序章 第三話 雷と巻き髭の竜
「ふいー、ちょい飲み過ぎたデス」
「スウロ、寝るならちゃんと布団で寝るんだよ」
「アトラ、涼みに行くから付きあえデス」
「え?」
スウロはふらふらと起き上がり、小屋を出ていく。アトラも慌てて上着を着て、後を追った。
村からやや離れた岩陰まで来て、スウロはどすんと座り込む。
「うう、ちょと寒いデス」
「砂漠の夜は冷えるよ。「町」で休む?」
「アトラ、ちょっと近くに寄るデス」
「?」
アトラが並ぶように腰かけると、スウロががばりと両腕を回して抱きついてくる。
「うん、あったかいデス」
「スウロ、酔っぱらってるだろ」
「ちょっとしたスキンシップなのデス。アトラもやってたでしょう、さらわれた女の人らにエロいことを」
「やってないよ! 変なこと言わないでよ!」
おや、と、スウロはおかしそうな調子で言う。
「そうデスか? 女の人五人いましたが、二人ほど妊娠してたデスよ」
「そんなすぐ妊娠しないよ!?」
「んー……それもそうデス」
「そうでしょ、関係ないよ」
「それはそうと、アトラ、あれで十分だと思うデスか?」
酒気のせいか話題がふわふわと揺れ動く。ふいに向けられた質問に、アトラはきょとんとした様子。
「あれって?」
「盗賊たちデス。水場と畑と牛、それだけでもう人を襲わなくなると思ってるデスか?」
スウロはぺたりと足を寝かせて座り、口を大きく開けてあくびをする。その肢体は壺のような豊かなラインを描いており、アトラと同年代ながらも成熟した空気を、指先まで力のみなぎるような色香を見せる瞬間があった。
アトラはそんなことには気づかず、ややむくれてみせる。
「大丈夫だよ。だって、貧しいから盗みを働くんでしょう? 自分達で生きていける土地があれば、罪なんか犯さないよ」
「水はいつか枯れるデス。畑と家畜があっても着るものは作れない」
「……明日は機織り機を作るよ。盗賊の砦の中に置いておく。綿花畑も作る。何なら服屋を作ってもいい」
「いくら出しても、見せる女の子はいません。娯楽もなければ退屈デスねえ」
「じゃあ、全員を「町」に招待したっていい。あそこなら何でもある」
「何でも、デスか」
「なんだよ、妙に突っかかるじゃないか、何か機嫌の悪くなることでも……」
ぴく、とアトラの耳が動く。
「何か物音がする。大勢が動くような」
「ああ、そろそろ砦から盗賊たちが着く頃デス」
「えっ!?」
アトラは素早く身を起こして駆け出す。スウロはのっそりと立ち上がり、ローブの裾をつまみながら歩く。
「なんで!? あんなに遠くに置いたのに! あの岩山をすぐに越えられるわけないよ!」
そう叫ぶアトラに、後方から声が飛ぶ。
「誰かが道案内したかもデスよー。地形をよく知ってれば、越えられない高さじゃないデス」
「道案内……って」
駆けつけてみれば、宿屋の前に村人が集まっていた。半数ほどは武装した盗賊、女たちは自分の息子をそばに寄せて遠巻きにしている。
「な、なんで……」
「お爺さん、出てきてほしいデス」
スウロが呼びかける。盗賊たちの背後から宿屋の老人が歩み出てくる。
夜の寒さゆえに酒が冷めた、という訳ではない。最初から酔いなどひとかけらも無かったような仏頂面をしている。
「お爺さん、どうして」
「にぶいガキだ、まだ分からんのか」
村の人々はさっと左右に広がり、盗賊たちは老人を守るように左右に控える。
「疑問点はいくつかあったデス」
スウロがアトラの両肩に手を置き、爪先立ちで伸びをしながら言う。
「まず、盗賊たちの中に竜銀の魔法使いがいると言っていたのに、砦にそれらしい人物がいなかった。それに、村を捨てたという男たち、いくら水の枯れた崖っぷちの村でも、妊娠した女や子供まで置いて逃げるのは考えにくい。まあでも、命が何よりも大事と考えるならそれもあるかと思った」
「す、スウロ、なに言ってるの」
「他には村に女物の服がけっこう残っていたこと。酒もデス。それにお爺さん、あなたが殺されていないこと。生かしておく意味がどこにあるデス?」
老人はふんと鼻を鳴らす。
「そっちの小娘は気づいてたか」「極め付きは」
スウロは、誰の発言も許さぬとばかりに首を振り上げて言う。夜の寒々しさの中に、魔女の声がいんいんと響く。
「模型を見たときにあなたはこう言った。「そんな魔法が有り得るわけがない」とね。あの模型は確かに規格外のシロモノ。魔法の心得があればあるほど、あれが常識を超えていると分かるデス」
「スウロ……何を言ってるんだよ、お爺さんが何だって言うんだよ」
「アトラ、ここは盗賊の村なのデス」
さすがに事ここに至っては察するものがあるのか、アトラはぐっと唇を噛み締める。
「すぐに襲わなかったのは、我々が盗賊退治に雇われた連中か、あるいはその偵察かを見極めたかったからデス。高位の魔法使いでも来たなら、言葉巧みに逗留させて隙を突く、ただの商人や旅人と分かればすべて奪う。そういう村なのデスよ」
「そんな……」
「はっ、今さら気づいたところでどうなる」
何人かの盗賊が、模型を抱えて出てくる。
それと同時に数人が木切れを構えて、じりじりと二人を取り囲む。
「その模型をどうする気だ!」
「どうするもなかろう。地形を変え、水場を生み出す。これほどの宝があろうか。これがあれば盗賊などに身をやつす必要もない。この村は永遠に栄える」
アトラは大股に踏み出そうとして、肩を掴んでいたスウロに止められる。
「アトラ、落ち着いて。逸る男はモテないデス」
「でも」
「お爺さん、見たところあなたは魔法使いのようですが、ワタシが高位の魔法使いだとは思わないのデスか? 指先をひらりと振れば、この場の全員をカエルにできるかも知れない。もちろんアトラも」
「えっ」
「ふん、竜銀の魔法にそこまでの力はない。仮にお前が凄腕だとしても、こいつをどうにかできるかな」
老人の手が青白く光っている。握っていた竜銀を媒体に術を行使しているのだ。そしてその手を右手にある小屋に向ける。
瞬間、小屋が内部から爆散し、青白い影が立ち上がる。
「こいつは……!」
アトラがうめく。それは猫のようなシルエット。
だが体は人をまるごと呑み込むほど大きく、全身が青白く発光している。
小屋に封じられていた獣は、前足を伸ばしつつ月に向かって啼く。
「見よ、これが竜というものだ。竜銀によって力を得た獣よ」
「ぐ……」
アトラが拳を握って震える。それは怒りのためか、あるいは悔しさか。
「なかなか立派な竜デス。純度の高い竜銀をたっぷり食べさせてるデスね。戦士も魔法使いもイチコロでしょう」
「さあ雷猫竜スニーザよ! あいつらを噛み砕け! その雷の毛並みにて消し炭にしろ!」
そして竜は二人を見て、ぎらりと眼光をひらめかせて。走る。
「アトラ、防御を」
「うっ」
一閃。
一秒の何分の一かという踏み込みと横凪ぎの爪。空間にひらめく電光。アトラの体が真横に吹き飛ばされる。
一瞬、五体バラバラになったかと誰もが思った。だがアトラは月明かりの中に着地し、慣性でざりざりと砂に溝を刻む。
「なっ……馬鹿な!? 防げるはずがない!」
アトラの上げた右腕から白煙が上がっている。そこに、ガラス蓋のついたスノードームのような模型が。
誰かが一瞬だけそれを見た。竜の爪がアトラに触れる瞬間。その剣のような爪が世界から消えたことを。
「くそ、畳み掛けろ!」
巨躯の竜が腕を振り上げ、文字どおり雷撃のごとき勢いで叩きつける。八方に広がり踊る放電。アトラはさらに後退。体が後方に流れようとするのを腹筋でこらえ、まるで拳で立ち向かうかのように構えんとする。
だが猫ならではの動きか、反転がおそろしく早い。空中に飛び上がったかと思う瞬間、胴体をねじりながらアトラに食らいつかんとする。アトラの見たのは鼠や虫の視点か、圧倒的な重量とは思えぬしなやかな動き、次の動作を許さぬ速さでその身を引き裂かんとして。
「そう、そこデス」
砂が。
一瞬、天に届くほどの勢いで打ち上がる砂。その向こうから降り下ろされる鋼鉄の円柱。
それは弓なりの軌道を描いて、ものの見事に猫の頭を飛び越え、首根っこに食い込んだ。
みゃっ
そんな、妙に愛くるしい鳴き声と共に地面に縛られる竜。
そこは一辺10メートルほどの木の台座。端の方から子供の手首ほどの太さで鋼線が生えており、それが螺旋状の部分で力を溜め、コの字型の鋼線へと繋がって竜を押さえつけている。この大型の獣だから押さえているだけだが、人間が食らえば一撃で胴体が離断しただろう。
竜は身動きが取れず、目を白黒させながらもがく、その体表の電荷が鋼線を伝って散っていく。
何人かの村人が叫ぶ。
「なっ……、何が!?」
「あの竜が止められた!?」
「おや、皆さん見たことないデス? ねずみ捕りデスよ。大きくすれば竜だって捕まえられます」
スウロはすたすたとその竜に近づき、白く輝く板を押し当てる。
「かなり食べてますが、こうして高純度の竜銀を鼻に当てれば、内部の竜銀を吸い出せるデス。ほら暴れないで、痛くしないデス」
「馬鹿な! そんな巨大なもの埋めている様子はなかった。それに、なぜ我らが竜を操ると……」
老人ははっと気づく。アトラは悔しさに震えながらも。決然と視線を上げている。
「まさか!」
「そうだよ……この村に入る前に模型に写した。竜がいることは分かってた。でも何かの間違いだと思いたかった」
「間違いのわけないデス。この村が不穏な場所だなんてことは最初から分かってたのデス。アトラは頑固者だから、実際に襲われるまで信じなかっただけデス」
「ぐ……ならば!」
老人が右手を突きだす。そこに生まれるのは雷撃の気配。ばちばちと空気がひび割れるような音がとどろき、周囲の景色をストロボの灯が照らし出す。
「おお、竜銀を電撃に。お爺さん、それなりに心得があるデスね」
「かつては王国に仕えた身だ! 貴様らごとき若造に負けはせん!」
電撃は総量と密度を増し、老人の手の中に恒星をひとつ作るかに思える。村全体を照らし出すほどの稲光が。