第十九話 処刑台上の魔女
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広場には群衆が詰めかけている。
谷あいをその基本としたベルセネットの街において、一箇所に集まれる人間は多くはないが、この時は数千人もの人々が広い範囲に集まって処刑台を見上げていた。屋根の上から眺める者もいる。
それは広場の中央に作られた高舞台であり、組木によって作られ、地上20メートルほどの高さがある。
その中央には三本の丸太が門構えのようにコの字型に組まれ、その上を経由して、一本のロープがスウロの首へと伸びている。
「むごいもんだ、まだ若いじゃないか」
「でも雅本を盗んだって」
「たかが盗みじゃないか、人殺しだってそうそう死罪にはならないのに……」
ざわざわと、ささやき交わす言葉には未だ半信半疑の響きも混ざる。
本当にやるのか、と。
スウロは一度女の役人により衣服を剥がれ、麻の簡素な服だけで高舞台に上げられている。縛られた手首は紫に変色し、顔色は当然のように悪い。すみれ色の髪によって顔が隠れており、その表情は窺えない。
「ほ……本当に殺されちゃうぞ、スウロ……」
アトラもまた群衆の中にいた。布を巻いた模型を背負って、人の間をうろうろと歩き回る。手の中にも模型を握り込んでいるが、それで何をするのか考えがあるわけではない。
「なあ、本当に領主様が出てくるのか?」
「そういう法だからな、死刑は領主様の前で行うっていう……。でも遠征隊の補給にも顔を見せなかったのにな」
「……?」
ふと、何となくその世間話が気になったので顔を突っ込む。
「あの、すいません」
「ん……何だい兄さん」
「領主様ってふだん出てこないんですか?」
話しかけられた二人は顔を見合わせるものの、別に隠すことでもないと思ったのか、アトラに向き直って説明する。
「ああ……領主のカディンゼル様は表に出てこない人でな」
「新年の祭りとか成人の祝いとか、公式行事にもまったく出てこない。まともに顔を見たことあるやつも何人いるのやら」
それについてさして疑問とも思っていないようだ。考えてみればアトラもバターライダーの領主など見たことがない。そのような都市があっても不思議はないのかも知れぬ。
しかし、顔を見たものもほとんどいない、というのは流石に引っかかるものを覚えた。
「何で出てこないんですか?」
「さあ……? 体が弱いんだったかな」
「重病だとか聞いたけどな。10年ぐらい前からずっと療養中だとか……」
「静粛に」
声が広がる。
高舞台の上に役人が登っている。まるで布団のような大げさな毛皮のマントを背負い、マントの端を小姓に持たせた役人である。彼は金泥のインクで文字が刻まれた文書を持ち、高舞台の四隅を大きく足を上げながら歩いて、市民の一人一人に見せつける。
「これよりベルセネット領主であり銀獅子公、カディンゼル・ドミ・ベルセネットの御名において公開処刑を執り行う。過日陋劣なることには彼の小女郎、フウス地区ギンカーゼル美術館へと忍びて街の重宝たる雅本一冊を偸盗せしめた。その浅はかさ稚拙さへの哀れを以て厳格なる罪科与うるに若干の逡巡差し挟むも必竟許しがたき。鉄の律法もて秩序の鋼条を遵守せしこそ治者の務め。いざや其れ処刑の有様広く公開すること法と罪の公平さの明白なる故である。よって今この時、縛り首にて正しく敏速にその命を法に従わせん」
口上は多分に芝居がかっており、儀式というより調子を打ったお囃子のようにも思える。
この時代。娯楽に乏しく日々の生活は厳しく、文化も爛熟とはとても言えない時代において、公開処刑が大きな娯楽としての意味を持っていたことは否定しがたい。
だが、だとしても集まった市民の反応は熱狂とはとても言えなかった。それはやはり、対象が若い女であることで意識に制動が働いている。
かといって声を上げて止めに入るほどの勇気はとてもないし、それはこの時代における常識からあまりにも外れていた。
「おい、出てきたぞ」
誰かが言って、アトラも目を向ける。それは高台となっている屋敷の前面、断崖絶壁となっている部分に立ち尽くす人物。見下ろした処刑台との距離はほんの20メートルほど。青い礼装に身を包んだカディンゼル公である。
「随分でかいな、髭も立派だし貫禄もあるが……」
「あんな顔だったかな。俺も最後に見たのはだいぶ前だから……」
「……」
アトラからは逆光になって見えにくいが、確かに昨日、屋敷の中で見た顔に思える。野獣のように髭が濃く、がっしりとした体つきの大男だ。偏見だがとても重病人には見えない。
群衆は、久々に顔を見せたというカディンゼル公に注意が引かれているようだ。その人物は高台に立って処刑台を見下ろしつつ、さしたる感動もない様子で立ち尽くしている。
また役人が何か小難しい呼びかけをして、領主が静かにうなずく。
そして現れるのは鎧の騎士。顔に袋状の黒布をかぶり、鎧もあえて煤を塗りたくって汚している。それにどのような意味があるのかアトラは知らなかったが、不吉な印象を抱いたのは場の全員だろう。
鎧の騎士はスウロの後ろに回り、子供の手首ほどもある太いロープを二人がかりで持つ。それを二人で後ろに引いていって死刑を執行するという塩梅である。
ひどく力任せなやり方であり、それがために暴力的で凄惨な、死の恐怖というものを見るものに植え付けるかに思える。
「魔女よ、最後に言い残すことは」
高台から声が降りて、人々がいっせいにそちらを見る。
カディンゼル公が発言したのだ、ということが数秒遅れで認識される。
「ひとつ問いたいデス」
やや枯れた声で、しかし腹筋を使って遠くまで呼びかけるように声を張る。
「なぜそんなに竜銀を溜め込むのデス。この街の徴税が不当な域に達していることは誰もが分かっている。そもそも街の人々がやるべきことは竜銀の収集などではない。井戸を掘り、畑を作り、街の正しい生活を守ることではないのデスか。あなたの行為はひいては王への反乱、あるいはその予備罪と見るに何らの不足はない。あるいは貴方は世界の法と秩序を逸脱し、竜銀の輝きに魅せられてしまったのデスか。それは破滅への道でしかないのに」
しん、と。
場が静まる。
誰もがあっけにとられている。魔女の言葉に共感したというわけではない。そのような言葉をなぜ止めもせずに言わせたのか、という点への戸惑いのためだ。
カディンゼルは特段表情も変えず、やはり岸壁に立ち尽くす。
「そうだ」
と、群衆の中で誰かが言う。
暗闇でかんしゃく玉の爆ぜるような、一瞬だけ弾けて散る程度の声。
「そうだ、やりすぎだぞ」
「税をどこに溜め込んでやがる」
高らかに叫ぶというほどではない、うつ向きながらのささやかな主張。
だが確かな同意の声が、膝の高さで飛び交う。
カディンゼルは右手を背後に出し、背後に控えていた衛兵が手槍を手渡す。
次の瞬間。
瞬時に投げ下ろされた槍がぶん、と空気の震えるような音を伴って加速。群衆の一角に突き刺さって爆発するような音を放ち、地面から土煙が上がる。
そして悲鳴。絹を裂くような、数十羽のひよどりの声を束ねたような叫び。
「なっ……!」
それは確か、そうだ、と最初に声が聞こえたあたり。
カディンゼルから見れば打ち下ろしで50メートル近く離れている。手投げ槍で打ち抜いた、という事実に誰もが金縛りにあう。
「縊り殺せ」
カディンゼルの声。その所業にはスウロの背後にいた騎士すら金縛りにあっていたが、その声で強制的に命を吹き込まれたかのように動き出す。ゆっくりと儀式張った動作でロープを引く。
「……ひ!」
誰かのひきつった叫び。
カディンゼルが再び槍を構えている。人々は雪崩を打ったように駆け出し、人を押し退けて逃げようとして将棋倒しになっている。
「くそっ!」
アトラは槍の切っ先を見て走る。
ごう、と槍の飛来する先端に飛び付き、手を構えて。
そして手の中の模型に槍が飲み込まれ、狙われていた誰かの上に被さるように倒れて、カディンゼルがそれを見て瞳孔をすぼめる一瞬。
ひゅう、と音が鳴る。
縄を引く騎士には息が詰まらんとする音かとも思われたが、それは口笛の音だった。
起きている異様な事態と、足元での地獄のような阿鼻叫喚の声によって、その口笛の意味を理解する者はいない。
天の一角から降りてくる影。
それは赤錆色の翼を備えた猛禽類。矢のごとく風の隙間を縫って飛び、今まさに首がくくられようとする魔女の鼻先をかすめる。
そしてその鉤爪が落とすのは、白銀の板。
「万象を統べる無垢なる銀、魂の震え、果てなき渇き、黒猫に殉ずるそれは火の精兵、言葉の朽ちる一瞬に炎と成れ、眼に見えるすべて炎獄に堕ちよ」
銀の板が輝き、ふくれ、ねじれて赤き火焔となる。
処刑台の足元が燃え出し、空気から水気が消し飛び、魔女をくくらんとする縄を一瞬で炭化させ、背後の騎士が一瞬で意識を失う。
そして火焔が渦を巻く。自らの尾を食らわんとする狂喜の精霊のごとく。
「――いけ」
そして巨大な火球が打ち出され。
領主を、その背後に見える屋敷をまともに飲み込んで直撃した。




