めない。
「わかったよ。とにかく剣の乙女がいるのかどうか確かめたい。僕の模型を使って外に出よう。投げるとか、ロープを使うとかすれば簡単に出られる」
「はいデス」
そして時が流れる。
砂丘の彼方に落日し。長い長い残照の陽がついえる頃。二人は壁から距離を取って丘の影にいた。
「壁の爪痕は、あの大きな骨と街の直線上に集中してるね」
「はいデス。剣の乙女とやらが戦っているなら、あの爪痕の付近でしょう」
風のうなりに、低い声が混ざる。
それは獣の吠え声のようだった。アトラは小模型を足元に置き、いつでも隠れられるように構える。
「来たデス」
それは狼に似ていた。しかし二本の足で歩き、前傾して背は曲がっており、耳まで裂けた口には鋭い牙がずらりと並ぶ。暗闇の中で体毛は艶めき、銀が混ざっているようにも思える。
その腕は船の櫂のように長く。手は膨れ上がって大きく、曲剣のような鋭い爪が生えている。
「狼……いや、狼と人間の中間みたいな……」
「砂漠に徘徊する魔物でしょうか? かなり大きいデスね」
「スウロ、向こうから何か来たよ」
月明かりのみの砂漠で、銀無垢の鎧が浮かび上がっている。
片腕に巨大な剣を持ち、さらにロープで多数の武器を結わえて引きずっている。家一軒を両断できそうな大剣、巨齢樹すら身をすくませる斧、宝石で装飾された短剣、鞭や鎌のような武器も。
それを引きずる人物は影しか見えない。頭も手足も定かではなく、鎧から黒い煙がゆらゆらと噴き出すような、曖昧なシルエットしか判らない。
だがかすかに見えるのは、その人物の黒く長い髪。
「剣の乙女……」
人狼が駆ける。
その爪を月へと伸ばし、裂帛の勢いで引き裂かんとする。
爪の先端が乙女の肌にかかり、肉を液体のように弾けさせる刹那。
剣がひらめく。弧月をかたどり、天を縦断して狼の肩をとらえて一瞬でその身を両断し、噴火のごとき大量の砂塵が天へと巻き上がる。
「な……!」
剣を振るった、というのは網膜に残る残像からの推測。人間の動体視力など問題にならぬほど速い。まばたきの一瞬であの大剣を直撃させている。
そして剣も無事では済まない。乙女の打ち付けた剣は柄の装飾が砕け、先端が折れて遥か遠くに飛んでいた。把手の部分は紙を握りつぶしたように変形している。
砂丘の向こうに、続けざまに影が生まれる。
「! アトラ、模型に入りましょう」
「う、うん」
現れるのは先程よりも大きな人狼。腕がより長いもの、爪が弧を描くもの。牙が顎の下まで伸びているもの、様々な人狼が剣の乙女をめがけて砂丘を下る。
月影かすかな砂漠にて、戦闘は混迷を深めようとしていた。




