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第十八話 坂道の上


「おや……おかしなことを言うデスね」


魔法使いのスウロはからかうように笑う。


「その模型があれば助けられない人などいないはずデス。囚われてるなら、連れ出してあげればいい」

「連れ出すだけじゃダメなんだ。救ってあげたいんだ」

「何を見たのデス?」

「雅本を作っている人だ。その人は老人のようだったけど……あれは」


アトラはその様子を思い浮かべる。

本で作られた地形の起伏、積み木の国のような眺め。アトラはそれを模型としてとらえた。

それは幻想的というより、ひどく未熟で、不安定で、本能のままに作られた世界。


「あの人は、子供なんじゃないのか、そんな気がした」

「ほう」


スウロは片方の眉を上げ、怪訝な顔を見せる。


「あの積み上げられた本、あれは模型なんだ。山のそばにすぐ町があって、家が一列に並んでて、ごく狭い範囲にしか造形されてない。あれは子供が作るような模型だ。本を作る技術も、装飾文字カリグラフィの技術もすごいけど、あの人は子供なんだ。どういうわけか分からないけど異常に年をとっている。そう思えたんだ」

「……それは竜銀ドルムの特性かも知れませんデス」


スウロが慎重な様子で言う。


竜銀ドルムは一つの場所に集まろうとするデス。窓ガラスの水滴がくっついて大きくなっていくように、まじないの品を作るときにもほんの僅かに身体の中の・・・・・竜銀・・が吸い出されている。それが衰弱や老化を招くと言われてるデス」

「そうなの……? そんなリスクがあるなんて」

「通常はほとんど意味を持たない話デス。身の周りに大量の雅本を置いているからか、あるいは、あえて・・・そういう風に作られているのかも」

「あえて……? い、いや、それはともかく、あの人を助けたいんだ。もとに戻す方法……治療の方法はあるの?」

「自然な老化ではなく、竜銀が失われた老化ならば治療できるデス。身体に竜銀を吹き込んであげればいい」

「そうなんだ……」


ほっとしたように胸を撫で下ろす。


「じゃあ」

「お断りします」


え、と目を見開くアトラ。


「な、なんで」

「さっき言ったデス。助けてもらわずとも自分の身ぐらい自分で何とかできる。取引になりません。それに、その人が助けてほしいと一言でも言いましたか?」

「い、言ってないけど。でも年を取ってるんだよ!」

「年を取っていることの自覚がないとでも? 子供が老人になっているのでしょう? その人物はその状態を受け入れている、とは思わないのデスか?」

「そ、それは……。でも老人になることを受け入れてるわけない……何か事情が……」


アトラの困惑した様子に、スウロは少し頬を緩め、優しく諭すように言う。夜の底を飛ぶ泡のように、アトラの頬に触れてはらはらと崩れていくほどの声で。


「アトラ、世の中とは複雑なものデス。超常の力を持っていたとしても、それで無闇に他人の人生に干渉していいとはならない。慎重になるのデス」

「……干渉するなって、スウロはどうなんだよ。泥棒じゃないか。雅本を盗もうとしたんだろ」


多少むくれたようにそう言う。スウロは立てた片膝を抱きしめるように背を丸め、アトラの眼の奥を覗き込む。


「王の勅命によれば……」

「王……?」

「このような命令が出ているデス。すべての領地において竜銀ドルムを差し出すべし。あらゆる領主や貴族、個人においては4500万ドルム以上の実体銀の蓄財を認めない。魔王との戦いのため、遠征隊に供出すべしと。実体銀とはこの場合、紙幣や為替、その他流動資産を除外した、竜銀ドルムとその吸蔵実体のことデス」

「な、何の話?」


すみれ色の髪に指を差し入れ、瞳をあらわにする。その瞳もまた鮮やかなすみれ色をしている。


「よいデスか、この南方において、蓄財を行っていること自体が王への反逆行為なのデス。その影には終戦派の暗躍もある。であればその竜銀ドルムを一時拝領し、遠征隊に届けるのが市民の義務というものでしょう」

「……よく分かんないけど、何かとんでもないこと言ってない?」

「いえいえ、私には少なくとも三分の理はあります」

「三分なんだ……」

「それに、この街はそろそろ終わりデス」


え、とアトラが聞き返す。


「どういうこと」

「限界が近いということデス。もともと閉鎖的な地形であったために領主の権限が強かった。北方の、王権との断絶が長引くほどに領主の権勢はいや増すばかり。必要もない夜戸税ナッダリアが繰り返されて不満がくすぶっていたのデスよ」

「そうなの? たしかに妙な税だけど……」

「それに、ものを盗んだ程度でこんなうら若い美女を死刑にするというのデス。これは神に弓引く大罪、きっと街の殿方も怒り心頭なことでしょう」

「石、投げられてたよね?」


そしてスウロは、わずかに俯いて言葉を続ける。その瞬間、何かが切り替わったかのように深く、水底から響くような声となって。


「……投げられても仕方ありません。私が悪いのデス」

「え……?」

「あまりにも遅すぎた。私がこの街へ来て、異変に気付くのが遅すぎたのデス。もはや街は不可逆なところまで傾斜してしまった。もう小手先のことではどうしようもない。おそらくは、こんな街は世界のあちこちに……」

「スウロ、スウロどうしたの」


がしゃり、と身じろぎの音がする。

やや離れた場所、椅子に腰掛けて船を漕いでいた衛兵が、ふと檻の方を見る気配がする。


「アトラ、もう行きなさい、捕まると面倒デスよ」

「どうするの、僕に何かできることがあれば……」

「あなたは来たばかりでしょう? この街のことなら、なるようになるだけデス。正直なことを言えば、あなたのような高位のまじないの品を持つ人に勝手に動き回ってほしくないのデス」


「おい、誰と話をしている」


声がかかる。流石にそれ以上はその場に居られず、アトラは布で顔をおおって駆け出した。


「何をしていた、勝手に……」

「いえいえ、私のファンのようデス……」


そのような声を聞きながら走る。どうやら追いかけては来ないようだ。見張りは面倒事を嫌う人間だったのか。


「……スウロ、どうやって逃げる気なんだ。明日は殺されちゃうんだぞ」


スウロにまるで焦った様子はなかった。本当に自力でいつでも逃げられるのか。

だとしても朝になればまた野次馬も出てくる。不寝番だってもう寝ないだろう。アトラの模型を使っても、もう救い出すのは難しい。


「……それとも、逃げる気がない?」


そのような気もする。檻の中で話をしたとき、本当に逃げたいならもっと食い下がっていたはずだ。

そのことに何の意味があるのか。

スウロは何がしたいのか。街が終わりとはどういう意味なのか。雅本を作っていた人物を救い出すことはできないのか。


「明日の正午……何があるんだろう。何が起きると……」


「扉を開けよ」


背骨が反り返るほど驚いて、その場でちょっと飛び跳ねる。


すぐそばの路地から声がした。勝手口の方で戸板を叩いているようだ。


夜戸税ナッダリア! まだやってるのか!)


しかし、と思う。

ほんの2、3分で徴税を終える。このペースで夜の間に何軒回るつもりなのか。しかも徴税吏が一人とは限らない。


「……というか、そもそも何でそんなに税が必要なんだろ。美術品を買うため?」

「いい加減にしてくれ!」


ひときわ大きい声がして、アトラは軒先に身体を貼り付ける。


「うちは3日前に徴税があったばかりじゃないか! もう銀なんてあるはずないだろ!」

「夜戸の税は無意図なるものだ。重なることもある。それは不運であるとか理不尽ではない。偶機に過ぎぬ」


がしゃり、と音がする。

闇の中から生まれたかのように、鎧を着た衛兵たちが動く音がする。


「差し出せねば、家人に同行を命じる」

「待ってくれ、そうだ、街から買った雅本で支払いたい」


がん、と音が響く。床に槍の石突を突き立てた音だ。


「雅本は税の対象とならぬ。それは街の象徴。不遜であるぞ」

「し、しかし……」


(……)


気配を感じる。

首を巡らせれば、見える範囲ですべての家から人の気配がする。息を潜め、ドアの隙間から、あるいはカーテンの隙間から徴税吏を見つめる眼。


その眼には様々な色があった。怯えや恐怖、混乱と不安、そして怒りの眼も。


「あんた……どうか無事で」

「大丈夫だ、すぐに戻ってくる、娘の世話を頼んだ……」


それは働き盛りと思われる30過ぎの男。罪人のように手鎖をされて鎧の男に引かれていく。

黒づくめの徴税吏は通りに出てきて、大通りを右から左まで眺める。その視線によって、虫が巣へと引っ込むように一気に気配が遠ざかる。


アトラはじっと息を殺したまま、路地伝いにその場を遠ざかっていった。


(無茶苦茶だ……)


こんなやり方で家の大黒柱まで連行して、街から不満が出ないはずがない。

ここまでして税が必要なのか。今は遠征隊の補給のせいで街は潤っているはずなのに。


「街がもう、終わり……あまりにも遅すぎた、って……」


何か、未知の概念を感じた気がする。

それは若いアトラには、まだおぼろげにしか分からぬ概念。


あらゆることがいつか終わる。

あるいは今はまさに終わりめる時であり、現在とはその最後の時へと傾斜している坂道の上なのだと。

それはすなわち「終末感」というものだった。

アトラは、まだよくは理解し得ぬその感覚を打ち払おうと、こめかみを叩いて頭を振る。


「そうだ、さっき匿ってもらった家にお礼に行かないと、迷惑かけちゃったし……」


そして駆け足のうちに夜は過ぎ、朝が訪れようとしていた。



大いなる不安を秘めた、白い泥の押し寄せるような朝が。



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