第十三話 魔王
「う……」
眼を覚ます。
瞬間、全身に痛みが走って歯を食い縛る。
「あれ……」
そして疑問に思う、自分はなぜ生きてるのか。
あの時、カウンターを仕掛けた。
模型を胸に仕込んでいると見せかければ、フィラルディアは胸を突いて来ると読んだのだ。そして実際に剣が体を貫通すれば動揺すると見た。そこへ全身全霊の木剣を叩き込む。
作戦というにはあまりにも不確かで、偶然に頼ったものではある。
数年かけて鍛えたとはいえ、実力も装備の差も歴然としている。勝つにはそんな奇策しか思い付かなかった。
そしてほぼ狙った通り、命と引き換えにして相討ちに持ち込めたと思ったのだが。
「気付いたか」
己が寝ているのは寝台。フィラルディアは枕元に立っていて、クイッカもその隣に立っている。フィラルディアは頭に包帯を巻いていた。
もう一つ気づいたことは、ここはアトラのではなくクイッカの家だ、運ばれたらしい。
「勇者……なんで、頭を割ったはず」
「竜銀のまじないだ」
フィラルディアが背中の剣を示す。
「幻光剣イムカウェンザ。この剣は真なる竜銀でできており、不壊のまじないを秘めている。この剣の周囲ではものは壊れにくくなり、人は老いにくく病みにくく、あらゆる滅びが遠くなる。私は癒しのまじないも使えるしな」
「……そうなのか」
では結局のところ、最初から自分に勝ち目はなかったのか。
多少の奇策を弄したとしても、勇者を殺すのは容易ではない、ということだろう。
「どうするの、僕たちを殺すの」
「もういい」
フィラルディアはそうとだけ言う。なんだか毒気の抜けた様子に、アトラもいぶかしみながらも体を起こす。
「どうして」
「子供を斬るなど」
聞こえるか聞こえないかの、瞬息のつぶやき。
「二度もやれることではないのだ」
「……」
深い憂いのような顔がのぞく。
だがそれは一瞬のことだった。まばたき一つの後にはその憂いは見えなくなる。
「アトラ、北方で起きているのは人同士の争い、それは真実だ」
「……」
「いくつかの勢力が竜を使って戦争を続けている。私のように真なる竜銀の武器を持った勇者もいる。魔王が姿を消した今、その玉座に座ることだけが人の望みになってしまった」
「どうして……? 魔王はもういないんでしょう? なぜ、人同士で仲良くできないの?」
クイッカが呟くように言う。フィラルディアはそれを背中で聞きながら、首をもたげて虚空を見る。
「私は、それを語る言葉を持たない」
そして、アトラの眼を、その奥にある魂の形を見定めようとするかのように、じっと深い視線を注ぎながら言う。
「アトラ、私はすべての竜を殺そうと思っている」
「え……」
「いま港にいる竜、あれもやがては殺す。それが世界を救う道だと信じている。そして最後には己の剣も、銀の都も、魔王の玉座も破壊し、この世界から魔王の痕跡を消す。それが世界を元に戻す道だと信じている」
「元に、戻す……?」
「そうだ、世界に魔王は必要ない。誰かが魔王になれる可能性は排除せねばならない、だが」
視線を脇に流す、そこにはアトラの模型が置かれていた。
「存在しないはずの真なる竜銀、時空を操る奇跡。あるいは、あれは世界のたどり着くもう一つの可能性やも知れぬ」
そして立ち上がり、部屋を出ようとする。
「あの模型で世界を変えてみせろ。次にまみえたとき、お前にその資格がないと見れば容赦なく奪う。それは忘れるな」
そして足音が遠ざかり。
クイッカはふいにアトラに覆い被さって。
シーツを握りしめながら、声を殺して泣いた。
※
アトラたちの住む家から歩いてしばし。
大火を逃れたささやかな林と、木立の隙間から見下ろせるアトラたちの家。
その遠景にはバターライダーの街。その六割が完全に焼失してしまった街である。生き残った人々は遠征隊に拾われたり、他の都市に流れたりであり、あの土地に留まっている人間はもはや五千人もいないという。
スコップを操り土をかぶせ、最後に手製の墓碑を立てる。宗教感の希薄なこの時代において、墓碑は簡素なものが常である。
埋めたのは、模型の地下にいた人物。
葬儀の経験などないアトラだったが、墓穴と木製の棺を用意し、なんとかそれなりの墓を作った。
アトラの祖父の模型も埋めた。庭付きの邸宅、のどかな村、渓流に牧場、一つの街が作れるほどの様々な屋敷。それは彼なりの葬送の手向けでもあり、決別の儀式のようでもあった。
「アトラ、もう終わった?」
坂を上がってくるのはクイッカである。一日おきにバターライダーの街に炊き出しに出て、復興のためにガラスを焼き続ける日々。この日はようやく時間が取れて、この地に墓を作ることができた。
「うん、ちゃんと埋めたよ」
クイッカとアトラは墓の前でひざまづき、深く祈る。バターライダーで竜の犠牲になった人々と、目の前で死の眠りについた者に向けて。
そしてアトラは、地の霊に問いかけるように言う。
「あなたが、魔王だったんですね」
あるいはそれはアトラの祖父に向けた言葉でもあった。アトラにそれを語る間もなく没してしまった祖父。魔王を神と語っていたのは、それは尊敬の心からか、あるいは魔王と神は同義の存在だったのか。
「アトラ……本当なの? 模型の地下にいた人が……」
「服を脱がせたんだ」
あの奇妙な白い服。埋葬のためには脱がせるべきと考えた。
それはおそろしく丈夫な繊維でできており、溶けたガラスを切る金バサミでもなかなか切れなかった。ノミと金槌で少しずつ繊維を断ち切って脱がせたのだ。
クイッカはバターライダーに炊き出しに出ていたため、その作業は見ていない。埋葬の様子も見せなかった。あまりにも異様なことが起きていたからだ。
「クイッカ、知ってるでしょ。真なる竜銀は魔王の血肉。魔王の流した血が魔法になって、その体からは銀を出せた。魔王はその銀を獣に与えて、竜に変えたって」
「ええ……そういう、昔話だけど」
「あれはね、そのままの意味だったんだ」
あの服の下には、肉体がなかった。
生身として存在していたのは首から上だけ、その下には肉体が残っていなかったのだ。
ただ服の中に、アトラには理解できない無数の機械仕掛けが仕込まれていた。手足の先には、人形の手のような鉄の骨組みが。
「銀の都はそのすべてが竜銀で出来ている。魔王もきっと、その肉のすべてが特別な銀だった。竜が17頭しかいないのは、魔王が生み出せる真なる竜銀の数に限界があったからだ」
そして、魔王はこの地で最後の銀を生み出した。
「あの模型……魔王が最後の最後にちぎり取った肉のかけら。生きていくために最低限、必要なものまで機械に置き換えて、そして模型を残したんだよ」
「どうして……魔王って何なの? 世界を支配しようとしていたんじゃ」
それではまるで自己犠牲のよう。
その身を大地に捧げた聖人の話のような。聖人に己を食べさせたという獣の話のような。
「クイッカ、僕は北に行くよ」
アトラは振り返り、遠く砂漠を見て言う。
「あの模型が何のために生まれたのか、魔王は何を残そうとしたのか知りたいんだ」
「アトラ……」
クイッカはその体を抱く。
もう自分より背が高い。腕にも足にも不自然なほどに肉がついて、クイッカの想像していた成長とはまるで違う姿になってしまった。それを思うと涙がこみ上げる。
だが止めることは出来なかった。クイッカも理解せざるを得ない。彼の心がもはやバターライダーに無いことを。あの模型は、この南方に置いておけるものではないことを。
「心配だよ……アトラ。あなたはまだ子供だし、虚無の帯を超える旅なんてさせたくない。争いになんか巻き込ませたくない……」
「クイッカ……もう大人だよ。あの模型の中で何年も過ごしたんだ」
「アトラ、アトラどうかお願い。旅をしてもいい、戦ってもいい、アトラがそうしたいなら止めたりしない。でもどうか、自分を大事にして」
「自分、を……」
「そう、何をしていいのか、何がダメなのか、私にも分かるわけじゃない。でもどうか、その言葉だけ覚えていて。自分より世界を優先させたりしないで。私にとってはアトラが何よりも大事。この土地でずっと待ってる。毎日あなたのことを考える。だから私があなたを大事に思うように、あなたも自分を大事にして。それだけでいい。私が望むのはそれだけなの……」
「……」
クイッカの腕が。
職人として強くたくましい腕ながら、今のアトラにとってはか弱くも見える腕が、己を強く抱き締める。
アトラは何も言葉を返せず、ただ万感の思いを込めるように、その身を強く抱き返す。
バターライダーの街に、世界の南限に陽が落ちる。
アトラは、クイッカの肩越しに世界を見た。
夕映えの長い長い残照に照らされた、それは赤い砂漠。
それは世界の終わる眺めか。
あるいはまだ何も生まれていない、まっさらな模型の土台のような眺めなのか。