序章 第二話 創造の御手
老人が叫ぶ。
「消えたぞ!?」
「この模型、現実とリンクしてるデス。ワタシの使い魔でビーコン撒いてるデスからね。もっと驚いてもよいデス」
模型に変化が生まれる。全体を厚手の布で包んだ旅装の人形、それが屋上に生まれたのだ。スウロの見立てでは見張りは屋上に一人、三階の部屋の前に一人、アトラなら敵ではない。
「あんたらいったい何者なんだ。こんな高度な竜銀の魔法、ありえるわけが」
「ふふん、アトラの模型のスゴさと、ワタシの研究の成果デスね」
スウロは鼻唄を歌いつつしばらく待っていたが、また変化が起きる。
模型の上側の空間から、ぴょんと子供が飛び出したのだ。
「! セト!」
次々と、小さい子から順に投げられる。そして女性もだ。こちらは抱えあげられてでもいるのか上半身だけを模型から出して、机に両手をついて出てくる。
「ラザンナ、カリフィ、お前たち本当に戻ってきたのか」
「あ、あの……何がなんだか」
最後にアトラが飛び出してくる。
その頭をスウロが殴った。
「痛っ!? 何するの!?」
「女の人を出すときにお尻触ったでしょ。天罰デス」
「しょうがないだろ! 女の人は自力じゃ登れないんだから!!」
五人の女性と八人の子供。いずれも狐につままれたような、困惑の色が混ざった様子で老人へと視線を向ける。
「ま、まさか、こんなことが」
老人はあんぐりと口を開けていた。
だが、しばらくの硬直を挟んではっと目を見開く。
「お、おい、だがこれで解決とはならないぞ。盗賊たちは女がいなくなったと気付いたら探すだろう。この村に来るかも」
「あ、大丈夫です。縮小、最大範囲」
また模型に変化が起きる。今度は盗賊の砦が点のように小さくなって、近くにあるこの村が見えて、わずかな耕作地と、大きく掘り下げられた井戸と、周囲の丘と、さらに広範囲を写し出す。
「な、何をするんだ」
「創造状態に」
模型にはガラスのような覆いがかぶさっていたが、それが消失する。
アトラはおもむろに砦をつまみあげ、模型の隅の方へ移動させた。
「!?」
「最大範囲だと縮尺が1万倍になります。この模型が直径1メートルなので、つまり10キロですね。盗賊の砦が村から3キロの位置にあるようなので、端まで移動させます。地形も変えて、この村に来れないようにします」
アトラがいくつかの道具を取り出す。何種類かの木ベラ、色のついた粉の入った瓶。わら半紙の紙束や粘土の入った小箱などだ。
まずは村と砦の間にがりがりと溝を刻む。さらに紙を丸めたものを並べて、霧吹きで水糊を塗布しつつ形を整える。
その上から土色の粉を振りかけると、まるで切り立った岩山のようになった。
「これで簡単には来れません。高さ800メートルほどの山ですが、道のない岩山ですからね。でもこれだけじゃ不安でしょう。なので、盗賊の方も自立できるようにします」
「な……何だと?」
「拡大、160倍」
アトラの声に合わせてまた模型が大きくなる。
アトラはジオラマの地面に穴を掘り、陶器の小皿を埋める。そこに青い粉を水糊で溶いたものを流し込むと、まるで小さな湖のように見える。
そして目の粗い、黒い砂を四角い範囲に。それはまるで畑のように見えた。アトラは小箱に入っていた緑の粒をそこに植えていく。
「それは?」
「パセリをすり潰したものです。これが野菜になります。この縮尺じゃないと畑になってくれなくて……」
「な、何が何やら……」
さらには小さな木の柵を並べて、そこに牛の人形を置く。その周囲には緑の粉を、確かにそれは草地の眺めに見えた。
「これで盗賊たちもここで生きていけます。ついでに村にも水場を作っておきますね」
アトラは模型に何かを命令し、村の全景を映し出す。鳥の眼で見たような村の図が現れ、アトラはまた穴を掘り、小皿を埋めて水糊を注ぐ。
「まさか……」
老人が走って外へ出る。
果たしてそこには逃げ水のような、豊かな水を湛える湖が出来ていた。
※
そして夜。
「いや、すべてあんたたちのお陰だ、感謝してもしきれない」
老人の宿屋では村の子供が数人と、その母親、そしてアトラたちが飲み交わしていた。老人は酒を勧めつつ言う。
「さあ飲んでくれ、村で作ってた香草酒だ」
「ありがとうございます、でもあまり飲めなくて」
「にゃはは、なかなかうまい酒デス」
アトラは給仕のようにテーブルを回り、村の人に料理を配っていた。野菜と肉のシチューに新鮮な牛乳、柑橘系のジュースに焼き立てのクッキー類。村人は訳が分からぬままに食べている。
「すごい料理だな。豚肉なんか食べるのはいつ以来だか……。これも模型の力なのか?」
「はい、模型の中で生産しています」
「2歳になったばかりのトゲハナとアマエンボです。美味しく食べるデス」
「な、名前は言わんでくれ……」
スウロはすっかりできあがった様子で長めのソファに寝そべり、黒のローブから大胆に足を放り出す。すみれ色の髪が目にかかってしどけない様子である。
「スウロ、行儀悪いよ」
「「町」のビールもいいけど飲み飽きたデス。やっぱり旅なら土地土地の酒を飲みたいデス。うん、やっぱり良い香りデス」
そこで、ふと気づいたようにアトラが言う。
「お爺さん、この村はお酒を作ってたんですか?」
「ああ……この村の井戸は何十年も枯れなかった。それで麦を作れたし、香草も畑に生い茂っていた。遠目に見ればこの村はな、砂漠に浮かんだ緑の船のようだったよ」
老人は昔を思い出すように言う。
「だがついに枯れちまった。しばらくはずっと遠くの水源から水を運んでいたが、そんなことで持つはずもねえ。旅籠で何とかしのいでいたが、盗賊が出るってんで旅人や商人も来なくなった。こんな村じゃ寂れるのも当たり前だな」
だが、と老人は言う。
「あの湖は助かったよ、あれでまた麦と香草が作れるだろう」
「お役に立てたなら嬉しいです、ですが……」
と、アトラは少し姿勢を正して言う。
「この気候です。どれほど大きな湖でも永遠には持ちません。できれば井戸はずっと掘り続けてください」
「そうか……分かったよ」
「すいません。できれば永遠に水の心配を除きたいんですが」
「気にするな。何もかも「魔王」が悪いのさ」
老人は杯を傾け顔を上げ、屋根を透かして星を見るような風情で言う。
「魔王のせいで水は尽きて、森は荒れ地になって、虚無の帯は広がるばかり。少し前に出たとかいう第十八次遠征隊……それがやられちまったら、世の中どうなっちまうのかねえ」
「……大丈夫です。きっと「勇者」が魔王を倒して、世界は元通りになりますよ」
「は、そうだといいが……」
老人は机に突っ伏し、やがて、静かな寝息を立て始めた。